アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

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17話 恵みの雨のその後に……<グレイドル・アマハガでは>

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<グレイドル王宮にて>


 観測官の一人が息を呑んだ。
 王宮の魔力計測陣が、突如として強い水属性の反応を示したのだ。

 直後、空が裂けたように雨が降り始める。

「な、何が起きている……!?」
 観測庁の室内は騒然となった。計器の針が跳ね上がり、観測師たちは次々と魔力の変動を記録していく。

 

 時は、歴史的大災害〈大砂嵐〉の直後だった。
 グレイドル全土は混乱の中にあり、王都こそ辛うじて被害を免れたものの、各地の街や水源は砂に埋まり、生き埋めになった人々の救出さえままならない。
 資源も人員も底を突き、このままでは国が滅ぶ。誰もがそう思った。

 

 だが、砂嵐が収束するのとほぼ同時に、黒雲が空を覆った。
 あり得ないほど大量の雨が降り注ぎ、積もった砂を洗い流し、埋まってしまった人を掘り起こし、水源を蘇らせる。
 まるで意思を持っているかのようなそれは、ただの天の恵みの一言で片づけていいものではなかった。

 雨は導かれるように国を巡り、救うべき地にだけ降り注いだ。
 まるで、この災厄の行く末を知っていたかのように。

 大砂嵐が去った1カ月の間に、王宮へそれを証明するかのような報告が大量に集まった。

「陛下、これは人為的に起こされた奇跡だと推測します」
 報告を受けた大臣が資料を片手に熱弁する。

 大砂嵐が収まった直後にあった強すぎる水属性魔法の痕跡。
 そこから推測されるのは、雨は神の恵みではなく、誰かの『意志』によって起こされた奇跡だったということだ。
 国滅びの運命を、たった1日で塗り替えた英雄がどこかにいる。

 

 報告を受けた金髪金目の王オルドランは即座に立ち上がる。
「詳細を追え。直属の調査団を編成し、ただちに『奇跡を起こした者』の行方を捜せ」
 その言葉と同時に、王宮中の魔導士たちが動き出した。
 静まり返っていた夜が、再びざわめきと緊迫に染まっていった。

 

 慌ただしい足音が響く王宮の1室で、1人の男がゆっくりとベッドから身を起こした。

 赤髪に金の瞳。浅黒い肌を持つその男は、だるそうにあくびをしながらぼそりと呟く。
「……なんだ、騒がしいな」

 リダオン第9王弟。王家の中でも、政治から遠ざかり、気ままな生活を送る異端の男である。
「そこのお前、聞いてこい」
 部屋に立っていた下男を適当に指差すと、慌てて部屋を飛び出して廊下を走っていた文官を無理やり連れてきた。
「お前、王宮がうるさい理由を知っているか?」
 文官は面倒そうな表情を隠さなかった
 政治に興味や関心がなく、余計なトラブルばかりを引き起こすリダオンは、王宮内でも持て余されていた。
 相手は王族だと理解しているが、敬意を示すような人物ではない。
 そういう扱いをされてもリダオンは気にした様子もない。
 ゆったりとベッドに乱れた姿で座ったまま、文官へ早く言えと促すと早口で要点だけを話した。
「あの大雨が、人為的に引き起こされた可能性があるそうです」
「……なんだと?」

 それを聞いたリダオンの瞳に炎が宿る。

 砂嵐が国を壊滅寸前まで追い込み、誰もが絶望していた矢先、現れた救いの雨。
 民は皆、神の恵みに救われたと歓喜している。
 『奇跡』がもし人の手によるものなら、それはとてつもない存在だ。

「そうか……、あの雨を……」
 言葉から笑いが滲む。リダオンは頬が緩むのを止められない。

「その人物は王宮へ丁重に迎えねばならんな」

 王族特有の思い上がりと好奇心が混ざった笑みを浮かべながら、彼は立ち上がる。
「出るぞ。支度をしろ。共をする者を選んで連れてこい」
 リダオンの言葉に使用人たちがバタバタと動き出す。

 着替えをさせながら、久しぶりに生気の宿る笑みを浮かべる。
「もし女ならば、我が血を交わそう。男であってもいい。水の魔力を継ぐヴェルンが生まれる」
 欲望とも野心ともつかぬ笑みが、ゆっくりと口元に広がった。

「いいぞ、ついにグレイドルにも水の魔力を持つヴェルンが誕生する!」

 立ち上がり、叫んで高笑いを始めた。

 その声には、興味と欲望、そして純粋な確信が混ざっていた。


「すぐに探せ。俺が迎えに行く」

 リダオンの瞳が光る。
 怠惰な王子の仮面の裏から、本能に忠実な獣のような狡猾さがのぞいた。





<第1王子アレン視点>


 一方、アマハガでは。

 グレイドルで起きた未曽有の大災害のあと、国を潤した奇跡の雨から2カ月が経っていた。
 自国ではないとはいえ、国が滅ぶほどの災害から救われたことをアマハガでも喜ばれた。
 だが、その雨が「人の手によって」もたらされたという報が入ってきた。
「これは本当なのか?」
「はい。間違いないとのことです。アレン殿下」
 その報告に私の脳裏には1人の人物が浮かび上がった。


「……クリス殿」

 私はそのような奇跡を起こせる人物を、1人しか知らない。
 まさか、彼が、グレイドルに?

 第1王子として王の代理として仕事をして2年が経った。

 本来は弟を側近に据え、2人で国を盛り立てていくつもりだった。
 けれどあの愚かな弟は、改心することはなく、最悪の結末を迎えた。

 愚弟の犯した不始末は、まだ肝心なことに決着がついていない。
 一番被害を受けた元婚約者のクリス殿は依然行方不明なまま。
 捜索は未だ進展をみせていない。
 どれほど国内を探してもクリス殿の消息はつかめない。
 目撃証言もなく、ラーカイル家にも戻っておらず、所在は完全に途絶えていた。

 そして彼の実家を調べるうちに、信じがたい事実が明らかになる。
 子爵代理を名乗った叔父夫婦が、ラーカイル家の資産を喰い潰していたのだ。
 彼らは失踪した当主の心配よりも、自身の地位の保全に奔走していた。

「……頭が痛い」

 私はこめかみを押さえ、ため息をついた。
 ラカルドは定期的にラーカイル家を訪れていたはずだ。
 それなのに何も気づかないまま、何の報告もなかった。
 いったい婚約者として何を見ていたのか。

「いや、あいつには見えていなかったのだろうな……」

 愚弟の無理解が、今さらながら重くのしかかる。
 実家に彼の居場所はなく、婚約を破棄されたクリス殿をこの国に縛りつける理由など、もう存在しない。

「はぁ……」

 クリス殿がいるだけで、水は穏やかだった。
 彼の魔力が、アマハガを包む見えぬ加護だったのだ。
 いなくなって初めて、その静かな恩寵に気づかされる。

 それは顕著で、彼がいなくなった途端あちこちで水害や干ばつが起きるようになっていた。

 その上、他国で起きた災害を鎮めることで、幾度となく国同士の争いをも防いでくださった。
 たった1人で、国と国の均衡を保ってくれた。

「はぁ~……」
 グレイドルだけは、クリス殿を送ったら一生返してもらえないと思い、要請を突っぱねてはいたが……。



「迎えに行かねば」

 彼の居場所を、誇りを、取り戻すために。
 愚弟の非礼を詫び、正当な継承者としての権利を返すべきだ。

 すでにラーカイル領は王家の管轄下に置かれ、叔父夫妻は拘束された。
 クリス殿へ資産と地位を返還する準備が整いつつある。

 何も持たずあの方は出て行った。
 きっと今頃不自由な生活をしているだろう。
 それなのに自分の存在が知られることを覚悟で国を救った。

 あの方はどこまでも崇高で、優しい。

「はぁ……」
 クリス殿を思うとため息が勝手に零れ落ちる。

「父上も母上も、あの方の寛容さに甘えすぎた……」

 思えば、全ての始まりは強引な婚約だった。
 身勝手なラカルドをどうにか立て直そうと、ラーカイル家の反対を押し切ってまで結ばせた。
 アクアヴェルンをこの国に留めたい。
 そんな思惑をもってラカルドをクリス殿へ押し付けた。

 クリス殿はラカルドを愛そうとしてくださった。
 どれほど冷遇されても、彼はいつも静かに笑っていた。

 そして、私も……。

 クリス殿はいつだって穏やかに微笑んでいたから。
 その笑顔に甘えてしまっていた……。




「クリス殿……」
 最初に出会った日の光景が鮮明に蘇った。
 王族主催の華やかな茶会で、転んで服を汚した幼い子息が周囲の者から冷ややかな視線を浴びていた。
 身分の低さゆえか、ひそひそと眉をひそめる声も聞こえる。そんな人々の中で、クリス殿はためらうことなくいち早く駆け寄り、にこやかな微笑みを向けた。

 彼の動きは優雅で、決して作為的でなく、自然と周囲の空気を柔らげる力を持っていた。
 汚れた服に手をかけるその所作には、細やかな気遣いと優しさに満ちていた。

 静かに放たれた水の魔法は、その場を包み込むように滑らかで美しく、服の汚れは跡形もなく消えていった。
 会場のざわめきは一瞬で静まり返り、人々は誰もが息を呑んでその魔法に見惚れた。

 思えば私はもうその時クリス殿に惹かれていたのだろう。

 話すと穏やかで、思慮深く、思いやりに満ちていた。
 次期王としての重圧を抱えていた私に、初めて気づいてくれた。
 彼と過ごしたわずかな時間が、深く胸に刻まれている。

 共に過ごす時間はいつだって温かくて優しかった。


 ……もし私に婚約者がいなければ。

 クリス殿が同じ年であれば……。

 私が彼を誰より幸せにしたのに。

 けれどそんな気持ちを口に出すことはしない。

 何度ラカルドの立場を羨み恨んだかわからない。


 私には生まれたときから婚約者がいる。
 1歳違いの公爵令嬢。
 良き理解者であり、戦友でもあるものの、互いに恋心はない。
 彼女と結ばれるのが、王子としての義務で、それを受け入れているし不満はない。
 それが、私の選んだ道なのだ。

 この胸に秘めた想いは、伝えることもなく、墓の中まで持ち続けるだろう。

 私が彼に寄り添うことは許されない。

 だから……。

「……せめて、幸せでいてくれ」

 その祈りだけは、今も変わらない。

 私は椅子から静かに立ち上がった。

「誰か、グレイドルに使いを出せ」

 その声は静かだった。けれど、その奥に燃えるような熱があった。

「……もう他人には任せない。私が行く」


 願うのはただ一つ。
 クリス殿が、幸せでいること。
 もしその場所を、私が作れるのなら……。

 グレイドルへの出立準備が始まった。



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