婚約破棄。つきましては、こちらに残業代と慰謝料の請求書を

ちゅんりー

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その夜、帝城の大広間は巨大なカジノホールへと変貌していた。

ルーレットの回る音、カードを切る音、そしてチップがぶつかり合う音。

ドレスアップした帝国の貴族たちが、欲望を剥き出しにしてゲームに興じている。

「さあ、始めようか!」

会場の中央、特設されたVIPエリアで、皇帝レグルスが吠えた。

彼の前には、山のように積まれた金貨とチップ。

対するアムリーの手元にあるのは、ギルバートがポケットマネーで用意した、ささやかなチップの塔だけだ。

「ルールは単純だ。制限時間二時間。最終的により多くのチップを持っていた方が勝ちだ」

レグルスが不敵に笑う。

「俺のホームグラウンドで、どこまで足掻けるか見ものだな」

「ホームでの利点(アドバンテージ)……それは『場の空気』と『ディーラーの心理』ですね」

アムリーは冷静に周囲を見渡した。

ディーラーたちは皆、皇帝の配下。直接的なイカサマはしないにしても、皇帝に有利な流れを作るプロだ。

「閣下、護衛をお願いします。私は計算に集中しますので」

「ああ、背中は任せろ。……しかし、本当に勝てるのか?」

ギルバートが心配そうに尋ねる。

アムリーは眼鏡を中指で押し上げた。

「ギャンブルにおける胴元(ハウス)の控除率は数パーセント。しかし、短期決戦において『確率の偏り』は必ず発生します。その波を読み、期待値をプラスにするだけです」

「……よく分からんが、君を信じよう」

          ◇

ゲーム開始。

レグルスは『豪運』の持ち主だった。

「赤だ!」

ルーレットで彼が宣言すると、ボールは吸い込まれるように赤に入る。

「ストレートフラッシュ!」

ポーカーでは、あり得ないような役を連発する。

「ガハハハ! 見たか! これが王者の運だ!」

チップの山がさらに高くなっていく。

会場の貴族たちは「さすが陛下だ!」と喝采を送る。

一方、アムリーは。

「……ブラックジャック。ヒット」

彼女は地味に、淡々とカードゲームを続けていた。

「バーストしませんか? もう16ですよ?」

ディーラーが揺さぶりをかける。

アムリーの脳内では、すでに場に出たカードの枚数がカウントされていた。

(残りデッキにおける絵札の確率は四二%。私の手札構成とディーラーのアップカード『6』を考慮すれば、ステイが最適解ですが……ここで引くことで、次のカードの流れを変える)

「ヒット」

配られたのは『5』。合計21。

「……ブラックジャック」

「なっ……!?」

アムリーは表情一つ変えずにチップを回収する。

派手な大勝ちはしない。

だが、負けない。

確実に、少しずつ、チップを増やしていく。

「すごいな……。一度も大きな賭けに出ないのに、資金が倍になっている」

ギルバートが感心して呟く。

「リスク分散(ポートフォリオ)です。一点賭けは愚か者のすること。……そろそろ、種まきは終わりました」

開始から一時間半。

アムリーのチップは、レグルスの三割程度まで増えていた。

しかし、差は依然として大きい。

「おいおい、そんなチマチマした賭け方で俺に勝てると思っているのか?」

レグルスがワインをあおりながら挑発する。

「残り三十分だぞ? 一発逆転を狙わねば、ジリ貧だぞ?」

「ご心配なく。……ここからが『収穫』の時間です」

アムリーはチップを全てまとめ、ギルバートに持たせた。

「行きましょう。陛下と同じテーブルへ」

          ◇

最終決戦の場は、ポーカーテーブル。

アムリーとレグルス、一対一(ヘッズアップ)の勝負だ。

「レート(賭け金)の上限なし(ノーリミット)。……度胸試しといこうか」

レグルスが全財産に近いチップをテーブル中央に押し出した。

「オールインだ」

会場がどよめく。

いきなりの全額勝負。

受けて立てば、勝てば二倍、負ければ即終了。

アムリーは手札をまだ見ていない。

「……男らしいですね。ですが、少々短絡的です」

「怖いか? なら降りてもいいぞ。その時点で俺の勝ちだがな」

アムリーは手札をゆっくりとめくった。

ハートの2と、クラブの7。

ポーカーにおいて、最弱に近いハンドだ。

対するレグルスの表情は自信に満ちている。おそらく、絵札のペアか、Aを持っている。

(確率論で言えば、降りる(フォールド)のが正解。でも……)

アムリーはレグルスの目を見た。

瞳孔の開き、口元の筋肉の弛緩、指先の微細な動き。

(彼は『自分が勝つ』と確信している。だからこそ、ブラフ(はったり)ではない。……強い手を持っている)

だが、アムリーはチップを掴んだ。

「コール(受けます)」

「ほう!」

カードが開かれる。

フロップ(場に出た三枚)は、ハートの5、ハートの9、ハートのJ。

レグルスがニヤリと笑う。

「俺の手はハートのAとKだ。すでにフラッシュが完成している」

最強の役の一つだ。

アムリーの手にはハートが一番しかない。勝てる確率は絶望的。

「参ったか? 事務員ごときが、帝王の運に勝てるわけが……」

「ターン(四枚目)」

アムリーがディーラーに促す。

出たのは、ハートの3。

レグルスのフラッシュは盤石だ。

「リバー(最後の一枚)」

運命の五枚目。

ディーラーの手から滑り落ちたのは――。

ハートの4。

場には、ハートの3、4、5、9、J。

レグルスの手札はハートのA、K。

アムリーの手札は、ハートの2、クラブの7。

「……ふん、無駄な足掻きだったな。俺のAハイ・フラッシュの勝ちだ!」

レグルスがチップを掻き集めようとする。

「お待ちください」

アムリーが静かに言った。

「よくご覧ください、陛下」

「あ?」

アムリーは自分の手札『ハートの2』を指差した。

そして、場のカードを指差す。

ハートのA(レグルスの手札)、2(アムリーの手札)、3、4、5(場の札)。

「1、2、3、4、5。……ストレート・フラッシュです」

「なっ……!?」

レグルスが硬直した。

会場が静まり返る。

フラッシュよりも上位の役、ストレート・フラッシュ。

しかも、相手の手札(A)を利用して成立させるという、奇跡的な確率。

「馬鹿な……! そんな偶然が……!」

「偶然ではありません」

アムリーは眼鏡を外した。

「先ほどまでのブラックジャックで、私は場のカード消費(カウンティング)を行っていました。その結果、このデッキに残っているハートの低数字の密度が極端に高いことを算出していました」

「……計算だと?」

「ええ。貴方が『豪運』で絵札を引きまくったおかげで、デッキの中身は偏っていたのです。貴方の運を利用させていただきました」

アムリーは総取りしたチップの山――金貨二万枚相当――を、ギルバートの方へ押しやった。

「私が勝つ確率は、〇・〇三%でした。ですが、ゼロではありません」

「……負けた」

レグルスは天を仰いだ。

そして、次の瞬間。

「ガハハハハハ!!!」

再び大爆笑した。

「完敗だ! 気持ちいいくらいの負けっぷりだ!」

彼は立ち上がり、アムリーの手をガシッと掴んだ。

「約束だ! 金貨二万枚、くれてやる! 属国化の話もナシだ!」

「ありがとうございます。領収書は後ほど」

「だがな、アムリー!」

レグルスはアムリーの顔を覗き込んだ。

「俺は諦めんぞ! いつか必ず、貴様を俺のモノにしてやる! 計算外の事態を起こさせてやるからな!」

「その時は、また賭けをしましょう。レートを上げて」

アムリーは不敵に笑い返した。

ギルバートが慌てて割って入る。

「おい! 私の目の前で口説くな!」

「ハハハ! 嫉妬深い公爵だ!」

会場は拍手と笑いに包まれた。

アムリーの大勝利。

帝国からの賠償金回収ミッションは、これ以上ない成果(大金と、皇帝との奇妙な友情)を持って完了したのである。
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