悪役令嬢、婚約破棄に「御意!」と即答!

ちゅんりー

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「次の志願者、入りなさい」


リズナ商会・応接室。

私は数枚の履歴書(私が導入したフォーマット)を捲りながら、無機質な声をかけました。

事業拡大に伴い、事務職と雑用係の増員が必要になったのです。

隣ではセオドアが、鋭い視線で入り口を凝視しています。

扉が開き、一人の男が入ってきました。


「失礼……いたします」


入ってきたのは、つい先日ゲートの外へ放り出したはずの不審者――ではありませんでした。

髪は短く切り揃えられ、無精髭は跡形もなく剃り落とされています。

どこから調達したのか、安物ながらも清潔なシャツとズボンに身を包み、背筋をピンと伸ばした青年。

顔立ちは整っており、泥が落ちたその肌は驚くほど白い。


(……え、誰?)


私は一瞬、フリーズしました。

しかし、その青年の口が開いた瞬間、私の脳内の「要注意人物リスト」が激しく警報を鳴らしました。


「お初にお目にかかります。リズナ・イノベーションズ代表。私は……ギル……いえ、ギルと申します」

「……」


私は無言で、手元の履歴書に目を落としました。

『名前:ギル』
『前職:国家運営(見習い)』
『志望動機:愛と反省、そして君の隣で働くため』
『特技:詩の朗読、フェンシング、高飛車な態度』


私はペンを置き、ゆっくりと顔を上げました。


「……ギルバート殿下。何をしているのですか?」

「殿下ではありません。私は、人生のどん底から這い上がってきた一人の労働者(ワーカー)です!」


ギルバートは拳を握り、熱っぽく語り出しました。


「あの後、私は悟ったのだ。身分も金もない私には、君に会う資格すらないのだと! だから私は、森で拾った薬草を街で売り、その金で髪を切り、服を買い、こうして正当な手続きを経て面接に来たのだ!」

「薬草を売った? 毒草と間違えて訴えられませんでしたか?」

「……二、三人に追いかけられたが、フェンシングの足捌きで逃げ切った」


それはただの逃走です。

私は深いため息をつき、不採用のスタンプに手を伸ばしました。


「不合格です。お帰りください」

「待て! まだアピールが終わっていない! 私は君が残していった執務の山を……その、三割くらいは理解しようと努力したのだぞ!」

「七割も放置したのですか。業務怠慢ですね」

「残りの七割は、ミアが『紙飛行機にしたら楽しそう』と言って飛ばしてしまったんだ!」


最悪の報告を聞かされました。

隣でセオドアが「……殺してもよろしいですか、お嬢様」と小声で囁いてきましたが、私は手で制しました。

今の彼は一応、一般の求職者という体(てい)です。


「ギルバート殿下。我が社が求めているのは、即戦力となる有能な人材、あるいは命令に忠実な労働力です。貴方のような、プライドだけが高く、実務能力が皆無で、存在自体が不祥事の種になるような爆弾を雇うメリットがありません」

「な、ならばテストをしてくれ! 私は変わったんだ! 君がどれほど過酷な環境で働いていたか、身をもって知った!」


ギルバートは机に身を乗り出しました。


「君が言った通り、愛ではパンは買えなかった! だが、パンを買うための金を得るには、君のような知恵が必要だと分かったんだ! 頼む、リズナ。私に『働く』ということを教えてくれ!」


私は彼を冷ややかに見つめました。

その瞳に嘘はないようです。

いや、正確には「自分の言っていることを本気で正しいと信じ込んでいる」という、いつものナルシスト特有の輝きです。

しかし、私の頭の中では別の計算が働いていました。


(……待てよ。ここで彼を王都に帰しても、また刺客や追っ手が来るわね。それなら、私の目の届く範囲に置いて、徹底的に労働力として搾取(さくしゅ)し、王族としての尊厳をへし折っておく方が、将来的なリスクヘッジになるかしら?)


それに、彼を「雑用係」としてこき使う姿を見せれば、従業員たちの士気も上がるかもしれません。

「あの王子様ですらあんなに働いているんだから、俺たちも頑張ろう」という、負のモチベーション効果です。


「……セオドア、どう思う?」

「お嬢様の仰る通り、監禁……いえ、監視下に置くのは合理的かと。幸い、裏庭の肥溜めの清掃要員が不足しております」

「素晴らしい提案ね」


私は不採用スタンプをしまい、一枚の契約書を取り出しました。


「いいでしょう。『ギル』さん。貴方を採用します」

「本当か!? ああ、リズナ! やはり君は私を――」

「ただし、試用期間は三ヶ月。役職は『最下級雑用係(見習い)』。給与は最低賃金。住み込みですが、部屋は物置小屋です。文句はありますか?」

「……物置小屋。ふむ、隠れ家のようで悪くないな」


どこまでもポジティブな男です。


「あと、本名を名乗ることは禁止。私のことは『オーナー』と呼び、敬語を使いなさい。命令には『御意』か『イエス・マイ・オーナー』と答えること。いいですね?」

「ぎょ……御意! イエス・マイ・オーナー!」


ギルバートがぎこちなく敬礼しました。

こうして、かつての婚約者であり、この国の第一王子である男が、私の商会の「下働き」として潜り込むことになったのです。


「では、さっそく仕事よ。ギル」

「何かな、オーナ……リズナ……いや、オーナー」

「アルヴィン開発部長の実験室へ行きなさい。彼が昨日爆発させた、謎の粘着物質の片付けを手伝うのよ。素手で触ると三日は離れなくなるから気をつけて」

「……え、それは騎士の仕事か?」

「いいえ、雑用係の仕事よ。さあ、早く行かないと今日の昼食(パンの耳)抜きにするわよ」

「ひっ……! い、今すぐ行く!」


ギルバートは慌てて応接室を飛び出していきました。

扉が閉まった後、セオドアが深く溜息をつきました。


「お嬢様、本当に良かったのですか? 彼は三日も持たずに逃げ出すと思いますが」

「いいのよ。逃げ出したら、不法侵入と契約不履行で王家に多額の賠償金を請求するだけだから。どちらに転んでも、私の利益(プラス)になるわ」


私は満足げに紅茶を啜りました。

しかし、私の予想に反して、ギルバートは驚異的な『粘り』を見せることになります。

泥にまみれ、爆発に巻き込まれ、幽霊に脅かされながらも、彼は必死に食らいついてきました。

「リズナの隣にいたい」という、歪んだ、しかし真っ直ぐすぎる執念。

それが、私の平穏なビジネスライフに、新たな嵐を呼ぼうとしていたのです。
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