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16話 嵐の予感
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あの奇妙な風を感じてから、3日後。砂嵐がやってきた。
最果ての砂漠から押し寄せる風は、砂を巻き上げ、空も地も呑み込んだ。
昼と夜の境界が消え、風と砂が壁を叩く音だけが、永遠のように響く。
時間の感覚はとうに失われ、世界そのものが怒りの息を吐いているようだった。
自然の気まぐれには抗えない。ただ、身を潜めてやり過ごすしかなかった。
7日目の朝。
ようやく風が止み、家の中に光が差し込んだ。
柔らかな日差しに照らされ、僕らはようやく嵐の終わりを確信した。
長く怯えるように寄り添っていた僕らは、慎重に外へ出た。
結界の外は砂に覆われ、向こう側がまるで見えなかった。
砂の流れ落ちる音があちこちで響く。
このオアシスも結界を張っていなければ、砂に埋もれていたに違いない。
「結界を張り替えるね」
僕がそう言うと、ラステアが顔を上げる。
「手伝おうか?」
「大丈夫。僕だけで十分だから」
片手を掲げ、魔力を結界の天井へと流し込む。
光が水のように広がって輪郭を描き、結界の外側をなぞる。
それに合わせるように砂がざざ、と音を立てて連続で流れ落ちた。
やがて光が収まり、空が顔を出す。
見上げれば、砂嵐などなかったかのような快晴。
ただ、遠い北の地平にはまだ砂煙が残っている。
南から押し寄せた嵐が、いまはゆっくりと北へ去っているのだ。
「この分だと、小さな水源や集落は……砂に埋もれてしまったかもしれないな」
ラステアが静かに呟く。
彼を追放し、疎外した者たちの国。
だが、そこにも人が生きている。
泣き、笑い、愛し、誰かを想って生きている。
「ラステア。僕は、この国の人たちを助けたい」
ラステアはその言葉を聞いて、ゆっくりと目を細めた。
「……危険だ。俺が最初にこの国へ来たときに言ったこと、覚えてるか?」
隠しきれない不安が滲んでいる。
「覚えてる。でも、それでも見過ごせない」
魔力を使えば、僕の存在がこの国に知られてしまうおそれがある。
もしも見つかってしまったら自由を失う可能性も高い。
それでも。
消えゆく命をただ見過ごすなんて、できない。
「僕の力なら、たくさんの人を救える」
止めようとする彼の視線が痛い。けれど譲れない。
静まり返った空の下、僕らは見つめ合った。
風の音が遠のき、僕の鼓動だけがはっきりと耳に響く。
「ラステア。僕はこの力を、人のために使いたい」
どんなに危険でも、力を自分だけのために握りしめていたくなかった。
救える命があるなら、救いたい。
ラステアがそっと僕を抱きしめる。
「……わかった」
短くそう言って、彼は静かに頷いた。
「ごめん。ラステアまで巻き込んでしまう」
震える声で呟くと、彼はきっぱりと首を振った。
「巻き込まないつもりなら、全力で止める。いくらでも巻き込んでくれ」
そのまま僕を強く抱きしめる。
痛いくらいだったのに、不思議と嬉しかった。
「ありがとう、ラステア」
顔を上げると、彼が静かに微笑んだ。
「共に生きる。そう約束しただろう?」
「……行きます、って言ったと思ったのに」
「俺は重い男だから」
くすっと笑う気配。抱きすくめる腕の力がさらに増す。
「あなたのそばが、俺の居場所だ。どうか離さないで」
彼がかつて誓ってくれたその言葉に、ずっと支えられてきた。
ううん、それよりもずっと前から。
僕は彼に支えられて、生きてきたんだ。
背中に腕を回し、そっと抱き返す。
どんな困難が訪れても、この温もりがあれば大丈夫。
鼓動がひとつ重なり、静かな安心が広がっていく。
どれほど時間が経っただろう。
やがて、彼の肩越しに光が差し込むのを感じる。
目を合わせ、触れるだけのキスを交わした。
「居場所がばれないように、各地に雨雲を散らして、あちこちで同時に雨を降らせてみる。そうすれば、居場所はきっと分からない……と思う」
いつか、この大切な場所に、誰かが無遠慮に踏み込んでくるかもしれない。
そんな未来を思うと、声がかすかに震えているのに気づいた。
それでも、この場所を捨てて逃げようとは思えない。
どこへ行っても苦しみや危険が待っているのなら、ラステアと過ごしたこの地で、生きていたい。
ようやく「帰る家」と呼べるようになったこの場所を、もう二度と手放したくはなかった。
それはラステアも同じだと、金色の瞳を見つめるだけで分かった。
「何年も雨のなかった地に、突然の大雨か。しかも災害の後に恵みが訪れるなんて、まるで神話のようだな」
冗談めいた口調が、張り詰めていた心を優しくほどいてくれた。
僕はそっと息をつき、自分の手のひらを見つめる。
たとえ、この先に後悔の瞬間が待っていたとしても。
それでも今は、この力を誰かのために使いたい。
両手を天へ掲げ、青く澄んだ空へ魔力を放つ。
やがて上空が暗く染まり、灰色の雲が渦を巻き始めた。
雷の気配が生まれ、乾ききった大地が、雨を待つようにかすかに震えた。
湿った風が空へと巻き上がっていく。
僕はゆっくりと手を胸の前で重ね、瞼を閉じた。
心の奥に潜む恐怖を押し込め、アマハガやナハスで救った人々の顔を思い浮かべる。
この国の人々も、同じように救いたい。
その想いを魔力に変え、静かに練り上げていく。
「……く」
喉の奥から漏れた声は、自分のものとは思えないほどかすれていた。
この雨が恵みとなり、命の源になるよう。
助けを求める人へ届くよう。
願いに形を与えるように、意思を糸のように紡ぎ、細かな魔力で編み上げる。
頭の奥が焼けるように痛み、喉が乾き、肺がひりつく。
指先が冷たく痺れ、音が遠のき、世界の輪郭が溶けていった。
意識が、水底に沈むようにゆっくりと消えていく。
けれど、まだ終わりじゃない。
この国を救うには、まだ足りない。
体の奥から何かが抜け落ち、風の音も、雨の匂いも遠ざかる。
水と1つになり、意識が溶けて……。
その境界が消えかけたその時、名前を呼ぶ声が僕を引き戻した。
「クリス!」
名前を呼ぶ声が、僕をこの世界へ引き戻した。
「ラステア……」
その声と温もりに、張り詰めていた力が静かにほどけていく。
「俺の力も使って」
穏やかな声色でそう言うと、拒む間もなく彼の魔力が僕の中へ流れ込んだ。
後ろから抱きしめてくれたラステアが、僕の体に魔力を流す。
その温かさに水と同化していた体に血が戻るのを感じた。
「温かい」
「無理をするくらいなら俺を使えばいいんだ」
怒るような口調なのに、抱きしめてくれる腕は優しい。
「うん、ごめん」
謝るとラステアは頬を甘えるように摺り寄せた。
指を絡め、魔力を混ぜる。
2人の魔力が重なり、空がゆっくりと濁りながら暗く沈む。
雲が厚みを増し、遠くで雷鳴が響いた。
湿った風が頬をかすめ、雨の気配が漂ってくる。
「行け」
僕の声か、ラステアのか分からない。
同時に空気を揺らしたその命令に従い雨雲は風に乗り、国の隅々へと広がっていった。
この雨が、誰かの明日をつなぐものであってほしい。
そう祈りながら、ただ僕は空を見上げた。
稲妻が遠い空を裂き、重く鳴り響く雷の音が世界を揺らす。
それはまるで、この国が息を吹き返す音のように聞こえた。
やれることはやりきった。
そんな安堵と、何かを失ったような静けさが同時に押し寄せる。
小さく息を吐く僕の体を、ラステアが深く抱きしめて囁く。
「お疲れさまでした、クリス」
アマハガでの任務を終えるたび、彼はいつもこう言ってくれた。
その一言だけで、張り詰めていたものが音もなく溶けていく。
「……これで、よかったのかな」
思わずこぼれた言葉に、自分でもはっとする。
「クリスは何も間違えてない」
短いが、真っ直ぐで強い言葉。
その響きが心の奥深くに広がっていく。
ラステアはそれ以上何も言わず、僕を抱きしめる腕の力を少しだけ強めた。
それだけで、もう十分だった。
きっとここで何もしないを選択したら、僕は一生このことを引きずったまま生き続けた。
だから、いいんだ。
静かな時が流れ、僕は深く息を吸い込む。
湿った風が頬を撫で、空の色が少し明るく戻っていく気がした。
オアシスの水面に映る光が揺れ、波紋が穏やかに広がる。
そして僕たちの日常は、またここから始まっていくのだ。
最果ての砂漠から押し寄せる風は、砂を巻き上げ、空も地も呑み込んだ。
昼と夜の境界が消え、風と砂が壁を叩く音だけが、永遠のように響く。
時間の感覚はとうに失われ、世界そのものが怒りの息を吐いているようだった。
自然の気まぐれには抗えない。ただ、身を潜めてやり過ごすしかなかった。
7日目の朝。
ようやく風が止み、家の中に光が差し込んだ。
柔らかな日差しに照らされ、僕らはようやく嵐の終わりを確信した。
長く怯えるように寄り添っていた僕らは、慎重に外へ出た。
結界の外は砂に覆われ、向こう側がまるで見えなかった。
砂の流れ落ちる音があちこちで響く。
このオアシスも結界を張っていなければ、砂に埋もれていたに違いない。
「結界を張り替えるね」
僕がそう言うと、ラステアが顔を上げる。
「手伝おうか?」
「大丈夫。僕だけで十分だから」
片手を掲げ、魔力を結界の天井へと流し込む。
光が水のように広がって輪郭を描き、結界の外側をなぞる。
それに合わせるように砂がざざ、と音を立てて連続で流れ落ちた。
やがて光が収まり、空が顔を出す。
見上げれば、砂嵐などなかったかのような快晴。
ただ、遠い北の地平にはまだ砂煙が残っている。
南から押し寄せた嵐が、いまはゆっくりと北へ去っているのだ。
「この分だと、小さな水源や集落は……砂に埋もれてしまったかもしれないな」
ラステアが静かに呟く。
彼を追放し、疎外した者たちの国。
だが、そこにも人が生きている。
泣き、笑い、愛し、誰かを想って生きている。
「ラステア。僕は、この国の人たちを助けたい」
ラステアはその言葉を聞いて、ゆっくりと目を細めた。
「……危険だ。俺が最初にこの国へ来たときに言ったこと、覚えてるか?」
隠しきれない不安が滲んでいる。
「覚えてる。でも、それでも見過ごせない」
魔力を使えば、僕の存在がこの国に知られてしまうおそれがある。
もしも見つかってしまったら自由を失う可能性も高い。
それでも。
消えゆく命をただ見過ごすなんて、できない。
「僕の力なら、たくさんの人を救える」
止めようとする彼の視線が痛い。けれど譲れない。
静まり返った空の下、僕らは見つめ合った。
風の音が遠のき、僕の鼓動だけがはっきりと耳に響く。
「ラステア。僕はこの力を、人のために使いたい」
どんなに危険でも、力を自分だけのために握りしめていたくなかった。
救える命があるなら、救いたい。
ラステアがそっと僕を抱きしめる。
「……わかった」
短くそう言って、彼は静かに頷いた。
「ごめん。ラステアまで巻き込んでしまう」
震える声で呟くと、彼はきっぱりと首を振った。
「巻き込まないつもりなら、全力で止める。いくらでも巻き込んでくれ」
そのまま僕を強く抱きしめる。
痛いくらいだったのに、不思議と嬉しかった。
「ありがとう、ラステア」
顔を上げると、彼が静かに微笑んだ。
「共に生きる。そう約束しただろう?」
「……行きます、って言ったと思ったのに」
「俺は重い男だから」
くすっと笑う気配。抱きすくめる腕の力がさらに増す。
「あなたのそばが、俺の居場所だ。どうか離さないで」
彼がかつて誓ってくれたその言葉に、ずっと支えられてきた。
ううん、それよりもずっと前から。
僕は彼に支えられて、生きてきたんだ。
背中に腕を回し、そっと抱き返す。
どんな困難が訪れても、この温もりがあれば大丈夫。
鼓動がひとつ重なり、静かな安心が広がっていく。
どれほど時間が経っただろう。
やがて、彼の肩越しに光が差し込むのを感じる。
目を合わせ、触れるだけのキスを交わした。
「居場所がばれないように、各地に雨雲を散らして、あちこちで同時に雨を降らせてみる。そうすれば、居場所はきっと分からない……と思う」
いつか、この大切な場所に、誰かが無遠慮に踏み込んでくるかもしれない。
そんな未来を思うと、声がかすかに震えているのに気づいた。
それでも、この場所を捨てて逃げようとは思えない。
どこへ行っても苦しみや危険が待っているのなら、ラステアと過ごしたこの地で、生きていたい。
ようやく「帰る家」と呼べるようになったこの場所を、もう二度と手放したくはなかった。
それはラステアも同じだと、金色の瞳を見つめるだけで分かった。
「何年も雨のなかった地に、突然の大雨か。しかも災害の後に恵みが訪れるなんて、まるで神話のようだな」
冗談めいた口調が、張り詰めていた心を優しくほどいてくれた。
僕はそっと息をつき、自分の手のひらを見つめる。
たとえ、この先に後悔の瞬間が待っていたとしても。
それでも今は、この力を誰かのために使いたい。
両手を天へ掲げ、青く澄んだ空へ魔力を放つ。
やがて上空が暗く染まり、灰色の雲が渦を巻き始めた。
雷の気配が生まれ、乾ききった大地が、雨を待つようにかすかに震えた。
湿った風が空へと巻き上がっていく。
僕はゆっくりと手を胸の前で重ね、瞼を閉じた。
心の奥に潜む恐怖を押し込め、アマハガやナハスで救った人々の顔を思い浮かべる。
この国の人々も、同じように救いたい。
その想いを魔力に変え、静かに練り上げていく。
「……く」
喉の奥から漏れた声は、自分のものとは思えないほどかすれていた。
この雨が恵みとなり、命の源になるよう。
助けを求める人へ届くよう。
願いに形を与えるように、意思を糸のように紡ぎ、細かな魔力で編み上げる。
頭の奥が焼けるように痛み、喉が乾き、肺がひりつく。
指先が冷たく痺れ、音が遠のき、世界の輪郭が溶けていった。
意識が、水底に沈むようにゆっくりと消えていく。
けれど、まだ終わりじゃない。
この国を救うには、まだ足りない。
体の奥から何かが抜け落ち、風の音も、雨の匂いも遠ざかる。
水と1つになり、意識が溶けて……。
その境界が消えかけたその時、名前を呼ぶ声が僕を引き戻した。
「クリス!」
名前を呼ぶ声が、僕をこの世界へ引き戻した。
「ラステア……」
その声と温もりに、張り詰めていた力が静かにほどけていく。
「俺の力も使って」
穏やかな声色でそう言うと、拒む間もなく彼の魔力が僕の中へ流れ込んだ。
後ろから抱きしめてくれたラステアが、僕の体に魔力を流す。
その温かさに水と同化していた体に血が戻るのを感じた。
「温かい」
「無理をするくらいなら俺を使えばいいんだ」
怒るような口調なのに、抱きしめてくれる腕は優しい。
「うん、ごめん」
謝るとラステアは頬を甘えるように摺り寄せた。
指を絡め、魔力を混ぜる。
2人の魔力が重なり、空がゆっくりと濁りながら暗く沈む。
雲が厚みを増し、遠くで雷鳴が響いた。
湿った風が頬をかすめ、雨の気配が漂ってくる。
「行け」
僕の声か、ラステアのか分からない。
同時に空気を揺らしたその命令に従い雨雲は風に乗り、国の隅々へと広がっていった。
この雨が、誰かの明日をつなぐものであってほしい。
そう祈りながら、ただ僕は空を見上げた。
稲妻が遠い空を裂き、重く鳴り響く雷の音が世界を揺らす。
それはまるで、この国が息を吹き返す音のように聞こえた。
やれることはやりきった。
そんな安堵と、何かを失ったような静けさが同時に押し寄せる。
小さく息を吐く僕の体を、ラステアが深く抱きしめて囁く。
「お疲れさまでした、クリス」
アマハガでの任務を終えるたび、彼はいつもこう言ってくれた。
その一言だけで、張り詰めていたものが音もなく溶けていく。
「……これで、よかったのかな」
思わずこぼれた言葉に、自分でもはっとする。
「クリスは何も間違えてない」
短いが、真っ直ぐで強い言葉。
その響きが心の奥深くに広がっていく。
ラステアはそれ以上何も言わず、僕を抱きしめる腕の力を少しだけ強めた。
それだけで、もう十分だった。
きっとここで何もしないを選択したら、僕は一生このことを引きずったまま生き続けた。
だから、いいんだ。
静かな時が流れ、僕は深く息を吸い込む。
湿った風が頬を撫で、空の色が少し明るく戻っていく気がした。
オアシスの水面に映る光が揺れ、波紋が穏やかに広がる。
そして僕たちの日常は、またここから始まっていくのだ。
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