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「……なんだ、これは」
ベルセルク王国の王太子執務室にて、エドワード様は引き攣った顔で一通の書面を見つめていました。
彼の目の前には、帝国の紋章が入った重厚な封筒。
そしてその横には、郵便官が差し出した「配送料および手数料:金貨三枚」という非情な請求書が置かれています。
「マリーナ様からの返信でございますが……差出人様のご意向により、着払いとなっております」
「着払い!? 元婚約者の、それも王太子である私への親書を着払いにする奴があるか!」
「……あの、お支払いいただけない場合は、この場で開封せずに持ち帰りますが」
「くっ……払えばいいんだろう、払えば!」
エドワード様は、震える手で私費の財布から金貨を投げ出しました。
今、王国の金庫はマリーナが管理していた「予備費」の行方が誰にもわからず、深刻な現金不足に陥っていたからです。
期待に胸を膨らませ、彼は封を切りました。
『前略、請求した金貨五千枚の支払いがまだ完了しておりません。滞納一回につき、十パーセントの遅延損害金が発生することをお忘れなきよう。追伸:リリアン様には、算数ドリルをお勧めいたします。以上』
「…………」
あまりにも簡潔。あまりにも冷酷。
愛の言葉も、謝罪の言葉も、一文字もありません。
「損害金……!? あいつ、私に金を払えと言っているのか!? この私に!」
「エドワード様ぁ……どうしたんですかぁ? マリーナ様、なんて?」
隣で、山積みの書類を「見なかったこと」にして爪を磨いていたリリアンさんが、のんきな声を上げました。
「リリアン……これを見ろ。マリーナの奴、お前に『算数ドリルをしろ』などと……!」
「ええっ!? ひどいですぅ! 私、これでも一生懸命、数字を数えているのに……一、二、三……えーと、次は、たくさん!」
「そうだ、リリアンは頑張っている! それを、あの女め……!」
エドワード様は憤慨しましたが、現実の問題は彼の怒りよりも遥かに深刻でした。
執務室の床にまで溢れ出している未決済の書類。
その多くは、隣国との貿易協定や、領主たちへの補助金支給、さらには騎士団の食料調達に関する重要なものばかりです。
「殿下! 失礼いたします!」
そこへ、青ざめた表情の財務官が飛び込んできました。
「なんだ、騒々しいぞ」
「騒々しいどころではありません! マリーナ様が作成していた『関税計算式』の魔導回路が停止しました! これがないと、国境での徴収がすべて手作業になります!」
「な、なに!? 手作業でやればいいだろう!」
「不可能です! 一日の通行量は数千件ですよ!? さらに、彼女独自の暗号でロックがかかっており、無理に開けようとすると書類が自動的に焼却される仕掛けが……!」
エドワード様の顔から、スッと血の気が引いていきました。
マリーナが言っていた「事務代行」とは、単なる紙仕事ではありませんでした。
彼女は、この国のシステムの「心臓部」そのものだったのです。
「……お、おい、リリアン。お前、マリーナの代わりにこれ、なんとかならないか?」
「ええっ!? 無理ですよぉ。私、可愛いものと甘いもの以外は、頭に入らないんですぅ」
リリアンさんは首を横に振り、エドワード様の腕に縋り付きました。
「それよりエドワード様、今夜の晩餐会のドレス、もっとキラキラしたのがいいですぅ!」
「晩餐会どころではない! このままでは、今月末の役人たちの給料すら払えなくなるぞ!」
エドワード様は、ようやく事の重大さに気づき始めました。
マリーナを追い出したことは、単に「口うるさい女」を排除したのではなく、国の「OS」をアンインストールしたのと同じだったのです。
「……くそっ! やはり、あいつがいないとダメか。だが、あんな可愛げのない女に、私の方から頭を下げるなど……」
「エドワード様ぁ、マリーナ様はきっと、隣国の皇太子様に無理やり連れて行かれたんですよぉ。かわいそうなマリーナ様を『救い出す』っていう形なら、かっこいいんじゃないですかぁ?」
リリアンさんの、無知ゆえの提案。
しかし、プライドだけは高いエドワード様にとって、それは天啓のように聞こえました。
「……それだ! リリアン、お前は天才か!」
エドワード様は、パッと表情を明るくしました。
「そうだ。マリーナは、ラインハルトに脅されて無理やり働かされているに違いない! あんな仕事中毒の女を、隣国の皇太子が放っておくはずがないからな!」
「そうですぅ! エドワード様が白馬に乗って助けに行けば、マリーナ様も泣いて喜んで、また全部お仕事してくれますよぉ!」
「よし、決まりだ! 直ちに隣国へ『外交特使』を送る。名目は『我が国の令嬢の不当な連れ去りに対する抗議』だ!」
エドワード様は、自分が抱えている山のような仕事から逃げるように、威勢よく叫びました。
「マリーナ、待っていろ。今すぐ私が、その忌々しい仕事(帝国での公務)から救い出してやるからな!」
……もちろん、助けを求めているのは自分の方だという自覚は、微塵もありませんでした。
一方で、その報告をリアルタイムで諜報員から受けていた隣国。
ラインハルト様の執務室では、彼が手元の報告書を読みながら、呆れたようにため息をついていました。
「……マリーナ。君の元婚約者は、想像を絶するおめでたい頭をしているようだ」
「あら、ラインハルト様。何か面白いニュースでも?」
私は、快適なソファで最新の経済誌を読みながら、優雅に尋ねました。
「ああ。近々、君を『救出』するために、特使という名の迷惑客が来るらしい」
「救出……? 私を、このホワイトな職場から、あの泥沼のようなブラック企業(王国)へ連れ戻すと?」
私は、手に持っていた高級クッキーを口に運び、にっこりと微笑みました。
「素晴らしいですわ。ちょうど、滞納されている金貨五千枚の『直接取り立て』をしたいと思っていたところなんです」
私の瞳に宿った、冷徹なまでの事務的闘志。
それを見たラインハルト様は、「敵に回さなくて本当に良かった」と、心から神に感謝するのでした。
ベルセルク王国の王太子執務室にて、エドワード様は引き攣った顔で一通の書面を見つめていました。
彼の目の前には、帝国の紋章が入った重厚な封筒。
そしてその横には、郵便官が差し出した「配送料および手数料:金貨三枚」という非情な請求書が置かれています。
「マリーナ様からの返信でございますが……差出人様のご意向により、着払いとなっております」
「着払い!? 元婚約者の、それも王太子である私への親書を着払いにする奴があるか!」
「……あの、お支払いいただけない場合は、この場で開封せずに持ち帰りますが」
「くっ……払えばいいんだろう、払えば!」
エドワード様は、震える手で私費の財布から金貨を投げ出しました。
今、王国の金庫はマリーナが管理していた「予備費」の行方が誰にもわからず、深刻な現金不足に陥っていたからです。
期待に胸を膨らませ、彼は封を切りました。
『前略、請求した金貨五千枚の支払いがまだ完了しておりません。滞納一回につき、十パーセントの遅延損害金が発生することをお忘れなきよう。追伸:リリアン様には、算数ドリルをお勧めいたします。以上』
「…………」
あまりにも簡潔。あまりにも冷酷。
愛の言葉も、謝罪の言葉も、一文字もありません。
「損害金……!? あいつ、私に金を払えと言っているのか!? この私に!」
「エドワード様ぁ……どうしたんですかぁ? マリーナ様、なんて?」
隣で、山積みの書類を「見なかったこと」にして爪を磨いていたリリアンさんが、のんきな声を上げました。
「リリアン……これを見ろ。マリーナの奴、お前に『算数ドリルをしろ』などと……!」
「ええっ!? ひどいですぅ! 私、これでも一生懸命、数字を数えているのに……一、二、三……えーと、次は、たくさん!」
「そうだ、リリアンは頑張っている! それを、あの女め……!」
エドワード様は憤慨しましたが、現実の問題は彼の怒りよりも遥かに深刻でした。
執務室の床にまで溢れ出している未決済の書類。
その多くは、隣国との貿易協定や、領主たちへの補助金支給、さらには騎士団の食料調達に関する重要なものばかりです。
「殿下! 失礼いたします!」
そこへ、青ざめた表情の財務官が飛び込んできました。
「なんだ、騒々しいぞ」
「騒々しいどころではありません! マリーナ様が作成していた『関税計算式』の魔導回路が停止しました! これがないと、国境での徴収がすべて手作業になります!」
「な、なに!? 手作業でやればいいだろう!」
「不可能です! 一日の通行量は数千件ですよ!? さらに、彼女独自の暗号でロックがかかっており、無理に開けようとすると書類が自動的に焼却される仕掛けが……!」
エドワード様の顔から、スッと血の気が引いていきました。
マリーナが言っていた「事務代行」とは、単なる紙仕事ではありませんでした。
彼女は、この国のシステムの「心臓部」そのものだったのです。
「……お、おい、リリアン。お前、マリーナの代わりにこれ、なんとかならないか?」
「ええっ!? 無理ですよぉ。私、可愛いものと甘いもの以外は、頭に入らないんですぅ」
リリアンさんは首を横に振り、エドワード様の腕に縋り付きました。
「それよりエドワード様、今夜の晩餐会のドレス、もっとキラキラしたのがいいですぅ!」
「晩餐会どころではない! このままでは、今月末の役人たちの給料すら払えなくなるぞ!」
エドワード様は、ようやく事の重大さに気づき始めました。
マリーナを追い出したことは、単に「口うるさい女」を排除したのではなく、国の「OS」をアンインストールしたのと同じだったのです。
「……くそっ! やはり、あいつがいないとダメか。だが、あんな可愛げのない女に、私の方から頭を下げるなど……」
「エドワード様ぁ、マリーナ様はきっと、隣国の皇太子様に無理やり連れて行かれたんですよぉ。かわいそうなマリーナ様を『救い出す』っていう形なら、かっこいいんじゃないですかぁ?」
リリアンさんの、無知ゆえの提案。
しかし、プライドだけは高いエドワード様にとって、それは天啓のように聞こえました。
「……それだ! リリアン、お前は天才か!」
エドワード様は、パッと表情を明るくしました。
「そうだ。マリーナは、ラインハルトに脅されて無理やり働かされているに違いない! あんな仕事中毒の女を、隣国の皇太子が放っておくはずがないからな!」
「そうですぅ! エドワード様が白馬に乗って助けに行けば、マリーナ様も泣いて喜んで、また全部お仕事してくれますよぉ!」
「よし、決まりだ! 直ちに隣国へ『外交特使』を送る。名目は『我が国の令嬢の不当な連れ去りに対する抗議』だ!」
エドワード様は、自分が抱えている山のような仕事から逃げるように、威勢よく叫びました。
「マリーナ、待っていろ。今すぐ私が、その忌々しい仕事(帝国での公務)から救い出してやるからな!」
……もちろん、助けを求めているのは自分の方だという自覚は、微塵もありませんでした。
一方で、その報告をリアルタイムで諜報員から受けていた隣国。
ラインハルト様の執務室では、彼が手元の報告書を読みながら、呆れたようにため息をついていました。
「……マリーナ。君の元婚約者は、想像を絶するおめでたい頭をしているようだ」
「あら、ラインハルト様。何か面白いニュースでも?」
私は、快適なソファで最新の経済誌を読みながら、優雅に尋ねました。
「ああ。近々、君を『救出』するために、特使という名の迷惑客が来るらしい」
「救出……? 私を、このホワイトな職場から、あの泥沼のようなブラック企業(王国)へ連れ戻すと?」
私は、手に持っていた高級クッキーを口に運び、にっこりと微笑みました。
「素晴らしいですわ。ちょうど、滞納されている金貨五千枚の『直接取り立て』をしたいと思っていたところなんです」
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