午時葵が咲き 木五倍子編 (高島藤次)

蒼乃悠生

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第二章 木五倍子の花

四.与えられた手鏡

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 九藤さんが来てから四日目の早朝。
 事件が起きた。
 基地内に侵入者が入っている、とのことだった。
 まだ太陽が上がる前で暗かった為、侵入者の姿は明確には分からない。だが、背は標準的な高さで、百六十センチくらいの伍賀さんより高いと報告を受ける。
 その報告を聞いて、誰よりも感情を露わにしたのは、標準化されている伍賀さんだった。
「ちょっと! 身長が俺基準ってどーゆうこと!?」
 タコのように顔を真っ赤にして怒る。
 伍賀さんは背が低いことを気にしているから、彼の前で身長の話をしてはいけないと暗黙の決まりがある。もちろん、伍賀さんの周りにいる人たちしか知らないのだが。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ」
 俺はそう言葉をかけるが、伍賀さんが俺の目を見ると目線が高くなるのがまた気に入らないらしい。
 猫のように威嚇した伍賀さんは、指をパキポキと音を鳴らし、侵入者への敵意を示す。気合が入りすぎだ。
「絶対に捕まえる絶対に捕まえる……」
 呟くような声で、ブツブツと同じ言葉を繰り返す。
 相当本気のようだ。たかだか身長くらいでと言いたくなるが、言い返されるのでなにも言わないでおこう。
 侵入者を探しに伍賀さんと基地内を歩いて回る。いわゆる見回りをしていた。
「そいや、高島、煙草を吸わないの?」
「急になんですか」
「いやぁ、は煙草を吸ってた記憶があるんだけど」
「え、吸ってないですよ。他の誰かと間違ってんじゃないですか?」
「そうだったかなぁ」
 伍賀さんは顎を触りながら首を傾げていた。
 そんな伍賀さんに気を止めずに、怪しい影がないか、辺りを見回りながら歩く。
「そいや、ちせはどうした? 姿が見えないけど」
「九藤さんは朝の市場に行きましたよ。買い物がしたいし、一人で行きたいって」
「はあ!? ちせになにかあったらどうするの!?」
 顎を触る手を止めて、睨んでくる伍賀さんを落ち着かせながら会話を続ける。
「彼女が付いてくるなと言ったんですから、どうしようもないじゃないですか」
「だからと言ってだなぁ!」
「九藤さんはもう大人ですよ」
「高校生はまだ大人じゃない!」
「うぅん、そう言われても……本人が嫌がってるんだから無理強いできないでしょ。お祖父さんは孫の嫌がることをやるんです?」
 そう聞くと、伍賀さんは困ったように悩む素振りを見せる。
「で、でも、なにかあったらいけないし……」
 孫の身を心配するのは分かるけど。
「伍賀さんはもう少し孫離れしないと」
「貴様になにが分かるよ」
「はいはい。独り身ですからね~」
 拗ねる伍賀さんに適当に相槌を打つ。
 俺たちは建物や木に隠れていないか隅々まで見た。だが、それっぽいものも、証拠も、全く見つからない。
 隊員全員ではないとはいえ、結構な人数で探している。それなのに全く新しい情報が入ってこないということは、誰も進展していないということ。基地は広いが、無駄な建物がない為探し易いと思っていた。しかし、こうも見つからないとなると増員を考えた方が良いか。
 侵入者の形跡も残っておらず、溜息を吐いた時だった。
 木の方からドサッと大きな物が落ちる音がした。
「……高島」
「はい」
 お互いに見合う。
 息を飲み、ゆっくりと音がした方へ歩みを進める。
 急に襲われる可能性も十分に考えられる。心構えをしておこう。
「あ」
 伍賀さんは声を上げた。
 木の根元に一人の少女が横たわっていた。
「金色の髪……」
 一本一本が細く、太陽に照らされて輝いているような髪。肌は白く、唇は紅い。日本人ではないことは明らかだ。
「伍賀さん、お知り合いです?」
「んなわきゃねーだろ。このスカポンタン」
「ですよね」
 伍賀さんが少女の頬に触れようとした時、少女は重たい瞼を開けた。
 その瞬間、我々を見て、敵意を丸出しに伍賀さんの手を払いのけた。
「触るナ!!」
「手ぇ痛ーい」
 アホヅラの伍賀さんをよそに、少女は非常に怯えた目をして我々を見ていた。
 俺は腰を低くして、少女の視線に合わせる。歩くぐらいなら普通に歩けるようになったとはいえ、足に力を入れると痛みが多少あるのでゆっくりと。
「日本語、上手だね」
「……」
「俺達は敵じゃないよ」
「……」
「俺は高島藤次。君の名前は?」
「……」
 なにも答えてくれない。
(困ったなぁ)
 しかし、基地の侵入者は恐らくこの者で間違いないだろうが、伍賀さんより背は低そうに思える。そう考えると、身長の矛盾が出てくる。
 彼女は口を一文字に結び、一切俺の問いに答えてくれそうにない。
 どうしようかと頬を指で掻いていると、伍賀さんが口を開いた。
「ここじゃあアレだから、中、入ろ?」
 基地を指差す。
 しかし、彼女の反応はない。
 俺たちを睨みつけるばかりだ。
 それにしても、白い肌に映える真っ赤な靴。踵が長いハイヒールに違和感があって仕方がなかった。
 次に気になり始めるのは、その脚。異様に細いように思える。筋肉が付いていない、骨と皮と少しの肉が付いただけの脚。
「もしかして、歩けない?」
 俺がそう尋ねると、彼女はその問いは意外だと言わんばかりに俺を見た。
 そして、暫く経ってから、ゆっくりと首を縦に降る。
 それを見てから俺は顔が綻ぶ。やっと反応してくれた。
 俺は彼女に背中を向ける。
「おんぶ、するよ」
 驚いたように目を見開く彼女は、躊躇っているように見えた。
「伍賀さん。彼女を背中に乗せてやってください」
「はいよ」
 伍賀さんは躊躇うことなく、彼女の体を抱え上げた。
「ちょっと! 待って! まだ乗るなんて一言も……」
 ひょいっと伍賀さんが軽々と持ち上げた。
「素直になりなよ~」
「わぁ! 軽! ちゃんとご飯を食べてる?」
 背中に彼女が乗り、おんぶをすると、見た目以上に軽く、驚いた。まるで綿毛のようだ。風が吹けば吹き飛んでいってしまうような儚げな重み。
 彼女は俺にしがみつくことはせず、控えめに肩を持っているようだった。
 そして、俺達三人は基地へと向かう。
 その道中だった。
 伍賀さんは、徐に口を開く。
「結局、侵入者って誰だったんだろな~」
「やっぱりこの子じゃないと思います?」
「そもそも歩けないじゃん。立つこともできないのに、俺より背が高い奴ってすぐ分かると思う?」
「あー言われてみれば」
「聞いた話によれば、侵入者は歩いていたみたいだし」
「となると、侵入者は別人、か」
 困ったなぁと思ってると、伍賀さんは神妙な面持ちをしていた。この様子を見ていると、恐らく、まだ俺が知らない情報を持っているのだろう。それを言わない辺り、俺に気遣っているのか、はたまた上官の命令か。




 基地に入り、食堂で少女を椅子に座らせる。
 伍賀さんは少女の近くで椅子に座った。少女が九藤さんだったなら、隣の椅子に座るのだろうが、この少女とは距離を置いているようだ。
 水をもらいに行こうとした時だった。
 二人が話している声が、聞こえた。
「侵入者って、高島大尉によく似ていたんだってな」
(は?)
 まさか俺の名前が出てくるとは思わなかったから、意識が全てその会話に向く。
「それなら高島大尉だったんじゃねえの?」
「馬鹿馬鹿。そん時は伍賀少尉と一緒にいたんだって」
「えー? じゃあ、あれか。ドッペルゲンガーか?」
「すれ違った奴の聞いた話によると、体型も顔も似ていたけど、雰囲気は真反対でとても怖かったみたいだよ。でもすぐに姿が見えなくなって、なにかがおかしいな、みたいな」
「暗かったんなら、そこまで普通見えるか?」
「さあ。俺に言われても」
 水を受け取り、彼女の元に戻るまでも聞き耳を立てたまま歩いた。
(気味が悪いな。俺と同じ顔の奴とか、見たくないなぁ)
 大人しく座っている彼女の前に水を置く。
「どうぞ」
 彼女はグラスに入った水を眺めた。
「……毒、入ってナイ?」
「入ってないよ」
 真剣な顔で聞いてくる。
 俺は思わず苦笑した。
 彼女はそっとグラスを持ち、まず臭いを嗅ぐ。そして、躊躇いながらも水を一口だけ口に含んだ。物凄い警戒心だ。
「名前は教えてもらえるかな?」
有朱ありす……二ノ宮にのみや
「二ノ宮さんは、どうやってここに来たの?」
「分からナイ。気付いたら木の上にいたノ」
「なんだか猫みたいだね」
 ニッコリと笑うと、二ノ宮さんはそっぽを向いた。
 言わなければ良かったかな。
 しかし、なんだか二ノ宮さんと接していると九藤さんを思い出す。この素っ気ない態度とか。
「で。どうすんの?」
 伍賀さんは面倒臭そうに言葉を吐く。
「え?」
「この子、基地に置くわけにもいかないでしょ?」
 孫以外だと、何気に厳しい気がする。
「あー。取り敢えずは香具山様のとこに連れて行こうかなと」
「それがいい。うん。じゃ、いってらっしゃーい!」
「え、今から?! ちょっと休ませてくださいよっ」
 そう言って、半端強引に俺の背中を押して追い出そうとする。
 伍賀さんの態度は怪しい。なにかありそうだ。だが、聞いたところで答えてはくれないだろう。
 しかし、もう少しゆっくりさせてくれてもいいのではないか。二ノ宮さんは水を急いで飲む羽目になっている。
 だからといって反抗すれば結果は見えているので、俺は素直に二ノ宮さんと香具山様のところへ行くことにした。
 この後に、伍賀さんが難しい顔をして俺を見ていたことを知らなかった。




 香具山。
 普段の俺なら、息が上がることなく登ることができるのだが、足を怪我している上に二ノ宮さんをおんぶして登ることは異常なほどに疲労感を与えた。
 小秋ちゃんの部屋にお邪魔して、普段と変わらず涼しい顔をしている彼女に事情を説明してから、二ノ宮さんを玄関で一度下ろす。
 自分の靴を脱ぎ、二ノ宮さんの赤い靴を脱いでもらおうと目を合わせた瞬間、二ノ宮さんは首を横に振った。
 小秋ちゃんは、初めから彼女の諸事情を知っているかのように「構いませんよ」と言い、靴を脱がせることはしなかった。
 二ノ宮さんを横抱きし、椅子に座らせようとした。が、彼女は急に顔を赤くする。
「ベッドに連れてって! あ、足のマッサージをしたいカラ!」
 仕方がなく、小秋ちゃんの承諾を得てから寝室に入れさせてもらった。
 ベッドに二ノ宮さんを寝かせて、俺は寝室を後にする。
 小秋ちゃんの家は日本屋敷よりも外国の家に近い気がする。玄関で靴を脱ぐところまで日本の家を感じさせるが、部屋に入ったら畳はなく、木の板が床となっており、テーブルと椅子がある。
 怪我をした足をかばいながら、全身に汗をかき、倒れるように床に座った。
「せめて椅子に座ったらどうですか」
 小秋ちゃんはほんのり青くて、透明なグラスをテーブルに置いた。
 それを見て、俺は重たい体を起こし、立ち上がる。
 グラスの中身は、水のように透明で、小さな気泡がシュワシュワと音を立てながら水面に登っていた。
 それは海軍に入ってからよく飲んだ飲み物。瓶に入っていて、開封時の音が気持ちを高揚させ、反射的によだれが出る。
「サイダー、だよね?」
「正解です」
 ニッと口の端を少しだけ釣り上げる。
 彼女は少しずつ人間の感情というものを理解してきているようだった。
「床にて、いただきます」
 俺はその場で合掌をする。そして、グラスを持ったまま床に座り、グイッと口に含んだ。
 口の中でシュワシュワとする不思議な刺激と、ほんのりとした甘み。初めて飲んだ時は、体感したことがない刺激に、思わず身震いしたのを思い出す。
 軽く登山したせいか、足がズキンズキンと痛み、優しく足をさする。
「で、あの子は?」
 寝室を一瞥し、小秋ちゃんは小首を傾げた。
「二ノ宮有朱さん。基地にいつの間にか来ていて。足が不自由みたいなんだ」
「新たな来訪者ですか」
 無機質な表情を変えないまま、淡々と答える。
「詳しくは話してくれないから知らないけど、足が不自由みたいで。一人暮らしが大変だろうから、香具山様に判断をしてもらおうと思って」
 靴を脱がない習慣なのか。
 それとも靴を脱げない理由があるのか。
 歩けない事と関係があるのか。
 初めて会った日から尋問のように聞くよりかは、時間をかけて自分から話せるようになった方が良い気がする。
「そうですか。事情は分かりました。しかし、香具山は只今会議中なので暫く帰りません。暫くの間、二ノ宮さんは私が預かります」
「じゃあ、お願いします」
 小秋ちゃんに微笑みながら、サイダーをまた一口飲んだ。
 そして、暫く小秋ちゃんは立ったまま、俺を見下ろしていた。
 不自然な程長い間見てくるので、躊躇い気味に俺は口を開いた。
「どう、しました?」
「恋、とはなんでしょうか?」
「ぶっ!!!」
 まさかの恋という二文字を小秋ちゃんの口から聞くことになるとは思わず、驚いて飲みかけたラムネを噴いてしまった。
「急にどうしたの?」
 手の甲で汚い口を拭う。
「本を……読めと言われたので」
「誰に?」
「ちせさんに。ちせさんから渡された本のタイトルが『恋に溺れる瞬間』」
「ぶふぉ!!!」
 まさかの九藤さん。しかも、いつの間にか名前で呼んでいる。
 というか、何故そんな本を持っているのか。いや、何故小秋ちゃんに渡したのか。
 あまりにも謎が多いのと、奇抜な組み合わせに吹かずにはいられなかった。
 というか、どうして知っているのか。九藤さんは記憶をなくしているはずだ。もしかして忘れているのは一部だけなのか。
「く、九藤さん、小秋ちゃんのことを覚えてるの?」
「いいえ?」
「え?」
「たまたま朝の市場で出会ったんです。私のことを覚えていらっしゃらなかったので教えてあげました。そしたら、ちせさんが『子供の自分は鬱陶しかったでしょ? ごめんなさい』と謝ってくれて。ここがスッキリしました」
 小秋ちゃんは胸に手を当てながら答えた。
 その顔も影一つない、晴れやかな表情である。
「荷物も持ってくれたり、食べ物や道具、いろんなことを教えてくれたり、優しくしてくれました。親しみを込めてちせさんと呼ぶことにしたんです。なにか問題でも?」
「いや、別に問題はない、です……」
 最後の一言の真顔が怖い。
 突然の真顔がどうにも落ち着かない。しかし、そんな事を気にしていても仕方がないので見て見ぬ振りをする。
「九藤さんと仲良くしてあげてね」
 そう笑いかけると、小秋ちゃんは控えめに口の両端を吊り上げた。しかし、これは彼女にとって満面の笑みと言って良いだろう。
「〝私を助けてくれた人〟によく似ています。大きくなったちせさんの顔を見ると、その人の面影な重なってしまって、何故か気になって仕方がないのです」
「助けてくれた人?」
 初めて小秋ちゃん自身の話に触れた気がする。
「もう古い記憶です」
 そう言って、話そうとはしなかった。
「で」
「うん?」
 改まって、小秋ちゃんは俺を見た。
「恋とはなんですか?」
 真剣な表情で聞いてくる。
 俺は三秒程固まったあと、どんな顔をしたらいいのか分からなくなった。
 その時、寝室の方からガタンと音がした。
「答えないってことは、恋を知らないってことヨ」
 足を引きずるように、両腕を上手く使って移動する。慣れた動きで、俺たちの元にやって来て「あたしにも飲み物をちょうだい」と小秋ちゃんに言った。
 小秋ちゃんは、二ノ宮さんの様子を伺った後、台所へ姿を消す。
「そう言う君は恋を知っているのかい?」
 俺は二ノ宮さんを椅子に座らせた。
 ついでに、俺も椅子に座ることにした。
「恋は、相手を求め合うことヨ」
「へー」
 分かりやすいような、分かりにくいような。
 小秋ちゃんがそれで納得するとは思えない。彼女のことだから、具体的な例を聞いて来そうだ。もしそうなった時、二ノ宮さんは冷静に答えることができるのだろうか。
 軽く流されていると思ったのか、二ノ宮さんは不服そうに眉を寄せ、口を尖らせている。
「なにヨ! その反応。間違ってないデショ!?」
 二ノ宮さんは、椅子に置かれた座布団の位置が気に入らないのか、座布団を引っ張ってみたり、足の位置をずらしている。が、あまり変わらなかったらしい。
 足が動かないことを苦にする様子はなく、ジャンプをするように体を浮かせた瞬間に座布団を細かくずらしていく。
「相手を求める。て、例えば?」
「なっ!! 破廉恥!」
「別になにも言ってないよ」
 顔を茹でタコのように赤くして、二ノ宮さんは俺を睨みつけ、何度も殴ってくる。しかし、全く痛くない。女の子って可愛い。
 そんな彼女を笑顔で涼しく受け流す。
(恋は求め合うもの)
 恐らく、求めるものはこれだと絞ることはできない。それは人それぞれ異なるものだから。
「アンタ!」
 不意に二ノ宮さんの大きな声が耳に入る。視線を向けると俺を睨みつけるように見ていた。
「はい」
「アンタは相手に何を求めることが恋だと思うノ?」
「え、俺?」
「そーヨ!」
「急に……」
 突然、答えを求められても答えられない。
 彼女を見ていると、答えないと許さないと顔に書いてあるように見えてきた。
 仕方がないので、頭の中に仮の恋人を作り出す。
 とても可愛らしくて、守りたくなるような、黒髪の子。でも、か弱すぎると守る方も大変だから、一度決めたら曲げない、芯の強さがある女性。
 そんな恋人にどうしてほしいのだろう。
 チラリと頭の隅に浮かぶ泣き顔。
 その泣き顔さえ愛おしいと思うが、やはり、
「笑顔かなぁ」
 笑っていてほしいと思う。
 ずっと笑うことは無理だけど、泣いた後は笑ってほしい。
「純粋そうなこと言って、実はエゲツないことを考えてんじゃないノ!?」
 何故かドン引きする二ノ宮さん。
 たぶん俺が何を言っても、結果は変わらないのだろう。そんな気がする。
「えがお……」
 飲み物と菓子器を持ってきた小秋ちゃんが呟く。
 そっと、ガラスのコップを二ノ宮の前に置くと、二ノ宮さんはすぐに口をつけた。喉が渇いていたようだ。
 俺は、テーブルに置かれた菓子器が気になる。木目も綺麗だし、ツヤツヤで肌触りが良さそうだ。そっと菓子器の蓋を開けた。
 そこには白い袋に書かれた蜜饅頭。
(初めて見るなぁ)
「広島に行ったお土産です」
 蜜饅頭を凝視する俺に向かって、小秋ちゃんは自ら口を開いた。そして、「どうぞ」と言いながら、蜜饅頭を手渡しをしてくれた。
 俺はそれほど物欲しそうな見ていたのだろうか。うーん、恥ずかしい。
 相手の期待を裏切らないように、早速俺は袋を縦に破き、蜜饅頭を一口。
「おっ」
 思わず感嘆の声が漏れる。
 まろやかな甘さ。決してくどくない餡子で、後味も甘さが残らない。しっとりとした餡に、生地。上品さを感じる。
 何個でも食べてしまいそうだ。
「美味い」
 是非緑茶で食したかったのが、本音である。
(サイダーと蜜饅頭……やっぱ違うな)
 組み合わせは間違っている気がする。しかし、そんなことを考える人でもない。
「そうですか。買って正解でしたね」
 当の本人である小秋ちゃんは、口の両端を淑やかに上げた。
 まるで機械のように、次々に蜜饅頭を口に含んでいなければ、淑女のようか笑みであったのだが。
 一方、蜜饅頭を食べていた二ノ宮さんは片眉を寄せて、うーんと唸っていた。表情もどこか曇っている。
「アタシは饅頭よりケーキ」
 二ノ宮さんは適当に丸められた蜜饅頭の袋を屑入れに投げ入れる。
「小秋ちゃん」
「なんでしょう」
「一個持って帰ってもいいかな?」
「良いですけど」
 小首を傾げ、訝しむような目で俺を見てくる。
「九藤さんの分」
 控えめにそう言うと、小秋ちゃんは納得した顔で了承してくれた。
「ああ、構いませんよ」
 そう言って、小秋ちゃんは小さめの紙袋を用意してくれた。
 俺はそれに蜜饅頭を入れて、口を二回折る。
「それで、笑顔を求めることが恋なのですか?」
 改めて俺を見る。
 表情は真剣そのもの。少しも冗談の欠片もない。
 俺は何故そこまで恋を知りたがるのか疑問に思うが、彼女が自ら興味を抱くことに意味があるのだろうと考えることにした。
「俺の答えはね。多分人によって違うよ」
「違う?」
 小秋ちゃんは体を前のめりにする。
「人によって物事の感じ方が違うんだよ。恋は曖昧なものだからね」
「そーヨ。人の愛し方も、それぞれなんだカラ」
 二ノ宮さんの目は遠くを見ていた。
 その目は一体何を映し出しているのだろう。
 最愛の人の姿でも映しているのだろうか。それにしては悲しみや憎しみに似た寂しそうな目に見える。
「では、笑顔を」
 小秋ちゃんがそう言いかけた時だった。
「小秋ちゃーん」
 聞き慣れた声と、ドアを叩く音がした。
「あれ、この声って」
「ちせさんですね」
 俺の言葉に答えるように、小秋ちゃんは声の主の名を口にして立ち上がる。そして真っ直ぐに玄関の方へと歩いて行った。
 テーブルに頬杖をつく二ノ宮さんが怪訝そうな顔で口を開く。
「ちせ、て誰?」
「九藤ちせさん。今、基地で保護している子だよ」
 そう答えると、二ノ宮さんはただでさえ大きな瞳を見開いた。
 外国人の顔は綺麗だなぁと素直に思う。
「基地は軍施設のことでショ? アタシも行きたい!」
「待って待って。最初に会った場所、覚えてる?」
「あー、木の上にいたとこネ」
「そこが基地だよ」
「え、そうなノ?」
 かなり驚いた様子だった。
 この子、いつの時代の子なんだろう。
 と言うか、九藤さんのことは放ったらかしなんだ。
 二ノ宮さんの反応に困っていると、ピョコッと顔を覗かせて、こちらの様子を伺っている九藤さんの顔が視界の隅に映った。
「おかえり、九藤さん」
 ニコッと笑いかけると、何故か九藤さんが困った顔をしていた。
「た、ただいま……」
 後ろにいた小秋ちゃんに背中を押されて、九藤さんはやっと部屋に入ってくる。
 もしかして俺と会いたくなかったのかな。
「俺はもうお邪魔かな。休憩できたし、そろそろ帰るよ」
 そう言って、ゆっくりと立ち上がる。
 足に力を込めた瞬間の痛みに耐えながら立つ。
 小秋ちゃんに「二ノ宮さんのこと、頼むね」と一言伝え、九藤さんの横を通り過ぎようとした時だった。
「待って」
「んんん?」
 まさか九藤さんの方から話しかけられるとは思っていなかったから、非常に驚いて、勢いよく振り返ってしまった。
 彼女の手元には小さな小包が。
 俺は小包と彼女の顔を交互に見合う。
「後になると余計に恥ずかしくなるだろうから……」
 前に差し出される小包。
「もしかして俺に?」
 そう聞くと、九藤さんはボッと火がついたかのように、顔が朱色に染まる。
 とても恥ずかしいようで一向に視線が合わない。
「うん」
 首を縦に何度も振る。
「嬉しいけど、でもどうして?」
「た、叩いちゃったから、顔」
「あー」
 確かにそんなこともあったなぁ。
「だから、お詫びとして! ごめんなさい」
「気にしなくてもいいのに」
「ダメ! こーゆうことはちゃんとしないと………………から……」
 最後の言葉が小さすぎて、全く耳に届かなかった。
「ん? お母さんがそうしなさいって?」
 教育の賜物かと思って、そう聞いたのだが、彼女は首を静かに、ゆっくりと横に振った。
「離れちゃうから、みんな……自分、から」
 今にでも消え入りそうな、震える声で言った。
 体が大きくなった九藤さんの姿が、幼い木佐ちせちゃんに見えた。あの寂しそうに猫を見つめる彼女の目が、表情のない顔が、小さな体が、今、目の前にいるという錯覚が起きる。
 その瞬間、込み上がる感情。
 守りたい。
 衝動を止める術はなかった。
「ちせちゃん」
 名前を呼ぶと同時に、腕はちせちゃんの体を包む。
 ぎゅっと抱いたら、ちせちゃんは目を見開いて、俺を見ていた。
「ちせちゃん」
 口が勝手に動く。
 呼ばずにはいられなかった。
 すぐに九藤さんに突き放されるかと思っていたのだが、全くその気配がなかった。
「俺は離れないよ」
 久しぶりにちせちゃんを見た時、大きくなったと思った。
 でも、今腕の中にいるちせちゃんは大きくなくて、やっぱり小さいやと思った。腕に力を込めたら、ポキッと折れてしまうんじゃないかと思う程細くて、全身で彼女の儚さを知った。
「絶対に離れないから、心配しなくてもいいんだよ」
 彼女の耳元で囁く。
 彼女の顔の熱を感じながら。
「これが恋デース」
 突然割って入ってくる二ノ宮さんの声。
 その瞬間、俺の頭がまどろみが消え、一気に冴えるのが分かる。
「ごめん!」
 すぐに九藤さんから離れた。
 二ノ宮さんはこちらをニヤニヤしながら見て、小秋ちゃんは「ほうほう」と頷きながら真面目な表情で観察してくる。
 人前で何してんだと自分自身を叱りつけたい。
 自分がここまで自制が効かない人間だとは思わなかった。ここまでとは。
 こんな時、伍賀さんがいたらどれだけ助かるだろう。空気をぶっ壊してくれる達人。こんな時だけは伍賀さんの存在がありがたい。
 さっさと退散しようとして部屋を出ようとした時、手に小包を握らされた。
 思わず、九藤さんの顔を見る。
「誰もいないところで開けて」
 全く目が合うことがないまま、たった一言口にすると、九藤さんは俺が座っていた場所に小走りで向かった。
 俺は座った九藤さんに声をかける。
「ありがとう」
 九藤さんは黙ったまま首を縦に振った。
「九藤さんの前にある袋は貴女にあげます」
 そう言うと、工藤さんはこっちを見た。
「蜜饅頭、美味しいよ。ゆっくりしてから、また基地に帰ってきてね」
 俺は小秋ちゃんの家を後にした。
 帰る道中、小包が気になって仕方がない。
 お行儀が悪いと重々承知しているが、九藤さんが一人の時に開けてと言っていたし、基地の中に入ると伍賀さんの鋭い感が働いて面倒臭そうな気がしたので、今開けることにした。
(なんだろう。九藤さんが買いそうな物って思いつかないなぁ)
 なんて考えながら、ゆっくりと開けてみる。
 そこには、群青色の石に黒い紐が付いていた。
(ネックレス、て言うだっけ?)
 まさかのプレゼントに、少しだけ困惑。
(普通は男から女性に贈るよなぁ……)
 逆に贈られてしまった。
「うーん。ま、いっか」
 俺は首に掛ける。
 紐が長かったお陰で、頭からそのままかぶるように首に掛けることができた。
 青い石を摘まみ上げる。
「わーすげえ」
 小さな石だが、この青は海底にいるかのように深い色をしている。その中には、散りばめられているかのような白い点があった。
「海というよりかは、夜空かなぁ。さしずめ白は星といったところか」
 そう考えると、夜に広がる空を石にぎゅっと縮小したようなもの。光の当たり具合で変化があり、雰囲気がガラリと変わる。長い間見ていても飽きない。
(基地で開けなくて良かった)
 心の底から安堵する。
 俺は周りから隠すように青い石をシャツの中に入れた。


 この時。
 基地で大変なことになっているとは、俺には想像もできなかった。
 そして、そこには最も向き合わなければならない相手がいた。
 誰よりも己を知っていて、誰よりも己を憎んでいる者。

 自身の存在を根底から揺るがす、最大の分岐点が始まる。
 
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