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春来たる時
しおりを挟む一歩、足を前に出せば、花びらが舞う。
また一歩、踏み出せば、花びらが舞う。
それは桜色の小さな花びら。
暖かな太陽の光が大地を照らし、雪が溶け、道端に土筆が頭を覗かせる。人はそれを見て「嗚呼、冬が去ったなぁ」としみじみに思う。風に吹かれ、桜色の花びらが空を舞い、それが人の視界に入れば、人は見上げる。「この季節が来たのか」と思いながら、この桜色の木々を愛でるのだ。
見上げていた一人の男が、掌に乗った小さな花びらに視線を移す。
(桜か……)
何かを思い耽るように桜の花びらを見つめていると、足音なく、近付いてくる気配を背後から感じた。
「真田のおっさーん」
遠くから気だるそうに呼ぶ者は、花びらを持つこの男、真田左衛門佐信繁に仕える忍び者の一人、奥村。黒い手ぬぐいで額を巻く、まだ若い忍び者だ。
信繁はゆっくりと振り返ると、欠伸をしながら歩み寄る奥村の姿を見て笑った。
「奥村、どうした?」
主があまりにも呑気な様子に、奥村は眉を寄せる。
「どうしたじゃねえだろーが。なに一人で出歩いてんだよ。どっかの忍びに狙われてんのを忘れたのか?」
「そんなことを言う奴が欠伸しながら迎えに来ると説得力ないのぅ」
ヌフフと笑う。
眠たいもんは仕方ないと開き直る奥村に苦笑し、信繁は桜の枝を折った。その枝に付いている桜は目一杯咲いている。
「これを安岐の土産にして帰るかな」
その言葉を聞き、奥村は踵を返す。
「於江さんも池田さんも心配してたから、さっさと帰るぞ」
両手を空へ掲げて、ぐぅっと体を伸ばす。そして、チラッと信繁を見遣り、すぐに前へ戻した。
信繁は奥村の視線に気づくと、桜から奥村の広い背中を見つめ、ニッと笑った。
(あんなに頼りなかった背中が……立派になったものだなぁ)
口の両端を釣り上げ、誇らしげに目を細めた。
と、感心していたら、また奥村は欠伸をした。
何回欠伸すんねや、コイツ。
「奥村ぁ」
信繁は歩きながら腰を少しばかり低くする。
「んあ?」
名前を呼ばれ、なにも疑うことなく、素直に体ごと振り返った。その直後、信繁の体勢が目に入り、驚愕する。
水が流れるように滑らかに、信繁は両手でバランスをとりながら、右足に力を込めて地面を蹴った。一度低くなった体は、火縄銃の鉛玉のように奥村へ飛んで来る。
「いつまでも欠伸をしてはいけませぇぇぇぇん!!!!」
奥村に向かってくる信繁の両足。瞬く間に大きくなる信繁の声。
「い”ッッ」
奥村は咄嗟に両腕を顔面に出して受け身をとった。が、衝撃に耐えることができず、体がグラっと後ろに倒れてしまった。前もって、このような状況を予測していたならば対処できていたのだが、体の頑丈さには自信がない奥村には無理な話だった。
奥村と違って、信繁は体が倒れることなく、綺麗に着地をする。
「これも仕事だろう?一回ぐらいの欠伸は見逃してやろう。だが、そう何度もされると良い気持ちはしない」
信繁はまるで担ぐように桜の枝を肩に乗せる。
(一人でふらーっと消えて、それを迎えに行くのが忍びの仕事か?)
そう頭の中で文句を言いながら、奥村は上半身を起こし、咳を繰り返す。信繁の足に付いていた砂が口の中にまで入ってしまったようだ。息を整えながら、砂を唾と一緒に吐く。
反論しない奥村に気を良くした信繁は、ニヤァと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「これに懲りたら於江や小松姫に告げ口はしないでやろう」
フフンと鼻を鳴らし、まるで強者のように威張っている。
そのような姿を見て、奥村は額に青筋を浮かべた。
「つか、テメーがどっか行くんじゃねえッ!!」
余計な手間を取らせたのはどこのどいつだ!と、立ち上がりながら奥村は吠える。
そして、思わず拳が出る。奥村にとって自然な流れである。
「ッ痛!だから籠手をつけた手で殴るなって言っとろーが!!」
奥村の拳が左頬を掠める。速さに優れた奥村の技を避けきれなかった。
信繁は手で頬を覆い、目に涙を溜める。
「うっせえ!」
そう叫んで、奥村が再び右手を振りかざした瞬間、ピタッと止めた。
信繁がニタァと笑っている。その笑みが妙に気味が悪い。なんだか嫌な予感がする。時間が経てば経つほど、その嫌な予感が膨れ上がるのがわかる。
奥村は口を一文字に結び、青ざめる。体をピクリと動かさないまま、額からダラダラと汗が流れてきた。それでも汗を拭うことはしない。嫌な予感が的中したから。
カラクリ人形にように、奥村はガクガクと首を後ろに捻る。
「奥村」
奥村の背後にいたのは、ニコォと笑っている齢五十ほどの女性。地味過ぎず、品のある鶴の絵柄がある着物を身に纏い、ニコニコと笑顔を浮かべる顔は仮面のようだ。明らかに怒りを隠している。その仮面から怒りと言う空気が漏れ出ているが。
スゥと奥村の振り上げた腕を下ろさせた。奥村の腕に触れる女性の手は、どことなく冷んやりとしていた気がする。
「於江……さん」
奥村は氷のように冷たい視線を向ける女性の名を呼んだ。
「どんな理由があろうと、忍び者の貴方が主である若様に手を挙げるなど言語道断」
「…………」
一見、声色も怒りの色がないのだが、於江の殺気のような怒りは溢れている。
嗚呼、半殺しにされそう……。
奥村はなんの返事もできないまま、心の中で悲鳴をあげていた。於江が恐ろしくて下手に言葉が言えないのだ。
目を泳がせながら曖昧な声が漏らしていると、クスクスと笑い声が聞こえた。信繁だ。於江の背後から顔を覗かせて、ニヤニヤと面白そうに笑っている。口元を綺麗に揃えた指で隠し、奥村の様子を伺っている。
ムカムカする気持ちを抑えきれず、奥村は眉間に皺を寄せた途端、再び於江が口を開いた。
「若様を迎えに行ってからなかなか戻ってこないと思って来てみれば……一体なにをしていたのです?どこで道草を?」
奥村は道草はしていない。ただのんびりと探していただけであって。だが、今の於江にこの言い訳が通用するとは思えない。普段はゆっくり話す於江だが、お説教となると早口になる。こうなった時の於江に納得してもらう言葉は思いつかない。嫌気の方が増してくる。
眉間に力が入り、奥村は思いきり舌打ちをした。
「道草なんかしてねえ。つか、ふらふらどっか行くおっさんを説教しろよな!」
「奥村!」
伸びてきた於江の手を躊躇わずに振り払う。奥村は「うっせえ!」と叫び、呼び止める於江の声も掻き消した。そして、奥村は瞬く間にその場から姿を消した。奥村が立っていた位置には、木の葉と桜の花びらがゆらゆらと落ちていった。
静まり返る。
於江は軽く溜め息を吐いた。
「いじめすぎたかのぅ」
信繁は苦笑し、落ちていた木の葉を拾い上げる。
「甘やかしすぎです」
そう言って、屋敷がある方角へ視線を向け、改めて信繁を見た。
「帰りましょう。安岐姫様が一番若様を心配しています」
その言葉に、信繁は桜の枝を握りしめ、落ち葉と共に持ち帰ることにした。
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