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二章 立志

恐怖の二人

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 傭兵組合の裏手にある訓練場。戦場では集団行動を取るケースも多い為、かなりの広さがある。それをあまりコストが掛かっていなそうな、木の杭を打ち付けてロープで繋いでいるだけの柵が囲っている。
 その柵を軽々と飛び越えたチューヤとカールが並び立った。

「おいてめえ、なんでさっき俺を止めた?」

 チューヤは先程のホールで、激怒してベテランの傭兵を殴るつもりだった。しかしそれをカールに遮られた。大人しくそれに従ったのは、むしろカールの方が自分よりも怒っていたように見えたからだ。

「……貴様の母上、いや両親共にだが……私と父上の恩人だ。その恩人を愚弄するなど、この私が許すと思うか」
「あー……てめえはそういうヤツだったな」

 あの傭兵は別にチューヤの母親をバカにした訳ではないが、自分達をこき下ろす為に自分の恩人を引き合いに出した事が許せない。
 カールは落ちぶれたとはいえ貴族だ。その誇りまで落ちぶれた訳ではない。その誇りを汚す者は何人たりとも許さない。そんな頑固さがある。

「ふん、それより貴様、魔剣シンシアが無くても大丈夫なのか?」
「俺様にゃ、このゲンコツ一つあれば大丈夫よ。てめえこそ、業物のエストック持ってねえじゃねえか」
「あのような十把一絡げの傭兵どもなど、魔法を使うまでもないと言ったはずだ」

 この訓練場は、あくまでも訓練や模擬戦に使われるもので、決して決闘のための場ではない。よって、実戦用の剣は持ち入れる事は禁止されており、訓練用の木剣を使用する事が義務付けられている。
 では魔法使いはどうか。そもそも魔法使いが傭兵になる事自体がレアケースであるため、全く考慮されていないと言っていい。そもそも対人戦闘において有効な魔法を使える者は、殆どが正規軍に登用されるのである。
 もっとも、軍特有の規律を嫌い、自由気ままな傭兵稼業へと身を転じる魔法使いも僅かではあるがいなくはない。そういった場合は、魔法発動媒体である杖などの得物の使用を禁止して、魔法の威力を著しく制限するのが暗黙の了解だ。

「さあ、ガキ共、覚悟はいいか? ここに来たからにはもう帰って母ちゃんのおっぱいを飲めるとおm――オゴッ!?」

 先程のベテラン傭兵がニヤニヤしながら挑発していた。しかし一瞬のうちに顎を砕かれて気を失ってしまっている。

「よくしゃべるヤツだな。戦場でペラペラおしゃべりしてっと早死にすンぜ?」

 そこには拳骨を握りしめて男を見下ろしているチューヤがいた。

「な! あいついつの間に!?」
「おい、今の見えたか?」
「全然見えなかった……」

 チューヤの動きを追えなかった傭兵達が騒めいている。

「だからよォ……戦場でぼーっとしてっと、すぐに死んじまうって言ってんだろ?」

 次の瞬間、またしてもチューヤの姿がブレる。

「うぼォォ……」

 そしてまた傭兵が腹に一発いいのを喰らって崩れ落ちる。

「なンだよ、ぼーっとしてッとすぐ死ぬぞって言ってんのによ。やる気あんのか? あ?」

 チューヤが据わった目で気を失っている男を蹴り飛ばし、傭兵達を睨みつける。




「全く、気の短い奴だ」

 チューヤが暴れているのを横目でチラリと見ながら、カールは近い場所にいる傭兵に向かって風のように走る。

「ひっ……」

 相対したのは三十路に差し掛かろうかという女傭兵だった。

「戦場で出会ったら例え女でも殺す」
「あ。ああ……」

 カールの間合い詰めるスピードの非常識さに、すでに女傭兵は戦意を喪失していた。しかしカールの冷たい視線は更に闘気を帯びる。

「面白半分に新人を嬲ろうなどと考えるからそうなる」

 カールは容赦なく木剣を振るった。女傭兵の利き腕が砕ける感覚が伝わる。

「女が戦場で敗れればどうなるか分かるだろう? 慰み者になるよりはいっそ殺した方が優しいとは思わないか?」

 砕けた右腕をかばいながら後ずさる女傭兵は、そのまま尻もちをつき、涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら無言で許しを請う。

「甘いのはどちらか分かっただろう」

 そう言い残し、カールは次の獲物を求めて疾走する。
 身体強化によるあり得ない速度での移動は、相手に反撃する暇すら与えずに、すれ違いざまの当身でまた一人を気絶させた。
 それを近くで見ていた一人が怯えながら叫んだ。

「冗談じゃねえ! てめえみたいな魔法使いがいるかよ!」

 当然、ホールで魔法使いとしての一端を見せつけたカールの事は、この戦いに参加した全員が認識していた。しかし、いざ戦い始めてみれば、身体強化は別としても、剣術しか使っていない。

「ん? なんだ、魔法、見たいのか?」
「へ?……あ、いや――」

 カールが薄く笑いながら男に向かって手を翳す。その手のひらの先には青く輝く魔法陣が構築されていた。まさに、瞬時の事だ。その魔法陣からは高圧水流が放出され、男を遥か数十メートルも吹き飛ばしてしまう。

「……」

 魔法発動媒体を持っていないにもかかわらず、強力な威力の魔法。そして魔法陣構築の異常な速さ。訓練場の中のみならず、観戦していた野次馬達ですら静まり返った。
 そこにチューヤから声が上がった。

「なんだよてめー、魔法は使わないんじゃなかったのかよ?」
「ふん、リクエストがあったからお披露目しただけだ」
「へえ? そんなサービス精神があるとは知らなかったぜ」

 チューヤは敵を前にしてクスクスと可笑しそうに笑う。

「くそっ! 赤髪だ! あの赤髪からやっちまえ!」

 バラバラでやっていたのでは埒が明かないと判断したのか、魔法を使っていないチューヤに狙いを定めた傭兵達が殺到する。

「けっ」

 チューヤが右拳に魔力を纏わせた。魔力の色は赤。炎系統の魔法に適した魔力の色。しかしチューヤは魔法を使えないし、傭兵達もまた魔力を視るような能力はない。
 故に、傭兵達にはチューヤが構えを取っただけにしか見えないし、チューヤもまた、傭兵達が無警戒に突っ込んで来るのは好都合だった。
 あと少しで傭兵の剣が届くという間合い。そこで傭兵達の足下が弾けた。
 まるで大岩でも落ちて来たかのような衝撃と地響きをあげ、地面にクレータが出来る。チューヤに向かっていた傭兵達も地面と一緒に弾け飛んだ。
 

 
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