アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

中洲める

文字の大きさ
2 / 23

2話 護衛騎士ラステア

しおりを挟む
 門に向かう足取りはやけに軽かった。
 なんといっても、僕は自由なのだ。
 もう誰の思惑にも、立場にも縛られない。これからは、自分の意志だけで生きていい。

 婚約者として相応しい振る舞い。
 嫌われないように、従順に、真面目に。
 誰かの目を気にする毎日は、もう終わったんだ。

 そうだ、手始めにスキップなんてどうだろう。
 婚約者だったラカルド様とは一度も踊ったことはないけれど、ダンスの練習ではよくリズム感を褒められた。
 今なら、できる。いや、やりたい。

 ルンタルンタと弾む足取りで門へ向かっていると、背後から気配が近づいてくる。
 確認も、警戒も必要はない。それはずっと慣れ親しんだ気配だからだ。

「クリス様、どうなさいましたか!」
 振り返らずとも分かる。
 黒髪に金の瞳、黒い騎士服の青年。僕の護衛、ラステアだ。
 高く結った髪が風に揺れている。
 珍しく焦ったように見えるのはなんでだろう?

「夜までパーティのはずでは? 急なお仕事でも入られましたか。すぐに馬車を手配……」
「ああ、大丈夫。あのね、僕この国を出ることにしたから」

「……は?」

 ラステアは文字通り、ぴしりと固まった。
 僕は気にせずスキップを続ける。門までもう少しだ。

 まずは旅支度をしないと。乗合馬車で街を出よう。
 丈夫な服に、歩きやすい靴。替えの下着と、少しのおやつ。
 今なら何でも好きな物を選べる。

 考えを巡らせていたら、肩を強く掴まれた。

「クリス様……! さっきなんと……!?」
「国を出るって言ったよ?」

 正午に始まったパーティ。
 婚約破棄を言い渡されたのは、開始してすぐ。 
 買い物する時間は十分ある。今から準備を整えて日の高い間に王都を出るんだ。

 気分は高揚して、高鳴る気持ちを抑えられない。

「そういうわけだから、今日までありがとう。それじゃ」

「え、ま、待ってください!」
 返事を聞く前に歩き出した僕の前に、影が滑り込むように立ち塞がる。
 相変わらず、無音の身のこなし。幼い頃から守ってくれた背中だ。
 魔力こそないが、剣の腕は大人の騎士にも引けは取らない。

「お待ちください。あなたは第二王子と結婚を……」
「ああ、それね。破棄になった」
「は、破棄……?」
「そう。もう婚約はなくなったんだ」

「……そんな」
 ずっと僕の傍にいたラステアは僕の気持ちを誰よりも知っている。
 時々どうしようもなくなって吐き出した愚痴にも付き合ってもらった。
 僕よりも顔色を悪くして言葉を失っている。


「クリス様……」
 ラステアの震える声が喉の奥から漏れる。
 顔を上げたその瞳は、涙で潤んでいた。

「あははは、なんだかラステアのほうが婚約破棄されたみたいな顔だね」
 冗談めかして笑ってみせたら、さらに泣き出しそうに顔が歪んでしまった。

 失敗した。

 そう思った次の瞬間、腕の中に引き寄せられる。
 鎧の冷たさよりも、彼の体温のほうがずっと強く感じられた。

「今だけ……どうか無礼をお許しください」
「……うん、いいよ」

 ラステアの腕は優しく、でも切実で、逃げられないような力を帯びていた。
 ああ、本当に……。この温もりに何度救われただろう。
 この人がいたから、僕は折れずにいられたんだ。






 僕が生まれたのは、国の辺境に近い侯爵家だった。
 高い魔力を持つ同性の両親のもとに生まれ、幼い頃は領民とも仲良く、貧しくても穏やかな日々を過ごしていた。

 6歳で魔力が完全に開花した。
 ヴェルンとして王国に報告された僕の魔力は群を抜いていたらしく、その力が王家の目に留まった。
 そして8歳のとき、第二王子の婚約者として打診されたのだ。

 同じ年に、お父さまたちが視察先で4歳年上のラステアを拾ったと一緒に暮らすことになった。
 年も近かかったから侍従として育成するつもりだったけれど、剣を学ぶと彼はみるみるうちに腕を上げ、僕の専属護衛兼侍従となった。
 主従の関係ではあったけれど、幼い僕にとって年上の兄ができたようで、ラステアの存在が心から嬉しかった。 

 平穏で、幸せな生活。 

 けれど翌年、両親が事故で亡くなった。
 悲しむ間もなく叔父夫婦が屋敷に乗り込み、いつの間にか家の中を好き放題に仕切り始める。
 僕の居場所は屋敷の隅へ追いやられ、味方だった使用人たちも追い出されていった。
 そばに残ってくれたのはラステアだけ。

 もし彼がいなかったら、僕はきっと心まで壊れていた。
 思えば、愛してもらえない婚約者に固執していたのも、どこか現実から逃げたかったせいなのだろう。

 凍えそうな夜も、涙をこらえた朝も、ラステアがいてくれたから乗り越えられた。

 そして今、全てのしがらみから解き放たれた僕は、何も持っていない。
 彼を雇い続けられるほどの器量も、身分もない。

「僕はもう、侯爵家には戻らない」
 そう言葉にすると、不思議と胸の奥がふっと軽くなった。

 婚約破棄を知れば、あの叔父夫婦はまた僕の扱い方を考えるだろう。
 自分で言うのもなんだが、僕は『利用価値のある駒』だから。

「戻ったところで、またどこかの家に嫁がされるか、アクアヴェルンの魔力を使いつぶされる。……そんな未来、もううんざりなんだ」

 ラーカイル家が王家と繋がっていられるのは、僕というヴェルンの存在があったからにすぎない。
 それを失えば、あの家はただの辺境の貧しい領主に戻るだけ。

 両親が愛した家は、いまやその面影さえない。
 壁は塗り替えられ、庭は削られ、笑い声のあった部屋は物置になった。
 あんなもの、もう僕の知っている家じゃない。
 いっそ共倒れでもすればいい。

 僕は、あの家を牛耳る叔父夫婦が大嫌いだった。

 ラカルド様への想いをようやく手放した途端、胸の奥に押し込めていた感情が一気にあふれ出した。
 悲しみも、怒りも、諦めも。
 全部ごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。

 ……僕、ずいぶん我慢してたんだな。

 今になってようやく、それを自覚した。

 しがらみが解けた以上、もうここに留まる理由はない。
 これは、僕自身の意志で選ぶ道だ。

 ラステアを巻き込むわけにはいかない。




「紹介状を書いたから、ラステアならどこへ行っても……」
 ポケットから取り出した一通の紙を、彼は無言で見つめた。

 これで、お別れだ。

 これ以上誰かの優しさに甘えたら、きっと歩き出せなくなるから。

 ラステアは、抱いていた腕をゆっくり外すと、紙を静かに手に取った。
 その手が震えているように見えたのは気のせいだろうか。


 次の瞬間、少し離れて剣を取った彼は、その紙を粉々に切った。
 紙が宙に舞い、散っていく。

「私がお仕えするのは、生涯クリス様だけです」

 ラステアは膝をつき、僕の手を取り、ゆっくりと唇を寄せた。
 その仕草はあくまで敬意に満ちているのに、指先がふるふると震えていて、まるで捨てないで下さいと訴えているようにも見えた。

「お給料も出せないし、貧しい暮らしになるよ?」
「あなたがいない世界の方が嫌です」

 あまりにも真っ直ぐで、潔い言いっぷりに思わず笑ってしまった。

「……じゃあ、行こうか」
「行き先は?」
「うーん、色々考えてみたけど……砂の国かなぁ」

 アマハガの隣には2つの国がある。
 西には砂漠のグレイドル、東には山に囲まれたナハス。
 暮らしやすいのはナハスだけど、友好国だからかなりの回数訪問して、顔を知られてる可能性が高い。
 だったら、交流の少ない砂の国のほうがきっといい。

「砂ですか……」
 ラステアの声が僅かに沈む。

「どうかしたの?」
「あの国は常に水に飢えています。あなたが居ると知られれば、きっと騒ぎになります」

「そうなんだ。よくそんなことまで知ってるね?」

 僕の知る限り、砂の国は炎の魔力に満ち、香辛料と織物が名産で、血気盛んな人々の国。
 それくらいだ。

 心配そうなラステアに僕は提案した。

「でも、辺境の隅っこなら大丈夫じゃない?」
 元々人の多いところで暮らすつもりはない。ヴェルンとしての力があれば水には困らない。
 国の端っこを借りて静かに暮らせればいい。
 少し考えたラステアは、小さく頷いた。
「……確かに。あそこには、水が干上がって放棄された土地がいくつもあるはずです」
「本当に詳しいね」
「クリス様のもとへ来る前に、少しだけ住んでいたことがあるんです」

 その言い方には、少しだけ苦味が混じっていた。
 あまりいい思い出ではないのかもしれない。

「そっか。気乗りしないなら、残っ……」
「いいえ。共に、生きます」

 判断が早い。
 ためらいのない即答が、胸にまっすぐ刺さる。
 それにしても、今の「行きます」には、旅の共というより、もっと重い覚悟の響きを感じた気がした。

 そんなことを考えていると、ラステアが時計を見る。
「今日中に、この国を出ますか?」
「そのつもり。夜には国王や家にも婚約破棄が伝わるだろうから、なるべく早いほうがいい。王都を出てしまえば見つかりにくくなるし」
 領地は遠いけれど、叔父と伯母は王都にタウンハウスを構えている。
 知らせが届くのはきっと早い。

「では、まず旅の支度を整えましょう」
「うん。ラステアは屋敷へ取りに戻りたい物とかある?」
「ありません」
「そっか。ならいいね。行こうか!」
「はい」

 並んで歩き出す。
 広がるのは、いつもと同じ街道。
 だけど、見える景色はまるで違っていた。
 隣を歩く人が、自分の意志で「共に行く」と言ってくれたからだ。

「クリス様」
「なぁに?」

 呼びかけたくせに、彼は口を噤む。
 急かすことなく黙って待つと、ラステアはためらいがちに言葉を選んだ。

「あの……正気であらせられますか?」
「……え?」
「あなたが、その……あまりにも……」

 言葉が途切れ、彼は眉を下げて僕を痛ましそうに見つめている。
 それを見て、思わず笑みがこぼれた。

 そうだよね。
 今までの僕は、淡々と、従順に、品行方正に。
 そんな仮面をかぶっていた。 
 それが急にスキップなんて始めたら、驚くのも当然だ。

「たぶん、これが素の僕だよ。……幻滅した?」
「いいえ!」

 食い気味の否定に、思わず目を瞬く。
 そんな僕を、ラステアはじっと見つめて、口ごもった。

「その……」
「……うん、なに?」
 中々先を言おうとしないラステアの言葉を待つ。
 やがて、僕の視線に耐えかねたように意を決して口を開いた。
「大変素敵で、お可愛らしいと、思います」

 頬を少し赤く染めながら言うその姿に、今度は僕の胸がくすぐったくなる。

「そ、そう。ありがとう」
「はい。本当にそう思います」
「……もういいってば」

 僕とラステアの間に始めて流れるふんわりとした空気。
 それはほんのり甘くて、息がゆるむみたいで、とても心地よかった。





 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。

零壱
BL
自己肯定感ゼロ×圧倒的王太子───美形スパダリ同士の成長と恋のファンタジーBL。 鎖国国家クルシュの第三王子アースィムは、結婚式目前にして長年の婚約を一方的に破棄される。 ヤケになり、賑やかな幼馴染み達を引き連れ無関係の戦場に乗り込んだ結果───何故か英雄に祭り上げられ、なぜか嫁(男)まで手に入れてしまう。 「自分なんかがこんなどちゃくそ美人(男)を……」と悩むアースィム(攻)と、 「この私に不満があるのか」と詰め寄る王太子セオドア(受)。 互いを想い合う二人が紡ぐ、恋と成長の物語。 ※諸事情により、本編、番外編「嫁溺愛大将と幼馴染み達」「イザームさんとルーカスくん」のみ再掲します。 「羽化」 「案外、短気」 「飴と鞭」 は未公開のままで失礼いたします。

婚約者の王子様に愛人がいるらしいが、ペットを探すのに忙しいので放っておいてくれ。

フジミサヤ
BL
「君を愛することはできない」  可愛らしい平民の愛人を膝の上に抱え上げたこの国の第二王子サミュエルに宣言され、王子の婚約者だった公爵令息ノア・オルコットは、傷心のあまり学園を飛び出してしまった……というのが学園の生徒たちの認識である。  だがノアの本当の目的は、行方不明の自分のペット(魔王の側近だったらしい)の捜索だった。通りすがりの魔族に道を尋ねて目的地へ向かう途中、ノアは完璧な変装をしていたにも関わらず、何故かノアを追ってきたらしい王子サミュエルに捕まってしまう。 ◇拙作「僕が勇者に殺された件。」に出てきたノアの話ですが、一応単体でも読めます。 ◇テキトー設定。細かいツッコミはご容赦ください。見切り発車なので不定期更新となります。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】Restartー僕は異世界で人生をやり直すー

エウラ
BL
───僕の人生、最悪だった。 生まれた家は名家で資産家。でも跡取りが僕だけだったから厳しく育てられ、教育係という名の監視がついて一日中気が休まることはない。 それでも唯々諾々と家のために従った。 そんなある日、母が病気で亡くなって直ぐに父が後妻と子供を連れて来た。僕より一つ下の少年だった。 父はその子を跡取りに決め、僕は捨てられた。 ヤケになって家を飛び出した先に知らない森が見えて・・・。 僕はこの世界で人生を再始動(リスタート)する事にした。 不定期更新です。 以前少し投稿したものを設定変更しました。 ジャンルを恋愛からBLに変更しました。 また後で変更とかあるかも。 完結しました。

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

妹の代わりにシロクマ獣人と真っ白婚!?

虎ノ威きよひ
BL
結婚相手が想像以上にシロクマでした!! 小国の王子ルカは、妹の代わりに政略結婚することになってしまった。 結婚の相手は、軍事大国の皇子のクマ獣人! どんな相手だろうと必ず良い関係を築き、諸外国に狙われやすい祖国を守ってもらう。 強い決意を胸に国を渡ったルカだったが、城の前にデンッと居たのは巨大なシロクマだった。 シロクマ獣人とは聞いていたが、初対面で獣化してるなんてことがあるのか! さすがに怯んでしまったルカに対してシロクマは紳士的な態度で、 「結婚相手のグンナルだ」 と名乗る。 人の姿でいることが少ないグンナルに混乱するルカだったが、どうやらグンナルにも事情があるようで……。 諸事情で頻繁にシロクマになってしまう寡黙な美形攻め×天真爛漫でとにかく明るい受け 2人がドタバタしながら、白い結婚から抜け出す物語 ※人の姿になったりシロクマ姿になったりする、変身タイプの獣人です。 ※Rシーンの攻めは人間です。 ※挿入無し→⭐︎ 挿入有り→★ ※初日4話更新、以降は2話更新

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

処理中です...