婚約破棄?喜んで!完璧悪役令嬢は引退予定です!

ちゅんりー

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「……説明を求めます」


朝の光が差し込む宿の一室。


私は冷ややかな声で言いました。


視界には、逞しい胸板と、はだけたシャツから覗く鎖骨。


そして私の体は、タコのように彼――レオンハルト団長の手足に絡みつき、あろうことか彼の胸に顔を埋めている状態でした。


「おはよう、スカーレット。……説明が必要か? 見ての通りだ」


レオンハルト様は、低血圧そうな気怠げな声で、しかし口元には隠しきれない笑みを浮かべて答えます。


「昨夜、君の方から私の布団に転がり込んできて、『寒い』と言ってへばりついてきたのだ。剥がそうとしたが、『離すと凍死する』と君が寝言で脅すのでな。人命救助の観点から、抱き枕になることを甘受した」


「……」


記憶にございません。


と言いたいところですが、微かに記憶の片隅に、極寒の雪山で遭難し、温かい白熊の毛皮に包まる夢を見たような気がします。


あれは白熊ではなく、団長だったのですか。


私はバッと飛び退き、乱れた髪を手櫛で整えました。


「こ、これは不可抗力です! この宿の隙間風が予想以上に深刻だったため、生存本能が働いただけです!」


「ああ、分かっている。君の寝相の悪さと、無意識の甘えん坊ぶりには驚いたが……悪くなかった」


「忘れてください! 今すぐ記憶を抹消してください!」


顔から火が出そうです。


「氷の令嬢」と呼ばれた私のプライドは、寝起きの数分で粉砕されました。


私は逃げるように準備を済ませ、馬車へと駆け込みました。


***


気まずい沈黙(私だけが一方的に気まずいのですが)の中、馬車は再び西へと走り出しました。


お昼頃でしょうか。


街道を塞ぐように、数騎の騎士たちが立ちはだかりました。


彼らが掲げている旗には、王家の紋章が。


「チッ……」


隣でレオンハルト様が、分かりやすく舌打ちをしました。


「嗅ぎ回るのが早いな。王太子の近衛兵か」


「えっ、殿下の?」


馬車が停止します。


レオンハルト様は腰の剣に手をかけ、殺気立った目で扉を開けようとしました。


「スカーレット、君は中にいろ。私が排除する」


「待ってください。『排除』って、斬るつもりですか!?」


「安心してくれ。峰打ちで骨を二、三本折る程度にする」


「全然安心できません! 国家反逆罪になりますよ!」


私は彼を制止し、自ら馬車の扉を開けました。


外には、見覚えのある近衛騎士が一人、馬から降りて恭しく立っていました。


彼は私を見るなり、安堵の表情を浮かべます。


「スカーレット様! ああ、ご無事で何よりです!」


「何用ですか? 私はすでに民間人ですが」


「王太子殿下より、至急の書簡をお預かりしております!」


近衛騎士は、金色の封蝋がされた分厚い封筒を差し出しました。


「殿下は、昨夜のことは『一時的な気の迷い』であったと仰せです。スカーレット様が戻らねば、王宮の業務が――いえ、殿下の心が張り裂けてしまうと」


どうやら本音は「業務が回らない」の方でしょう。


私は溜息をつきながら、その手紙を受け取りました。


レオンハルト様が横から睨みつけます。


「読まなくていい。どうせロクなことは書いていない」


「いえ、一応確認します。正式な書類かもしれませんし」


私はペーパーナイフで封を切り、中の便箋を取り出しました。


そこには、達筆すぎる文字で、殿下の「情熱」が綴られていました。


『愛するスカーレットへ。昨夜はすまなかった。だが、私がどれほど苦しんでいるか、君なら分かってくれるだろう? 君がいない城は、太陽を失った空のようだ。今すぐ戻ってこい。そうすれば全て許してやろう。愛を込めて、ジュリアン』


「……」


読み進めるうちに、私の眉間には深い皺が刻まれていきました。


感動? 未練?


いいえ。私が感じたのは、長年彼に勉強を教えてきた「家庭教師」としての、激しい憤りでした。


「スカーレット? 手が震えているぞ。やはり破り捨てようか?」


「レオンハルト様。……ペンを」


「え?」


「赤ペンを貸してください。今すぐに!」


私の鬼気迫る表情に、レオンハルト様は大人しく胸ポケットから赤いインクの万年筆を差し出しました。


私は馬車の壁を机代わりにし、手紙に猛然と書き込みを開始しました。


「まず冒頭! 『愛する』と書きながら、三行目で『許してやる』という上から目線! 論理矛盾です!」


キュッキュッ! と赤線が引かれます。


「次にここ! 『太陽を失った空』という比喩表現は陳腐すぎます! 語彙力の欠如!」


さらにバツ印を記入。


「そして決定的ミス! 『苦しんでいる』の『し』が抜けています! 送り仮名のミスは公文書では命取りだと、あれほど教えたのに!」


私の怒りは頂点に達しました。


この手紙は、ラブレターではありません。


私の教育が不十分だったという、私への挑戦状です。


「何より、内容が具体性に欠けます! 『戻ってこい』の根拠が『愛』だけ? 提示すべきは『労働条件の改善案』と『未払い残業代の提示』でしょうが!」


私はものの三分で、手紙を真っ赤に染め上げました。


最後に、余白部分に大きく花丸――ではなく、『再提出(不可)』の文字を書き殴ります。


「はい、終わりました」


私は赤字だらけの手紙を封筒に戻し、呆然としている近衛騎士に突き返しました。


「これを殿下にお返しください」


「は……? あ、あの、お返事は……?」


「見ての通りです。誤字脱字、論理破綻、推敲不足。読みるに耐えません。出直してこいとお伝えください」


「ええええ……」


近衛騎士は震える手で封筒を受け取りました。


まさか、感動の復縁要請が「添削」されて返ってくるとは夢にも思わなかったでしょう。


私は扇を開き、冷ややかに告げました。


「それと、追伸として。『次、私の休日にこのような駄文を送りつけたら、王宮の赤点を城下町に掲示します』と」


「ひぃっ! わ、分かりました!」


近衛騎士は青ざめ、逃げるように馬に飛び乗りました。


「アイゼン団長、失礼します! ……あの方を怒らせてはいけないと、肝に銘じました!」


騎士たちは砂煙を上げて去っていきました。


静寂が戻った街道で、私はふぅと息を吐き、赤ペンを返しました。


「お疲れ様です、レオンハルト様。出発しましょう」


レオンハルト様は、返されたペンと私の顔を交互に見て、肩を震わせていました。


「……くっ、ふふっ……!」


「何ですか?」


「いや……君らしいな。まさかあの王太子相手に、添削指導をするとは」


「元教育係としての最後の情けです。次期国王があの程度の文章力では、国の恥ですから」


「厳しいな。だが、そういうところが……」


彼は言いかけて口を噤み、優しく私の頭を撫でました。


「……いや、何でもない。よくやった」


大きな掌の温もりに、私の戦闘モード(教育係モード)が解除されていきます。


「別に……褒められるようなことでは……」


「褒めているさ。君は、自分の意志で『NO』を突きつけたんだ。立派だよ」


その言葉は、私の胸にじわりと染み込みました。


そういえば、殿下の文章を添削することはあっても、「受け取り拒否」をしたのは初めてかもしれません。


「さあ、行こうか。邪魔者も消えたことだし」


「ええ。……あ、レオンハルト様」


「ん?」


「先ほどの件ですが」


「先ほどの?」


「『次、駄文を送ったら晒す』という脅し。……あれ、本気ですので、もしまた来たらご協力をお願いします」


レオンハルト様は一瞬きょとんとして、それから今日一番の笑顔で頷きました。


「ああ、任せておけ。城下町どころか、隣国の掲示板にまで張り出してやろう」


「それはやりすぎです」


軽口を叩き合いながら、馬車は再び動き出します。


追手を論理と赤ペンで撃退した私たちは、いよいよ旅の終着点、西の別荘地へと近づいていました。


しかし私はまだ知りませんでした。


目的地に着いてからが、本当の戦い(レオンハルト様とのご近所トラブル)の始まりだということを。
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