婚約破棄で自由になった悪役令嬢カタールは、趣味で無双?

ちゅんりー

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「……ふぅ。これで今月のキャッシュフローの修正は完了ですわ。ゼスト様、隣国からの資材搬入コスト、あともうコンマ二パーセント削れませんこと?」

深夜の領主館。私は、月明かりに照らされたバルコニーで、隣に座るゼスト様に帳簿を突き出した。

「カタール、君は本当に妥協を知らないね。そのコンマ二パーセントのために、僕の商会の職員たちがどれだけ泣きながらルートを再計算していると思っているんだい?」

ゼスト様は苦笑しながらも、私が差し出した書類を丁寧に受け取った。

「泣くのは一時的な感情のコストですが、無駄な支出は永続的な負債ですわ。……それよりも、見てください。この街の灯りを」

私はバルコニーから、湯煙と魔石の光に包まれたガラガラ地方の夜景を指差した。

かつては死の地と呼ばれた岩場に、今や数千人の人間がひしめき、黄金の汗を流して働いている。

「美しいだろう? ……でも、僕にとっては、その灯りよりもそれを造り上げた君の横顔の方が、ずっと価値があるように見えるんだ」

「あら、視覚的な美しさを利益に換算するのは難しいですわよ? それともゼスト様、私の肖像権を商品化して、客単価を上げるおつもりかしら?」

私が真顔で問い返すと、ゼスト様はガックリと肩を落とし、手で顔を覆った。

「……君のその、一切の情緒を数字で粉砕するところ、本当に嫌いじゃないよ。……いや、むしろ愛おしいとすら思う」

ゼスト様が、そっと私の手に自分の手を重ねてきた。

彼の指先は温かく、いつもより少しだけ、その距離が近いように感じる。

「カタール。僕は君に、一つの大きな提案があるんだ。これはビジネスパートナーとしてではなく、一人の男としての提案だよ」

「……何かしら。まさか、商会の合併(M&A)の打診ですか? 比率によっては検討しますけれど」

「いいえ、それ以上の話だ。……僕の商会の全資産、全利権、そして僕自身の人生。そのすべてを君に捧げてもいい。……いや、捧げさせてほしいんだ」

ゼスト様の灰色の瞳が、真剣な熱を帯びて私を射抜く。

「君が描く未来の設計図に、僕というピースを『永久欠番』として組み込んでくれないかい? 報酬は、僕の生涯を通じた愛と、君の事業への全投資だ」

会場が……いえ、バルコニーがしんと静まり返った。

私は数秒間、沈黙した。脳内では、ゼスト商会の時価総額と、彼という人的資源の将来価値、そして「結婚」という名の契約に伴う法的責任が、凄まじい速度で計算されていた。

「……ゼスト様。その提案、つまり私との『独占的包括提携契約』……世間一般で言うところの婚約を結びたい、ということでよろしくて?」

「……言葉選びは相変わらずだけど、その通りだよ。……返事を聞かせてくれるかい?」

ゼスト様が期待に満ちた目で私を見つめる。

私は、彼の目を真っ直ぐに見返し、唇をゆっくりと開いた。

「……メリットしかございませんわね」

「えっ?」

「あなたの商会の流通網が完全に私の支配下に入り、かつあなたの優秀な頭脳を無期限で拘束できる。……これほどの優良案件、断る理由を探す方がコストの無駄ですわ。……承知いたしました、ゼスト様。その契約、謹んでお受けいたしますわ!」

「……カタール。君、今、僕への好意とか感情とか、そういうのは一ミリも計算に入れなかったのかい?」

「あら。好意は不確かな変動要素ですが、信頼関係という名の『実績値』なら、この一ヶ月で十分に積み上がっておりますわ。……大好きですわよ、ゼスト様。あなたの生み出す利益と、その商売のセンスが!」

私はとびきりの笑顔で言い切った。

ゼスト様は一瞬呆然とした後、天を仰いで大爆笑した。

「ハハハ! 最高だ! 君に愛を囁いても、返ってくるのは投資効率の話か! ……でもいい。その鉄壁の合理性を、いつか僕への独占欲に変えてみせるよ」

ゼスト様が私の手を力強く引き寄せ、その甲に誓いのキスを落とした。

その様子を、バルコニーの影から見ていたバルトが、小声で呟いた。

「……ゼスト様も、随分とニッチな市場を攻めることになりましたね。……お嬢様の心という名の『難攻不落の要塞』を攻略するには、あと何億金貨が必要になることやら」

(ふふ、ゼスト様を完全にこちら側に引き込めれば、次は王都の金融市場の操作も容易になりますわね!)

私は甘い雰囲気など露知らず、次なる「王都買収計画」の修正案を、ゼスト様の背中に押し当てながら書き始めたのだった。
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