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5話 後悔、後悔。そして後悔(オリバー視点2)
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屋敷へ着くと同時に、俺は執事長を呼びつけた。
「婚約者殿はいま、どうしている?」
「お部屋で過ごしていらっしゃるのでは?」
「そんなわけあるか! 領地で錬金術師として働いていたんだぞ!」
怒鳴った声の余韻が廊下に響く。
とにかく、一刻も早くこの屋敷に彼がいたという事実を確認したい。
「は……?」
青ざめた執事長の顔に、怒りと焦りがこみ上げた。
「執事長、どういうことだ!」
「し、失礼いたします! 確認してまいります!」
慌てて部屋を出ていくその背を、俺は追った。
長い廊下を駆け抜け、屋敷の一番南の端。もっとも執務室から離れた客間の前で止まる。
一応ノックをするが、返事はない。
執事長が「失礼いたします」と声をかけ、ドアを開けた瞬間、埃っぽい空気が外へと溢れた。
「……」
まったく乱れのないベッド。使われた様子のない家具には埃が積もり、窓辺に枯れた植物の鉢。掃除の気配すらない。
時間から切り離されたような冷たい空間を見て、俺たちは唖然とした。
「ここに、ご案内を……」
「したのか?」
「い、いえ。気づいたらお姿が見えず……見かけたら部屋へ案内するようにと使用人たちへ言付けを……」
「今すぐ使用人全員に確認しろ」
「はい!」
慌てて出て行く執事長はすぐ屋敷中の使用人を集めて聞き取り調査を開始した。
俺の目の前で怯えながらも発言する使用人たち。
証言をまとめると、屋敷の中では執事長が執務室を出た後で消息を絶っていて、目撃情報はない。
世話係は誰も任命されておらず、呼び鈴が鳴ったら対処するようにと執事長から伝えられていた。
そんな証言が続く中、執事長は顔色を悪くして冷汗を流し続けている。
あの時対応したのは主にこの執事長だ。
責は大きい。
「世話をする者もおらず、食事さえ誰も運ばなかったと……」
俺の言葉に使用人たちがびくりと身を竦ませた。
「お呼びになられなかったので、必要がないのかと……。申し訳ございません」
執事長が崩れるようにうなだれた。
なんということを……。
怒鳴りつけようとして、言葉を飲み込む。
「……いや、俺が煩わしいと思わせる態度を取ったのが悪かったな」
使用人は主人の鏡。
俺が望まない相手に、相応の扱いをしていただけのことだ。
……つまり、この惨状は俺の責任。
「部屋の掃除を急げ」と命じ、俺とナイアはとぼとぼと廊下を戻る。
執務室の椅子に腰を下ろした瞬間、長い息が漏れた。
「まだ……挽回はできるだろうか」
机に肘をつき、顔を覆う。
苦い後悔が喉の奥を締めつけた。
「恐れながら。閣下がどうなさりたいか、ではないでしょうか?」
ナイアの声は低く穏やかだったが、その手は小さく震えていた。
理屈の上では、契約を終了させ婚約は不要だったと言い張れば、全てをなかったことにできる。
けれど、それではあの青年をないがしろにして成果だけを貪ったことになりはしないか。
あの人は冷たい態度を取った俺が守るこの領地に多大な貢献をしてくれた。
その謝礼もしないうちに関係を切るなどできない。
けれど彼は俺に対して、何の希望も持っていない。
だから、名前すら教えて貰えなかった。
その事実がずしりと胸に伸し掛かる。
「あの方は……錬金術に興味のないボンクラではなかったのか?」
社交にも疎い俺の耳にも届いていたクロイツ領の愚息の噂。
だからこそ、余計に煩わしいと思ったんだ。
だが、それは全くの嘘だった。
あの人の作る薬は格段に質が高く、周囲が欲するものを先んじて形にしていた。
領地に対する理解、民の望みを読む力、そして錬金術師としての腕。
そしてなにより、他人のために自分の力を惜しみなく使うことができる。
あの人ほどの人物であれば愚息などと言われるわけがない。
「今更ですが、調査をいたしますか?」
「……頼む」
あの頃はただ、厄介な縁談を押しつけられたと腹を立てていた。
形だけ婚約を受け入れ、屋敷でおとなしく過ごしてもらい、時期が来たら解消するつもりだった。
しかし今はもう、それでは済まない。
あの人はこの領地に、貢献をしてくれて、返しきれないほどの恩が出来た。
それに報いたい。
そして、俺は彼を手放したくないと思ってしまった。
端的に言えば、惹かれてしまったんだ。
聡明な頭脳、麗しい顔、気品のある立ち振る舞いに、己の仕事に対する自信と誇り。
全てが俺にとって好ましいものだった。
あの作り物のような笑顔ではなく、俺だけを見て微笑んでほしい。
彼の名を真っ直ぐに呼ぶ権利が欲しいのだ。
そして半月後。
急ぎの報告書が届いた。
ナイアが封を切り、俺に手渡す。
「クロイツ領は……もう、ダメそうだな」
「ええ」
数行読み進めただけで、頭痛がした。
前領主は、国で流行った疫病の特効薬を作った英雄だった。
貧しい者にも無料で薬を配り、身分を問わず国中の人々を救った。
だが王都からの帰路、盗賊に襲われて命を落とした。
その領主夫妻には、たった一人。息子がいた。
だが成人前ゆえ、叔父夫妻が代理として領地を治めることになった。
今、俺が取引しているのは、その領主代理だ。
報告書の中に並ぶ叔父夫妻とその息子の行状を追うごとに、胸のあたりがじくじくと痛む。
領主代理となった叔父は、クロイツを食いつぶしていた。
錬金術の知識もなく、ただ「クロイツ領の薬」という名を使った金儲けに走り、粗悪な薬を作り、領地を食い荒らす。
稼いだ金は全て自分の物として、民は貧しい暮らしを余儀なくされている。
そして社交界に出て「クロイツ男爵子息」として名を馳せていたのは、その叔父の息子。
世間で噂されていた『愚息』の方だった。
「……噂のドラ息子は、そっちか」
「はい。アッシュ様こそ、正統なクロイツ領の後継者でございます」
「……なんてことをしてしまったんだ、俺は」
ほんの少し調べれば、すぐ分かったことだ。
正統な後継者が成人すれば、叔父は領主代理の座を失う。
だから俺への縁談を利用して、彼を押し付けたのだ。
結婚して名が変わればクロイツはこの叔父が正当な手段で手に入れられる。
「いくら忙しかったとはいえ、わずかな確認を怠った俺の責任だ……」
「私も、婚約などこの時期に非常識な話だと怒り、調査をおろそかにしておりました。申し訳ありません」
もしも、あの時。
――少しでも、彼を知ろうとしていれば。
俺の傍で、笑ってくれていたのだろうか。
いくら後悔しても、時間は戻らない。
ため息をついていると、ナイアが報告の続きを伝え始めた。
「それから、ここ数年でグラフィカに錬金術師が増えたのはアッシュ様の功績です」
「彼の? どういうことだ」
「クロイツ領でまともに扱われなかった有能な錬金術師たちが、アッシュ様を慕いこの地へ移って来たのです」
どうやら彼らが作った薬を安い値段で買い叩き、断れば素材は渡さないと脅していたようですとナイアが別の報告書を読み上げる。
「……それでグラフィカにたくさんの錬金術師が来てくれたんだな」
「もしアッシュ様を手放せば、錬金術師たちも去ってしまうでしょう」
ナイアの言葉が、重く胸に落ちた。
「……とりあえず、誠心誠意、謝罪して、やり直してみるしかないな」
「はい。全力でお手伝いいたします」
前途多難だが、もう迷いはなかった。
許してくれなくても構わない。
ただ申し訳なかったと彼に頭を下げよう。
伝わるまで何度でも。
そして、もし叶うならば。
いつか笑いかけて欲しい。
そんなことを願う。
けれどこの時の俺は、まだ甘かった。
優しさだけでは赦しなど得られない。
零れ落ちた信頼が戻る難しさを、この先いやというほど思い知ることになる。
「婚約者殿はいま、どうしている?」
「お部屋で過ごしていらっしゃるのでは?」
「そんなわけあるか! 領地で錬金術師として働いていたんだぞ!」
怒鳴った声の余韻が廊下に響く。
とにかく、一刻も早くこの屋敷に彼がいたという事実を確認したい。
「は……?」
青ざめた執事長の顔に、怒りと焦りがこみ上げた。
「執事長、どういうことだ!」
「し、失礼いたします! 確認してまいります!」
慌てて部屋を出ていくその背を、俺は追った。
長い廊下を駆け抜け、屋敷の一番南の端。もっとも執務室から離れた客間の前で止まる。
一応ノックをするが、返事はない。
執事長が「失礼いたします」と声をかけ、ドアを開けた瞬間、埃っぽい空気が外へと溢れた。
「……」
まったく乱れのないベッド。使われた様子のない家具には埃が積もり、窓辺に枯れた植物の鉢。掃除の気配すらない。
時間から切り離されたような冷たい空間を見て、俺たちは唖然とした。
「ここに、ご案内を……」
「したのか?」
「い、いえ。気づいたらお姿が見えず……見かけたら部屋へ案内するようにと使用人たちへ言付けを……」
「今すぐ使用人全員に確認しろ」
「はい!」
慌てて出て行く執事長はすぐ屋敷中の使用人を集めて聞き取り調査を開始した。
俺の目の前で怯えながらも発言する使用人たち。
証言をまとめると、屋敷の中では執事長が執務室を出た後で消息を絶っていて、目撃情報はない。
世話係は誰も任命されておらず、呼び鈴が鳴ったら対処するようにと執事長から伝えられていた。
そんな証言が続く中、執事長は顔色を悪くして冷汗を流し続けている。
あの時対応したのは主にこの執事長だ。
責は大きい。
「世話をする者もおらず、食事さえ誰も運ばなかったと……」
俺の言葉に使用人たちがびくりと身を竦ませた。
「お呼びになられなかったので、必要がないのかと……。申し訳ございません」
執事長が崩れるようにうなだれた。
なんということを……。
怒鳴りつけようとして、言葉を飲み込む。
「……いや、俺が煩わしいと思わせる態度を取ったのが悪かったな」
使用人は主人の鏡。
俺が望まない相手に、相応の扱いをしていただけのことだ。
……つまり、この惨状は俺の責任。
「部屋の掃除を急げ」と命じ、俺とナイアはとぼとぼと廊下を戻る。
執務室の椅子に腰を下ろした瞬間、長い息が漏れた。
「まだ……挽回はできるだろうか」
机に肘をつき、顔を覆う。
苦い後悔が喉の奥を締めつけた。
「恐れながら。閣下がどうなさりたいか、ではないでしょうか?」
ナイアの声は低く穏やかだったが、その手は小さく震えていた。
理屈の上では、契約を終了させ婚約は不要だったと言い張れば、全てをなかったことにできる。
けれど、それではあの青年をないがしろにして成果だけを貪ったことになりはしないか。
あの人は冷たい態度を取った俺が守るこの領地に多大な貢献をしてくれた。
その謝礼もしないうちに関係を切るなどできない。
けれど彼は俺に対して、何の希望も持っていない。
だから、名前すら教えて貰えなかった。
その事実がずしりと胸に伸し掛かる。
「あの方は……錬金術に興味のないボンクラではなかったのか?」
社交にも疎い俺の耳にも届いていたクロイツ領の愚息の噂。
だからこそ、余計に煩わしいと思ったんだ。
だが、それは全くの嘘だった。
あの人の作る薬は格段に質が高く、周囲が欲するものを先んじて形にしていた。
領地に対する理解、民の望みを読む力、そして錬金術師としての腕。
そしてなにより、他人のために自分の力を惜しみなく使うことができる。
あの人ほどの人物であれば愚息などと言われるわけがない。
「今更ですが、調査をいたしますか?」
「……頼む」
あの頃はただ、厄介な縁談を押しつけられたと腹を立てていた。
形だけ婚約を受け入れ、屋敷でおとなしく過ごしてもらい、時期が来たら解消するつもりだった。
しかし今はもう、それでは済まない。
あの人はこの領地に、貢献をしてくれて、返しきれないほどの恩が出来た。
それに報いたい。
そして、俺は彼を手放したくないと思ってしまった。
端的に言えば、惹かれてしまったんだ。
聡明な頭脳、麗しい顔、気品のある立ち振る舞いに、己の仕事に対する自信と誇り。
全てが俺にとって好ましいものだった。
あの作り物のような笑顔ではなく、俺だけを見て微笑んでほしい。
彼の名を真っ直ぐに呼ぶ権利が欲しいのだ。
そして半月後。
急ぎの報告書が届いた。
ナイアが封を切り、俺に手渡す。
「クロイツ領は……もう、ダメそうだな」
「ええ」
数行読み進めただけで、頭痛がした。
前領主は、国で流行った疫病の特効薬を作った英雄だった。
貧しい者にも無料で薬を配り、身分を問わず国中の人々を救った。
だが王都からの帰路、盗賊に襲われて命を落とした。
その領主夫妻には、たった一人。息子がいた。
だが成人前ゆえ、叔父夫妻が代理として領地を治めることになった。
今、俺が取引しているのは、その領主代理だ。
報告書の中に並ぶ叔父夫妻とその息子の行状を追うごとに、胸のあたりがじくじくと痛む。
領主代理となった叔父は、クロイツを食いつぶしていた。
錬金術の知識もなく、ただ「クロイツ領の薬」という名を使った金儲けに走り、粗悪な薬を作り、領地を食い荒らす。
稼いだ金は全て自分の物として、民は貧しい暮らしを余儀なくされている。
そして社交界に出て「クロイツ男爵子息」として名を馳せていたのは、その叔父の息子。
世間で噂されていた『愚息』の方だった。
「……噂のドラ息子は、そっちか」
「はい。アッシュ様こそ、正統なクロイツ領の後継者でございます」
「……なんてことをしてしまったんだ、俺は」
ほんの少し調べれば、すぐ分かったことだ。
正統な後継者が成人すれば、叔父は領主代理の座を失う。
だから俺への縁談を利用して、彼を押し付けたのだ。
結婚して名が変わればクロイツはこの叔父が正当な手段で手に入れられる。
「いくら忙しかったとはいえ、わずかな確認を怠った俺の責任だ……」
「私も、婚約などこの時期に非常識な話だと怒り、調査をおろそかにしておりました。申し訳ありません」
もしも、あの時。
――少しでも、彼を知ろうとしていれば。
俺の傍で、笑ってくれていたのだろうか。
いくら後悔しても、時間は戻らない。
ため息をついていると、ナイアが報告の続きを伝え始めた。
「それから、ここ数年でグラフィカに錬金術師が増えたのはアッシュ様の功績です」
「彼の? どういうことだ」
「クロイツ領でまともに扱われなかった有能な錬金術師たちが、アッシュ様を慕いこの地へ移って来たのです」
どうやら彼らが作った薬を安い値段で買い叩き、断れば素材は渡さないと脅していたようですとナイアが別の報告書を読み上げる。
「……それでグラフィカにたくさんの錬金術師が来てくれたんだな」
「もしアッシュ様を手放せば、錬金術師たちも去ってしまうでしょう」
ナイアの言葉が、重く胸に落ちた。
「……とりあえず、誠心誠意、謝罪して、やり直してみるしかないな」
「はい。全力でお手伝いいたします」
前途多難だが、もう迷いはなかった。
許してくれなくても構わない。
ただ申し訳なかったと彼に頭を下げよう。
伝わるまで何度でも。
そして、もし叶うならば。
いつか笑いかけて欲しい。
そんなことを願う。
けれどこの時の俺は、まだ甘かった。
優しさだけでは赦しなど得られない。
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ありがとうございます。
初動を間違えたオリバー様にはめちゃくちゃ頑張って欲しいです!