婚約破棄。つきましては、こちらに残業代と慰謝料の請求書を

ちゅんりー

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時計塔の機械室は、戦場と化していた。

「やれやれ、私の可愛い弟子に手を上げるのは心が痛むがね!」

クロウリーが指を振ると、配下の男たちが一斉に襲いかかってくる。

しかし。

「――予測済みです。右舷三〇度、跳弾計算(リコシェ・セット)!」

アムリーが指先でコインを弾いた。

キンッ!

放たれた金貨は、回転する巨大な歯車に当たり、信じられない角度で跳ね返った。

カンッ、キンッ、ドスッ!

「ぐわっ!」

「な、なんだ!? 後ろから!?」

一発のコインが鉄骨や歯車を反射し、物陰に隠れていた男たちの後頭部を次々と直撃する。

まるでピンボールだ。

「凄いな、アムリー。魔法か?」

ギルバートが剣で敵をなぎ払いながら感嘆する。

「いいえ、物理演算です。ここの構造図は全て頭に入っていますから」

アムリーは次々とコインを投げる。

「授業料の滞納分です! 受け取ってください!」

バシュッ!

「こっちは慰謝料の分!」

ドゴッ!

正確無比なコイン攻撃と、ギルバートの剣技により、クロウリーの部下たちは瞬く間に戦闘不能(借金まみれ)になって倒れていく。

「くっ……! やるなアムリー! だが、私には勝てんよ!」

クロウリーがマントを翻し、さらに高い足場へと飛び移った。

「これを見ろ!」

彼が懐から取り出したのは、赤く点滅する魔道具だった。

「時限式魔導爆弾だ! あと三分でこの時計塔は崩壊する! 証拠もろとも消え去るがいい!」

「爆弾……? 古典的ですね」

アムリーは動じない。

「逃げるぞ、アムリー!」

ギルバートが焦るが、アムリーはその場から動こうとしなかった。

「逃げる必要はありません。……先生、詰めが甘いですよ」

「何?」

「その爆弾の魔力回路、設計ミスがありますね」

アムリーは眼鏡の位置を直した。

「点滅の間隔が0.5秒遅れています。それは回路の接合部が劣化している証拠。つまり、起爆シーケンスに入った瞬間にショートして、不発に終わる確率が九九%です」

「は、ハッタリを言うな! これは最新式だぞ!」

「賭けますか? 私の全財産と、貴方の全財産で」

アムリーの不敵な笑みに、クロウリーの額から冷や汗が流れる。

彼女の「数字」は、いつだって正確だったからだ。

「くっ……!」

クロウリーは爆弾を放り投げた。

「ならば、これならどうだ!」

彼は足元のレバーを引いた。

ガコンッ!

「うわっ!」

アムリーたちの足元の床が抜け、落とし穴が開いた。

真っ逆さまに落ちる二人。

その下には、鋭い棘のついた回転ローラーが待ち構えている。

「さらばだ、愛弟子よ!」

クロウリーが高笑いする。

しかし。

「――旦那様、空間跳躍(テレポート)!」

アムリーが空中で叫んだ。

「任せろ!」

ギルバートがアムリーを抱きしめ、魔法を発動させる。

シュンッ!

二人の姿が消え、次の瞬間、クロウリーの真後ろに出現した。

「なっ……!?」

「移動距離三メートル。消費魔力最小。……チェックメイトです、先生」

アムリーがクロウリーの背中に、冷たいもの(電卓の角)を押し当てた。

「ひぃっ! ま、待てアムリー! 話し合おう!」

クロウリーが両手を挙げる。

ギルバートが剣先を喉元に突きつけた。

「話し合いは終わりだ。……年貢の納め時だな、詐欺師殿」

勝負あり。

クロウリーはその場に崩れ落ちた。

「……負けたよ。完敗だ」

彼はシルクハットを脱ぎ、力なく笑った。

「私が教えた以上の怪物に育っていたとはな。……誇らしいよ」

「お世辞で減刑はされません」

アムリーは懐から、一枚の長い羊皮紙を取り出した。

「さて、清算の時間です」

「せ、清算?」

「貴方が我が家に負わせた五億の借金。ゼオス侯爵と共謀して横領した国家予算。さらに本日の時計塔の修繕費、私の精神的苦痛への慰謝料、深夜残業手当……」

アムリーは早口で読み上げ、最後に合計金額を提示した。

「締めて、金貨八万枚になります」

「は、八万枚!? 殺す気か! そんな金持っているわけが……」

「持っていますよね?」

アムリーはニッコリと微笑んだ。

「貴方が世界各地に分散させている隠し口座のリスト、全て特定済みです。スイス……いえ、永世中立国の隠し金庫、南の島のダミー会社名義の資産、そしてこの時計塔の地下に隠してある金塊」

「な、なぜそれを……!」

「私の情報網を甘く見ないでください。……これら全てを差し押さえれば、お釣りが出ます」

クロウリーの顔色が土気色になった。

自分の全財産が、丸裸にされていたのだ。

「全額回収させていただきます。……サインを」

アムリーは契約書(財産譲渡命令書)を突きつけた。

「し、しない! サインなどしないぞ!」

「しない場合、ギルバート様が『うっかり』手が滑って、貴方を歯車の中に落としてしまうかもしれませんが?」

「おっと、手が滑りそうだ」

ギルバートが剣を揺らす。

「ひぃぃぃ! します! サインしますぅぅぅ!」

クロウリーは涙目でペンを取り、震える手で署名した。

その瞬間、契約魔法が発動し、羊皮紙が光り輝く。

「契約成立です」

アムリーは羊皮紙を大切にしまった。

「これで、実家の借金は完済。さらに余剰金で、領地の復興も可能です」

アムリーは深呼吸をした。

長かった。

十歳のあの日、突然背負わされた理不尽な借金。

貧乏生活、過酷な王妃教育、そして悪役令嬢としての汚名。

すべては、この瞬間のためにあったのだ。

「……終わりました」

アムリーの目から、一雫の涙がこぼれた。

「アムリー……」

ギルバートが優しく肩を抱く。

「よく頑張ったな」

「……はい。計算通り……いえ、計算以上の成果です」

アムリーは涙を拭い、最高の笑顔を見せた。

「さあ、帰りましょう、旦那様! この人(クロウリー)を憲兵に突き出して、懸賞金も貰わなければなりませんから!」

「……君は本当に、どこまでも貪欲だな」

          ◇

数日後。

ベルンシュタイン公爵邸。

「お父様! 朗報です!」

アムリーが実家のリビングに飛び込んだ。

そこには、相変わらずのんきに紅茶を飲んでいる父、ロベルトがいた。

「やあアムリー。元気そうだね」

「借金、全額返済しました!」

アムリーは完済証明書をテーブルに叩きつけた。

「えっ!?」

ロベルトがカップを取り落とす。

「ご、五億を!? どうやって!?」

「企業秘密です。……それより、クロウリーから巻き上げた余剰金が金貨一万枚ほどあります。これで屋根の修理と、新しい馬車の購入、そしてお父様の老後の資金も確保しました」

「あ、アムリー……! なんて孝行娘なんだ!」

ロベルトが泣きながら抱きついてくる。

「ありがとう! これでもう、怪しい儲け話に騙されなくて済むよ!」

「……そのセリフが一番不安ですが」

アムリーは釘を刺した。

「いいですか、今後一金貨たりとも、私の許可なく投資してはいけません。契約書には必ず私が目を通します。破ったら……」

アムリーはクロウリーから没収した杖をへし折った。

「こうなります」

「ひぃっ! 誓います!」

こうして、アムリーの人生における最大の懸案事項「実家の借金」は、完全かつ不可逆的に解決された。

肩の荷が下りたアムリーは、屋敷の外で待っていたギルバートの元へ戻った。

「終わったかい?」

「はい。スッキリしました!」

アムリーは晴れやかな顔で空を見上げた。

「さて、これで過去の清算は終わりです。……これからは『未来』への投資ですね」

「未来?」

「はい。ライオット公爵家の繁栄、そして……私たちの『次世代育成計画』です」

アムリーが少し顔を赤らめて言うと、ギルバートは嬉しそうに目を細めた。

「それは楽しみなプロジェクトだ。……全力で協力させてもらうよ」

二人は手を繋ぎ、輝かしい未来へと歩き出した。

……はずだった。

だが、アムリーの計算機は、まだ休まることを知らない。

なぜなら、平和になった日常こそ、新たな「問題(イベント)」の宝庫だからである。
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