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酔い覚め.2
しおりを挟む幸いと言っていいのか、俺と嵩原さんは所属するチームが違うため顔を合わすことはほとんどない。合わす可能性があるとするならば昼の時間だ。食堂や自販機の前、廊下でばったりなんてこともあるだろう。
なんて喋ればいいんだ。「この前はどうも」いやいや、どうもじゃねぇよ。「この間はありがとうございました」やけに仰々しいな、距離感感じるわ!しかも、ありがとうなんて言ったら俺もすごい良かったみたいな、いや良かったけど、それとこれとは別だ!
俺は嵩原さんとどうなりたいんだ。
「どうにもならないよなぁ……」
深くため息を吐く。そもそも俺と嵩原さんだ。どうにかなるなんて……。
「アッシー飯行こうぜ!」
どん、と椅子に衝撃が走った。こいつはいつもいつも一つのアクションがオーバーなんだよな。
そんなことを思いつつも俺に気兼ねなく接してくれる野坂に感謝している。ただちょっとびっくりしたし、結構な衝撃で背中が痛い。俺はよろよろと立ち上がり、野坂の横に並んで歩く。今日は食堂で食べるらしい。
「やべー今日、超豪華定食の日じゃん」
「ああ、どおりで人がたくさんいるわけだ」
食堂には人が溢れかえっていた。超豪華定食とはA5ランクの肉をしこたま使った超ボリューミーな逸品で値段はなんと750円と採算度外視した定食だ。超豪華と名乗るだけあり味もしっかり美味しい。
「俺あれにするわ!」
「えぇ、あの列に並ぶつもり?」
食券機の前には超豪華定食を買わんとする人たちが一列になり食堂の端まで並んでいた。
数量限定なので食券機のチケットが終わったらそこでおしまいなのだ。普通の定食はこの時ばかりは口頭で言うことになっているのでスムーズに昼飯にありつけるのだが、この男はどうやらあの定食を食べることに何回も失敗しているらしい。
これはもう意地だ。
「今日こそはな!アッシーの分も頼んどくから自販機でコーヒー買ってきてくんね?」
「……ん、じゃあよろしく」
そう言う俺もその定食を食べたことはない。野坂にお金を渡し、俺は同じ階の喫煙所にある自販機へと急いだ。
____________
自販機にも何故か人だかりが出来ていた。まあ、昼時だからだろうとあまり気にせずに無糖のコーヒーと微糖のコーヒーを買う。ちなみに微糖の方は野坂が飲む。
備え付けの背もたれの無いソファに座り、野坂からの任務達成LINEがくるのを待った。今食堂に帰っても座るところは無いだろうし混んでいるところにはあまり居たくない。
人だかりから黄色い声が上がった。
ふと、そちらに目を向けるとその中心で困ったような笑顔を浮かべている嵩原さんがいた。
あ、
と目が合った。
一瞬の出来事だった。俺は何故か目をそらしてしまう。胸の奥が苦しい。モヤモヤする。なんでだ。
俺は自分の革靴の爪先をじっと見つめて、その場をしのごうとしたが、それは嵩原さんによって防がれた。
「芦田さん、今こちらでやっている企画をそちらのチームとも協力したいので少し話しませんか」
嵩原さんはまるでその事が本当にあるかのように口を動かす。そんな事実は全くもってない。これから何を話すのか、俺にだって分かった。
俺は嵩原さんの顔を見ずに はい、と返事をした。
喫煙所から少し離れた休憩スペースに移動した俺と嵩原さんは窓際に置いてある椅子に座る。
沈黙が二人の間に流れた。
「……こ、コーヒー飲みますか?」
俺はなんとか言葉を振り絞って、その重い空気を取っ払おうと嵩原さんにコーヒーを差し出した。何も考えず嵩原さんに渡したのは野坂の分のコーヒーだった。差し出した物をここで引っ込めるわけにもいかず、野坂には犠牲になってもらうしかなかった。すまない。
「ありがとう」
嵩原さんは微笑んでそれを手に取ってくれた。パキッとプルタブを開けそれを一口飲む。俺もつられてコーヒーに手を伸ばした。
「さっきは利用しちゃってごめんね」
眩しそうに目を細め窓の外を覗いている嵩原さんが言う。今日は快晴だ。
「だ、大丈夫ですよ!誰だってあの状況じゃ逃げ出したくなりますよ、あ、でも俺はそんなことないから分からないですけど!」
馬鹿か俺は!自分のことなんか引き合いに出さなくてもそんなこと分かりきっているじゃないか!こんなところで卑屈になったってしょうがないだろ!
もっと嵩原さんとちゃんと話したいのに話そうと思えば思うほど意味が分からなくなってくる。
「……いつもはああいうことはしないんだ、本当は」
「え?」
嵩原さんは外に向けていた目をこちらに向けて言う。
「今日は、芦田さんが居たから」
へにゃ、と力なく笑っている嵩原さんの破壊力と言ったらもうそれはやばかった。心臓が鷲掴みにされたみたいにぎゅうぎゅうと音を立てていた。この人の溢れ出る好意に耐えられなくて俺の顔は熱くなった。そんなところを見られたくなくて手で顔を覆う。
「……ねえ芦田さん、俺のこと意識してくれてるの?」
見えなくても分かる。あの優しい顔で俺を見てる。だってこんな、こんなかっこいい人に好きだなんて言われてみろ、意識するに決まってるじゃないか。
「そ、それはそうですよ!だっ、て嵩原さんみたいな格好よくて完璧な人にあんな風に優しくされたら誰だって意識しますよ……!」
俺は早口でそう言った。会社で一番格好よくて、仕事も出来て、中身も何もかもが完璧で、上司からも後輩からも信頼されている、そんな人が嵩原さんだ。そんな人が自分にだけ向けてくれる笑顔や優しさを意識しない方がおかしいじゃないか。
「……そっか、ありがとね」
「?」
俺は首を少し傾げた。それは嵩原さんが悲しげな顔を浮かべてこちらを見ていたからだ。
「……俺は、芦田さんが言うみたいな完璧な人間ではないよ」
それに格好よくもない、と嵩原さんは嘲笑気味にそう言った。嵩原さんは一口コーヒーを含む。喉仏が下へ動く動作がゆっくりに見えた。
「小賢しくて自分勝手だよ、俺」
嵩原さんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「そ、そんなこと……!」
ない、と言おうとした。けれど、嵩原さんが真剣な表情でこちらに向き直り、頭を下げたために発することが出来なかった。
「え、嵩原さん?!」
「……お金がなくてタクシーに乗れなかったのは嘘、お酒を飲ませる口実に芦田さんが欲しがっていたあの本をあげて断らせなくさせた、ストローで飲めば酔わないなんて真っ赤な嘘」
芦田さんを自分のものにしたくて、あの日のために考えた自分勝手な計画なんだ、と嵩原さんは言う。
「だから、あの日嬉しかった反面、物凄く後悔した。芦田さんを騙したこと、汚してしまったこと……」
嵩原さんはひどく傷付いたような顔をしていた。
「……で、も」
その後の言葉が続かなかった。俺は嵩原さんとどうなりたいのかハッキリしていなかったからだ。
「だから謝る、芦田さん本当にごめん」
また、嵩原さんは頭を下げた。
俺は何て言えばいいんだ。この人になんて声をかければ。
ピコン、とLINEの通知が入った。
「……芦田さん」
嵩原さんは俺の名前を呼んで顔を上げて言った。
「俺のことは忘れてください」
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