婚約破棄。つきましては、こちらに残業代と慰謝料の請求書を

ちゅんりー

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舞踏会の翌朝。

宰相執務室は、いつになく張り詰めた空気に包まれていた。

「……間違いないのだな?」

ギルバートが低い声で問う。

アムリーは手元のメモ帳を開き、淡々と報告を開始した。

「はい。昨夜二〇時四五分、カイル殿下の胸ポケットから視認した懐中時計の特徴は、以下の通りです。金細工の獅子の紋章、文字盤のルビー、そして鎖の形状。これらは『王家秘蔵コレクション台帳』の四ページ目、管理番号004『初代国王の懐中時計』と完全に一致します」

アムリーの記憶力は、写真のように正確だ。

「あれは国宝級の代物だ。持ち出し禁止どころか、陛下ですら式典以外では身につけない」

「それを殿下が所持し、あまつさえワインで汚した上着のポケットに無造作に突っ込んでいた。……管理体制の不備以前に、所有権の侵害が疑われます」

「横領、か」

ギルバートは指で机を叩いた。

「殿下の個人資産は、アムリーへの慰謝料(未払い)とミナ嬢の浪費ですでに枯渇しているはずだ。にもかかわらず、昨夜の二人は高価な衣装を身につけていた」

「辻褄が合いますね。……閣下、提案があります」

アムリーは眼鏡(伊達眼鏡。知的に見えるという理由で着用)をクイッと押し上げた。

「これより『王家宝物庫』への緊急立ち入り監査を実行すべきです。在庫と台帳の突合(とつごう)を行い、紛失物を特定。被害額を算出します」

「許可する。私も同行しよう。……カイル殿下がこれ以上、国の財産を食い荒らす前に」

          ◇

王城の地下深くに、その扉はあった。

王家宝物庫。

歴代の王たちが集めた財宝や、諸外国からの献上品が眠る場所である。

本来なら厳重な警備が敷かれているはずだが――。

「……鍵が開いていますね」

アムリーが扉のノブに触れると、ガチャリと音がした。

見張り番の兵士は、なぜか非番で不在だった(後にカイルが無理やり休暇を取らせたことが判明する)。

「侵入経路の確保もずさん過ぎます。これでは『どうぞ盗んでください』と言っているようなものです」

アムリーは呆れながら、薄暗い室内へと足を踏み入れた。

ギルバートがランプを掲げる。

その光に照らし出されたのは、無数に並ぶ棚と、宝箱の山だった。

「さて、始めましょうか」

アムリーは腕まくりをした。

彼女にとって、ここは宝の山ではない。

単なる「在庫置き場」だ。

「棚番号A-1から順にチェックします。閣下は台帳の読み上げをお願いします」

「私が?」

「はい。私は現物確認と照合を行います。……タイムアタックです。目標、一時間以内に完了」

「……了解した。部下にこき使われる宰相というのも悪くない」

ギルバートは苦笑しつつ、分厚い台帳を開いた。

「管理番号001、建国の宝剣」

「確認。……錆びてますね。保存環境の湿度が不適切です」

「管理番号002、聖女のティアラ」

「確認。宝石の欠損なし」

「管理番号003、黄金の杯」

「……欠品(ミッシング)。棚に埃の跡があります。最近持ち出された痕跡あり」

アムリーの声が冷たく響く。

「管理番号004、初代国王の懐中時計」

「欠品。昨夜の目撃情報と合致します」

「管理番号005、エメラルドのネックレス」

「欠品。……あ、これ見覚えがあります。先日の夜会でミナ様がつけていたものと酷似しています」

監査が進むにつれ、ギルバートの表情が険しくなっていく。

一方、アムリーの処理速度は加速していった。

「番号102、欠品! 105、欠品! ……ひどいですね。高価で持ち運びやすい小物ばかりが狙われています。換金目的であることは明白」

一時間後。

全てにチェックを終えたアムリーは、集計結果を出した。

「報告します。紛失品、計三八点。市場推定価格、金貨約五千枚相当」

「……五千枚だと?」

ギルバートが絶句した。

それは小国の国家予算に匹敵する額だ。

「これだけの額を、わずか数週間で使い切ったというのか?」

「使途は明白です。ミナ様のドレス、宝石、そしてカイル殿下の見栄。……それにしても、質屋での換金率は通常三割程度。つまり、五千枚の価値があるものを、千五百枚程度で叩き売った可能性があります」

アムリーはギリリと歯噛みした。

「許せません……」

「ああ、許し難い罪だ」

「市場価格を知らずに買い叩かれるなんて! 経済音痴にも程があります! 交渉すればもっと高く売れたはずなのに!」

「……そこか?」

「いえ、もちろん横領も罪ですが、資産価値を毀損した罪の方が重いかと」

アムリーにとって、無駄遣いと損切りは万死に値する。

「とにかく、証拠は固まった。これを持って陛下に……」

ギルバートが言いかけた時だった。

入り口の方から、話し声が聞こえてきた。

「ねえカイル様ぁ、もっといいのないんですかぁ?」

「待ってろミナ。奥の方に、もっとデカイ宝石があるはずなんだ」

アムリーとギルバートは顔を見合わせ、瞬時に物陰に隠れた。

現れたのは、カイルとミナだった。

二人は手提げ袋を片手に、ピクニック気分で宝物庫に入ってきた。

「あ、これ可愛い! キラキラしてて綺麗!」

ミナが棚にあったダイヤモンドの飾りを手に取る。

「おお、いいじゃないか。それなら高く売れそうだ」

「えー、売りたくないですぅ。ミナの部屋に飾りたい!」

「ダメだ、昨日のドレス代の支払いが残ってるんだ。それに、アムリーへの慰謝料も……いや、あれは払わなくていいか」

「そうですとも! アムリーお姉様は意地悪ですから、お金なんてあげなくていいんです!」

二人はキャッキャと笑いながら、国宝を袋に詰め込んでいく。

万引き感覚だ。

罪悪感の欠片もない。

「……現行犯ですね」

アムリーが小声で呟く。

「捕まえますか?」

「いや、泳がせよう」

ギルバートが冷たい笑みを浮かべた。

「ここで捕まえても、『ちょっと借りただけ』と言い逃れされる可能性がある。……彼らがこれを『換金』する瞬間を押さえる」

「なるほど。質屋まで追跡し、取引現場を王家憲兵隊と共に強襲するわけですね」

「その通りだ。それに、彼らが売り払った宝物の回収ルートも確保しなければならない」

アムリーは頷いた。

「了解しました。私が質屋の帳簿を制圧し、買い戻し交渉を行います。不当な安値で買い叩かれた品々を、適正価格……いえ、脅してタダ同然で取り戻して見せましょう」

「頼もしいな。では、作戦開始だ」

二人は息を潜め、カイルたちが立ち去るのを待った。

アムリーの手帳には、すでに『犯行現場見取り図』と『被害額リスト』、そして『奪還作戦のスケジュール』が書き込まれていた。

カイルとミナは気づいていない。

自分たちの背後に、国家権力(ギルバート)と計算の悪魔(アムリー)が迫っていることを。

その日の午後。

王都の質屋『強欲の壺』の前で、アムリーは仁王立ちしていた。

「さあ、在庫整理の時間ですよ」

彼女の瞳は、これ以上ないほど冷徹に輝いていた。
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