婚約破棄。予言なんて不吉なこと、言わないでいただけます?

ちゅんりー

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騎士団という名の「筋肉の聖域」から命からがら逃げ出した私は、聖域(本物)を求めて図書室の最奥へと潜り込んでいた。


ここなら、あの暑苦しい合唱も聞こえてこない。
私は安堵の溜息をつき、古い魔導書の棚の間に身を隠した。


「……ふぅ。静寂こそが、私の傷ついた心を癒してくれるわ」


「静寂? 残念ながら、ここには僕の知的好奇心という名の轟音が鳴り響いているよ」


「……出たわね、ストーカー魔導師」


棚の影から、ひょいと顔を出したのはサイラス様だ。
彼は何やら複雑な模様が描かれた羊皮紙を広げ、指先で青い火花を散らしている。


「ストーカーじゃない。君という特異点を観測するための定点観測だ。……それよりマーリ、ちょうどいいところに来た。この術式の『出口』がどこに繋がるか、予言してみてくれないか?」


サイラス様が指し示したのは、空間に亀裂を入れようとする転移魔法の試作術式だった。
周囲の空気が嫌な音を立てて震えている。


私はその術式をじっと見つめた。
魔法の理論は分からない。けれど、描かれたインクの「濃淡」と、支えている魔石の「角度」はよく見える。


「予言なんてしませんわ。……ただ、その右下の魔法陣、インクが滲んで線が一本繋がってしまっていますわね。あと、その魔石、台座がグラついて三ミリほど左に傾いていますわ」


「それがどうしたというんだい? これは緻密な理論に基づいた――」


「今すぐその指を離した方がよろしいかと。……あと三秒で、その術式は貴方の『鼻の頭』に向かって小規模な爆発を起こしますわよ」


「ははっ、まさか。計算上、反動はすべて後方に――」


ドカンッ!!


乾いた音と共に、青い煙がサイラス様の顔面を直撃した。
霧が晴れると、そこには鼻の頭だけを真っ黒にした天才魔導師が、呆然と立ち尽くしていた。


「……ほら、言ったでしょう」


「…………信じられない。術式の歪みが物理的な干渉を引き起こすタイミングまで、完全に予知したのか」


サイラス様は、真っ黒になった鼻を拭いもせず、狂ったようにメモを取り始めた。


「君の脳は、魔力の流れを視覚情報として処理しているんだね。いや、あるいは世界そのものを一つの数式として捉えているのか……。ああ、素晴らしい! 君を解剖したい欲求が、以前の三倍に膨れ上がったよ!」


「心拍数が上がっていますわよ、落ち着きなさいな。……あと、あちらの遮光カーテンの裏。足元が少し見えていますわ。ジュリアン殿下、隠れるならもう少し丈の長いカーテンを選べばよろしかったのに」


私が視線を向けると、カーテンが大きく揺れ、顔を真っ赤にしたジュリアン様が飛び出してきた。
その後ろから、リリア様がひょこひょこと現れる。


「き、貴様っ……! どこまで私の行動を見通しているのだ!」


「殿下。隠密魔法の訓練をする前に、まずは自分の影が窓からの光で伸びていることに気づくべきですわ」


「黙れ! 私はサイラスに、お前の『呪い』を解くための魔道具を作らせに来たのだ。それなのに、あろうことかサイラスまでお前にたぶらかされているとは!」


ジュリアン様は、鼻が黒いままのサイラス様を見て、いっそう顔を歪めた。


「マーリ様! そんなに殿下を困らせて、何が楽しいのですか?」


リリア様が、慈愛に満ちた(つもりの)表情で私に近づいてくる。


「貴女の不気味な予言のせいで、学園の秩序が乱れていますわ。……見てください、私のこの手が震えているのを。貴女の邪悪な魔力のせいでおびえているのです!」


彼女が差し出した白く細い手は、確かに小さく震えていた。
私はその手を、無感情に観察した。


「リリア様。その震え、魔力ではなく単なる低血糖ですわよ。お昼を抜いて、さっきから無理に声を高く作っているから、エネルギーが切れているんですわ。あと、その震えを強調するために、袖の中に重りを仕込んでいらっしゃいますわね」


「なっ……なな、何を……っ!」


「今、その重りの紐が切れかかっています。……あ、落ちた」


コトン。


リリア様の袖口から、ズシリと重そうな真鍮の塊が床に転がった。
図書室に、気まずい沈黙が流れる。


「……リリア? それは、一体……?」


ジュリアン様の声が、心なしか震えている。


「あ、あら……? これは、その……聖女の修行に使う、精神統一のための重りですわ! そう、修行なんです!」


「修行にしては、殿下に見える位置にばかり仕込んでいらっしゃるようですけれど」


私が追い打ちをかけると、リリア様は顔を般若のように歪め、ジュリアン様の腕を掴んで走り去っていった。


「……マーリ。君は本当に、救いようがないほどに真実を暴き立てるね」


サイラス様が、ようやく鼻の汚れを拭き取りながら、クスクスと笑った。


「おかげで、僕の魔法理論に新しい変数が加わった。……君という存在そのものが、因果を壊す引き金(トリガー)だ」


「私はただ、壊れそうなものを壊れる前に指摘しているだけですわ」


私は溜息をつき、本を棚に戻した。
誤解を解くために真実を話しているはずなのに、なぜか敵が増え、味方は狂っていく。


「……サイラス様。園遊会の日、私は一つだけ『本当の予言』をしますわ」


「ほう。聞かせてもらおうか」


「あの日、ジュリアン殿下は、人生で一番恥ずかしい思いをすることになります。……これは、これまでの観察から導き出された『確実な未来』ですわ」


私は優雅に一礼して、図書室を後にした。
背後でサイラス様が「それは楽しみだね!」と上機嫌に叫ぶ声が聞こえた。


私の平穏な生活のための戦いは、いよいよ佳境に入ろうとしていた。
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