アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

中洲める

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10話 やらかした……<ラステア視点>

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 足早に部屋を出る。
 後ろを振り返り、クリスが追ってこないのを確かめて、ようやく息を吐いた。
 安心した途端、その場にしゃがみ込む。

「あああああ……やらかしたぁぁぁ……」

 一緒に寝ようと、あんなにも無邪気に言われたのに。
 ただ頷いておけばよかった。それなのに、どうしてもできなかった。

 旅を続けるうちに、クリスはどんどん可愛らしくなっていった。
 重荷から解放されたせいか、柔らかく笑い、時には甘えてくる。
 俺にだけ小さなわがままを言う姿が、どうしようもなく愛しい。

 元々好きだったのに、さらに深く惹かれてしまった。

 焚き火の灯りの中で眠そうに瞬く瞳。
 小さな手で俺の腕を引くあの仕草。
 そのすべてが、俺を捉えて離さない。

 そして、魔力暴走の夜。
 久しぶりに触れたあの感触が忘れられない。
 腕の中で熱に浮かされ、必死に息をしていたクリス。
 その体温の記憶が、今も指先に焼きついている。

 思い出すたび、どうしようもなく疼く。

 成長した彼の色香は、記憶の中のどんな女よりも艶やかだった。
 誰よりも、美しい。

 ……もし、クリスが許してくれるなら。
 一晩中でも抱きしめて離したくない。

「あぁ、もう……」

 そう思った瞬間、体の芯が熱を帯びた。
 理性が鈍り、呼吸だけが速くなる。
 疼きを抑えきれず、思わず腹部を押さえた。

 ……まったく。

 こんな危ない男と一緒に寝ようなんて、クリスは危機感がなさすぎる。
 今いちばん危険なのは、他でもない俺だというのに。

 頭を冷やさなければ。
 このままでは、自分を抑えられそうにない。
 俺は熱を振り払うように立ち上がり、ベッドを探しに外へ出た。





 夜の風が熱をさらっていく。
 乾いた空気に、水の匂いが混じっていた。
 その匂いの元を辿ると、数時間前まで砂ばかりだった場所に、透明な水が広がっている。

「……すごいな」

 思わず息を呑んだ。
 クリスの魔力の残り香が、風に混じってほのかに漂っている。

「こんな場所でも、クリスの魔力は衰えないんだな……」

 水面が月光を反射して揺れ、まるで新しい命が息づいているようだった。
 風も、水も、この景色も……。
 すべてはクリスが生み出したもの。
 その中心に、あの笑顔が浮かぶ。

「クリス……。あなたには、自由に生きてほしい」
 誰にも縛られず、無理に笑わなくていい。
 怒って、笑って、偽らずに思うままに。
 その笑顔を守るために、俺はここにいる。

「まったく、俺ってやつは……。結局、何をするにもクリスばかりだな」

 苦笑しながらつぶやく。
 彼を中心に生きて、彼の隣で呼吸する。
 それでいい。
 そう思えた。

「よし、ベッドを探そう」

 気持ちを切り替え、砂をかき分けながら建物をひとつずつ調べていく。
 最初の家は外れ。使えそうな家具があったので後で運ぼう。
 2つ目は何もない。
 3つ目、4つ目を見ても結果は同じだった。

「仕方ない……。今夜はソファーで寝ることを説得して、明日、近くの集落まで行くか」

 ため息をつき、来た道を戻る。
 その先に灯る小さな明かり。
 そこにはきっと、笑って待つクリスがいるだろう。
 これから、そんな日々が続いていくのだと思うと、心が浮き立った。

 気配を辿ると、まだ寝室にいた。
 中を覗いて、俺はクリスに駆け寄った。

「クリス……!」

 出てから、もうずいぶん時間が経っているのに。
 彼は、俺が部屋を出たときと同じ姿勢で床にしゃがんでいた。

「そんなところに座っていると冷えるぞ」

 日はすっかり落ち、気温も下がっている。
 露出した床は底冷えし、薄着のままでは耐えられない。
 長くいれば、風邪を引いてしまう。

 胸の奥がひやりとした。
 抱き上げようと腕を伸ばす。
 けれど。

「……え?」

 宙をつかんだ腕。
 クリスはわずかに身を引き、視線を床に落とした。
 沈黙の中、砂のざらつく音だけがやけに響く。
 いつもなら迷わず体を預けてくれるのに。
 そのわずかな拒絶が、胸に刺さる。

 もしかして、さっきの告白で嫌われたのか?
 俺は、彼にとって恋愛の対象ではなかったのか?

 覚悟はしていたけれど、現実を前に心が凍える。
 それでも、クリスの体の冷たさの方が気になって言葉を探した。

「クリス、そんなところにいたら体が冷える。立って……」

 もう一度、手を差し出すと、クリスの体がびくりと震える。
 逃げるように身を引いたクリスは、頬を真っ赤に染めていた。
 羞恥と戸惑いの入り混じった表情があまりに可愛くて、視線をそらすこともできない。


 クリスが、俺を、意識してくれている。

 息を忘れるほどの愛しさが込み上げた。

「クリス」

「あの、自分で……。立て、立てるからっ!」

 震える声で必死に言葉を紡ぐ彼が、また愛しかった。
 けれど、長く床にいたせいで足が冷え切っていたのだろう。
 立ち上がろうとした瞬間、バランスを崩して倒れかけた。

「危ない!」

「あっ!」

 咄嗟に抱きとめ、そのまま床に倒れ込んだ。
 俺が下敷きになり、クリスの体は無事。
 安堵の息をつく間もなく、唇に柔らかな感触が触れた。

 微かな息が頬をかすめ、外の音が遠のく。
 時間が止まったようだった。
 至近距離にあるクリスの顔。
 驚きで丸く開いた瞳。

 これ、キス、だ。

 思考が止まり、体の奥から熱が広がる。
 幸せで、息が詰まりそうで、離せない。

 ただ見つめ合う。
 静寂の中で、鼓動が2人分重なった。

 潤んだ瞳の緑が光を受けて揺らぐ。
 その儚さが、ひどく美しかった。
 理性の糸が、音を立てて切れる。

 細い腰を引き寄せ、胸の中へ抱き寄せた。
 柔らかな髪を指に絡め、唇をそっと、もう一度。

 ……重ねた。
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