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7話 砂の国グレイドル
しおりを挟む国境を越えた先に広がるのは、砂漠の国グレイドル。
日差しは容赦なく降り注ぎ、熱が砂に籠る。
ここからは背のコブに水を貯める、馬より一回り大きいラクドという獣が引く砂ソリに乗っていく。
砂海の上を滑るように進んでいく。
車輪のないその足取りは驚くほどなめらかで、ただ風だけが追いかけてきた。
幌があってもなおじりじりと焼けつく日差しが、遠慮なく肌を照りつける。
息を吸うたび、喉の奥まで熱が染みこむようだった。
気温の高さにうんざりしながらも、この暑さでも肌を露出してはいけない理由がようやくわかった。
ラステアに言われた通り白い外套をまとって正解だった。
刺すような日差しを布がはね返し、着こんでいても思ったほど暑くない。
旅支度の細部にまで、彼の気遣いが行き届いているのを感じる。
「グレイドル、僕初めてだ。こんな風になってるんだね」
幌の隙間から見える光景に目を奪われながら、無意識に呟いた。
遠くまで続く黄金の大地。
互いに肩を寄せるようにして、風と砂を滑る音に紛れながら話す。
「なんで僕、この国から要請がかからなかったんだろう?」
これほど乾いた国なら僕の力を欲しても良さそうなのに。
友好国だったナハスには結構な頻度で、干ばつや水害が起こりそうな時期に呼ばれたのに。
「この国は常に水に飢えています。あなたのようなヴェイルがここで力をふるえば……、王家に囚われていたでしょう」
「……!?」
ラステアの低い声が胸の奥に落ちて、息が詰まる。
「あなたの血を取り込み、水の力を手にすることで王家の力はさらに高まります」
「……結局ヴェイルっていうのはどの国でも利用されるものなんだね」
無意識にため息が口から零れ落ちる。
「あなたほどの力を欲しがらない国はありません」
小さく笑ってみせたけれど、喉の奥が乾いていた。
強い力があるからこそ、いつだって自分の願いや希望は後回しにしてきた。
誰かの求めに応えて、望まれれば力を尽くす。
民が笑ってくれることが、何よりの喜びだった。
王族の婚約者として役立てることに誇りを感じていた。
そうして胸を張っていたはずなのに、心のどこかはいつも静かに冷えていた。
報われるためにやっていたわけじゃない。
けれど、それでも誰かに、少しでいいから自分の想いを分かってほしかった。
その願いが届くことは、結局なかった。
この国でも同じことが起こりえるんだ。
知らずため息を吐きだす。
「……僕、この国を選んでよかったのかな」
思わず口から出た独り言に、ラステアが少しだけ眉を動かした。
「人の目を避けて生きるなら、この国の端くらいがちょうどいい」
「そっか。どうせどの国へ行っても同じなら、顔を知られていないこの国のほうがマシかもね」
もう一度ため息と一緒に吐き出せば、ラステアは静かにうなずいた。
そしてさらに体を寄せて小声で話しかけてくる。
「どちらにせよ、俺は人の多い場所には住めません。この目の色はこの国で禁忌に触れる。見つかれば追い出されるでしょう」
フードを深く被ったラステア。
その金色の瞳は、吐息がかかるほどの距離にいる僕にしか見ることができない。
「街では極力目を隠し、長居はしない。観光を楽しませてやれなくて申し訳ない」
「そんなのいいよ、買い物は僕がやる。なんでも言って」
ラステアの力になれると思うと嬉しかった。
もう守られる側でいるだけじゃない。これからは僕が、彼と一緒に生きる方を選ぶんだ。
そうしているうちにソリは街へ入り静かに止まった。
初めて訪れたグレイドルの街並みは、見たこともない物ばかりで目移りしてしまう。
僕たちと同じように、白を基調とした服を着こんだ人たちが賑やかに行きかっている。
市場には香辛料や乾物を売る店が立ち並び、屋台からは嗅ぎ慣れない刺激的な匂いが漂う。
思った以上の物量や人の活気に圧倒されながらも、手早く買い物を済ませ、枯れてしまったオアシスや、放棄された集落の情報を得ることができた。
建物の日陰で地図を広げ、慎重に場所を検討した。
そうして僕たちは南にある、枯れたオアシスを目指すことにした。
アマハガの国境からも、グレイドルの王都からも離れる位置にあるのが決め手になった。
誰の手も届かない場所が、今の僕たちにはちょうどいい。
行き先を決めるとすぐ街を出た。
ラクドを1頭買い、2人で乗って太陽が昇っているあいだに少しでも進み、日が沈みきる前に野営できそうな場所を見つけて野営をする。
夜の砂漠は息を呑むほど静かだった。
昼間の熱気が嘘のように空気が冷えて、地面から立ちのぼる熱もすっかり消えている。
風が通り過ぎるたび、砂の粒がさらさらと乾いた音をたてて流れていく。
ラクドを休ませ、少し小高い岩陰にテントを張った。
空気が透き通っていて、見上げれば星があまりにも近い。
手を伸ばせば掴めそうなくらい、眩しく光っている。
「昼とはまるで別の世界みたいだね」
「クリスと一緒にこれを見られるなんて、想像もしてなかった」
「うん、僕も」
ラステアの声は落ち着いていて、焚き火の明かりがその頬をやわらかく照らした。
炎の揺らぎが瞳に映り、金のようにきらめく。
禁忌だと言われる色だというけど、僕にはとても美しく映る。
「寒くないですか?」
「ううん、大丈夫。焚き火もあるし」
そう言いつつ、ラステアが肩に厚い外套をかけてくれる。
布越しに感じる温もりが心地よくて、胸の奥がじんとする。
「……ありがとう」
「俺の役目です」
短いやりとりの中に、言葉にできない想いが滲む。
日中の過酷な光の下では隠れたものが、夜になるとゆっくりと浮かび上がってくるようだった。
焚き火の火がぱちりと弾け、暗闇の向こうでラクドが鼻を鳴らす。
どこまでも広がる砂の海の上で、僕らの世界はこの小さな光の輪だけ。
「ラステア、前にもこんな夜があったね」
「王城を抜け出して庭園で夜を過ごした時でしょうか」
「そう、それ。あの時も星がきれいだった」
笑い合う声が火に溶けていく。
あの頃より距離は近いのに、触れようとするたび、ためらいが生まれる。
誰より信頼しているのに、簡単には言葉にできない感情。
どこまでも僕へ寄り添ってくれるラステア。
けれど、どこまでそれは許されるんだろうか。
彼の人生の時間を奪ってしまってはいないだろうか。
ここまできて、そんな気持ちが湧き上がってくる。
「夜明け前はもっと冷えます。もう少し近くへ」
「うん」
そう言って僕は彼の隣に身を寄せた。
彼の肩に背が触れると、砂漠の夜風の冷たさが少し遠のく。
星々の光を見上げながら、ゆっくりと息を吸った。
夜の静けさの中、互いの鼓動だけが確かに聞こえる。
初めて異国の空の下で眠る夜。
それでも、傍にこの人がいる。それだけで十分だった。
夜が明けて、また歩き出し、そして歩き続けた。
ついに僕らは目的地に着いた。
熱い風の向こうで、乾いた空が微かに揺らめく。
旅の終わりではなく、ここから僕らの暮らしが始まる。
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