婚約破棄を申し込むも、殿下の説得がガチすぎて詰む?

ちゅんりー

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「……重いですわ。セバス、このピッチャー、重すぎますわよ」

王宮の美しい庭園、色とりどりの花が咲き誇る一角で、リペは並々と水の入った銀のピッチャーを抱えて震えていた。

「お嬢様。悪の道は険しいのです。その水の重みこそが、お嬢様がこれから背負う罪の重さだと思って耐えてください」

「言うのは簡単ですわね……。あ、殿下がいらっしゃいましたわ!」

庭園の向こうから、太陽の光を背負ってキラキラと輝くカイル殿下が歩いてくる。

今日も今日とて、歩くだけで周囲に花が舞っているような圧倒的な王子オーラだ。

リペは生唾を飲み込み、ピッチャーをしっかりと握り直した。

(今ですわ! 殿下がこの角を曲がった瞬間に、バシャリとやって『あら、手が滑ってしまいましたわ、おーっほっほっほ!』と言うのですわ!)

カイルが笑顔で近づいてくる。

「やあ、リペ! 今日も僕のために美しい庭園で待っていてくれたんだね。……おや、その大きなピッチャーは?」

「で、殿下! 覚悟しなさいまし!」

リペは勢いよく踏み出した。

しかし、運命の神様はどこまでもリペに意地悪だった。

昨夜の雨で、足元の石畳がわずかに濡れていたのだ。

「あ、あら……? きゃああっ!?」

「リペ! 危ない!」

リペの足が虚空を泳ぐ。

体が大きく傾き、手元からピッチャーが離れた。

大量の水が宙を舞い、リペはそのまま地面に叩きつけられる……はずだった。

ガシッ、と強い力がリペの腰を支えた。

気がつくと、リペはカイルの逞しい腕の中にすっぽりと収まっていた。

そして、宙を舞った水は――リペの背中に、冷たく降り注いだ。

「つ、冷たっ……! ひゃんっ!」

「大丈夫かい、リペ!? ひどく濡れてしまったじゃないか!」

カイルは焦った様子で、自分の上質なジャケットを脱ぎ、濡れたリペの肩を優しく包み込んだ。

リペはあまりのショックと寒さに、小刻みに震えながらカイルを見上げた。

「……で、殿下。今の、見ていましたわね?」

「ああ、見ていたよ。……驚いた。まさか、あんなことが起こるなんて」

(よし、今度こそ引いていますわね! 水をかけようとして自爆した間抜けな女に、愛想を尽かすチャンスですわよ!)

リペが期待に胸を膨らませた瞬間、カイルの瞳に熱い涙が浮かんだ。

「リペ……君という人は! あんな大きな蜂が僕に向かって飛んできていたなんて、僕は気づかなかった!」

「……はち?」

「君は、そのピッチャーの水を使って、僕を襲おうとした蜂を撃退しようとしたんだろう? しかも、自分が濡れることも厭わずに、僕を庇って……!」

「……はい?」

「咄嗟の判断で僕を守り、そして自分が滑って転びそうになった時も、僕に水がかからないようにピッチャーを外側に放り投げた。……なんて、なんて深い愛なんだ!」

カイルは感動のあまり、リペを抱きしめる腕に力を込めた。

リペの頭上では、セバスが虚空を見つめて静かに溜息をついている。

「殿下……蜂なんて、どこにもいませんでしたわよ? 私が、殿下を濡らそうと思って……」

「わかっているよ、リペ。君はいつもそうやって、自分の手柄を隠そうとする。謙虚な悪女……いや、もはや守護聖女の領域だね。君の濡れた髪、一房ごとに僕の愛を刻み込みたい気分だよ」

「ひ、一房ごとに……!? 変態ですわーっ!」

リペは顔を真っ赤にしてカイルを突き飛ばそうとしたが、濡れた体では力が入らない。

カイルはさらに優しく、リペを横抱きにした。いわゆるお姫様抱っこである。

「リペ、このままでは風邪を引いてしまう。僕の部屋で着替えを用意させよう。僕のシャツを着た君が見られるなんて、今日はなんて幸運な日なんだ」

「殿下の部屋!? 殿下のシャツ!? 絶対嫌ですわああああ!」

「遠慮しなくていいんだよ。さあ、行こうか。僕たちの愛の巣へ」

「愛の巣って言わないでくださいましーっ!」

リペの叫び声は、庭園に響き渡り、周囲の侍女たちからは「あらまあ、お熱いわね」「殿下ったら、リペ様を片時も離したくないのね」という温かい眼差しが送られた。

こうして、リペの「水かけ作戦」は、彼女自身の衣服を犠牲にし、殿下の独占欲を加速させるという最悪の結果に終わった。

公爵邸に戻る馬車の中、リペはカイルの大きなシャツ(ブカブカである)に包まりながら、燃え尽きたように呟いた。

「……セバス。もう私、水を扱うのはやめますわ」

「賢明な判断です、お嬢様。水をかければ愛が深まり、占わせれば絆が強まる。お嬢様が何かをするたびに、殿下の防御力が上がっていく気がしますね」

「次の作戦……次の作戦は……」

「お嬢様、次は『高価な買い物を強要する』というのはいかがです? 金に汚い女を演じれば、さすがの殿下も幻滅するかもしれません」

「金に汚い女……! いいですわね、それ! 殿下の財布を空にして、愛想を尽かさせてやりますわ!」

リペは震える手で拳を作った。

しかし、彼女は知らない。カイル殿下の総資産が、彼女が一生かかっても使い切れないほど膨大であることを。

そして、彼が「リペのために金を使うこと」を人生最大の娯楽としていることを。
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