婚約破棄、ありがとうございます! 自由になった私は…

ちゅんりー

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「……おい。そこで白目を剥いて転がっている塊は、一体何だ」

頭上から、凍てつく吹雪よりも冷ややかな声が降ってきました。

私は雪の中に顔を埋めたまま、心の中で快哉を叫びました。
(来たわ! この低音ボイス、そして心臓を素通りして凍らせるような拒絶感! これぞ噂に聞く鉄面皮、カイル卿の声に違いないわ!)

私はあえてすぐには起き上がらず、クマ帽子の耳を「ピコッ」と片方だけ動かしました。

「……お、お嬢様! 遊んでいないで起きてください! カイル卿、申し訳ございません。我が主、ベアトリス・フォン・ベルシュタイン様は、少々……いえ、かなり個性的と言いますか、頭の回路が特殊な仕様でして!」

ハンスが必死に弁明している声が聞こえます。
やだわハンス、特殊な仕様だなんて。私はただ、笑いにストイックなだけよ。

私はゆっくりと、まるで呪いの人形が動き出すようなスローモーションで上半身を起こしました。
顔はもちろん、計算し尽くされた「白目を剥いたままの憔悴顔」です。

「……あ、あら……。地獄の門番さんかしら……? わたくし、三途の川をバタフライで渡ってきたところですの……」

「……」

目の前に立つ男、カイル・ド・ヴァランシエンヌ卿は、微動だにしませんでした。
月明かりと松明に照らされたその容姿は、神様が気合を入れすぎて作った最高傑作のようです。

鋭く整った眉、彫刻のような鼻筋、そして何より、一切の感情を排した深い蒼の瞳。
彼は、私の渾身のボケを前にしても、眉一つ動かしませんでした。

(強い。……この男、防御力が完ストしているわ! 王都の凡百な貴族なら、今の一言で『ぶふっ』と噴き出していたはずなのに!)

「ハンスと言ったか。……このシロクマのような格好をした不審者は、本当にベルシュタイン公爵家の令嬢なのか?」

「不審者とは失礼ね! これでも王都では『歩く爆笑製造機』として恐れられていたんですのよ!」

私はシャキッと立ち上がり、雪を払いながら言い返しました。
しかし、寒さのせいで足がもつれ、生まれたての小鹿のように膝がガクガク震えます。

「……お嬢様、膝が笑っていますよ。ギャグよりも先に肉体が笑ってどうするんですか」

「うるさいわねハンス。これは武者震いよ。……カイル卿、突然の訪問、失礼いたしますわ。わたくし、婚約破棄されて追放されてきたベアトリスです。以後、お見知りおきを!」

私はクマ帽子の耳を両方同時に「ピコピコッ!」と激しく動かしながら、優雅なカーテシーを披露しました。
シュール。自分でもわかる、この圧倒的なシュールさ。

カイル卿は、無言で私をじっと見つめていました。
その時間は十秒ほど続いたでしょうか。彼の背後に控える騎士たちも、息を呑んで成り行きを見守っています。

(どうかしら? これだけやれば、少しは顔がピクッとするはず……!)

「……寒い。中に入れ」

カイル卿が口にしたのは、拒絶でも爆笑でもなく、ただの事務的な一言でした。
彼は翻身し、さっさと屋敷の中へと歩き出します。

「あ、待ってください! 今の、一ミリも面白くありませんでしたの!? わたくしの耳の動き、黄金比に基づいたリズムだったはずですわよ!」

「お嬢様、滑っています。雪道だけでなく、完全に芸人として滑り散らかしていますよ。早く行かないと置いていかれます!」

ハンスに背中を押され、私はしぶしぶ重厚な扉をくぐりました。

屋敷の中は、外の極寒が嘘のように暖炉の火で満たされていました。
しかし、迎えてくれた使用人たちの顔を見て、私は再び戦慄しました。

(……え、何。この家、お葬式の最中なの?)

メイドも執事も、全員がカイル卿と同じような、無機質な表情をしています。
「いらっしゃいませ」という声さえ、録音された魔法具のように抑揚がありません。

「カイル様、お戻りになられましたか。そちらの……『白い何か』は?」

老執事が、私のことを物質としてカウントしながら尋ねました。

「王都から追放された客だ。客室を一つ用意しろ。……それと、熱いスープを。脳が冷えて言動がおかしくなっているようだからな」

「かしこまりました。……おい、そこの不審……いえ、ベアトリス様を客室へお連れしろ」

(……今、不審者って言いかけなかったかしら? この屋敷、笑いのセンスを磨く前に、まずは接客マナーから叩き直す必要がありそうだわ……!)

私は案内されるまま、廊下を歩き出しました。
すれ違う騎士たちも、氷の彫刻のように冷ややかです。

しかし、私は見てしまいました。
先ほど私を「白い何か」と呼んだ老執事が、私の背中を通り過ぎた瞬間、一瞬だけ肩を微かに震わせたのを。

(……ふふん。見つけたわ。この屋敷の人たち、笑っていないんじゃない。……笑うのを『禁じられている』か、『我慢している』だけなのよ!)

そうと分かれば、やることは一つです。

私は案内係のメイドの後ろを歩きながら、わざと足音を「キュッ、キュッ」と鳴るように工夫して歩き始めました。
まるでアヒルが歩いているような、気の抜けた音です。

メイドの背中が、ピクッと反応しました。

(よし。まずは外堀から埋めていくわ。……待ってなさい、カイル卿。あなたの『鉄面皮』という名の城壁、わたくしが根こそぎ爆破してみせますわ!)

「お嬢様、悪い顔をしていますよ。追放された悲劇のヒロインの顔ではありません」

ハンスのツッコミを心地よく聞き流しながら、私は辺境での初夜に向けて、脳内ネタ帳を更新し続けるのでした。
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