狼の尻尾が俺の心を揺らす

中洲める

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2話 尻尾が触れる朝に

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 アラームの音で目を覚ます。  
「……ん、もう朝か」  
 体勢を変えようとして、動けないことに気づく。腹の前には太い腕が回り、背中には体温。柔らかな毛並みの尻尾が太ももに絡みついている。  
「おい、こらリオ。離せ」  
「やだ……」  
 銀色の髪が俺の首元をくすぐる。仕方なく頭を撫でてやると、指先にふわふわの獣耳が当たった。  
「せめて、力を緩めろ」  
 リオは少しだけ腕の力を抜き、「んー……」と鼻を鳴らした。

「朝から絞め殺す気か」  
 ぼやきながらスマホの電子音を止める。  
「その板から音が出るなんて、何年経っても慣れねー」  
「まぁ、そうだよな」  
 この世界にはこんな音、存在していないし。
 体を反転させ、リオと向き合う。  
「おはよう、リオ」  
「おはよ、トーヤ」  

 こんな光景を見られるようになるなんて、9年前は思いもしなかった。  
 あの日、研修医として働いていた病院を出た帰り道、気がつけば夜の草原に倒れていた。

 人工的な光が1つも見当たらない、見知らぬ星空。感覚が戻るまでに数分かかった。何が起きたのか理解ができなかった。
 けれど様々な状況を確認した結果、異世界転移ってやつをしてしまったと頭を抱えた。
 何とかなったのは、なぜか備わっていた魔力と医療知識を掛け合わさった治癒魔法が発動したからだ。
 その後は治癒師として生き延び、今は辺境で診療所をやっている。  

「トーヤ、腹減った」  
「ああ、今やってる」  
 フライパンの中で目玉焼きが白く固まり、ベーコンがじゅうじゅうと音を立てた。リオは皿を抱えて俺のそばを離れない。  
 小さい頃は可愛く微笑ましかったが、ここ数年すっかり大きくなった体でうろうろされるととにかく邪魔で仕方がない。
「お前はほんと懐くな」  
「へへへ、トーヤ好きぃ」  
「こら、火傷するだろ」  
 背中に抱きつかれて、危ないと強めに叱るとリオはしゅんとうなだれて離れていく。

「……」
 ここで甘やかしてはダメだ。
 わかっていても、可愛い養い子のそんな姿を見てしまっては声をかけずにいられない。
「リオ、早く皿を置きなさい。目玉焼きが乗せられないだろ?」
「! うん」
 いそいそと俺の傍に寄ってきて皿を置く。
「トーヤがいい匂いすぎて我慢できない」
 発情期の名残だろうか。俺の首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。時々触れる唇が昨夜の熱を思い出させ、無意識に体が震えた。
「こーら、離れろ。まずは飯」
「はぁい」
 顔を無理やり押しのけて皿を押し付ける。

 本当に、困る……。

 ずっと育ててきた子供に体が欲情してしまうことに戸惑いと罪悪感を覚えた。







 リオと出会ったのは五年前。  


 きっかけは、町に住む鍛冶屋の親父が「親戚を治してくれ」と頭を下げてきたことだった。  
 腕のいい彫金師だというその親戚は、事故により職人としての命を断たれかけていた。    
 都市には治癒師がいくらでもいるが、高度な治癒となると費用は庶民には到底払えない。  
 俺の治癒は、前の世界で学んだ医療知識をもとにしているせいか、どうやら精度が高いらしい。  
 交通費と報酬を合わせても俺に頼むほうが安く済む。
 鍛冶屋はそう言いながら、俺からすれば充分すぎる金額を提示した。  

 報酬に釣られ、気楽な気持ちで都市へ向かった。  
 辻馬車に揺られること5日。ケツが4つに割れそうなほどの振動に耐えながら、ようやく大都市の門をくぐった。  

 けれど、門を越えるころには胸の中に言いようのない違和感が生まれていた。  

 この世界には人間だけでなく、獣の特徴をもつ獣人と呼ばれる種族がいる。  
 俺の住む町では、住人のおよそ6割が獣人だ。  
 耳や尻尾、毛並み、姿形は違っても、人間と変わらない。  
 俺にとって獣人は仲間であり、同じ世界を生きる隣人だった。  

 だが、都市に近づくにつれ、獣人の数は減り、人ばかりが増えていく。  
 そして辿り着いた大都市では、獣人は人として扱われていなかった。  

 仕事場ではこき使われ、街角では奴隷のように連れ回される。  
 よき隣人であるはずの彼らが、道具のように扱われている。  
 その光景に、息が詰まった。  

 早く用を済ませて、さっさと帰ろう。  

 胸の奥にざらりとした嫌悪を抱えながら、俺は仕事を終えた。  
 彫金師の怪我は完全に癒え、指も動くようになり、報酬も十分すぎる額を受け取った。  
 残る仕事はただひとつ、この胸糞悪い場所から離れること。  

 そう思って歩いていた、その時だった。  

 路地の先で、建設現場が目に入る。
 たくさんの獣人に混じって一人だけひと際小さな獣人の子供が角材を運ばされていた。
 灰色の毛は泥と埃にまみれ、ぼろきれのような服は動くたびにほつれた繊維が地面を擦る。
 擦りむいた素足や手から血がじんわり滲んでいた。 
 腕も足も細すぎて、どう見ても重労働には向かない小さな子供。  
 酷い光景に目を逸らそうとしたその時、子供が足を滑らせ、角材の下敷きになった。  


「……っ!」  

 考えるより早く走り出す。
 医者としての性分が、俺を強く突き動かした。  

「この役立たずが! さっさと立て!」  

 怒号が響き、鞭が振り下ろされる。  
 赤く腫れた背中。声も上げず、震えながら立ちあがろうとする子ども。  
 痛みと暴力に慣れすぎたその無言の我慢が痛々しかった。  

「待て、その子の足は折れている。叩いても立てるわけがない」  
「……なんだお前は」  
「通りすがりの治癒師だ」  

 俺は子供を背に庇うように男と向き合った。
 冷たい視線がぶつかり、周囲の空気がひやりと張り詰める。  

「じゃあ治せよ」  
「タダでか? 冗談じゃねぇ」  

 自分でも驚くほど低い声が出た。怒りで喉の奥が焼けつくようだ。  
 けれど声を荒げては子供に矛先が向く。

「チッ、いくらだ」  
「金貨一枚」  
「このゴミに金貨一枚だと!?」  

 男が吐き捨てるように笑う。  
 こいつらにとって命の値打ちは、使えるか使えないかだけ。  
 それが許せなかった。  

 高い治療費など払うつもりがないのは分かっている。
 だからこそ俺は高額治療費を吹っ掛けた。
「安い治療じゃその子の足は治らない」
「どいつもこいつも使えねぇ」
 自分のしたことを棚に上げて本当に胸糞悪い。  

「だったらこうしよう。銀貨30枚でその子を買う」  
「……銀貨30枚?」  
 男の眉が動いた。銀貨100枚で金貨1枚。銀貨30枚は独り身の庶民が贅沢しなければ数か月暮らせる金額。
 おいしいと思ったのか一瞬ニヤけた口元を引き締めたのを俺は見逃さない。

「金貨1枚払う代わりに、銀貨30枚が手に入るんだ。悪い話じゃないだろ」  

 本当は買うなんて言葉を口にしたくなかった。  
 だがこの男に通じるのは、そういう言葉だけだ。  

「……いいぜ。その金で使えねぇガキの代わりに、もっとマシな奴を買うさ」  

 角材を蹴り飛ばし、子どもの襟首をつかんで放り投げた。  
 小さな体が宙を舞い、受け止める。
 あまりに軽すぎて息が詰まった。 
 銀貨30枚を突きつけると、男はにんまりと下卑た笑みを浮かべる。
「元々は別の獣人のおまけだったんだが、得をした」
「……」
 負け惜しみのような笑い声を振り払うようにその場を足早に立ち去る。

 骨ばった腕。震える肩。  
 痛みに耐えながら、それでも必死に声を出さない。  

「もう大丈夫」  

 抱きしめたまま、そっと頭を撫でた。  
「大丈夫だ。もう痛いのも怖いのもない。大丈夫」
 何度も背中や頭を撫でているとようやく小さな体が力を抜き、指先で俺の服をぎゅっとつかむ。  
 腕の中で子供の表情にようやく感情が灯った。

「……もう少しだけ我慢してな」  

 小さく頷いたのを見て、初めて息を吐いた。  

 その子供がリオだ。  

 町へ連れて帰り、世話をしてもう五年。  
 かつて無表情だった少年は、いまではよく笑うようになった。  
 初めて「トーヤ」と名前を呼んだ日のことは、今でも鮮明に覚えている。  

 俺は、あの選択を後悔したことは一度もない。  






「トーヤ、トーヤ!」  
「あ? なんだ?」  
「何度も呼んでるだろ!」  
「ああ、ごめん。どうした?」  
「今日は家にいてくれるんだろ? 何して遊ぶ!?」  

 今では屈託なく笑うリオだが、あの頃の傷が完全に消えたわけではない。  
 時折見せる、ふとした不安げな表情がそれを物語っていた。  
 それでも、こうして笑ってくれることが、何よりの救いだ。  

「せっかくだし、勉強しようか」  
「うえー……」  

 発情期の間、獣人が家からあまり出ないのは自然なことだ。  
 本来なら一人で、あるいは番(つがい)と過ごすべき時間だろう。  
 けれど、リオがひとりで苦しんでいるのを見ていられず、俺も仕事を休んで側にいる。  

 急患は来るが、それ以外は可能な限りリオに寄り添った。

 不幸な生い立ちではあったけれど、ここでの暮らしを幸せだと感じて欲しい。

 この子が、自分の意思で未来を選べるよう、手助けをしたい。  
 それがこの子を引き取った俺の義務だと思っている。  

「さあ、朝ごはんが終わったら勉強するぞ」  
「はぁい。でも、トーヤと一緒にいられるから嬉しいや!」  

 楽しそうに尻尾をふりふりして、あどけなく笑うリオの姿は大きくなっても可愛い。

 リオにはただ幸せでいてほしい。  

 この子の笑顔を守ることが、今の俺が生きる理由なんだ。
 
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