筑摩江や

野良

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いち

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 不可思議なことを不可思議と一言で称することの、なんと気楽なことか。ただの与太話であれば、一献の酒と共に飲み干してしまったものを。いざ当事者となってしまえば、これ以上に面白くない話はない。

「じぶどの。月見するぞ」

 どこからくすねてきたのか、団子を持った男は問答無用に三成を渡殿へと引っ張り出した。出会ってから半年。三成は親子ほどの年の差がありながら、実の子以上の不遠慮さを見せるこの男に手を焼きながらも、あらゆることを許容してきた。
 男の名は由樹。氏もなく、なにかしらの才に秀でているわけでもない、佐和山城きっての穀潰しだった。当然、由樹の処遇に対する非難めいた諫言は方々からあがれど、黙殺。色小姓などとまったく見当違いな罵倒に怒髪天を衝いた由樹が相手を片っ端から殴り伏し、佐和山の警護役の一割が使い物にならなくなったときでさえ、三成はやり過ぎだと扇子で額を一叩きしただけだった。

「雲のない、いい月夜だな」

 耳慣れぬ鼻歌を相も変わらず調子外れで歌う。本人はなんとも上機嫌だが、聞いている側としては背筋がむず痒くなるようなものだった。眉を寄せ、身をよじる三成を由樹はついと目を細めて笑う。歌えば戦場でも生き残れると豪語する由樹は己の音痴を嫌みなまでに自覚していた。

「うたに禁止を言い渡されたのではなかったか」
「そうなんだよ。『お主が歌うと物が壊れる』だってさ。ムカついたから大声で歌ったら若い女房の子が簪折っちゃって大変だったみたい」
「お前というやつは…」
「音痴は歌ってはならないっていう触れでも出るならやめるよ」
「そのようなくだらん触れは出さん」
「だよな」

 月見という割には、さして空を見上げることもなく大口を開けて団子を頬張る。花より団子ならぬ、月より団子。こうなることは互いに予想済みだった。由樹は愛でるという心意気を持ち合わせていない。傾奇者のような奔放さは、その実、粋を理解しない動物的な衝動に任せたものだった。
 何故にあのような者を側に置くのか、とは朋友たる吉継の言葉だ。三成の人となりをよく知る吉継だからこそ、余計に解せないのだろう。生来の気質からいえばその通りだと返すところだが、「石田三成」であり続けることが限界にきた今となっては、由樹という存在自体に意味があった。

「月に柄をさしたらばよき団扇かな」

 三つの団子を平らげ、おもむろに串をかかげたかと思えば情緒の欠けらもない句を口にする。山崎宗鑑。三成の好まぬ世俗的な連歌師だ。

「俺、和歌とか俳句とかよく分かんないけど、これだけは覚えててさ」
「いかにもお前の好きそうな句だ」
「いや、それもあるけど…これくらいなら俺にも作れそうだと思って」

 好むと好まざるとに寄らず、後世にまで名の残る人物の句をこれくらいと評したばかりか、不遜にも詠めるという。その豪毅とも愚かともとれる様を内心では面白がりながらも、至って真面目な顔で詠んでみせろと告げる。すると由樹は八重歯の覗く笑みを浮かべ、再び月へと串をかざした。

「月に枝をさしたらばよき団子かな」

 それを聞いた三成は呆れかえり、ひどく緩慢な動作で残っていた団子を差し出した。由樹の目論見など看破するのは容易いことだった。

「うわーい、思わぬ高評価で嬉しいな」
「もとより私にその団子を渡す気などなかっただろうに」
「さすが、じぶどの。ご明察」
「…そんなことより、その締まりのない呼び名はどういうつもりだ」
「島さんちの左近さんに殿を呼び捨てにするな、痴れ者が!って怒られたから」
「いつものことではないか」
「そうなんだけどさ、ほら、今はあちこちから人が集まってるから」

 見られたら面倒だろ、と溢しておきながら笑みは崩れない。面倒が起きたら起きたで楽しむ気満々なのだろう。取るに足らない無役の雑兵の由樹を特定し、遠回しに害するよりも三成を直接相手取り、悪口雑言を向けた方が効率がいい。つまりは物事がどう転ぼうと由樹にはなんの問題もないのだ。
 それでもおとなしく左近の指示に従ったのは、「今日」だったからという言葉に尽きる。恐らく最後になるであろう、穏やかな一日を三成に過ごさせたかった由樹の優しさ。珍しく素直だ、と左近に受け止められるに終わったそれは、由樹と三成には特別な意味があり、それゆえに二人にしか理解できないものだった。

「さてさて、これから忙しくなるなぁ」
「そうだな」
「関ヶ原までは死なないでね」
「…分かっている」

 太閤ーー豊臣秀吉は明日、死ぬ。三成にとっては、十三回目の敬愛する主君の死。この痛みばかりは、いつまでもじくじくと胸の奥に根を張っている。
 石田三成は時を繰り返していた。
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