婚約破棄。つきましては、こちらに残業代と慰謝料の請求書を

ちゅんりー

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
王都の一等地に店を構える、高級ブティック『ローズ・マリー』。

王侯貴族御用達のこの店に、アムリーはギルバートと共に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ、ライオット公爵閣下! お待ちしておりましたわ!」

店主のマダムが、揉み手をして出迎える。

店内には、宝石を散りばめたような煌びやかなドレスがずらりと並んでいた。

「アムリー。今日は貸切にしてある。好きなものを選ぶといい」

ギルバートが鷹揚に言う。

アムリーは並べられたドレス群を、在庫管理表を見るような目でスキャンした。

「……閣下。質問しても?」

「なんだ?」

「今回の舞踏会における、私の『役割(ロール)』は?」

アムリーが真顔で尋ねる。

ギルバートは少し考え、答えた。

「『私の最愛の婚約者』としての威厳を示し、周囲の雑音を黙らせること。そして何より、君自身がその美しさを自覚することだ」

「了解しました。つまり、敵(カイル殿下たち)への威嚇と、対外的なプレゼンスの向上ですね」

アムリーは頷くと、一着のパステルピンクのドレスを指先で摘んだ。

「まず、これは却下です」

「なぜだ? 可愛らしいと思うが」

「フリルが多すぎます。これでは他者と接触した際、破損するリスクが高い。それに、ワインなどをかけられた場合の防汚性が著しく低い色です」

「……防汚性?」

「次に、あの純白のドレス。あれも却下です。膨張色は威圧感に欠けます。舐められたら終わりの交渉の場において、白旗を上げているようなものです」

アムリーは次々とドレスを却下していく。

「このマーメイドラインは動きにくいので却下(緊急時の逃走に支障が出ます)。この総レースは引っかかり係数が高すぎるので却下」

マダムの顔が引きつり始めた。

「あ、あの、お嬢様……? デザインや流行については……?」

「機能美こそが至高です。戦場(舞踏会)に、飾りだけの鎧を着ていく騎士はいません」

アムリーは断言した。

彼女にとって舞踏会とは、優雅に踊る場所ではない。

情報収集と人脈形成、そして敵対勢力との腹の探り合いを行う『戦場』なのだ。

「……ははは!」

ギルバートが吹き出した。

「戦場か。違いない」

彼は楽しそうに笑うと、ラックの奥から一着のドレスを引き出した。

それは、深い夜の色――ミッドナイトブルーの生地に、銀糸の刺繍が施されたシックなドレスだった。

露出は控えめだが、背中のラインが大胆に開いている。

「これならどうだ? 汚れも目立たないし、威厳もある」

アムリーは生地を触り、縫製を確認し、裏地をチェックした。

「……シルクサテンの厚手生地。耐久性は合格。色味も、私の肌色とのコントラスト比において最適解かと。何より、足捌きが良さそうです」

「気に入ったか?」

「はい。この装備なら、カイル殿下にワインをかけられても、即座に回し蹴りで応戦できます」

「応戦はしなくていい。避けてくれ」

ギルバートは苦笑しつつ、マダムに合図を送った。

「これを頼む。あと、これに合う宝石もだ。予算は無制限でいい」

「かしこまりましたわ!」

マダムの目が金貨の色に輝いた。

          ◇

数十分後。

試着室のカーテンが開かれた。

「……いかがでしょうか」

アムリーが少し照れくさそうに姿を現す。

店内の空気が、一変した。

深い青のドレスは、アムリーの冷ややかな美貌を極限まで引き立てていた。

アップに結い上げられた銀髪。

露わになった白磁の背中。

そして首元には、ギルバートの瞳と同じアイスブルーのサファイアが輝いている。

それはもはや『悪役令嬢』というより、『氷の女王』と呼ぶにふさわしい気品と迫力だった。

「……」

ギルバートは言葉を失っていた。

いつもの皮肉な笑みも、冷徹な仮面も消え失せ、ただ呆然とアムリーを見つめている。

「閣下? 変でしょうか? やはり機能性を重視しすぎて、華やかさに欠けるのでは……」

アムリーが不安げに尋ねる。

ギルバートはハッと我に返り、ゆっくりと歩み寄った。

「……いや。訂正が必要だ」

「訂正?」

「『美しい』という言葉では足りない。……君は、恐ろしいほどに魅力的だ」

ギルバートの手が、アムリーの頬に触れる。

その指先がわずかに熱いことに、アムリーは驚いた。

「この姿を会場で見せれば、誰もがひれ伏すだろう。カイル殿下が泡を吹いて倒れる姿が目に浮かぶよ」

「それは効果絶大ですね。コストパフォーマンス最高の投資です」

アムリーは照れ隠しにそう言ったが、心臓の鼓動は早鐘を打っていた。

(おかしいわね……。コルセットの締め付けがきついのかしら? 酸素供給量が低下している気がする)

顔が熱い。

鏡に映る自分は、いつもの冷静な顔をしているはずなのに、耳まで赤い気がする。

「さあ、次は靴を選ぼう。君が『逃走』にも『追跡』にも使える、最強のヒールを」

「はい! ヒールの高さは七センチが限界です。それ以上は機動力が三〇%低下します!」

「了解した。……本当に、君は面白いな」

ギルバートは愛おしそうにアムリーの手を取り、エスコートした。

その様子を、店の外から恨めしそうに見つめる影があったことに、二人はまだ気づいていなかった。

          ◇

一方、その頃。

王都の裏通りにある質屋『強欲の壺』。

そこに、帽子を目深に被った男と、フードを被った小柄な女の姿があった。

「お、おい、本当にこれを売るのか? これは王家伝来の……」

「カイル様ぁ、仕方ないですぅ。だってお金がないと、ミナのドレスが買えないじゃないですかぁ」

カイルとミナである。

カイルの手には、小さな宝飾品が握られていた。

それは王太子の私物ではなく、王家の倉庫からこっそり持ち出したアンティークのブローチだった。

「でも、バレたら父上に殺される……」

「バレませんよぉ! それに、アムリーお姉様に勝つためです! ミナが一番可愛くなって、あのお姉様をギャフンと言わせるんです!」

ミナは拳を握りしめた。

あの日、宰相執務室から追い出された屈辱。

そして実家に届いた高額な請求書。

それらがミナの(歪んだ)対抗心に火をつけていた。

「そうだな……。あいつを見返してやらねば! 俺を振ったことを後悔させてやる!」

カイルは意を決して、質屋のカウンターにブローチを置いた。

「これを頼む! 最高級のドレスが買えるだけの金をくれ!」

質屋の親父が、ギロリと目を光らせた。

「……へいへい。出所は聞かねえことにしてやるよ」

ジャラジャラと硬貨の音が響く。

その金を手にした二人は、歪んだ笑みを浮かべた。

「見てろよアムリー! 今度の舞踏会が貴様の処刑場だ!」

「ミナの可愛さで、ギルバート様を奪っちゃいますぅ!」

二人の復讐計画(という名の自爆特攻準備)は、着々と進行していた。

          ◇

翌日。

宰相邸のダンスホールにて。

「ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー」

機械的なカウントが響いていた。

アムリーである。

彼女は真剣な顔で、ギルバートと組みながらステップを踏んでいた。

「アムリー。もう少し力を抜いて」

「無理です。重心移動のベクトル計算に集中しています」

アムリーの体は、木の棒のように硬い。

「ダンスは計算じゃない。相手に身を委ねるものだ」

「身を委ねる=転倒リスクの増加です。私は自分の足で立ちます」

「……はは、頑固だな」

ギルバートは苦笑しながら、ぐっとアムリーを引き寄せた。

「っ!?」

距離がゼロになる。

互いの呼吸がかかるほどの密着度。

「私を信じろ。絶対に転ばせないし、君を傷つけさせない」

ギルバートの低音が、鼓膜を震わせる。

「君はただ、私のリードに従って、優雅に微笑んでいればいい。……全ての面倒ごとは、私が処理する」

その言葉は、アムリーが今まで一人で背負ってきた重荷を、ふわりと持ち上げてくれるようだった。

王妃教育のプレッシャーも。

実家の借金も。

周囲の悪意も。

「……好条件すぎますね」

アムリーは小さく呟いた。

「そんなに甘やかされると、勘違いしてしまいそうです」

「勘違いすればいい。……私は本気だと言っているだろう?」

ギルバートはアムリーの額に、唇を寄せた。

チュッ。

軽い音とともに、アムリーの思考回路がショートした。

「~~~~っ!?」

「本番を楽しみにしているよ、私の可愛いアムリー」

真っ赤になって固まるアムリーを見て、ギルバートは満足げに笑った。

舞踏会まで、あと三日。

最強の装備と、最強のパートナーを得たアムリーの進撃が始まる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

うちに待望の子供が産まれた…けど

satomi
恋愛
セント・ルミヌア王国のウェーリキン侯爵家に双子で生まれたアリサとカリナ。アリサは黒髪。黒髪が『不幸の象徴』とされているセント・ルミヌア王国では疎まれることとなる。対してカリナは金髪。家でも愛されて育つ。二人が4才になったときカリナはアリサを自分の侍女とすることに決めた(一方的に)それから、両親も家での事をすべてアリサ任せにした。 デビュタントで、カリナが皇太子に見られなかったことに腹を立てて、アリサを勘当。隣国へと国外追放した。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

私に婚約者がいたらしい

来栖りんご
恋愛
学園に通っている公爵家令嬢のアリスは親友であるソフィアと話をしていた。ソフィアが言うには私に婚約者がいると言う。しかし私には婚約者がいる覚えがないのだが…。遂に婚約者と屋敷での生活が始まったが私に回復魔法が使えることが発覚し、トラブルに巻き込まれていく。

居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。 父親は怒り、修道院に入れようとする。 そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。 学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。 ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました

あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。 この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。

処理中です...