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「いやはや、聞きしに勝る猛将ぶり。さすがは左近殿。我が配下の者たちも感心しきりでございました」
島津豊久の称賛を耳に三成は、はたりとした。あまりにも明瞭たる既視感に思考が停止してしまったのだ。
つい先日、豊久の口から同じことを聞いた。あれは、そう、家康が赤坂に突如として現れたときのこと。夜襲を提案された夜のことだった。
「治部殿?」
「…すまない。少々、気を散らしてしまっていた」
「お疲れのようで」
「もう一度、頼む」
「…我ら島津は今宵、夜襲を仕掛けたいと考えています。長い遠征で疲弊している今が頃合いと、そう判断しました」
夜襲。豊久の口から流暢に溢れる言葉の中から一つしか拾い上げることができなかった。全身が粟立っている。
「どこの、誰を相手に」
「当然、赤坂にいる内府の手勢を。治部殿、我らに任せてはいただけぬか」
ちかちかと一枚絵が浮かんでは消える。向こう意気の強い豊久の瞳、異議を申し立てる左近の険しい顔付き、御輿に乗りながら奮闘する吉継、輝元と秀頼の御背中、地に両膝をつく家康のくたびれた姿。そのどれもに覚えがあった。
三成は意を決して問いかけた。以前にも同じ話をしていないか、と。それに対して豊久は寸の間の沈黙ののち、頭を振って答えた。
「少なくとも、私が申し上げたのはこれが初めてです」
至極当然の返しだ。家康は今日、赤坂に現れた。こちらの思惑とは裏腹に、あっさりと上杉討伐から手を引き、戻ってきた。この行動に自軍の動揺を感じ取ったからこそ、左近は杭瀬川での戦いに踏み切った。その勇猛果敢な様で相手方を破ることで、今一度奮起させたのだ。
夜襲はそこに相手がいなければ成り立たない。正確かつ確実な情報と、夜陰に乗じて行動できるだけの成熟した軍と、優秀な統率者。これらがすべて揃わなければ愚策以外の何ものでもない。
これは勝利の啓示か。棋譜を見ながら碁を打つような、この既視感は。振り払い切れない不安に口調も余裕のないものになる。
「鬼島津の信頼も厚い貴殿にならば安心してお任せできる。幾人かこの辺りの地形に覚えのある者を回そう」
幸か不幸か、礼もそこそこに去って行った豊久に悟られることはなかった。もしも、この場にいたのが鬼島津の呼び声高き、島津義弘であったなら。三成を初陣におののく小僧のようだと、城中に響き渡るような大声で笑ったことだろう。
感情は化けものだ。三成はその化けものを面倒で厄介だと思いながらも、完全に支配したいと思っていた。熟考することで脳が組み上げた完璧な論理を一瞬で崩してしまったかと思えば、平素では有り得ないほどの閃きと集中をもたらす。秀吉はその典型であり、三成はそのような感情の発露の末を幾度となく見てきた。秀吉が天下人となり、それらは最上の形として結実したが、三成個人が感情を行動理念に置くことは決してなかった。
爆発的な瞬発力は諸刃の剣だ。ただ思ったままの行動は盲目で無謀であり、折角の閃きも集中も平素のそれと変わらないどころか、むしろ劣るだろう。朝鮮出兵はその最たるものだと感じていた。己が死後の豊臣家、特に秀頼の待遇への不安や家康という脅威への恐れを、数多ある外つ海の国々にまで名をとどろかすことで抑えこもうとした。そういう主だと分かっていた。分かっていたのに代案を提示できなかった。三成は誠心誠意、秀吉に仕えてきたが、ことこの点に関しては後悔しかなかった。
「…今、揺れるわけにはいかない」
ぐっと手を握り締め、静かに息をつく。ゆっくりと目を閉じ、血の巡りを拳いっぱいに感じながら、遠くから響き始めた雨音に耳を傾ける。なんとも不思議なもので、腹さえ決めてしまえば化けものの牙はあっさりと折れた。
閉じたときと同様に、ゆっくりと目を開けた。不安という感情を理性の鎖で縛り付けることは叶った。しかしそれでも、既視感だけはどうにもならなかった。夜襲の成功を耳にしたときも、大垣城に籠城することを決めたときも、背後から家康らの軍勢を追い立てたときも、輝元と秀頼の姿を視界に収めたときも。この夜からずっと、絶えることなく、三成には既視感が付いて回ったのだった。
島津豊久の称賛を耳に三成は、はたりとした。あまりにも明瞭たる既視感に思考が停止してしまったのだ。
つい先日、豊久の口から同じことを聞いた。あれは、そう、家康が赤坂に突如として現れたときのこと。夜襲を提案された夜のことだった。
「治部殿?」
「…すまない。少々、気を散らしてしまっていた」
「お疲れのようで」
「もう一度、頼む」
「…我ら島津は今宵、夜襲を仕掛けたいと考えています。長い遠征で疲弊している今が頃合いと、そう判断しました」
夜襲。豊久の口から流暢に溢れる言葉の中から一つしか拾い上げることができなかった。全身が粟立っている。
「どこの、誰を相手に」
「当然、赤坂にいる内府の手勢を。治部殿、我らに任せてはいただけぬか」
ちかちかと一枚絵が浮かんでは消える。向こう意気の強い豊久の瞳、異議を申し立てる左近の険しい顔付き、御輿に乗りながら奮闘する吉継、輝元と秀頼の御背中、地に両膝をつく家康のくたびれた姿。そのどれもに覚えがあった。
三成は意を決して問いかけた。以前にも同じ話をしていないか、と。それに対して豊久は寸の間の沈黙ののち、頭を振って答えた。
「少なくとも、私が申し上げたのはこれが初めてです」
至極当然の返しだ。家康は今日、赤坂に現れた。こちらの思惑とは裏腹に、あっさりと上杉討伐から手を引き、戻ってきた。この行動に自軍の動揺を感じ取ったからこそ、左近は杭瀬川での戦いに踏み切った。その勇猛果敢な様で相手方を破ることで、今一度奮起させたのだ。
夜襲はそこに相手がいなければ成り立たない。正確かつ確実な情報と、夜陰に乗じて行動できるだけの成熟した軍と、優秀な統率者。これらがすべて揃わなければ愚策以外の何ものでもない。
これは勝利の啓示か。棋譜を見ながら碁を打つような、この既視感は。振り払い切れない不安に口調も余裕のないものになる。
「鬼島津の信頼も厚い貴殿にならば安心してお任せできる。幾人かこの辺りの地形に覚えのある者を回そう」
幸か不幸か、礼もそこそこに去って行った豊久に悟られることはなかった。もしも、この場にいたのが鬼島津の呼び声高き、島津義弘であったなら。三成を初陣におののく小僧のようだと、城中に響き渡るような大声で笑ったことだろう。
感情は化けものだ。三成はその化けものを面倒で厄介だと思いながらも、完全に支配したいと思っていた。熟考することで脳が組み上げた完璧な論理を一瞬で崩してしまったかと思えば、平素では有り得ないほどの閃きと集中をもたらす。秀吉はその典型であり、三成はそのような感情の発露の末を幾度となく見てきた。秀吉が天下人となり、それらは最上の形として結実したが、三成個人が感情を行動理念に置くことは決してなかった。
爆発的な瞬発力は諸刃の剣だ。ただ思ったままの行動は盲目で無謀であり、折角の閃きも集中も平素のそれと変わらないどころか、むしろ劣るだろう。朝鮮出兵はその最たるものだと感じていた。己が死後の豊臣家、特に秀頼の待遇への不安や家康という脅威への恐れを、数多ある外つ海の国々にまで名をとどろかすことで抑えこもうとした。そういう主だと分かっていた。分かっていたのに代案を提示できなかった。三成は誠心誠意、秀吉に仕えてきたが、ことこの点に関しては後悔しかなかった。
「…今、揺れるわけにはいかない」
ぐっと手を握り締め、静かに息をつく。ゆっくりと目を閉じ、血の巡りを拳いっぱいに感じながら、遠くから響き始めた雨音に耳を傾ける。なんとも不思議なもので、腹さえ決めてしまえば化けものの牙はあっさりと折れた。
閉じたときと同様に、ゆっくりと目を開けた。不安という感情を理性の鎖で縛り付けることは叶った。しかしそれでも、既視感だけはどうにもならなかった。夜襲の成功を耳にしたときも、大垣城に籠城することを決めたときも、背後から家康らの軍勢を追い立てたときも、輝元と秀頼の姿を視界に収めたときも。この夜からずっと、絶えることなく、三成には既視感が付いて回ったのだった。
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