アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

中洲める

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20話 終幕・愛しい雨

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 熱と光に包まれ、僕らの中で何かが弾けた。
 心の奥で張りつめていた糸がぷつりと切れ、その瞬間、あたたかな奔流が体の奥からあふれ出していく。
 痛みでも苦しみでもない。ただ、すべてが愛おしく溶けていくような感覚だった。

「クリス」
「ラステア……」

 互いの名を呼んだその刹那、僕らの間にひと筋の光が生まれた。
 それは青でも白でもない、澄み渡る命の輝き。
 鼓動に合わせるように光が震え、やがて天へと舞い上がっていく。

 空から降り注いだのは、優しい雨だった。
 焼けた砂を濡らし、乾いた大地を冷ます。
 立ちのぼる水蒸気が視界をぼかし、焦げついた空気を洗っていく。

 冷たいはずの雨なのに、そのぬくもりは、記憶の中の両親の腕のように懐かしかった。
 包まれるような穏やかな安らぎ。
 頬を伝う雫が、涙なのか雨なのか、もうわからない。
 やがて虹が空に架かり、世界が、新しい命の誕生を祝っているように見えた。

 舞い降りてきた光が、ゆっくりと僕の腕の中へと戻る。
 抱きかかえると、その小さな光は柔らかに脈を打ち、僕の心臓の鼓動と重なった。

「……温かい」
 そのぬくもりをラステアにも感じてほしくて、彼に寄り添う。
 ラステアは泣き出しそうな顔で、それでも穏やかに微笑んだ。
「なんだろう……とても、愛しい」
「うん……」
 短く返す声が震えた。伝えたい思いが多すぎて、言葉が追いつかない。
 ラステアの指先がそっと僕の背中に触れた。
 ふたりの心音が重なり、ようやく穏やかさを取り戻していく。

 そのとき、腕の中の光が小さく揺らめいた。まるで囁くように。

     すぐ、また会えるよ。

 その声を幻ではなく、目頭が熱くなる。
 涙が頬を伝い、顔を見合わせ寄り添った。

 この光は、やがて僕らの子として生まれてくる命だ。

「助けてくれたのか……?」
 ラステアの声は震えていた。
 光はそれに応えるかのように、ひときわ強く瞬いた。

 僕らはそれを守るように、互いの腕を強く回した。
 自分の命よりも、この小さな光を守りたい。
 そんな思いが、言葉を超えて心の奥に刻まれていく。

 この子に、必ず会いたい。
 この命に出会う未来へ、必ず辿り着く。
 それが、今この瞬間に託された願いだ。

「必ず、会いに行く」
「待っていて」

 光をそっと抱きしめた。
 柔らかな輝きがふわりと広がり、まるで応えるように僕らを包み込む。
 光は拍動するように淡く瞬き、温かな流れとなって僕らの身体へと溶けていった。

 燃えるような力が血管を駆けめぐり、全身を満たしていく。
 けれどその熱は、ただの魔力ではなかった。
 命を繋ぐ意志。
 この子が残してくれた、新しい未来への道筋だ。

 ラステアに視線を向ける。
 彼の瞳もまた同じ光を宿し、淡い金の輝きに染まっていた。
 その眼差しは、覚悟と優しさを宿しながらまっすぐに僕を見返す。
 言葉はいらなかった。呼吸が自然に重なり、心音がひとつになる。

 僕らは、未来を守るために立ち上がった。





「どうした……なぜ、我の炎が消える!?」

 視線の先。
 リダオンは雨に濡れた掌をかざし、必死に炎を呼び戻そうとしていた。
 だが、掌にはもう種火すら戻らない。指先から力が抜け、焦燥だけが滲み出ている。

「正面から相手をする必要なんてなかったんだ」
 ラステアが静かに呟く。その横顔には、もう恐れも怒りもない。
「……あの子が、教えてくれた」
 僕は頷く。胸の奥で灯が揺れる。
「炎の源を断ってしまえばいい」

 あの子の雨はリダオンの体の中で魔力を抑えている。
 だったら……。

 僕らは同時に手をかざした。
 雨音が遠のき、無数の水球がリダオンを囲む。
 水球が弾けるたびに淡い光が走り、空気が震える。

「な、なんだ……これは!?」

 水が降り注ぎ彼の身体を打つ。
 それはただ濡らすのではなく、深く染み込むように、彼の内へ入り込んでいった。
 砂が水を吸うように、静かで抗えない力だった。

「やめろっ……やめろおお!」
 絶叫が空へ消える。
 残っていた炎が、ひとつ、またひとつと淡く消えていく。

「俺の力が……消えていくっ! 戻れ、戻れえぇ!!」

 リダオンは必死に両腕を広げ、兵士たちから魔力を吸おうとする。
 だが、もう何も起きない。
 代わりに彼らを縛っていた呪縛がそっと解け、騎士たちはひとり、またひとりとその場に膝をつく。

 空へ昇る光の糸。
 雨がそれを受け止め、再び地上へと返す。
 頬を濡らす水は涙のようで、長く失われていた安らぎの証に思えた。

 ラステアが一歩前に出る。声は低く、しかし揺るぎない。

「お前の魔力は封じた。もう、炎は戻らない」
「……な、何を、した……」
「お前の体にある炎の魔力を僕らの水で消した」

 リダオンは呆然とその場に立ち尽くす。
 炎帝の象徴だった炎の揺らめきのような魔力が儚く立ちのぼり、やがて消えていった。
 残されたのは雨音と、虚ろな笑いだけだった。

「お前は、水から逃れられない」
 僕から出たその声は怒りでも嘲りでもなく、ただ事実を告げる響きだった。

「大砂嵐のあと、グランドルの水脈には僕の魔力が混ざっていた。お前はその水を飲み、食事で体に取り込んだ。その魔力がいま、お前の炎を蝕んでいる」

 リダオンの瞳が大きく揺れる。自分の体内から崩れていく感覚に、理解が追いつかない。

「恩恵を受けながら、それを仇で返す。それがどれほど愚かなことか、わかるか」
 ラステアの言葉は淡々としていたが、の奥にあるのは失望と、わずかな哀れみだった。

 雨が一滴、リダオンの頬を伝う。もはやそれが涙なのかも分からない。

「お前が欲した水の魔力。存分に味わえ」

 その一言には、終焉の宣告と同時に、彼の行いに対する静かな告解が滲んでいた。


 リダオンの体の奥で炎がしずかに消えていく。
 力でねじ伏せる必要などなかった。
 内側から消せば、それで終わる。
 その理を、僕らに教えてくれたのは、あの光。
 僕らの子だった。

 空を見上げると、雲の切れ間から朝陽が差し込む。
 冷たい雨に、ほんの少しのぬくもりが混ざった。


「く、くそ……我は、炎帝ぞ! この我が……!」

 その声は、力を失った風のように虚しく散っていった。
 もはや彼の手にも、燃やすものは残っていない。

 かつて全てを焼き尽くした炎が、いまは雨に打たれ、音もなく消える。
 その光景に、哀れさと静かな慈悲が同時に交錯した。

 ラステアがひとつ息を吐く。
「俺たちの前から消えろ」
「さようなら」

 僕とラステアの声が重なる。
 水柱が天に昇り、砂を震わせてリダオンを包み込む。

 砂が沈み始め、彼の足を絡め取る。
 砂馬も、騎士たちも、すべてがその渦へと飲まれていく。
「やめろ……我はグレイドル第9王弟、リダオンぞ……!」
 それが彼の最後の声だった。
 渦を巻く流砂が彼を飲み込み、燃えるような赤髪がかすかに見えたかと思うと、それもすぐに消えた。

 ようやく、風だけが残る。
 雨はやみ、空の匂いが変わった。

「終わったな……」
 ラステアが小さく息を吐く。
 その声には、戦い抜いた痛みよりも、失わずに済んだ安堵がにじんでいた。

「うん。あの子が、守ってくれた」
 小さな鼓動が確かに響く。
 弱くても、確かな命の音。
 それが生きているという証として、僕らの中で静かに息づいていた。

 ラステアが手を伸ばし、僕の指をぎゅっと握りしめる。
 その温もりが、心の底まで届く。
 もう失いたくない。もう二度と離さない。


 見上げた空には、一筋の虹が架かっていた。
 風が砂を払い、淡い陽光が地を照らす。
 雨の香りが薄れ、澄んだ空気に未来の気配が満ちていく。

 僕たちは、生きる場所を取り戻した。


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