17 / 28
17
しおりを挟む
「……ふぅ。これで今月のキャッシュフローの修正は完了ですわ。ゼスト様、隣国からの資材搬入コスト、あともうコンマ二パーセント削れませんこと?」
深夜の領主館。私は、月明かりに照らされたバルコニーで、隣に座るゼスト様に帳簿を突き出した。
「カタール、君は本当に妥協を知らないね。そのコンマ二パーセントのために、僕の商会の職員たちがどれだけ泣きながらルートを再計算していると思っているんだい?」
ゼスト様は苦笑しながらも、私が差し出した書類を丁寧に受け取った。
「泣くのは一時的な感情のコストですが、無駄な支出は永続的な負債ですわ。……それよりも、見てください。この街の灯りを」
私はバルコニーから、湯煙と魔石の光に包まれたガラガラ地方の夜景を指差した。
かつては死の地と呼ばれた岩場に、今や数千人の人間がひしめき、黄金の汗を流して働いている。
「美しいだろう? ……でも、僕にとっては、その灯りよりもそれを造り上げた君の横顔の方が、ずっと価値があるように見えるんだ」
「あら、視覚的な美しさを利益に換算するのは難しいですわよ? それともゼスト様、私の肖像権を商品化して、客単価を上げるおつもりかしら?」
私が真顔で問い返すと、ゼスト様はガックリと肩を落とし、手で顔を覆った。
「……君のその、一切の情緒を数字で粉砕するところ、本当に嫌いじゃないよ。……いや、むしろ愛おしいとすら思う」
ゼスト様が、そっと私の手に自分の手を重ねてきた。
彼の指先は温かく、いつもより少しだけ、その距離が近いように感じる。
「カタール。僕は君に、一つの大きな提案があるんだ。これはビジネスパートナーとしてではなく、一人の男としての提案だよ」
「……何かしら。まさか、商会の合併(M&A)の打診ですか? 比率によっては検討しますけれど」
「いいえ、それ以上の話だ。……僕の商会の全資産、全利権、そして僕自身の人生。そのすべてを君に捧げてもいい。……いや、捧げさせてほしいんだ」
ゼスト様の灰色の瞳が、真剣な熱を帯びて私を射抜く。
「君が描く未来の設計図に、僕というピースを『永久欠番』として組み込んでくれないかい? 報酬は、僕の生涯を通じた愛と、君の事業への全投資だ」
会場が……いえ、バルコニーがしんと静まり返った。
私は数秒間、沈黙した。脳内では、ゼスト商会の時価総額と、彼という人的資源の将来価値、そして「結婚」という名の契約に伴う法的責任が、凄まじい速度で計算されていた。
「……ゼスト様。その提案、つまり私との『独占的包括提携契約』……世間一般で言うところの婚約を結びたい、ということでよろしくて?」
「……言葉選びは相変わらずだけど、その通りだよ。……返事を聞かせてくれるかい?」
ゼスト様が期待に満ちた目で私を見つめる。
私は、彼の目を真っ直ぐに見返し、唇をゆっくりと開いた。
「……メリットしかございませんわね」
「えっ?」
「あなたの商会の流通網が完全に私の支配下に入り、かつあなたの優秀な頭脳を無期限で拘束できる。……これほどの優良案件、断る理由を探す方がコストの無駄ですわ。……承知いたしました、ゼスト様。その契約、謹んでお受けいたしますわ!」
「……カタール。君、今、僕への好意とか感情とか、そういうのは一ミリも計算に入れなかったのかい?」
「あら。好意は不確かな変動要素ですが、信頼関係という名の『実績値』なら、この一ヶ月で十分に積み上がっておりますわ。……大好きですわよ、ゼスト様。あなたの生み出す利益と、その商売のセンスが!」
私はとびきりの笑顔で言い切った。
ゼスト様は一瞬呆然とした後、天を仰いで大爆笑した。
「ハハハ! 最高だ! 君に愛を囁いても、返ってくるのは投資効率の話か! ……でもいい。その鉄壁の合理性を、いつか僕への独占欲に変えてみせるよ」
ゼスト様が私の手を力強く引き寄せ、その甲に誓いのキスを落とした。
その様子を、バルコニーの影から見ていたバルトが、小声で呟いた。
「……ゼスト様も、随分とニッチな市場を攻めることになりましたね。……お嬢様の心という名の『難攻不落の要塞』を攻略するには、あと何億金貨が必要になることやら」
(ふふ、ゼスト様を完全にこちら側に引き込めれば、次は王都の金融市場の操作も容易になりますわね!)
私は甘い雰囲気など露知らず、次なる「王都買収計画」の修正案を、ゼスト様の背中に押し当てながら書き始めたのだった。
深夜の領主館。私は、月明かりに照らされたバルコニーで、隣に座るゼスト様に帳簿を突き出した。
「カタール、君は本当に妥協を知らないね。そのコンマ二パーセントのために、僕の商会の職員たちがどれだけ泣きながらルートを再計算していると思っているんだい?」
ゼスト様は苦笑しながらも、私が差し出した書類を丁寧に受け取った。
「泣くのは一時的な感情のコストですが、無駄な支出は永続的な負債ですわ。……それよりも、見てください。この街の灯りを」
私はバルコニーから、湯煙と魔石の光に包まれたガラガラ地方の夜景を指差した。
かつては死の地と呼ばれた岩場に、今や数千人の人間がひしめき、黄金の汗を流して働いている。
「美しいだろう? ……でも、僕にとっては、その灯りよりもそれを造り上げた君の横顔の方が、ずっと価値があるように見えるんだ」
「あら、視覚的な美しさを利益に換算するのは難しいですわよ? それともゼスト様、私の肖像権を商品化して、客単価を上げるおつもりかしら?」
私が真顔で問い返すと、ゼスト様はガックリと肩を落とし、手で顔を覆った。
「……君のその、一切の情緒を数字で粉砕するところ、本当に嫌いじゃないよ。……いや、むしろ愛おしいとすら思う」
ゼスト様が、そっと私の手に自分の手を重ねてきた。
彼の指先は温かく、いつもより少しだけ、その距離が近いように感じる。
「カタール。僕は君に、一つの大きな提案があるんだ。これはビジネスパートナーとしてではなく、一人の男としての提案だよ」
「……何かしら。まさか、商会の合併(M&A)の打診ですか? 比率によっては検討しますけれど」
「いいえ、それ以上の話だ。……僕の商会の全資産、全利権、そして僕自身の人生。そのすべてを君に捧げてもいい。……いや、捧げさせてほしいんだ」
ゼスト様の灰色の瞳が、真剣な熱を帯びて私を射抜く。
「君が描く未来の設計図に、僕というピースを『永久欠番』として組み込んでくれないかい? 報酬は、僕の生涯を通じた愛と、君の事業への全投資だ」
会場が……いえ、バルコニーがしんと静まり返った。
私は数秒間、沈黙した。脳内では、ゼスト商会の時価総額と、彼という人的資源の将来価値、そして「結婚」という名の契約に伴う法的責任が、凄まじい速度で計算されていた。
「……ゼスト様。その提案、つまり私との『独占的包括提携契約』……世間一般で言うところの婚約を結びたい、ということでよろしくて?」
「……言葉選びは相変わらずだけど、その通りだよ。……返事を聞かせてくれるかい?」
ゼスト様が期待に満ちた目で私を見つめる。
私は、彼の目を真っ直ぐに見返し、唇をゆっくりと開いた。
「……メリットしかございませんわね」
「えっ?」
「あなたの商会の流通網が完全に私の支配下に入り、かつあなたの優秀な頭脳を無期限で拘束できる。……これほどの優良案件、断る理由を探す方がコストの無駄ですわ。……承知いたしました、ゼスト様。その契約、謹んでお受けいたしますわ!」
「……カタール。君、今、僕への好意とか感情とか、そういうのは一ミリも計算に入れなかったのかい?」
「あら。好意は不確かな変動要素ですが、信頼関係という名の『実績値』なら、この一ヶ月で十分に積み上がっておりますわ。……大好きですわよ、ゼスト様。あなたの生み出す利益と、その商売のセンスが!」
私はとびきりの笑顔で言い切った。
ゼスト様は一瞬呆然とした後、天を仰いで大爆笑した。
「ハハハ! 最高だ! 君に愛を囁いても、返ってくるのは投資効率の話か! ……でもいい。その鉄壁の合理性を、いつか僕への独占欲に変えてみせるよ」
ゼスト様が私の手を力強く引き寄せ、その甲に誓いのキスを落とした。
その様子を、バルコニーの影から見ていたバルトが、小声で呟いた。
「……ゼスト様も、随分とニッチな市場を攻めることになりましたね。……お嬢様の心という名の『難攻不落の要塞』を攻略するには、あと何億金貨が必要になることやら」
(ふふ、ゼスト様を完全にこちら側に引き込めれば、次は王都の金融市場の操作も容易になりますわね!)
私は甘い雰囲気など露知らず、次なる「王都買収計画」の修正案を、ゼスト様の背中に押し当てながら書き始めたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』
鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。
だからこそ転生後に誓った――
「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。
気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。
「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」
――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。
なぜか気づけば、
・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変
・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功
・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす
・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末
「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」
自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、
“やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。
一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、
実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。
「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」
働かないつもりだった貴族夫人が、
自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。
これは、
何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。
公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―
鷹 綾
恋愛
男が学び、女は飾るだけ——
そんな世界に、ひとりの公爵令嬢が問いを投げた。
レクチャラー・トレイルブレイザー。
名門公爵家に生まれた彼女は、幼い頃に父から“学院”という御伽話を聞く。徒弟でも修道院でもない、講師を集め、制度として人を育てる場所。
この世界には、まだその言葉すら存在しなかった。
「講師を一か所に集めますわ」
家庭ごとに高額な家庭教師を雇う非効率。
才能があっても機会を得られない現実。
身分と財力だけが教育を決める社会構造。
彼女は合理性を武器に、貴族子弟のための“学院”を創設する。
複数の生徒から月謝を集めることで、家庭教師より安価に。
講師にはより高額な報酬を。
制度として成立する形で、教育を再設計する。
やがて学院は成果を出し、“学院出身”は優秀の証となる。
その基盤の上で、彼女は次の一歩を踏み出す。
——貴族女子学院。
「美しさと知性と教養を兼ね備えた令嬢。婚約先は、よりどりみどりですわ」
表向きは婚約戦略。
だが本当の狙いは、女性の地位向上。
男尊女卑が当然の世界で、女が学ぶことは前例なき挑戦。
保守派の反発、王太子からの婚約打診。
それでも彼女は揺れない。
「婚約は家同士の契約です。決定権は父にあります」
父を盾にしながら、順序を守り、世界を壊さず、底から上げる。
恋より制度。
革命ではなく積み重ね。
学院のない世界に、学院を。
これは、静かに世界を変えようとする公爵令嬢の物語。
下級兵士は断罪された追放令嬢を護送する。
やすぴこ
恋愛
「ジョセフィーヌ!! 貴様を断罪する!!」
王立学園で行われたプロムナード開催式の場で、公爵令嬢ジョセフィーヌは婚約者から婚約破棄と共に数々の罪を断罪される。
愛していた者からの慈悲無き宣告、親しかった者からの嫌悪、信じていた者からの侮蔑。
弁解の機会も与えられず、その場で悪名高い国外れの修道院送りが決定した。
このお話はそんな事情で王都を追放された悪役令嬢の素性を知らぬまま、修道院まで護送する下級兵士の恋物語である。
この度なろう、アルファ、カクヨムで同時完結しました。
(なろう版だけ諸事情で18話と19話が一本となっておりますが、内容は同じです)
【完結】無意識 悪役公爵令嬢は成長途中でございます!ー新たなる王室編ー
愚者 (フール)
恋愛
無意識 悪役公爵令嬢は成長途中でございます!
幼女編、こちらの続編となります。
家族の罪により王から臣下に下った代わりに、他国に暮らしていた母の違う兄がに入れ替わり玉座に座る。
新たな王族たちが、この国エテルネルにやって来た。
その後に、もと王族と荒れ地へ行った家族はどうなるのか?
離れて暮らすプリムローズとは、どんな関係になるのかー。
そんな彼女の成長過程を、ゆっくりお楽しみ下さい。
☆この小説だけでも、十分に理解できる様にしております。
全75話
全容を知りたい方は、先に書かれた小説をお読み下さると有り難いです。
前編は幼女編、全91話になります。
裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。
夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。
辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。
側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。
※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。
侍女は婚約が内定している俺様属性の男と縁を切りたい。
彩柚月
恋愛
リリアは侯爵令嬢。オスカーとは、婚約予定。あくまでも予定で、まだ結んでいません。オスカーは何故かリリアにだけ、威圧的な態度を取るらしい。嫌で仕方がないので、オスカーの兄とプレ婚約期のやり直し。
今が幸せなので、あなたのことは助けてあげられません。
※ご都合主義満載
※細かい部分はサラッと流してください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる