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予兆

3.

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「れーん。檜吉が首絞められて死にそうだよー」

 間延びした声がした方を見ると、檜吉の席の後ろにぼんやりした表情で多岐たきが机に頬杖をついてこちらを見ていた。
 彼の額にはくっきりと縦皺が残っている。どうやらさっきまで机に突っ伏して寝ていたようだ。
 多岐も名越と檜吉と幼稚園からの幼馴染だ。というよりも、ここの高校に通う生徒がほぼ幼稚園からの付き合いでである。高校生になってからは外進生もいるものの、クラスの半分以上が幼馴染みたいなものだった。その中でも名越と多岐と檜吉三人は共通の親友であり、自宅も近い事もあって最も仲が良い。

「いつまで抱き着いてんだよ」
「ごめん」

 慌てて檜吉から離れると、檜吉にチッと舌打ちされてしまう。不機嫌そうに歪む口元を見て、名越は申し訳なさそうにして大きい身体が縮こまった。
 そんな名越を一瞥してから檜吉は学級日誌の記入を再開する。

「檜吉さぁ。日誌なんて適当で良いんだよぉ? 日が暮れるよ? 夜になっちゃうよ?」

 名越が心の中で思っていた事を多岐が代わりに言ってくれている。

「お前が一日中寝て書かないから俺が一人で書いてんだろ」

 檜吉がはぁー、と溜息を吐いて学級日誌で多岐の頭を叩く。

「いてー」

 多岐が大袈裟に頭を押さえて机に突っ伏した。そんな多岐を檜吉は睨み付ける。
 俺が多岐と同じような事を言ったら学級日誌で叩かれるだけじゃ済まなかった気がする、と名越は二人やりとりを見つめながらそう思った。どうも檜吉は多岐には甘い気がする。甘いと言っても……手が出るからその表現が間違っている気がするが、多岐相手だと彼が檜吉に抱き着いても文句を言わない。
 ──単に、大型犬のような体格の名越に抱き着かれたら暑くてうっとおしいからである。
 
 多岐が美少女みたいな顔だからかな……檜吉って意外とメンクイなんだよな。

 目付きが悪く人相が悪い檜吉はイケメンの顔立ちが羨ましいと思っている節がある。
 名越は爽やかイケメンだが多岐は色白の美少年で裏では『眠り姫』とか言われていた。
 眠り姫、というのは授業中、ずっと寝ているから付いたあだ名でもなんでもなく、女の子のような顔立ちも相まって『眠り姫』と呼ばれているのだ。ずっと寝ているくせに、成績が学年一位なんだから、世の中不公平である。本人曰く「すいみんがくしゅ~」らしい……本当だろうか。付き合いが長いから彼が適当な人間だという事を名越は知っている。しかし、こんなに付き合いが長い中で、今まで彼が勉強をしている姿を学校でも家でも見た事がないのだ……。

 檜吉とずっと同じクラスで、それだけでも悔しいのに……。

「蓮ったら、僕をじろじろ見てなにー?」
「いや……女の子みたいな顔だなって思って」
「失礼だなー。これでも僕は脱いだら凄いんだからー」

 立ち上がった多岐がポロシャツの裾を握り、バッと勢い良く捲し上げて腹を出した途端に檜吉が多岐の顔面目掛けて学級日誌でを投げつけた。落ちる学級日誌を腹の前でキャッチした多岐のは今度は痛かったんだろう、多岐の目には涙が浮かんでいた。

「顔はやめてよぉ」
「ふざけるのも大概にしろ。日誌はお前が職員室に持って行けよ」
「えぇ。僕はこれから部活なんだけどぉ」
「それは俺もだ。どうせ多岐は部活中も半分は寝てるだろ」
「僕がピアノを弾いていない時以外は寝てる」
「頼んだぞ」

 間髪入れずに檜吉は多岐にそう言うと、立ち上がって学生鞄とスイミングバッグを肩に掛けて名越を置いてさっさと教室を出て行こうとする。
 名越は慌てて立ち上がって檜吉を追いかけた。

「置いていかれてやんのー」

 名越は教室ドアのところで振り返ると、彼はひらひらと手を振っている。

「やーい」

 のんびりしている多岐を戸越は睨み付けた──憎悪に満ちた目で。
 それを多岐は笑顔を貼り付けたまま、笑顔のまま対応している。
 暫く多岐を睨んでいた名越は、ハッと目を見開いた。己が無意識に浮かべた表情に、違和感を覚えて口元を隠しながら教室を後にする。
 残された多岐は、振っていた手を笑顔のままハタリと止めた。
 
「……このままが良いな」

 口の中で呟いた多岐の声は、教室に残っている生徒達の喧騒の中に消えていった。
 


 
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