17 / 27
17
しおりを挟む
「……いいですか、閣下。これは決して『就職面接』ではありませんわ。あくまで隣国の情勢を知るための、純粋な『社会見学』です。そこを履き違えないでいただけます?」
温泉地での滞在を終えたエーリカは、クラウスが用意した馬車の前で、扇子を突きつけて宣言した。
その馬車は、ハインリヒ領の紋章が刻まれた、無駄に頑丈そうでいて内装は最高級の絹が張られた、過保護なほど贅沢な一品である。
「あぁ、分かっている。見学だろう? ただ、我が領の空気が貴殿の健康に寄与するかどうかを、実地で確認してほしいだけだ。……万が一、そのまま住みたくなった場合のために、部屋の改装は済ませてあるがな」
「気が早すぎますわ! まだ国境すら越えていないのですよ?」
エーリカは溜息をつきながらも、差し出されたクラウスの手を取って馬車に乗り込んだ。
公爵邸に残してきた父ラインハルトからは「隣国の英雄を婿にするなら、持参金として王宮の予算三回分は請求しろ」という、よく分からない激励の言葉をもらっている。
馬車が動き出すと、クラウスはエーリカの正面に座り、熱心に領内のパンフレット(という名の、手書きの課題一覧)を広げ始めた。
「見てくれ、エーリカ。我がハインリヒ領は、軍事的な要衝でありながら、商業の発展が著しく遅れている。関税の計算が複雑すぎて、商人が隣の領地へ逃げていくのだ。……どうだ、この『不条理』。解いてみたくなるとは思わないか?」
「閣下、口説き文句が完全に『ブラック企業のスカウト』ですわ。普通の令嬢なら、そのパンフレットを窓から投げ捨てていますわよ」
「だが貴殿は、さっきからその複雑な税率表を凝視して、唇を噛んでいる。……計算を間違えた箇所を見つけたのだろう?」
エーリカはハッとして、慌てて視線を逸らした。
確かに、パンフレットの隅に書かれた「物流コストの概算」に、二桁ほどの誤差を見つけてしまい、指がムズムズしていたのだ。
「……ま、間違いを指摘するのは、見学者の権利ですわ。後で赤ペンを入れて差し上げますわね」
「あぁ、期待している」
クラウスは満足げに微笑む。その笑顔が、あまりにも清々しく整いすぎていて、エーリカは少しだけ視線のやり場に困った。
馬車は数時間をかけて、ついに国境の山脈を越えた。
そこには、エーリカがこれまで見てきた、整えられすぎた王都の風景とは異なる、力強くも荒削りな大地が広がっていた。
「ここが、ハインリヒ領……」
「そうだ。ようこそ、エーリカ。我が領の城、シュヴァルツ・シュロスへ」
到着した城門の前では、整列した騎士たちが一斉に剣を掲げて敬礼した。
だが、エーリカの目は彼らの武勲よりも、城の入り口に山積みにされた「謎の木箱」へと釘付けになった。
「……閣下。あの入り口を塞いでいる箱の山は、何ですの?」
「あぁ、あれか。先月の遠征の後に届いた補給物資だが、誰も検品ができなくてな。中身が分からないまま一週間放置されている。おかげで城の入り口が通りにくいのだ」
「一週間!? 生鮮食品が入っていたらどうするつもりですの! それに、物流の動線を塞ぐなんて、効率化の観点から万死に値しますわ!」
エーリカの職業病が、ついに火を噴いた。
彼女は馬車から降りるなり、優雅なドレスの裾を自ら持ち上げ、爆速で木箱の山へと歩み寄った。
「ハンス! 私の箱から帳簿と羽ペンを持ってきなさい! 閣下、騎士たちを十人お借りします。三十分以内にこれらすべてを分類し、台帳に記載しますわよ!」
「お、おい、エーリカ? まだ到着したばかりだ、まずは茶でも……」
「お茶なんて飲んでいる暇はありません! この不合理を目の前にして、一歩も先へは進めませんわ!」
エーリカの瞳には、かつて王宮の予算会議で大臣たちを震え上がらせた、あの鋭い光が戻っていた。
クラウスは呆気に取られつつも、その躍動感溢れる彼女の姿に、深く、深く見惚れた。
「……やはり、私の女神だ。働いている時の彼女が、世界で一番美しい」
「閣下、感心している場合ではありません! ほら、その重そうな箱をそちらへ動かして! 筋肉を有効活用してくださいな!」
「承知した。わが命(めい)に代えても!」
こうして、エーリカの「社会見学」は、開始五分で「大規模在庫整理」へと変貌を遂げた。
本人は「見学」だと言い張っているが、城の住人たちは、突如現れた有能すぎる淑女の指揮の下、かつてないほどの一体感で働き始めていたのである。
温泉地での滞在を終えたエーリカは、クラウスが用意した馬車の前で、扇子を突きつけて宣言した。
その馬車は、ハインリヒ領の紋章が刻まれた、無駄に頑丈そうでいて内装は最高級の絹が張られた、過保護なほど贅沢な一品である。
「あぁ、分かっている。見学だろう? ただ、我が領の空気が貴殿の健康に寄与するかどうかを、実地で確認してほしいだけだ。……万が一、そのまま住みたくなった場合のために、部屋の改装は済ませてあるがな」
「気が早すぎますわ! まだ国境すら越えていないのですよ?」
エーリカは溜息をつきながらも、差し出されたクラウスの手を取って馬車に乗り込んだ。
公爵邸に残してきた父ラインハルトからは「隣国の英雄を婿にするなら、持参金として王宮の予算三回分は請求しろ」という、よく分からない激励の言葉をもらっている。
馬車が動き出すと、クラウスはエーリカの正面に座り、熱心に領内のパンフレット(という名の、手書きの課題一覧)を広げ始めた。
「見てくれ、エーリカ。我がハインリヒ領は、軍事的な要衝でありながら、商業の発展が著しく遅れている。関税の計算が複雑すぎて、商人が隣の領地へ逃げていくのだ。……どうだ、この『不条理』。解いてみたくなるとは思わないか?」
「閣下、口説き文句が完全に『ブラック企業のスカウト』ですわ。普通の令嬢なら、そのパンフレットを窓から投げ捨てていますわよ」
「だが貴殿は、さっきからその複雑な税率表を凝視して、唇を噛んでいる。……計算を間違えた箇所を見つけたのだろう?」
エーリカはハッとして、慌てて視線を逸らした。
確かに、パンフレットの隅に書かれた「物流コストの概算」に、二桁ほどの誤差を見つけてしまい、指がムズムズしていたのだ。
「……ま、間違いを指摘するのは、見学者の権利ですわ。後で赤ペンを入れて差し上げますわね」
「あぁ、期待している」
クラウスは満足げに微笑む。その笑顔が、あまりにも清々しく整いすぎていて、エーリカは少しだけ視線のやり場に困った。
馬車は数時間をかけて、ついに国境の山脈を越えた。
そこには、エーリカがこれまで見てきた、整えられすぎた王都の風景とは異なる、力強くも荒削りな大地が広がっていた。
「ここが、ハインリヒ領……」
「そうだ。ようこそ、エーリカ。我が領の城、シュヴァルツ・シュロスへ」
到着した城門の前では、整列した騎士たちが一斉に剣を掲げて敬礼した。
だが、エーリカの目は彼らの武勲よりも、城の入り口に山積みにされた「謎の木箱」へと釘付けになった。
「……閣下。あの入り口を塞いでいる箱の山は、何ですの?」
「あぁ、あれか。先月の遠征の後に届いた補給物資だが、誰も検品ができなくてな。中身が分からないまま一週間放置されている。おかげで城の入り口が通りにくいのだ」
「一週間!? 生鮮食品が入っていたらどうするつもりですの! それに、物流の動線を塞ぐなんて、効率化の観点から万死に値しますわ!」
エーリカの職業病が、ついに火を噴いた。
彼女は馬車から降りるなり、優雅なドレスの裾を自ら持ち上げ、爆速で木箱の山へと歩み寄った。
「ハンス! 私の箱から帳簿と羽ペンを持ってきなさい! 閣下、騎士たちを十人お借りします。三十分以内にこれらすべてを分類し、台帳に記載しますわよ!」
「お、おい、エーリカ? まだ到着したばかりだ、まずは茶でも……」
「お茶なんて飲んでいる暇はありません! この不合理を目の前にして、一歩も先へは進めませんわ!」
エーリカの瞳には、かつて王宮の予算会議で大臣たちを震え上がらせた、あの鋭い光が戻っていた。
クラウスは呆気に取られつつも、その躍動感溢れる彼女の姿に、深く、深く見惚れた。
「……やはり、私の女神だ。働いている時の彼女が、世界で一番美しい」
「閣下、感心している場合ではありません! ほら、その重そうな箱をそちらへ動かして! 筋肉を有効活用してくださいな!」
「承知した。わが命(めい)に代えても!」
こうして、エーリカの「社会見学」は、開始五分で「大規模在庫整理」へと変貌を遂げた。
本人は「見学」だと言い張っているが、城の住人たちは、突如現れた有能すぎる淑女の指揮の下、かつてないほどの一体感で働き始めていたのである。
12
あなたにおすすめの小説
【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。
112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。
エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。
庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──
妹に全部取られたけど、幸せ確定の私は「ざまぁ」なんてしない!
石のやっさん
恋愛
マリアはドレーク伯爵家の長女で、ドリアーク伯爵家のフリードと婚約していた。
だが、パーティ会場で一方的に婚約を解消させられる。
しかも新たな婚約者は妹のロゼ。
誰が見てもそれは陥れられた物である事は明らかだった。
だが、敢えて反論もせずにそのまま受け入れた。
それはマリアにとって実にどうでも良い事だったからだ。
主人公は何も「ざまぁ」はしません(正当性の主張はしますが)ですが...二人は。
婚約破棄をすれば、本来なら、こうなるのでは、そんな感じで書いてみました。
この作品は昔の方が良いという感想があったのでそのまま残し。
これに追加して書いていきます。
新しい作品では
①主人公の感情が薄い
②視点変更で読みずらい
というご指摘がありましたので、以上2点の修正はこちらでしながら書いてみます。
見比べて見るのも面白いかも知れません。
ご迷惑をお掛けいたしました
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
わたくし、悪女呼ばわりされているのですが……全力で反省しておりますの。
月白ヤトヒコ
恋愛
本日、なんの集まりかはわかりませんが、王城へ召集されておりますの。
まあ、わたくしこれでも現王太子の婚約者なので、その関連だと思うのですが……
「父上! 僕は、こんな傲慢で鼻持ちならない冷酷非道な悪女と結婚なんかしたくありません! この女は、こともあろうに権力を使って彼女を脅し、相思相愛な僕と彼女を引き離そうとしたんですよっ!? 王妃になるなら、側妃や愛妾くらいで煩く言うのは間違っているでしょうっ!?」
と、王太子が宣いました。
「どうやら、わたくし悪女にされているようですわね。でも、わたくしも反省しておりますわ」
「ハッ! やっぱりな! お前は僕のことを愛してるからな!」
「ああ、人語を解するからと人並の知性と理性を豚に求めたわたくしが悪かったのです。ごめんなさいね? もっと早く、わたくしが決断を下していれば……豚は豚同士で娶うことができたというのに」
設定はふわっと。
婚約破棄されてイラッときたから、目についた男に婚約申し込んだら、幼馴染だった件
ユウキ
恋愛
苦節11年。王家から押し付けられた婚約。我慢に我慢を重ねてきた侯爵令嬢アデレイズは、王宮の人が行き交う大階段で婚約者である第三王子から、婚約破棄を告げられるのだが、いかんせんタイミングが悪すぎた。アデレイズのコンディションは最悪だったのだ。
結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?
秋月一花
恋愛
本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。
……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。
彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?
もう我慢の限界というものです。
「離婚してください」
「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」
白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?
あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。
※カクヨム様にも投稿しています。
恋の締め切りには注意しましょう
石里 唯
恋愛
侯爵令嬢シルヴィアは、ウィンデリア国で2番目に強い魔力の持ち主。
幼馴染の公爵家嫡男セドリックを幼いころから慕っている。成長につれ彼女の魔力が強くなった結果、困った副作用が生じ、魔法学園に入学することになる。
最短で学園を卒業し、再びセドリックと会えるようになったものの、二人の仲に進展は見られない。
そうこうしているうちに、幼い頃にシルヴィアが魔力で命を救った王太子リチャードから、
「あと半年でセドリックを落とせなかったら、自分の婚約者になってもらう」と告げられる。
その後、王太子の暗殺計画が予知されセドリックもシルヴィアも忙殺される中、シルヴィアは半年で想いを成就させられるのか…。
「小説家になろう」サイトで完結済みです。なろうサイトでは番外編・後日談をシリーズとして投稿しています。
虐げられ令嬢の最後のチャンス〜今度こそ幸せになりたい
みおな
恋愛
何度生まれ変わっても、私の未来には死しかない。
死んで異世界転生したら、旦那に虐げられる侯爵夫人だった。
死んだ後、再び転生を果たしたら、今度は親に虐げられる伯爵令嬢だった。
三度目は、婚約者に婚約破棄された挙句に国外追放され夜盗に殺される公爵令嬢。
四度目は、聖女だと偽ったと冤罪をかけられ処刑される平民。
さすがにもう許せないと神様に猛抗議しました。
こんな結末しかない転生なら、もう転生しなくていいとまで言いました。
こんな転生なら、いっそ亀の方が何倍もいいくらいです。
私の怒りに、神様は言いました。
次こそは誰にも虐げられない未来を、とー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる