アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

中洲める

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19話 血の責務

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 今日もオアシスの脇で剣を打ち合う。
 天気は快晴で、雲1つない。

 僕は稽古で疲れた体を砂の上に横たえて息を整えていた。

「はぁ、はぁ……」
 青い空を見ていると、そこに1つの黒い点を見つける。

「ねぇ、ラステア」
「どうした?」
「あれさ、鳥? 鷹っぽいね。珍しい」

 僕が指さした先を、ラステアが静かに見上げる。
「……鷹?」

 このオアシスは人の目には映らない。だが、動物には見えるし、越えてくることもある。
 ただ水を飲みに来たのだろう。最初はそう思った。

 けれどその鷹を見てラステアが肩を強張らせたのが見えた。

 彼の上場に走った緊張が、僕へ感染するように不安が広がる。

「ラステア?」
 呼びかけた瞬間、彼は僕を抱き上げ、砂を蹴った。

「ど、どうしたの!?」
「クリス、一刻も早くここを離れよう。あれは……!」

 息が荒くなる。胸が早鐘のように早い。
 家に駆け込もうとした、その時。

 ピシッという乾いた音と共に、空に亀裂が走った。

「……なんで、結界が……割れる!?」

 強固なものではないが、僕の魔力で築いた結界だ。
 それが、こんなに簡単に割られてしまうなんて。


 嫌な予感が形になっていく。
「くそ、向こうも魔法で姿を隠していたのか」
 ラステアが唇を噛む。悔しげに吐いた息が熱を帯びていた。

 もう、見つかっていたのだ。
 ずっと前から。

 来るべき時が来たのだと、心のどこかで悟った。

 やがて、輿が騎士たちを押しのけるように近づいてくる。
 そこに立つ男の姿を見た瞬間、息が詰まった。

 露出の多い衣をまとい、赤い髪が陽光を反射して揺れている。
 金の瞳。浅黒い肌。
 そして、どこかステアに似ていた。

「迎えに来てやったぞ」
 輿の上の男が立ち上がり、僕たちをゆっくりと見回す。
「我はグランドル国第9王弟、リダオン。救国の英雄殿を迎えに来た」

 その声音は丁寧だったが、傲慢さを隠そうともしない。

 支配者の、顔。

「さあ、どちらが英雄殿かな? どちらも魔力が高いが……」

 男の金の瞳が、獲物を値踏みするように僕とラステアの間をゆっくり往復する。
 喉の奥で笑ったかと思うと、その視線がラステアで止まった。

「お前、王族の血を引く者か」
「……!」
「なるほど。では、英雄殿はそちらだな」

 嗜虐を含んだ笑みを浮かべながら、リダオンは舌なめずりするように僕へ視線を移す。
 その目に宿るのは強者の余裕と、他者を所有物としか見ない冷たい光。
 僕を庇うように、ラステアが一歩前へ出た。剣を抜き、鋭く構える。
 いつも見て来たどんな時でも頼もしい大きな背中。

 だがリダオンはそんな姿など目にも入れず、僕の全身を這うように見つめる。

「悪くない。我と契る栄誉を与えよう」

 軽く放たれたその言葉に、空気が一瞬凍りつく。
 ラステアの体から、刃のような殺気が立ち上った。

「ふざけるな!」
「なぜだ?」
 リダオンは肩をすくめ、まるで子供の我儘をたしなめるように笑う。
「王族と交われるなど、誉れだろう?」

 その笑みの奥に透ける、絶対的な支配者の意識。
 望めば全て手に入ると疑いもしない男の目。

 ラステアの母の話が脳裏をかすめる。


「その方、王族の血を引くなら分かるだろう。水の魔力は貴重だ。王家で囲い、守らねばならぬ」
「本人の意思を無視してか!」
「意思?」
 リダオンは声を立てて笑った。
「英雄殿とて、我と交われるのは嬉しかろう?」

 リダオンが笑う声だけが空気を震わせた。
 その響きに、背筋が粟立つ。
 断られることを想定していない。拒絶さえも自分の思い通りになると信じきっている。

「嫌ですが?」

 言葉が勝手に口をついて出た。自分でも驚くほど声が震えていなかった。

「……嫌と、申したのか?」
 リダオンの唇がわずかに歪む。
「嫌ですね」
 断言すると、男は一拍置いてから、低くくつくつと笑い始めた。

「ああ、思い出すな。昔、そんな風にきっぱりと俺の誘いを断った女が一人だけいた」
 笑いの奥に、酷薄な記憶の色が滲む。
「もっとも、断りなど許さなかったがな。その女……確か、黒髪だったか」

 嫌な予感が、全身を這い上がる。
 リダオンの視線がラステアを刺す。

「そういえば、王族の目を継ぎながら魔力を持たぬ無能がいたな。お前か?」
「……」
「だが今、その身から立ちのぼるのは王の魔力そのもの。なるほど、血は裏切らぬというわけだ」
 ゆっくりと笑いを深める。
「再び王族として迎えてやろう。そうすれば、その隣の英雄殿もついてくるのだろう?」

「ふざけるな……!」

 ラステアの怒気が爆ぜた。

 空気が震え、僕の肌が泡立つほどに魔力が揺らぐ。
 その怒りは、恐怖の裏返しではなく、僕を奪われる怒り。
 父への拒絶だった。
「お前のせいで、母さんは!」
「貴様が我の優秀な魔力を継いで生まれなかったのが悪いのだろう?」
「!?」
 ラステアの怒りなど物ともしない。

「出来損ないめ」
「ラステアは出来損ないなんかじゃない、取り消せ!」
「これは英雄殿、威勢がいい。嫌いじゃないぞ? 組み伏せる時が楽しみだ」
 ラステアと同じ金色の瞳なのに、見つめられるだけで怖気が走る。
「させるわけないだろ!!」
 僕とラステアの魔力が高まって行く。

 それに気付いているはずなのに、リダオンは眉1つ動かさない。

「水の魔力を持つ者は王家の資産として召し抱える決まりだ」
「そんな決まり知るか! クリスは物じゃない!」
 ラステアの叫びが乾いた空気を裂く。
 リダオンは、つまらなそうに目を細めた。

「抗うならば、力づくで貰っていく。行け」

 面倒くさそうに手を振って命令すると同時に、騎馬たちが一斉に動き出した。
 砂地に適応するように交配された2つのコブを持った軍馬が、砂煙を巻き上げ襲い掛かってきた。



「クリス」
「うん、やるよ!」

 返事と同時に、砂を踏み切る音が響く。
 燃え立つような魔力のうねりの中、騎士の放った炎の塊を、ラステアはまるで風を断つように剣で裂いた。
 剣閃が空気を裂く音とともに炎が霧散し、反動の熱が頬を刺す。
 僕はその一瞬の隙を見逃さず、水の魔力を掌に凝縮し、一気に放つ。

「動けっ!」
 地面から噴き上がった水が砂馬たちの脚を絡め取り、砂ごと固めた。
 蒸気が立ち上り、熱気の中で水が光を反射する。その光の向こうでラステアが次々と騎士を薙ぎ倒していく。

「いい、いいぞ。その水の力、欲しい!」

 リダオンの声が響いた。興奮と狂気が混ざるその声音に、背筋が冷たくなる。
 笑いながらゆっくりと手を広げる彼の姿は、まるで新しい獲物を楽しむ猛獣のようだった。

「そんなに欲しけりゃ……いくらでも飲め」
 ラステアが唇の端を上げ、リダオンの顔に水の球を生み出す。
 球は瞬く間に閉じ、彼の口と鼻を覆い、強烈な水圧で閉じ込める。

「リダオン様!」
 騎士が慌てて駆け寄るが、僕が作った水の壁に阻まれる。
 強引に突破しようと手を入れると壁の中へ飲み込まれて行った。

 水の中でもがくリダオン。そして騎士たち。空気を奪われたその顔が苦痛に歪む。
 ラステアの瞳には一切の情けがない。

「……こんなクズに目をつけられたせいで、母さんは……」

 掠れた声。怒りと悲しみが混ざり合い、胸を刺す。
 その言葉に、リダオンの眼がかっと見開かれた。金の瞳に再び炎が宿る。
 水球が爆ぜ、灼熱の熱風があたりを飲み込み僕の作った水壁ごと消え去った。

「はぁ、はぁ。中々の魔力だな……我が息子よ」
 笑いながら、リダオンは濡れた髪をかき上げた。
 その笑みには、親という言葉を口にする資格すら感じない冷ややかさがあった。

「貴様の息子などではない!」
 ラステアの怒声が砂原に響く。
「我がお前の母と交わったから生まれたのであろう?」

 その言葉の1つ1つが、毒のように胸を刺す。
 リダオンは相変わらず尊大な態度を崩さず、傲慢に続けた。

「王族に生まれたからには、その責務を果たせ」
「俺は王族じゃない。クリスの護衛騎士で、伴侶だ!」
「ほう……くだらぬ執着だな。ならば貴様はいらん。英雄殿だけあればよい」

 その瞬間、掌から炎が噴き上がる。
 迸る熱と光。赤金の竜巻が立ち上がり、天を貫いた。

「これが王家の力だ。水など、すべて蒸発する!」

「クリス、下がれ!」
 ラステアが叫び、僕を背に庇って前へ出る。
 全身に魔力が巡り、青い光が走る。だが、リダオンの炎はそれを上回る勢いで押し寄せてきた。

 轟音。砂が爆ぜ、空気が焼け、熱風が包み込む。
 息ができない。視界が白赤に染まり、僕はラステアの体に抱かれて吹き飛ばされていた。

「ラステア!」
 砂の上に転げながら、その名を叫ぶ。
「大丈夫、この程度なら問題ない」
 そう言う彼の腕は焦げ、皮膚がめくれて生々しい肉が見えていた。焦げた匂いが喉を刺す。

「僕の……せいだ」
「違う」
 ラステアは短く遮り、血に濡れた手で剣を拾い直す。
 その目に浮かぶのはただ1つ、僕を守るという意志だった。

「いい眺めだな。力ない者が足掻く姿ほど滑稽なものはない!」
 リダオンの周囲に炎が渦巻き、瞬く間に竜の姿を取る。
 3体の炎竜が咆哮し、熱と風の渦があたりを薙ぎ払った。
 砂が浮かび、光が歪み、息をするたび喉が焼ける。

 ラステアが僕の前に立ち、剣を構える。
 その背中が、揺らめく炎の中で光を放つように見えた。
 傷だらけでも、立ち向かう姿勢には一片の迷いもない。
 僕は水の結界をラステアの体へ纏わせる。


「クリスは、絶対渡さない!」
 声が風を切る。
 剣先に青い光が灯り、水の波紋が剣身を走る。
 ラステアが地を蹴ると同時に、剣が空を裂き、炎竜の首を断った。
 1体、2体、斬り伏せた最後の竜へ剣を振り下ろした瞬間、炎竜が突然裂け、再び3つの影となって襲いかかる。
 防ぎきれない。
「ラステアァァァ!」
 僕の心の奥で何かが弾けた。





 ラステアの足元から冷水が噴き上がった。
 意識するより早く、魔力が形を取り、円形の盾となってラステアを包む。
 炎がぶつかる。水蒸気が轟き、白い閃光が視界を埋め尽くした。

「なんという力だ、欲しいぞ。英雄殿」
「お前の思い通りなど絶対にさせない!」
「あなたのものになどならない!」

 ラステアと同時に叫んだ。

 オアシスが震え、無数の水柱が天空へ舞い上がり、螺旋を描いて巨大な盾となった。
 リダオンの炎竜の爪がそれを叩くたび、爆音が響き、熱と冷気が衝突し、砂が空へ吹き上がる。
 ラステアの剣が炎を切り裂き、僕の盾がその軌跡を守る。僕らの呼吸がぴたりと重なった。

 けれど、じわじわと押されていくのがわかる。
「属性では僕たちが有利だけど、僕の魔法は戦闘向きじゃない。不利すぎる」
「奴は戦いのためだけに魔法を鍛えている。しかも魔力量が異常だ。クリスと同等か、それ以上なんて……あり得るのか?」

 ラステアが歯を食いしばり、汗を飛ばしながら剣を握り直す。
 僕は荒い息を整えつつ、焦げた風の中で周囲を見渡した。

 リダオンの背後では、倒れた騎士たちの体から赤黒い靄が立ち上り、渦を巻くように彼のもとへ吸い込まれていく。
 まるで命そのものを喰らうような魔力の流れ。
 理解した瞬間、全身が冷えた。

 あれが、あいつの強さの源……。

 胸の奥から込み上げる吐き気を押さえきれない。
 守るべき民を、自分の力を保つための燃料にするなんて。
 そんな人間に、王を名乗る資格なんてあるはずがない。

「おや? 我が少々強すぎるようだな」
 嘲笑うかのようにリダオンは魔力を強めていく。

 水の盾がきしみ、霧のように薄くなる。
 もう少しで破られてしまう。
 ラステアも肩で息をして、血がしたたり落ちる手は剣を握っているので精一杯。
 限界が、近い。

 全ての魔力を注げば、勝てるだろう。
 でも、その代償に、砂の国全土の水脈を枯らしてしまう。
 この国の命を奪うわけにはいかない。

 視界が揺らぎ、意識が遠のく。
 魔力が抜けて体が寒くなる。

「クリス!」
 ラステアの叫びが耳に届く。
 崩れかけた水盾の向こうで、炎竜が咆哮し、巨大な炎の刃を生み出した。

 それが盾を破るのが見える。

 避けられない。

 そう思うより早く、ラステアが僕を抱き寄せた。
 熱風が迫り、砂が舞う。世界が赤く染まる。

「クリス」
 焦げた匂いが漂う空気の中で、ラステアが僕を見下ろす。
 その微笑みが穏やかで、痛いほどに優しかった。
「一緒なら、怖くない」
「……うん」

 言葉が重なり、視線が絡む。
 唇が触れ、全ての音が消えた。
 炎の轟きも、熱の唸りもただ遠くで揺れているように感じた。

 死の気配が目前まで迫る。
 焼ける風が頬を裂き、光が視界を白く染めた。

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