アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

中洲める

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エピローグ2 22話 そして未来へ

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 温かい風の中に、新緑の匂いが混じっていた。
 庭には花が咲き誇り、噴水の水は陽の光を受けて輝いている。

 僕らは、長かった旅と戦いをすべて終えて、ようやくラーカイル領へ戻ってきた。
 懐かしい人たちが並び、出迎えてくれている。

「クリス様、お帰りなさいませ」
「ミラス、ただいま」
「大きくなられましたな」
「ずっと帰れなくて、ごめん」
「いいえ。クリス様の働きは、この領地の誇りでございました」

 長く仕えてくれた家令のミラス。
 記憶にある髪は濃いブラウンだったが、いまは白が混じっている。
 アッシュの瞳は昔と変わらない優しい色を湛えている。
 彼がこの領地を長年守り続けてくれていたのだと思うと、いくら感謝しても足りない。
「ラステアも」
「……ただいま」
 ミラスはラステアにとって、父のような存在だった。
 幼い頃から作法も立ち居振る舞いも、すべて彼に教わってきた。


「本当に、よく帰ってきてくださいました」
「……はい」

 そんな短いやり取りにはお互いを思いやる色が見えて、自然と笑みがこぼれる。

 この屋敷も、庭も、見慣れた石畳の小道も。まるでゆっくりと僕らを待っていてくれたみたいに何も変わっていない。

 屋敷の中をラステアと2人で歩く。
 敷き詰められた絨毯の感触や、窓から差し込む光の角度に、幼いころの記憶が次々と蘇ってくる。
 ラステアとここで暮らしたのはほんの1年にも満たなかったけれど、それでもこの場所は僕らにとって『始まり』だった。

「懐かしいね……」
「ええ、とても」
 ラステアがわずかに目を細めながら答える。

 彼のその表情を見ると、王都で過ごした日々の喧騒も、争いも、すべてが遠く感じられた。
 あの頃、もし叔父夫婦がこの屋敷に手を出していたら、きっと僕は許せなかっただろう。
 王都のタウンハウスに固執してくれていてよかった。
 この場所が無事であることに、ただ感謝しかない。

 僕らは屋敷の中をぐるりと回った後、外へ出てのんびり領地の端まで歩いた。
 領地を一望できる丘の上に、墓地がある。
 そこにはラステアの母の墓と、僕の両親の墓が並んでいた。
 静かにこれまでのことを報告する。

「やっぱり……ラーカイル領は、落ち着くね」
「ええ。俺にとっても、ここは故郷なんです」

 丘の上から見下ろすラーカイル領は、昔と同じで美しかった。
 風が吹くたび、草木が波のように揺れる。
 強くなった風から庇うように、ラステアが僕の腰にそっと腕を回した。

「クリスと出会って、初めて『帰りたい』と思える場所ができたんです」

 ラステアの結った髪が懐かしい形で風になびく。
 かつて、まだ互いの距離が遠かった頃、この丘の上で見た彼の後ろ姿をふと思い出す。

 あの頃はまだ、彼を兄のように思っていた。
 けれど、今は……。

「こんなふうに名前を呼んで、触れられるようになるなんて……」
 ラステアが少し笑って僕の手を握る。
「昔の俺に言っても信じなかったと思います」
 あの頃から俺はあなたが好きでした。

 微笑む笑顔に胸が高鳴った。
 そんなに前から、僕を好きでいてくれたんだ。
「全然気づかなかったよ……」
「気づかなくてよかったんです。あなたはあの時もう第2王子の婚約者でしたから」
 けれど、とつなぐ手の力が強くなる。
「もう誰にも渡しません」

 彼はアマハガ国で正式に爵位を授与された。
 一代限りの騎士爵位だけれど、それでも僕と結婚するために必要な地位を得た。

 正式な届け出を終え、彼はもう『ラステア・ラーカイル』になった。
 僕らを引き裂くものはもう何もない。
 ずっと一緒に生きると、言葉ではなくその存在で示してくれたのだ。

 静かな風の音だけが流れる中、ラステアが僕の方へ向き直る。
 その瞳は驚くほどまっすぐで、迷いがない。

「クリス。愛しています」
 まるで初めて言うみたいに、真剣な声だった。
「一生、あなたと共に生きていきます」


 彼の手が触れる場所があたたかい。
 返す言葉が自然にこぼれる。

「うん。僕も、ラステアと一緒に生きたい」

 その答えに、ラステアが微かに微笑む。
 風が僕たちの髪を撫で、花の香りを運んでいった。
 痛みも、悲しみも、喜びも。
 すべてが、この幸せに繋がるために存在していた。

 そんな風に思える。

 穏やかで、静かな未来が、きっとこの先に待っていると信じられる。


「帰ろう、ラステア」
「はい、クリス」
 暗くなってきた道を、ふたりで手を繋いだままゆっくりと歩いた。

「グードたちは元気にやってるかな」
「賢いやつだからきっと大丈夫でしょう」
「そうだね」


 砂漠のオアシスにはグードたちが残り、暮らしている。

 一応ついてくるかと聞いてみたが、彼らは静かに、自分たちの暮らしていた小屋に戻っていった。
 ここに残るという意思表示に感じられた。

「あそこの水が枯れることはないから、きっとうまく生きていくよね」
「ええ」

 夕陽が沈み、丘の向こうに夜の帳が降り始めていた。
 風の色が変わり、満ちた昼の熱がゆっくりと冷えていく。

 街の灯がひとつ、またひとつと点りはじめた。
 あの光のひとつひとつの中に、人の暮らしが息づいている。

 これからはラステアと共にそれを守って生きていくんだ。
 握っていた手に力を入れると、ラステアがそれに応えるように指を絡めてくれた。

 手をつないだまま屋敷の前に戻ると、ミラスが用意してくれた灯りが玄関の前を照らしていた。
「お帰りなさいませ。今夜は少し冷えますので、暖炉に火を入れておきました」
「ありがとう、ミラス」

 この場所は、ずっと彼に守られていたのだ。

 扉を開けると、暖炉の火がやさしく揺れた。
 ゆっくりソファに腰を下ろし、ラステアと顔を見合わせる。
 薪の弾ける音が、どこか懐かしい。

「……なんだか不思議ですね」
「うん?」
「こうして並んで座ってるだけで、まるで今までの全部が夢だったみたいな気がします」
 ラステアの言葉に、小さく頷く。
「それは、僕も。同じことを思ってた」

 しばらく、何も言わずに焔のゆらめきだけを見つめていた。
 どれほどの時間が流れたのか、もう分からない。
 でも、その沈黙が心地よかった。

 何となく顔を上げると、目が合った。
 火の粉がぱちりと弾け、小さな光が舞った。
 その光を金の瞳に映すラステア。
 いつか見た優しい光を思い出し、僕はその肩に寄りかかる。

「やっと帰ってきた」
「ああ。ここが、俺たちの家だ」

 窓の外には、無数の星が瞬いている。

 これから続く日々の安らぎが、そこに約束されている気がした。

 もうすぐ春が、本当にこの地にもやって来る。
 その季節を、彼と共に迎えることができる。
 それだけで、もう十分だった。

 この場所で、また新しい日々を始めよう。
 そんなふうに語り合うそばで、暖炉の火がぱちりと鳴り、僕らの未来を祝福するように光った。
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