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「えっと……ああ、『お命頂戴しに参りました』かな」
何を隠そう、これこそが由樹の発した最初の言葉である。
慶長三年、二月十八日。三成はふと気がつくと、必ずこの日を迎えていた。もうすっかり朧気な記憶だが、関ヶ原の戦前夜や佐和山へ隠居した日に戻っていることもあった。それがいつしか「始まり」は今日で、「終わり」は慶長五年の九月十四日になっていた。
繰り返している。三成がそう自覚を持ったとき、その不可思議な現象の理由を考えるよりもまず、半年後に訪れる秀吉の死を回避しようとした。多くの医師を集め、それが例え馴染みのない異国の医術であろうと受け入れた。少しでも長く、その命が続くように。けれども秀吉は、決まって八月十八日に息を引き取った。
「供も連れずにどちらへ」
「左近には黙っていろ。暮れには戻る」
「殿…っ」
門番の呼び声に聞く耳も持たず馬を走らせる。どうしても一人になりたかった。
三回を過ぎた頃から人と話すのが苦痛でしかなくなった。一言一句を記憶に留めていなくとも、話を続けていれば以前のやり取りがちらつき始める。それが秀吉相手だったとしても、僅かな暇すら惜しんで側に控えることができたのは、四回目までだった。どんなに手を尽くそうと同じ日時にくる不調の波。そして、死。主君に仕えることが、耐え難い苦しみへと繋がる。かつて想像もしなかったそれこそが、何よりも三成を追い詰めていた。
「『貴様、一体何者だ』くらい言ってくれないと盛り上がりに欠けるんだけど」
そこんとこ分かってらっしゃいますかね、と間延びした口調で告げる由樹の登場は、三成に槌で殴られたかのような衝撃をもたらした。どんなに行動を起こしても決まった流れにしかならない。それどころか、いつまで経っても九月十四日が終わらない。そんな繰り返しの日々に、突然の変化。しかも「始まり」の、三成自身が何の行動もしていない日に。
三成の動揺は計り知れないものだったが、由樹に分かるはずもない。ただ、身動き一つせず己を凝視するばかりの三成を怪訝に思っただけだった。沈黙の中の視線が煩わしい。由樹は一つ息をつき、ひどく気怠そうな歩みで近寄った。抜かれても刀の切っ先が届かない位置に立ち、瞳を覗き込む。そこで初めて三成の揺らぎに気がついた。それは、寄る辺のない迷子のものとそっくりだった。
「おっさん、どっから来たの。名前教えてよ。家探してあげるからさ」
その明け透けな物言いを、ようやく無礼と罵る気になった三成の口は、どうしてか荒い息しか吐き出さない。なればと代わりを買って出た目からは、あろうことか涙が溢れた。
「お前の方こそ…」
何者だ、と年甲斐もない嗚咽を漏らす三成にけろりと臆面もなく答えた。
「俺はねぇ、幽霊なんだ」
「ゆうれい…」
「え、幽霊知らないの。んー……あ、亡者」
「もうじゃ……」
「そうそう。俺、亡者なの。人と話したのはおっさんが初めて」
三成は決して幽霊を知らなかったわけではない。想定外ゆえに、ただ同じ言葉を繰り返したのを由樹が勝手に解釈しただけだった。
「…足があるではないか」
「じゃあ、聞くけど足がない亡者に会ったことがあるの」
間髪入れずに返され、反論の余地を失った三成は、とうに涙の止まった目で由樹をひたと見据えた。上背はあっても華奢な体躯からはまるで威圧感がない。とはいえ、光に透ける栗色の頭と伴天連のような服装がこちらを落ち着かなくさせる。なるほど、亡者とは上手い表現だ。
一歩、また一歩と距離を詰めるも由樹は微動だにせず、へらへらとした笑みを浮かべただけだった。なんと緊張感のない男だろう。刀を持たない由樹への印象など、この程度のものだ。路傍の石のような、取るに足らない者でしかない。
「名は」
「好きに呼んでくれていい」
「そうか。では、ユキ」
「ユキ…」
「お前のことはここの『樹』が『由』を知っていよう。深くは聞かん」
それでも、三成がこの結論を出すのは必然だった。
「私と共に来い」
「人攫いなの」
「お前は亡者だろう」
「そうでした。んー…三食昼寝付きならいいよ」
「亡者が飯を食うのか」
「亡者だってお腹は空くんです」
「ならば、二食に椿餅でも付けてやる」
「昼寝は」
「勝手にしろ」
「じゃあ、付いてく」
由樹が由樹として三成と共に来た経緯は、とかくくだらない。 互いのことは何一つ知らない。「亡者」と「おっさん」の間で、冗談のような気安さで交わされたこれが、そうなのだ。
三成には三成の、由樹には由樹の理由があるが、誰かに明かすことは決してない。となれば、ただの与太話にしかならず、行き着く先は人の噂や悩みの種でしかなかった。
何を隠そう、これこそが由樹の発した最初の言葉である。
慶長三年、二月十八日。三成はふと気がつくと、必ずこの日を迎えていた。もうすっかり朧気な記憶だが、関ヶ原の戦前夜や佐和山へ隠居した日に戻っていることもあった。それがいつしか「始まり」は今日で、「終わり」は慶長五年の九月十四日になっていた。
繰り返している。三成がそう自覚を持ったとき、その不可思議な現象の理由を考えるよりもまず、半年後に訪れる秀吉の死を回避しようとした。多くの医師を集め、それが例え馴染みのない異国の医術であろうと受け入れた。少しでも長く、その命が続くように。けれども秀吉は、決まって八月十八日に息を引き取った。
「供も連れずにどちらへ」
「左近には黙っていろ。暮れには戻る」
「殿…っ」
門番の呼び声に聞く耳も持たず馬を走らせる。どうしても一人になりたかった。
三回を過ぎた頃から人と話すのが苦痛でしかなくなった。一言一句を記憶に留めていなくとも、話を続けていれば以前のやり取りがちらつき始める。それが秀吉相手だったとしても、僅かな暇すら惜しんで側に控えることができたのは、四回目までだった。どんなに手を尽くそうと同じ日時にくる不調の波。そして、死。主君に仕えることが、耐え難い苦しみへと繋がる。かつて想像もしなかったそれこそが、何よりも三成を追い詰めていた。
「『貴様、一体何者だ』くらい言ってくれないと盛り上がりに欠けるんだけど」
そこんとこ分かってらっしゃいますかね、と間延びした口調で告げる由樹の登場は、三成に槌で殴られたかのような衝撃をもたらした。どんなに行動を起こしても決まった流れにしかならない。それどころか、いつまで経っても九月十四日が終わらない。そんな繰り返しの日々に、突然の変化。しかも「始まり」の、三成自身が何の行動もしていない日に。
三成の動揺は計り知れないものだったが、由樹に分かるはずもない。ただ、身動き一つせず己を凝視するばかりの三成を怪訝に思っただけだった。沈黙の中の視線が煩わしい。由樹は一つ息をつき、ひどく気怠そうな歩みで近寄った。抜かれても刀の切っ先が届かない位置に立ち、瞳を覗き込む。そこで初めて三成の揺らぎに気がついた。それは、寄る辺のない迷子のものとそっくりだった。
「おっさん、どっから来たの。名前教えてよ。家探してあげるからさ」
その明け透けな物言いを、ようやく無礼と罵る気になった三成の口は、どうしてか荒い息しか吐き出さない。なればと代わりを買って出た目からは、あろうことか涙が溢れた。
「お前の方こそ…」
何者だ、と年甲斐もない嗚咽を漏らす三成にけろりと臆面もなく答えた。
「俺はねぇ、幽霊なんだ」
「ゆうれい…」
「え、幽霊知らないの。んー……あ、亡者」
「もうじゃ……」
「そうそう。俺、亡者なの。人と話したのはおっさんが初めて」
三成は決して幽霊を知らなかったわけではない。想定外ゆえに、ただ同じ言葉を繰り返したのを由樹が勝手に解釈しただけだった。
「…足があるではないか」
「じゃあ、聞くけど足がない亡者に会ったことがあるの」
間髪入れずに返され、反論の余地を失った三成は、とうに涙の止まった目で由樹をひたと見据えた。上背はあっても華奢な体躯からはまるで威圧感がない。とはいえ、光に透ける栗色の頭と伴天連のような服装がこちらを落ち着かなくさせる。なるほど、亡者とは上手い表現だ。
一歩、また一歩と距離を詰めるも由樹は微動だにせず、へらへらとした笑みを浮かべただけだった。なんと緊張感のない男だろう。刀を持たない由樹への印象など、この程度のものだ。路傍の石のような、取るに足らない者でしかない。
「名は」
「好きに呼んでくれていい」
「そうか。では、ユキ」
「ユキ…」
「お前のことはここの『樹』が『由』を知っていよう。深くは聞かん」
それでも、三成がこの結論を出すのは必然だった。
「私と共に来い」
「人攫いなの」
「お前は亡者だろう」
「そうでした。んー…三食昼寝付きならいいよ」
「亡者が飯を食うのか」
「亡者だってお腹は空くんです」
「ならば、二食に椿餅でも付けてやる」
「昼寝は」
「勝手にしろ」
「じゃあ、付いてく」
由樹が由樹として三成と共に来た経緯は、とかくくだらない。 互いのことは何一つ知らない。「亡者」と「おっさん」の間で、冗談のような気安さで交わされたこれが、そうなのだ。
三成には三成の、由樹には由樹の理由があるが、誰かに明かすことは決してない。となれば、ただの与太話にしかならず、行き着く先は人の噂や悩みの種でしかなかった。
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