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「……ベアトリス様。夜分遅くに失礼いたしますわ」
深夜、私の自室の扉が慎重にノックされました。
現れたのは、パジャマの上に高価そうなローブを羽織った聖女リリアーナ様です。
その手には、ボロボロになった私のネタ帳がしっかりと握られていました。
「リリアーナ様。こんな時間にどうされましたの? 明日の朝食で披露する『納豆の糸でバイオリンを弾くモノマネ』の練習なら、防音室をお貸ししますわよ」
「いいえ。……わたくし、どうしてもベアトリス様に直接お聞きしたいことがあって参りましたの」
リリアーナ様は、真剣な眼差しで私の前に座りました。
その目は、神への祈りを捧げる時よりも熱く、そして不穏な光を宿しています。
「……何かしら。改まって」
「わたくしの『白目』……。先ほど鏡の前で三時間ほど復習しましたが、どうにもベアトリス様のような『魂の空洞感』が出ませんの。どうすれば、あのように『あ、この人もう人生終わってるわ』と思わせる虚無を瞳に宿せるのでしょうか!」
「……リリアーナ様。それは修行でどうにかなるものではなく、十年に及ぶお妃教育という名の監獄生活がもたらした、天然の絶望ですわよ」
私は溜息をつき、彼女にハーブティーを差し出しました。
王都では恋敵(という建前)だったはずの二人のヒロインが、深夜の辺境で「変顔のクオリティ」について語り合う。
客観的に見て、この国の将来が不安になる光景ですわ。
「でも、わたくし気づいたのです。ジークフリート様が自分の腹筋を『愛の彫刻』と呼んで磨いている間、わたくしは心の中で、彼の頭にタライが落ちる想像をすることで正気を保っていましたわ。……ベアトリス様、わたくしを正式に弟子にしてくださいまし!」
「……弟子? 聖女様が、悪役令嬢(自称)の弟子に?」
「はい! わたくし、王都に戻ったら『爆笑の聖女』として、あの退屈な王宮を笑いの地獄に変えてやりたいのです! まずは基礎から、……そう、あの『生首びっくり箱』の制作実習からお願いしますわ!」
リリアーナ様は、期待に満ちた目で私を見つめました。
この子、清楚な見た目に反して、中身が相当に「こっち側」の人間ですわね。
「いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、わたくしの秘技を伝授して差し上げますわ。……まずは、表情筋の限界突破(リミットブレイク)からですわよ!」
「はい、師匠!!」
それから一時間。
私たちは深夜の部屋で、互いに顔を歪め、奇怪な声を出し合うという、極めて生産性の低い「秘密の修行」に没頭しました。
「リリアーナ様、甘いわ! もっと頬を吊り上げて、鼻の穴を三倍に広げるのですわ! 聖女のプライドを捨てなさい!」
「こう……ですわね!? ……あふっ、顎が、顎が外れそうですわ、師匠!」
「それが笑いの産みの苦しみというものですわ! さあ、次は『酸っぱいレモンを食べた瞬間に、推しのスキャンダルを聞いた時の顔』よ!」
私たちが最高潮に盛り上がっていた、その時です。
「……ベアトリス。あまりに騒がしいから様子を見に来たが……。……っ!!」
扉が開き、カイル卿が立ち尽くしていました。
彼は、顔を極限まで歪めた私と、同じく奇怪な表情で静止している聖女を見て、手に持っていたランプを落としそうになりました。
「……君たち。……夜中に、一体何の儀式をしているんだ」
「カイル卿! これは儀式ではありませんわ。……リリアーナ様の、魂の解放運動(ワークアウト)ですのよ!」
私はシュッと元の美貌(?)に戻り、優雅に言い放ちました。
しかし、隣のリリアーナ様は筋肉が固まってしまったのか、変な顔のまま「……あ、あ、閣下……」と震えています。
「……リリアーナ様。君は、王都では『歩く奇跡』と呼ばれていたはずだが。……今の顔は、どちらかというと『歩く放送事故』に近いぞ」
カイル卿は呆れたように言いながら、私の隣に歩み寄ってきました。
そして、なぜか不機嫌そうに私の肩を引き寄せたのです。
「……ベアトリス。君のその『変な顔』を、他の人間に安売りするなと言っただろう。……ましてや、弟子を取るなど聞いていないぞ」
「あら。カイル卿、もしかして嫉妬していらっしゃいますの? わたくしの芸が、リリアーナ様に盗まれるのを恐れて?」
「……そうだ。……君の面白さは、私だけの専属だったはずだ。……たとえ聖女であっても、君を独占されるのは面白くない」
カイル卿の独占欲。
それは、以前よりもさらに重く、そして甘い響きを持っていました。
彼はリリアーナ様を牽制するように、私をグイッと自分の方へ抱き寄せます。
「まぁ……! 閣下、なんて素敵な独占欲! ……でも、閣下。ベアトリス師匠の才能は、もはや一人の男が抱えきれるレベルではありませんわ! わたくしも、師匠の右腕……いえ、右鼻の穴として尽くす覚悟ですのよ!」
「鼻の穴になる覚悟はしなくていいわよ、リリアーナ様!」
私は慌ててリリアーナ様を宥めました。
カイル卿の嫉妬と、聖女の暴走。
二人の「重要人物」から、それぞれ別の意味で熱烈なアプローチを受ける。
これ、恋愛小説の王道展開のはずですが、何かが決定的に間違っている気がしてなりません。
「……とにかく、修行は終わりだ。リリアーナ様も自分の部屋へ戻れ。……ベアトリス、君は後で、私をしっかり笑わせる(癒やす)ように」
カイル卿は、私にだけ聞こえるような低い声で囁きました。
その声のトーンが、もはや「笑い」を求めているのではなく、純粋に「愛」を求めている男のそれでした。
(……ちょっと。カイル卿、最近どんどん手慣れてきていませんこと!? 鉄面皮だった頃の彼、どこへ行きましたの!?)
夜の会合は、カイル卿の乱入によって解散となりました。
リリアーナ様は「また明日、特訓をお願いしますわ!」と意気揚々と去っていき、私はカイル卿の腕の中で、激しく鳴る心臓を抑えるのに必死でした。
「……カイル卿。……わたくしを、あまり揶揄わないでくださいまし」
「揶揄ってなどいない。……本気だと言っただろう?」
カイル卿の指が、私の頬を優しく撫でました。
先ほどまで変顔をしていたのが嘘のように、部屋の中は甘く切ない空気に包まれます。
王都からの不穏な呼び出し。
それに対抗するための修行のはずが、私の周りには、いつの間にか「笑い」よりも「愛」の熱量が渦巻くようになっていたのでした。
深夜、私の自室の扉が慎重にノックされました。
現れたのは、パジャマの上に高価そうなローブを羽織った聖女リリアーナ様です。
その手には、ボロボロになった私のネタ帳がしっかりと握られていました。
「リリアーナ様。こんな時間にどうされましたの? 明日の朝食で披露する『納豆の糸でバイオリンを弾くモノマネ』の練習なら、防音室をお貸ししますわよ」
「いいえ。……わたくし、どうしてもベアトリス様に直接お聞きしたいことがあって参りましたの」
リリアーナ様は、真剣な眼差しで私の前に座りました。
その目は、神への祈りを捧げる時よりも熱く、そして不穏な光を宿しています。
「……何かしら。改まって」
「わたくしの『白目』……。先ほど鏡の前で三時間ほど復習しましたが、どうにもベアトリス様のような『魂の空洞感』が出ませんの。どうすれば、あのように『あ、この人もう人生終わってるわ』と思わせる虚無を瞳に宿せるのでしょうか!」
「……リリアーナ様。それは修行でどうにかなるものではなく、十年に及ぶお妃教育という名の監獄生活がもたらした、天然の絶望ですわよ」
私は溜息をつき、彼女にハーブティーを差し出しました。
王都では恋敵(という建前)だったはずの二人のヒロインが、深夜の辺境で「変顔のクオリティ」について語り合う。
客観的に見て、この国の将来が不安になる光景ですわ。
「でも、わたくし気づいたのです。ジークフリート様が自分の腹筋を『愛の彫刻』と呼んで磨いている間、わたくしは心の中で、彼の頭にタライが落ちる想像をすることで正気を保っていましたわ。……ベアトリス様、わたくしを正式に弟子にしてくださいまし!」
「……弟子? 聖女様が、悪役令嬢(自称)の弟子に?」
「はい! わたくし、王都に戻ったら『爆笑の聖女』として、あの退屈な王宮を笑いの地獄に変えてやりたいのです! まずは基礎から、……そう、あの『生首びっくり箱』の制作実習からお願いしますわ!」
リリアーナ様は、期待に満ちた目で私を見つめました。
この子、清楚な見た目に反して、中身が相当に「こっち側」の人間ですわね。
「いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、わたくしの秘技を伝授して差し上げますわ。……まずは、表情筋の限界突破(リミットブレイク)からですわよ!」
「はい、師匠!!」
それから一時間。
私たちは深夜の部屋で、互いに顔を歪め、奇怪な声を出し合うという、極めて生産性の低い「秘密の修行」に没頭しました。
「リリアーナ様、甘いわ! もっと頬を吊り上げて、鼻の穴を三倍に広げるのですわ! 聖女のプライドを捨てなさい!」
「こう……ですわね!? ……あふっ、顎が、顎が外れそうですわ、師匠!」
「それが笑いの産みの苦しみというものですわ! さあ、次は『酸っぱいレモンを食べた瞬間に、推しのスキャンダルを聞いた時の顔』よ!」
私たちが最高潮に盛り上がっていた、その時です。
「……ベアトリス。あまりに騒がしいから様子を見に来たが……。……っ!!」
扉が開き、カイル卿が立ち尽くしていました。
彼は、顔を極限まで歪めた私と、同じく奇怪な表情で静止している聖女を見て、手に持っていたランプを落としそうになりました。
「……君たち。……夜中に、一体何の儀式をしているんだ」
「カイル卿! これは儀式ではありませんわ。……リリアーナ様の、魂の解放運動(ワークアウト)ですのよ!」
私はシュッと元の美貌(?)に戻り、優雅に言い放ちました。
しかし、隣のリリアーナ様は筋肉が固まってしまったのか、変な顔のまま「……あ、あ、閣下……」と震えています。
「……リリアーナ様。君は、王都では『歩く奇跡』と呼ばれていたはずだが。……今の顔は、どちらかというと『歩く放送事故』に近いぞ」
カイル卿は呆れたように言いながら、私の隣に歩み寄ってきました。
そして、なぜか不機嫌そうに私の肩を引き寄せたのです。
「……ベアトリス。君のその『変な顔』を、他の人間に安売りするなと言っただろう。……ましてや、弟子を取るなど聞いていないぞ」
「あら。カイル卿、もしかして嫉妬していらっしゃいますの? わたくしの芸が、リリアーナ様に盗まれるのを恐れて?」
「……そうだ。……君の面白さは、私だけの専属だったはずだ。……たとえ聖女であっても、君を独占されるのは面白くない」
カイル卿の独占欲。
それは、以前よりもさらに重く、そして甘い響きを持っていました。
彼はリリアーナ様を牽制するように、私をグイッと自分の方へ抱き寄せます。
「まぁ……! 閣下、なんて素敵な独占欲! ……でも、閣下。ベアトリス師匠の才能は、もはや一人の男が抱えきれるレベルではありませんわ! わたくしも、師匠の右腕……いえ、右鼻の穴として尽くす覚悟ですのよ!」
「鼻の穴になる覚悟はしなくていいわよ、リリアーナ様!」
私は慌ててリリアーナ様を宥めました。
カイル卿の嫉妬と、聖女の暴走。
二人の「重要人物」から、それぞれ別の意味で熱烈なアプローチを受ける。
これ、恋愛小説の王道展開のはずですが、何かが決定的に間違っている気がしてなりません。
「……とにかく、修行は終わりだ。リリアーナ様も自分の部屋へ戻れ。……ベアトリス、君は後で、私をしっかり笑わせる(癒やす)ように」
カイル卿は、私にだけ聞こえるような低い声で囁きました。
その声のトーンが、もはや「笑い」を求めているのではなく、純粋に「愛」を求めている男のそれでした。
(……ちょっと。カイル卿、最近どんどん手慣れてきていませんこと!? 鉄面皮だった頃の彼、どこへ行きましたの!?)
夜の会合は、カイル卿の乱入によって解散となりました。
リリアーナ様は「また明日、特訓をお願いしますわ!」と意気揚々と去っていき、私はカイル卿の腕の中で、激しく鳴る心臓を抑えるのに必死でした。
「……カイル卿。……わたくしを、あまり揶揄わないでくださいまし」
「揶揄ってなどいない。……本気だと言っただろう?」
カイル卿の指が、私の頬を優しく撫でました。
先ほどまで変顔をしていたのが嘘のように、部屋の中は甘く切ない空気に包まれます。
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