バスと痴漢とガムテープ

鳴神楓

文字の大きさ
2 / 10

再会

しおりを挟む
「はぁ……」

 月曜日の夕方、通勤の車で渋滞気味の道を運転しながら、俺は何度目かのため息をついた。

「ったく、何であんな痴漢野郎のことばっかり考えてるんだよ……」

 金曜日の深夜バスで起こったことは、警察に被害届を出した場合の手続きのわずらわしさや証言する時の恥ずかしさを考えると訴える気にもならないし、なかったことにして忘れようと決めたはずだった。
 それなのに、あれから3日経った今でも、あの異常な出来事の一つ一つと、最後にあの男が見せた泣きそうな顔が忘れられない。

「探そうと思えば、探せないことはないんだろうけどな」

 俺が住んでいるのは、郊外によくある山を切り開いて作られた新興住宅地だ。

 話は少しそれるが、今の家には俺が中学生の頃に家族で引っ越して来たのだが、兄が結婚と同時に東京に転勤になって出て行き、定年退職した父が外国人観光客向けのビジネスを始めた友人を手伝うために母と一緒に京都に行ってしまったため、今は一戸建てに俺1人が住んでいる状態だ。

 で、話を戻すと、俺とあの痴漢男が利用しているバス停はその住宅地の中にあるため、あの男もほぼ間違いなくこの住宅地の住民のはずなのだ。
 そしてあいつを見かけるようになったのは1年以上前からだから、おそらくは大学か専門学校の2年生。
 確か同じ住宅地の中高の同級生の弟が同じ年だったと思うから、その子に聞けば名前や住んでいる家も調べられないことはないだろう。

「けど、調べてどうするんだって話なんだよ」

 あいつを探し出して会って、それでいったいどうすると言うのか。
 あいつのことは気にはなるが、だからと言って実際に会ってどうしたいのかは、俺自身にもよくわからない。

 そうやって悩んでいるうちに、自宅に着いた。
 車2台分のスペースがあるカーポートの真ん中に車を止め、カバンから鍵を出しながら玄関に向かって歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。

「……中村さん」

 若い男の声で呼びかけられて振り返ると、そこに立っていたのは俺の頭を悩ませている、あの痴漢野郎だった。

「お前……!」

 その姿を目にした俺は、驚きと共に背筋がぞくっとするのを感じる。
 俺があいつのことを調べることができるということは、当然あいつもその気になれば俺のことを調べられるということだ。
 ひょっとしたらあの日隠れてバス停から家まで歩く俺の後を付けていたのかもしれないし、そうしたら苗字だって表札ですぐにわかっただろう。
 さっきまで自分もこいつのことを調べて会うことを考えていたのに、向こうがこちらの家や名前を知っているという状況を目の当たりにすると、少し怖いと思ってしまう。

「……何しに来た」

 それでも痴漢相手に弱みは見せたくなくて、ちょっと凄みを利かせながら問いかけてみると、相手は小さくなりながらも答えた。

「すみません。
 僕、中村さんにこの前のこと謝りたくて」
「謝るって、お前、人にあんなことしておいて今さらどんなツラして……」

 俺が文句を言いかけたその時、痴漢の後ろを車が通り過ぎた。

「ここじゃ、まずいか」

 夕方の今は車や人の行き来が多いので、家の前でこんな言い合いをしていれば誰かに聞かれるかもしれないし、ご近所さんに見られたら不審に思われるだろう。
 痴漢野郎を家の中に入れるのは正直嫌だが、ここで話を続けるわけにもいかないから仕方がない。

「ちょっとそこで待ってろ」

 俺は痴漢野郎を置いて家の中に入り、きっちりと鍵をかけてから、玄関の下駄箱の工具箱や殺虫剤などを入れているあたりから布ガムテープを取り出す。
 ついでに武器になりそうな丈夫な傘を手の届く場所に用意してから、外の様子に注意しながらドアを開けると、俺の言いつけ通りにさっきと同じ場所で待っていた男を中に招き入れた。

「本当は家に上げたくないけど、外で話すわけにもいかないからうちには入れてやる。
 けど、お前のことは信用出来ないから、家に上げる前に手を拘束させてもらう」
「わかりました」

 男は俺の言葉に逆らうこともなく、肩にかけていたカバンを玄関の床に置くと両手首を揃えて俺に差し出した。
 男の手首を布ガムテープでぐるぐる巻きにして、俺はようやく緊張から解放される。

「よし、じゃあ上がれ」
「はい、おじゃまします」

 俺は手が使えない男が靴を脱ぐのを助けてやってから、男のと自分のカバンを持って男を連れてリビングに入った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

有能課長のあり得ない秘密

みなみ ゆうき
BL
地方の支社から本社の有能課長のプロジェクトチームに配属された男は、ある日ミーティングルームで課長のとんでもない姿を目撃してしまう。 しかもそれを見てしまったことが課長にバレて、何故か男のほうが弱味を握られたかのようにいいなりになるはめに……。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

かわいい王子の残像

芽吹鹿
BL
 王子の家庭教師を務めるアリア・マキュベリー男爵の思い出語り。天使のようにかわいい幼い王子が成長するにつれて立派な男になっていく。その育成に10年間を尽くして貢献した家庭教師が、最終的に主に押し倒されちゃう話。

またのご利用をお待ちしています。

あらき奏多
BL
職場の同僚にすすめられた、とあるマッサージ店。 緊張しつつもゴッドハンドで全身とろとろに癒され、初めての感覚に下半身が誤作動してしまい……?! ・マッサージ師×客 ・年下敬語攻め ・男前土木作業員受け ・ノリ軽め ※年齢順イメージ 九重≒達也>坂田(店長)≫四ノ宮 【登場人物】 ▼坂田 祐介(さかた ゆうすけ) 攻 ・マッサージ店の店長 ・爽やかイケメン ・優しくて低めのセクシーボイス ・良識はある人 ▼杉村 達也(すぎむら たつや) 受 ・土木作業員 ・敏感体質 ・快楽に流されやすい。すぐ喘ぐ ・性格も見た目も男前 【登場人物(第二弾の人たち)】 ▼四ノ宮 葵(しのみや あおい) 攻 ・マッサージ店の施術者のひとり。 ・店では年齢は下から二番目。経歴は店長の次に長い。敏腕。 ・顔と名前だけ中性的。愛想は人並み。 ・自覚済隠れS。仕事とプライベートは区別してる。はずだった。 ▼九重 柚葉(ここのえ ゆずは) 受 ・愛称『ココ』『ココさん』『ココちゃん』 ・名前だけ可愛い。性格は可愛くない。見た目も別に可愛くない。 ・理性が強め。隠れコミュ障。 ・無自覚ドM。乱れるときは乱れる 作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。 徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。 よろしくお願いいたします。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

溺愛じゃおさまらない

すずかけあおい
BL
上司の陽介と付き合っている誠也。 どろどろに愛されているけれど―――。 〔攻め〕市川 陽介(いちかわ ようすけ)34歳 〔受け〕大野 誠也(おおの せいや)26歳

処理中です...