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55/魔性の女
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あれから──ほたると連絡を取らなくなってから、ノアが訳のわからないことを言うようになった。「仕事を辞めたから一緒に住みたい」と言うのだ。その頃の俺はノアとではなく、風華と身体を重ねる日の方が多かった。週五で風華、ノアとは週一あるかないかといったところだ。
『桃哉君の為に尽くしたいの!』
「尽くす? 何、どういう意味?」
『彼女らしく、将来のことも考えて身の回りのお世話とか……』
「おいおい、彼女って何の話? 俺達セフレだろ?」
『は……? セフレ?』
聞くと、ノアは俺の彼女でいるつもりだったらしい。ほたるにもそう話したが、否定はされなかったのだと。
「お前! ふざけんなよ! なんでほたるに話すんだよ!」
『何でって……真戸乃さんとは別れてるんでしょ?』
「んなことお前には関係ねえだろうが! もう連絡してくんな!」
ノアは素直なもので時々メッセージが送られてくることはあったが、これ以来電話は全くかかってこなくなり、気が付けば音信不通になっていた。斯くして俺はセフレを一人失ったのだ。
一人失えばもう一人欲しくなるもの。幸い最近の俺は女に声を掛けられることが多かった。けれど何故だろう──ノアを手放し──……いや、ほたるとあんなことがあってからというもの、どの女も抱く気になれなかった。正直に言えば、ほたるを抱きたくて仕方がなかったのだ。それ以外の女は全て色褪せて見えた。
半月が経ち、気分転換に風華を抱いてはみるものの、どこか刺激が足りない。こいつだけでは飽きてしまうなと思っていた頃だった──風華の浮気が判明したのは。浮気と言えば聞こえがいいが、別に俺は風華の彼氏だった訳ではない、ただのセフレだ。そのセフレが他の男に抱かれている姿を偶然彼女の部屋で見てしまい、それから風華と連絡を取ることはなくなった。
*
「元気ないねえ桃哉君。お姉さんが話聞いてあげよっか?」
会社の恒例行事の飲み会だった。毎回嫌々付き合うキャバクラで、いつものように俺にすり寄ってきたのはマユミさんだった。今までであれば面倒な女だと上手い具合に避けてきたが、今夜は何故だろう──色々なことが続いたせいか、誰かに話を聞いてほしいという寂しさが勝っていた。
「こんな所じゃ話せないです」
「また、大人みたいなこと言って」
「大人です。二十三ですよ、俺」
「私はアラサーだからもっと大人ってことね? それに二十代の男の子なんてみんな子供と一緒よ」
グラスを傾けながら挑発的に口角をあげるこの女とはどうも相性が悪い。一緒に来ていた上司や同僚達は楽しげだというのに、俺達二人の周りだけは冷え冷えとした空気が漂っているようであった。
「どう? 二人で外で飲まない? それなら話せるでしょ」
「二人で?」
「あら、怖いのかしら。取って食われるとでも思ってる?」
「別に」
「じゃあ決まりね」
トントン拍子に話を進められ、呆気に取られてしまう。当のマユミさんはといえば、うちの営業課長の遠藤さんに甘い声で呼ばれ、席の移動をしたところだった。
社長である親父はいつも通り一件目で解散組に混じり、帰宅していた。残っているのはいつもの六人で、日付が変わるギリギリまで酒を飲み、店の前で解散となったところだ。皆がタクシーに乗り順々に去っていく中、下っ端の俺は全員を見送るまでその場に残っていた。というよりも、マユミさんとの約束を果たすために時間を潰していたという方が正しいかもしれない。
「ごめんね、お待たせ」
仕事中に着ていたドレスとは対照的に、落ち着いた色合いのロングワンピースに着替えたマユミさんの姿に一瞬胸が跳ねた。アップにしていた髪も下ろしているので、全くの別人に見えてしまう。
「さっき降ってたのね。髪下ろすんじゃなかったわ、ジメジメして気持ち悪い。早く梅雨明ければいいのにね」
「そうですね」
「素っ気ないわね。運転手さん、いつもの所にお願い」
タクシーの運転手は帽子の唾をくい、と上げて返事をすると何も言わずに車を発進させた。「いつもの所」で通用するほど、頻繁に通っている飲み屋でもあるのだろうか。
「もうすぐ着くからね」
十分程度走ったところで窓の外を見ると、タクシーは飲屋街ではなくなんとホテル街を走っていた。ハッとして隣を見ると、してやったり顔のマユミさんの姿。どうすることも出来ずそのまま車は一件のホテルの前で車を止めた。外観だけ見るとごく一般的なホテルのように見える、高級感のある佇まいだった。
「帰ってもいいですか?」
「やだ、何考えてるの? 別にラブホテルですることがそういうことだけとは限らないでしょ。個室で誰にも邪魔させずお酒も飲めるし。ひょっとして期待してた?」
(この女……! やっぱりクソが腹立つ……!)
何故こんな女にノコノコと着いてきてしまったのだろうかと後悔しても今更遅い。仕方なく彼女の背を追い、ホテルの一室へと踏み込んだ。外観と同じく、内装もその辺りのラブホとは程遠い格調高いものだった。
「待ってね、お酒直ぐに注文するから」
「ありがとうございます」
「ホント、堅苦しいわよね君。もっと馴れ馴れしくしてくれていいのに」
こんな女と馴れ馴れしくする筋合いなどない。こいつは俺がまだほたると良い関係だった頃、俺に彼女がいると知りながらもしつこく電話をしてきたかと思えば、職場まで押しかけてきて来たこともあった。ベタベタとすり寄ってきた所をほたるに目撃された挙げ句、「自分を彼女してほしい、セフレでも良い」などと言ってきた最低な奴なのだ。
(セフレか──……)
そういえばそんなことを言われたのだった。今の今まで忘れていたが、マユミさんはきっと本気だったのだろう。あの頃の俺は──いや、今でもだがほたるにぞっこんで、セフレなどというものに対する興味など皆無だった。だが今は……あの時とは違う。相手との同意が取れれば、誰とセックスしても咎められることなどない。このクソ女は一体どんな身体をしているのか──どんなセックスをするのか、単純に男として興味が沸き始めた。
「いや、別に……馴れ馴れしくなんて」
「どうしてそんなに堅物かなあ、実は女性にあんまり耐性がないとか?」
「別に……」
「また別にって言う! もっと面白いこと言えないの」
ぐい、とワイングラスを煽るマユミさんの顔は酒が回り始めたのだろう、ほんのりと赤い。俺はといえば店ではあまり飲まなかったので、まだまだ余裕があった。
「つまんない男……言動がつまんない男は、きっとセックスもつまんないんでしょうね」
「どうですかね」
「……へぇ、誘ってるの?」
「どっちでもいいです」
「なにそれ」
本心だった。このクソ女を辱しめてやりたい気持ちもそれなりにあったが、なんとなく気分も乗らなかった。
「彼女持ちの男がそんなこと言ってたら、お姉さんが襲っちゃうわよ?」
「……別れたんで」
「……ふーん? その話を誰かに聞いて欲しかったの? だからあんな顔してたのかな」
「……さあ」
「全く……」
溜め息を吐いたマユミさんはグラスを置くと、何を思ったのかのろのろと脱衣を開始した。止める間もなく下着姿になった彼女は俺の隣に腰を下ろし、上半身に抱き付いてきた。
「何やってるんですか」
「癒されるでしょ?」
「別に……」
予想していた通り、マユミさんの胸はなかなかデカかった。ボディラインも見事なもので、AV女優顔負けだ。ただ、予想に反して下着が可愛らしい水色地にレースの物で、外見とのギャップに興奮している自分がいた。
「私はいいのよ? 寧ろ、あなたとはしたいし」
「俺は別に」
「これでも?」
「ちょっと……」
下着を脱ぎ去り全裸になったマユミさんは、俺の腰に跨がりネクタイに手を掛ける。薄化粧に上目遣いの彼女は色っぽく、押し当てられた乳房の隙間から見える大きな乳輪に釘付けになってしまった。
「私が君をその気にさせたら抱いてくれる?」
「お酒飲むんじゃなかったんですか」
「もう飲んだもの。本命はこっちだし……今日ならいけそうって思って攻めてよかったわ」
「まだ何もしてないじゃないですか。勝手に裸になっただけで、勝った気にならないで下さい」
「ハァ~ホントさぁ、それよ、その態度。イラッとするけど好きなのよねえ。ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる」
俺の肩を掴んだマユミさんは、遠慮がちにそろりと唇を重ねた。責められるキスなんて体験したことがないものだから、どうしたものかと途方に暮れながら俺は自身の両手をさ迷わせていた。
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