中華マフィア若頭の寵愛が重すぎて頭を抱えています

橋本しら子

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 ズルズルとその場にしゃがみこむ。両手顔を覆いながら、情報を整理するのに大忙しだ。きっと顔は赤くなっているに違いない。今が夜で本当に良かったと、朱兎は更に顔を隠すように俯向いた。

「朱兎? 傷、痛イ?」
「……傷は平気」

 撃たれているので痛いはずなのだが、驚くほど痛みを感じていない。頬を掠めた弾の痛みよりも、胸の奥がうるさくてたまらない。膝をついて、朱兎と同じ高さになった鼬瓏は、少し乱雑に朱兎の髪を撫でながら優しい声音で問いかける。

「怖カッタ?」
「……」

 否定しようとして、声が詰まってしまう。

「顔、上げテ。……朱兎」
「ヤだ」

 今は絶対に鼬瓏には見せられない顔をしていそうなので、落ち着くまで待ってほしいのが朱兎の本音だ。それを知ってか知らでか、髪を撫でていた手が襟足を擽りながら首筋を撫でていく。

「……俺が怖カッタ?」
「違っ!」

 咄嗟に顔を上げれば、鼬瓏と視線が合う。その顔には先程までの名残で返り血の跡がまだ残っているのに、表情は驚くほど優しい。しかし、あの冷たい瞳で、朱兎を捕らえていた。
 怖かったのは、鼬瓏ではない。自分の心のほうだ。惹かれてると、はっきり理解してしまった自分が、どうしようもなく怖かった。

「その言い方は狡い」
「朱兎が顔見せてくれないからデショ」

 まだ乾ききっていない頬の傷から流れた血を、鼬瓏は親指の腹でぐいっと拭う。その指先に付いた血を、そのまま躊躇することなくぺろりと舐めた。そんな仕草ですら、朱兎は目が離せなかった。

「その顔を見られたくなかったノ?」
「っ、そうだよ!」

 朱兎はふいっと視線を逸らしたが、鼬瓏の手が顎をすくい上げた。

「確かに、この顔は他のヤツらには見せたくないカナ」

 冷ややかな瞳に映るのは、頬を染めた自分の姿。視線を逸らしたいのに、鼬瓏はそれを許してくれない。彼の瞳もまた、あの夜のように獲物を狙うようにギラついていた。

「こんな場所で煽ってくるナンテ、悪い子ダネ」

 その一言で、胸の奥の何かが音を立てて崩れた。夜の海風が肌を撫でていくのに、全身が熱く火照る。まるで体の芯が焼けるようだ。

「鼬瓏……」
「嗯? どうした――」

 朱兎はその熱に抗おうとして、そして、諦めた。自分が堕ちていくのを認めるように彼の名前を呼び、鼬瓏の襟を強く掴む。ほんの一瞬、息が触れ合い、唇が触れた。

「そんな悪い子は嫌いか……んっ!」

 朱兎が唇を離すと、逃すまいと鼬瓏が朱兎の後頭部を押さえつけて荒々しく口内を貪る。

「ぅ、んむっ!!」

 呼吸すらできないほど深く求められ、朱兎は目の前の男に必死に縋り付くしかできない。酸素を求める度に開いた口を、それすら許さないと塞ぐように口内を犯され、受け止めきれない唾液が口の端から零れる。

「ふっ、ン……ぁ、っ……」

 やっと離された頃には息も絶えだえで、脳に酸素が足りずに上手く思考も働かない状態だった。

「嫌い? そんなワケないデショ」

 そんな蕩けた表情の朱兎を見て、鼬瓏は恍惚の笑みを浮かべながら満足そうに彼を抱え上げる。

「ハハッ、最高ダヨ、朱兎」

 抱き上げられた状態で移動すると、しばらくして車の後部座席へと下ろされた。

「堕ちてきてくれたんデショ? 俺のところニ。啊啊、これをイトオシイって言うんダネ」
「ゆうろ……!」

 朱兎を下ろすと、鼬瓏はそのまま離れて車のドアを閉めてしまった。この流れでそれには流石に朱兎も驚いて、思考が引き戻される。

「そんな顔しなくても大丈夫ダヨ。紫釉たちと先に戻って手当してオイデ」
「あんたは……」
「用事を済ませたらスグに戻るカラ」

 窓ガラス越しに見えたのは穏やかで、しかしどこか底の見えない笑みだった。朱兎の胸が、またドクンと跳ねる。

「……用事って、まだあんのかよ」
「ちょっとがあってネ。すぐに終わるヨ」

 思考は落ち着いたのに、心臓がまだ落ち着いていない。胸の奥が熱をまとうようにざわつく。

「朱兎」

 柔らかく呼ばれ、視線を戻す。そこには、まるで宝物に触れるみたいに優しい目をした鼬瓏がいた。

「足りないって顔してるケド、今は我慢してネ」
「ッ……してねぇし!」

 瞬間、朱兎の顔がかっと熱くなる。あれほど無理やり犯すようにキスしてきた張本人が、何を言っているんだと腹も立つ。だが悔しいことに、図星すぎて反論すらできない。

「してタヨ。その表情が見られて俺は嬉しかったけどネ?」

 柔らかい声なのに、逃げられない。視線を奪われ、心の奥をやすやすと暴かれる。

(――今逃げられるのは、距離だけだ)

 朱兎が黙っていると、鼬瓏は少しだけ目を細めた。その瞳には、さきほどまで敵を蹂躙する時に見せていた冷徹な色が、ほんの少しだけ戻っていた。それを見た瞬間、またぞくりと胸の奥が震える。

「行ってくるヨ、朱兎」
「っ……」
「俺の部屋でお利口さんに待ッテテ? 我慢してるのは朱兎だけじゃないの、教えてアゲル」

 そう言い残すと、鼬瓏は身を翻し、夜の港へと消えていった。残された朱兎は、しばらく動けなかった。
 去り際の言葉だけが脳内でリフレインする。その意味は考えずとも理解できる。それを嫌だとは思わないし、期待してしまった自分がいた。

「……惚れたなんてもんじゃねぇじゃん……これ」

 自嘲気味に呟いた声は、誰に聞かれることもなく車のエンジン音にかき消された。
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