婚約破棄。つきましては、こちらに残業代と慰謝料の請求書を

ちゅんりー

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雲ひとつない青空。

王都の大聖堂の鐘が、高らかに鳴り響いていた。

本日、宰相ギルバート・フォン・ライオット公爵と、アムリー・ベルンシュタイン公爵令嬢の結婚式が執り行われる。

王都中の国民が祝福し、沿道にはパレードを見るための人だかりができていた。

だが、花嫁の控え室は、戦場のような緊張感に包まれていた。

「――コルセットの締め付け、マイナス五ミリ! これ以上締めると肺活量が低下し、誓いの言葉の発声に支障が出ます!」

アムリーが指示を飛ばす。

「はいっ、お嬢様!」

侍女たちが慌ただしく動く。

その背後で、カサンドラ夫人(鬼の叔母)が扇子を広げて頷いていた。

「よろしい。背筋も伸びています。……アムリー、今日の貴女は完璧よ」

「ありがとうございます、叔母様。最終チェック完了です。装備(ドレス)、メイク、体調、全てグリーンシグナルです」

アムリーは鏡に映る自分を見た。

純白のウェディングドレス。

以前試着した「ミッドナイトブルー」とは対照的に、今回は清廉潔白を表す白。

ただし、レースには最高級の真珠が縫い込まれ、その総重量は五キロを超える。

(……重い。これはドレスというより、歩行訓練用の重りね)

だが、アムリーは微笑んだ。

この重みこそが、ライオット公爵家という「優良企業」を背負う責任の重さなのだ。

コンコン。

控え室のドアがノックされ、ギルバートが入ってきた。

「アムリー、そろそろ……」

彼は言葉を失った。

白のタキシードに身を包んだギルバートは、絵本から飛び出してきた王子様そのものだったが、今の彼はただの「恋する男」になっていた。

「……綺麗だ」

「知っています。鏡で確認済みですので」

アムリーは照れ隠しにそっけなく答えるが、耳が赤い。

「行こうか、僕の『最愛のパートナー』」

「はい。……参りましょう、旦那様」

ギルバートが差し出した手に、アムリーの手が重ねられる。

その手は、いつになく震えていた。

(緊張? まさか。これは武者震いよ。これからの長丁場、体力配分を間違えないようにしないと)

自分に言い聞かせながら、二人はバージンロードへの一歩を踏み出した。

          ◇

大聖堂の扉が開く。

パイプオルガンの荘厳な音色。

参列席には、国王夫妻を筆頭に、国内外の要人たちがずらりと並んでいる。

(出席率九九・八%。欠席は体調不良の老伯爵のみ。素晴らしい集客率ね)

アムリーは微笑みを絶やさず、絨毯の上を進む。

祭壇の前で、司祭が待っていた。

二人が祭壇に立つと、司祭が厳かに口を開いた。

「新郎、ギルバート・フォン・ライオット。汝、健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」

「誓います」

ギルバートは迷いなく、力強く答えた。

その瞳はアムリーだけを真っ直ぐに見つめている。

「新婦、アムリー・ベルンシュタイン。汝、健やかなる時も、病める時も……」

司祭の言葉を聞きながら、アムリーは心の中で修正を入れた。

(『貧しき時』は想定していません。私の経営手腕で貧しくはさせませんので。あと『病める時』は早期発見・早期治療が原則です)

「……その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」

アムリーは一瞬の間を置き、そしてキッパリと告げた。

「誓います。彼の健康を管理し、資産を最適化し、最大の幸福効率を実現することを」

「え?」

司祭が二度見した。

会場がざわつく。

「し、新婦? 定型文と少し違うようですが……」

「契約内容は具体的であるべきです。……ですが、要約すれば『死ぬまで愛します』と同義です」

アムリーが補足すると、ギルバートが吹き出した。

「ふっ……くくく! 君らしいな」

「笑わないでください。真剣なプレゼンです」

「ああ、分かっている。最高の誓いだ」

ギルバートはアムリーのベールを上げた。

いよいよ、誓いのキスである。

(予定時間は五秒。角度は三〇度。口紅が崩れない程度の接触圧で……)

アムリーが脳内でシミュレーションをしていると。

ギルバートの顔が近づき――。

チュッ。

唇が重なる。

そこまでは予定通りだった。

しかし。

(……あれ? 五秒経過。離れない?)

ギルバートは離れるどころか、さらに深く、強くアムリーを引き寄せた。

会場から「おお~!」という歓声と口笛が上がる。

アムリーの脳内アラートが鳴り響く。

『警告! タイムオーバー! 予定時間を超過しています!』

(ちょ、閣下! 長いです! 息が……!)

アムリーが背中をトントンと叩くが、ギルバートは止まらない。

十秒、二十秒、三十秒……。

永遠にも感じる甘い時間の後、ようやく唇が離れた。

「……はぁ、はぁ……!」

アムリーは肩で息をする。顔は真っ赤で、目も潤んでいる。

「契約違反です……! 五秒の予定でしたのに!」

「特別ボーナスだ。受け取ってくれるだろう?」

ギルバートは悪びれもせずにウィンクした。

その色気に、アムリーは完敗した。

(……今回だけは、未計上の残業として処理します)

          ◇

式が終わり、披露宴会場となる王城の大広間へ。

ここではさらに多くのゲストが待ち構えていた。

「乾杯!」

グラスが触れ合う音が響く。

アムリーは「お色直し」で真紅のドレス(汚れが目立たない色)に着替え、ギルバートと共に各テーブルを回っていた。

「おめでとう、アムリー嬢!」

「いやあ、あの機竜の話、もっと聞かせてくれ!」

貴族たちが次々と話しかけてくる。

アムリーは営業スマイル全開で対応していた。

(この伯爵は鉱山持ち。コネを作っておけば金属価格の交渉に有利……。あちらの夫人は貿易商の娘。輸入品のルート確保に……)

結婚式は、最大の商談会でもある。

アムリーの手帳(頭の中)には、次々と有益な情報が書き込まれていく。

順調だ。

あまりにも順調すぎる。

そう思った矢先だった。

ドォォォォォン!!!

会場の扉が、大砲で撃たれたかのような音と共に吹き飛んだ。

「なっ!?」

「敵襲か!?」

会場がパニックになる。

ギルバートが即座にアムリーを背に庇う。

土煙の向こうから現れたのは、黄金の甲冑に身を包んだ巨漢と、その後ろに続く大量の荷車部隊だった。

「ガハハハハ! 遅れてすまん! 祝いに来てやったぞ!」

その豪快な笑い声。

アムリーはサングラス(心の目)をかけた。

「……レグルス皇帝陛下?」

現れたのは、隣国の皇帝レグルスだった。

彼はアムリーたちの前までズカズカと歩み寄ると、ニカっと笑った。

「結婚おめでとう! 招待状は来てなかったが、俺様が来ないわけにはいかんだろう!」

「呼んでませんからね。……というか、不法入国では?」

「細かいことは気にするな! それより、これを見ろ!」

レグルスが指を鳴らすと、部下たちが荷車のカバーを一斉に外した。

ザラララララ……!

雪崩のように溢れ出したのは、山のような金貨、宝石、そして珍しい魔道具の数々だった。

「俺からの結婚祝いだ! 金貨五万枚相当! どうだ、嬉しいだろう!」

会場がどよめく。

「ご、五万枚!?」

「国家予算レベルだぞ……」

しかし、アムリーの顔色は青ざめていた。

「……陛下」

「ん? なんだ、嬉しすぎて声も出ないか?」

「床が……床の耐荷重制限を超えています!」

アムリーが叫んだ瞬間。

ミシミシッ……!

大広間の床から、嫌な音が聞こえてきた。

金貨の重みは数トンに及ぶ。それが一点に集中した結果、古い王城の床が悲鳴を上げたのだ。

「え?」

レグルスが固まる。

「避難! 全員避難してください! 床が抜けます!」

アムリーが指揮官のように叫ぶ。

「男性陣は女性をエスコートして壁際へ! ギルバート様は空間魔法で床の補強を! 皇帝陛下は……その金貨を今すぐ収納魔法にしまってください!」

「わ、分かった! すまん!」

会場は大混乱となった。

優雅な披露宴は一転、災害現場のような避難訓練と化した。

数分後。

なんとか床の崩落は免れたものの、会場は微妙な空気になっていた。

「……はぁ」

アムリーは深いため息をついた。

「まったく……。貴方という人は、どこまで『計算外』なことをすれば気が済むのですか」

「ガハハ! すまんすまん! つい張り切ってしまってな!」

レグルスは悪びれもせずに笑っている。

ギルバートがこめかみを押さえながら言った。

「……アムリー。この『ご祝儀』、どうする?」

「当然、いただきます」

アムリーは即答した。

「床の修繕費と、精神的苦痛への慰謝料を差し引いても、十分な黒字です。……これからの新婚生活、資金には困りそうにありませんね」

アムリーはニッコリと笑った。

その笑顔は、花嫁のそれではなく、大商人のそれだった。

「さあ、仕切り直しです! パーティーはまだ終わりませんよ! 元を取るまで飲み食いしてください!」

アムリーの号令で、再び音楽が流れ出す。

トラブルすらも利益に変えてしまう「最強の花嫁」に、会場からは割れんばかりの拍手が送られた。

こうして、波乱万丈の結婚式は幕を閉じた。

翌日から始まるのは、甘い新婚生活……ではなく、夫(公爵)をプロデュースし、さらに国を富ませるための「アムリーの野望」編である。
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