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嵐のような「冤罪事件」から一週間。
王城と宰相府には、劇的な変化が訪れていた。
まず、カイル王太子が廃嫡され、地方の更生施設(という名の強制労働所)へ送られたこと。
次に、男爵令嬢ミナも共犯として同施設へ収監されたこと。
そして何より……宰相府に『氷の女帝』が君臨したことである。
「……そこの予算、無駄です。削減」
「は、はいっ!」
「この会議、資料を読むだけなら集まる必要ありません。メール便で十分です。解散」
「しょ、承知いたしました!」
ドール・ヴァレンタイン公爵夫人(予定)。
彼女の徹底的な合理化改革により、宰相府の残業時間は半減し、経費は三割カットされ、業務効率は爆上がりしていた。
文官たちは彼女を『救世主』と崇め、廊下を通るたびに最敬礼を送る。
すべては順調。
私の計算通り、完璧な職場環境が構築されつつある。
……はずだった。
「…………」
ドールは執務室のデスクで、ペンを止めて眉をひそめた(無表情だが)。
(おかしい)
ドールの視線は、向かいの席に向けられている。
そこには、この国の宰相にして、私の婚約者であるアーク・レイブンがいる。
彼は黙々と書類にサインをしている。
ここ数日、彼はずっとこうだ。
私を見ない。
話しかけてこない。
目が合うと、不自然に逸らす。
以前なら、「ねえドール、こっちを見てくれ」とか「今日の君も美しいね」とか、業務の邪魔になるレベルで絡んできたのに。
今は、まるで他人行儀だ。
(……飽きられたか?)
ドールの脳内で、冷静な分析が始まった。
(要因1:カイル殿下という「共通の敵」がいなくなり、私への興味が薄れた)
(要因2:私の「無表情」や「金銭感覚」に、いよいよ愛想が尽きた)
(要因3:もっと若くて可愛い、新しい玩具(女性)を見つけた)
ドールは指を折って数え、ズキリと胸が痛むのを感じた。
(……なんや、この痛み)
(不整脈か? それとも逆流性食道炎か?)
ドールは胸を押さえた。
「……閣下」
ドールは意を決して話しかけた。
「……なんだい?」
アークは書類から目を離さずに答えた。
声が固い。
「明日のスケジュール確認ですが、昼食はどうされますか?」
「ああ、明日は……一人で食べる。君は先に行っててくれ」
「……左様ですか」
「あと、夕方も少し出かける。……探さないでくれ」
アークはそれだけ言うと、逃げるように席を立ち、部屋を出て行ってしまった。
バタン、と扉が閉まる。
残されたドールは、ポツンと一人佇んでいた。
(……避けられてる)
(完全に、避けられてる)
これはもう、決定的な「契約解除」の予兆ではないか。
ドールは引き出しから電卓を取り出した。
(落ち着け、ドール。感情的になるな。……数字は裏切らない)
(もし婚約破棄(二回目)なら、慰謝料と退職金の計算をせなアカン)
(雇用契約の違約金、精神的苦痛の算定、再就職までの生活費……)
指先はいつものように高速で動く。
しかし、なぜか数字が頭に入ってこない。
『愛しているよ、ドール』
あの廊下で抱きしめられた時の熱が、耳に残っている。
『一生、私の側で計算していてくれ』
あの言葉は、嘘だったのか。
(……嘘つき)
ドールは小さく呟いた。
電卓の液晶が、ぼやけて見えた。
*
その夜。
ドールは残業もそこそこに、公爵家の馬車で帰宅の途についていた。
アークはまだ戻ってきていない。
「……はぁ」
ため息をつきながら、窓の外を流れる王都の夜景を眺める。
(退職金、いくら取れるかな……)
(……いや、金の問題やない。このモヤモヤはなんや)
ドールが自問自答していると、馬車が急停止した。
「!? 何事?」
「お嬢様! 前方に人だかりが……」
御者の声に、ドールは窓から顔を出した。
場所は、王都の中央広場。
そこには、煌びやかなイルミネーションが飾られ、多くの市民が集まっていた。
そして、その中心に。
見覚えのある、長身の男性が立っていた。
「……閣下?」
アークだった。
彼は黒いコートを着て、どこか落ち着かない様子で時計を見ている。
(なんでこんな所に? 夕方は出かけると言っていたけど……)
(……まさか、待ち合わせ?)
(新しい女と!?)
ドールの心臓がドクリと跳ねた。
嫌な予感がする。
要因3『新しい玩具を見つけた』が的中したのか。
ドールは居ても立ってもいられず、馬車を飛び出した。
「お嬢様!?」
「待ってて! すぐ戻る!」
ドールは人混みをかき分けて進んだ。
無表情だが、その足取りは焦っている。
(確認せな。……もし浮気現場なら、証拠写真を撮って慰謝料上乗せや!)
自分にそう言い聞かせないと、足が震えて止まってしまいそうだった。
広場の中心。
アークの周りには、少し距離を開けて近衛兵が立っている。
そして、彼の前には……誰もいない。
(……まだ来てないんか?)
ドールが柱の影に隠れて様子を伺っていると、アークがおもむろに懐から何かを取り出した。
小さな、ベルベットの小箱。
(!!)
(あれは……指輪のケース!)
ドールは息を呑んだ。
間違いない。プロポーズの準備だ。
誰に?
私に? いや、私を避けているのに?
じゃあ、誰に?
ドールの脳内で、最悪のシミュレーションが駆け巡る。
その時。
アークが独り言を呟いたのが聞こえた。
「……くそっ、緊張する」
『氷の公爵』が、顔を赤くして震えている。
「あんな完璧な彼女に、これ(・ ・)が気に入ってもらえるだろうか……」
「金額じゃない、気持ちだ……とは言うが、彼女は『現物資産』としての価値を重視しそうだし……」
「いや、ダイヤのカラット数は妥協しなかった。……これなら文句は言われないはずだ」
アークは小箱を開けたり閉めたりして、挙動不審になっている。
ドールは、瞬きをした。
(……ん?)
(『完璧な彼女』? 『現物資産としての価値』?)
(それって……もしかして、私のこと?)
ドールの思考回路が、ゆっくりと再構築されていく。
アークは浮気をしていたわけではない。
私を避けていたのも、嫌いになったからではない。
ただ単に、プロポーズの指輪を渡すために、緊張して挙動不審になっていただけ……?
(……なーんや)
ドールの体から、スゥッと力が抜けた。
同時に、胸のモヤモヤが一気に晴れていく。
(心配させやがって……この不器用公爵!)
ドールは柱の影から飛び出した。
「……閣下」
「うわぁっ!?」
アークが飛び上がった。
小箱を取り落としそうになり、慌てて空中でキャッチする。
「ド、ドール君!? な、なぜここに!?」
「通りかかりました。……不審者がいると思って」
「ふ、不審者……」
「はい。広場の真ん中で、一人で指輪の箱を開け閉めしている怪しい男がいましたので」
ドールはアークの目の前に立った。
アークは顔を真っ赤にして、視線を泳がせている。
「こ、これは……その、違うんだ! いや違わないけど!」
「何が違うんですか?」
「これは……君への……その……」
アークは覚悟を決めたように、深呼吸をした。
そして、ドールの前で片膝をついた。
周囲の市民たちが「おおっ!?」とざわめく。
「ドール・ヴァレンタイン嬢」
アークは真剣な眼差しで、ドールを見上げた。
「君を愛している。……私の妻になってくれないか?」
差し出された箱の中には、ドールの瞳よりも深い輝きを放つ、大粒のダイヤモンドリングが収まっていた。
「……正式なプロポーズです、か?」
「ああ。……先日のは勢いだったから。ちゃんと形にしたかったんだ」
アークは照れくさそうに笑った。
「君を避けていたのは……準備で忙しかったのと、君の顔を見ると、緊張して言えなくなりそうだったからだ」
(……やっぱり)
ドールは小さくため息をついた。
そして、手を差し出した。
「……鑑定させていただきます」
「えっ」
ドールは指輪をケースから取り出し、街灯の光にかざした。
「……クラリティはVVS1以上。カラーは無色透明のDカラー。カットはエクセレント。……推定価格、金貨五〇〇〇枚」
ドールは淡々と鑑定結果を述べた。
アークはポカンとしている。
「……素晴らしい品質です。資産価値として申し分ありません」
ドールは指輪を自分の左手の薬指にはめた。
サイズはぴったりだ。
「……で、返事は?」
アークが不安そうに尋ねる。
ドールは、指輪を見つめたまま言った。
「……この指輪、返品不可(クーリングオフなし)ですよね?」
「もちろん。一生返品させない」
「でしたら、契約成立です」
ドールはアークの手を取り、立たせた。
「……お受けします、閣下。いえ、アーク様」
ドールは、アークの目を見て、ほんの少しだけ……本当に微かだが、口角を上げた。
「……長期的投資として、あなたを選びました」
それは、ドールなりの「愛しています」という言葉だった。
アークは感極まったようにドールを抱きしめた。
「ありがとう……! 絶対に後悔させない!」
「後悔したら慰謝料請求しますので」
「ああ、望むところだ!」
広場からは、盛大な拍手と冷やかしの声が上がった。
こうして、ドールの「勘違い」は解消され、二人は正式に婚約者となった。
(……ま、この不器用な男となら、退屈はしなさそうやな)
ドールはアークの胸の中で、左手の重み(金銭的価値含む)を感じながら、密かに幸せを噛み締めていた。
王城と宰相府には、劇的な変化が訪れていた。
まず、カイル王太子が廃嫡され、地方の更生施設(という名の強制労働所)へ送られたこと。
次に、男爵令嬢ミナも共犯として同施設へ収監されたこと。
そして何より……宰相府に『氷の女帝』が君臨したことである。
「……そこの予算、無駄です。削減」
「は、はいっ!」
「この会議、資料を読むだけなら集まる必要ありません。メール便で十分です。解散」
「しょ、承知いたしました!」
ドール・ヴァレンタイン公爵夫人(予定)。
彼女の徹底的な合理化改革により、宰相府の残業時間は半減し、経費は三割カットされ、業務効率は爆上がりしていた。
文官たちは彼女を『救世主』と崇め、廊下を通るたびに最敬礼を送る。
すべては順調。
私の計算通り、完璧な職場環境が構築されつつある。
……はずだった。
「…………」
ドールは執務室のデスクで、ペンを止めて眉をひそめた(無表情だが)。
(おかしい)
ドールの視線は、向かいの席に向けられている。
そこには、この国の宰相にして、私の婚約者であるアーク・レイブンがいる。
彼は黙々と書類にサインをしている。
ここ数日、彼はずっとこうだ。
私を見ない。
話しかけてこない。
目が合うと、不自然に逸らす。
以前なら、「ねえドール、こっちを見てくれ」とか「今日の君も美しいね」とか、業務の邪魔になるレベルで絡んできたのに。
今は、まるで他人行儀だ。
(……飽きられたか?)
ドールの脳内で、冷静な分析が始まった。
(要因1:カイル殿下という「共通の敵」がいなくなり、私への興味が薄れた)
(要因2:私の「無表情」や「金銭感覚」に、いよいよ愛想が尽きた)
(要因3:もっと若くて可愛い、新しい玩具(女性)を見つけた)
ドールは指を折って数え、ズキリと胸が痛むのを感じた。
(……なんや、この痛み)
(不整脈か? それとも逆流性食道炎か?)
ドールは胸を押さえた。
「……閣下」
ドールは意を決して話しかけた。
「……なんだい?」
アークは書類から目を離さずに答えた。
声が固い。
「明日のスケジュール確認ですが、昼食はどうされますか?」
「ああ、明日は……一人で食べる。君は先に行っててくれ」
「……左様ですか」
「あと、夕方も少し出かける。……探さないでくれ」
アークはそれだけ言うと、逃げるように席を立ち、部屋を出て行ってしまった。
バタン、と扉が閉まる。
残されたドールは、ポツンと一人佇んでいた。
(……避けられてる)
(完全に、避けられてる)
これはもう、決定的な「契約解除」の予兆ではないか。
ドールは引き出しから電卓を取り出した。
(落ち着け、ドール。感情的になるな。……数字は裏切らない)
(もし婚約破棄(二回目)なら、慰謝料と退職金の計算をせなアカン)
(雇用契約の違約金、精神的苦痛の算定、再就職までの生活費……)
指先はいつものように高速で動く。
しかし、なぜか数字が頭に入ってこない。
『愛しているよ、ドール』
あの廊下で抱きしめられた時の熱が、耳に残っている。
『一生、私の側で計算していてくれ』
あの言葉は、嘘だったのか。
(……嘘つき)
ドールは小さく呟いた。
電卓の液晶が、ぼやけて見えた。
*
その夜。
ドールは残業もそこそこに、公爵家の馬車で帰宅の途についていた。
アークはまだ戻ってきていない。
「……はぁ」
ため息をつきながら、窓の外を流れる王都の夜景を眺める。
(退職金、いくら取れるかな……)
(……いや、金の問題やない。このモヤモヤはなんや)
ドールが自問自答していると、馬車が急停止した。
「!? 何事?」
「お嬢様! 前方に人だかりが……」
御者の声に、ドールは窓から顔を出した。
場所は、王都の中央広場。
そこには、煌びやかなイルミネーションが飾られ、多くの市民が集まっていた。
そして、その中心に。
見覚えのある、長身の男性が立っていた。
「……閣下?」
アークだった。
彼は黒いコートを着て、どこか落ち着かない様子で時計を見ている。
(なんでこんな所に? 夕方は出かけると言っていたけど……)
(……まさか、待ち合わせ?)
(新しい女と!?)
ドールの心臓がドクリと跳ねた。
嫌な予感がする。
要因3『新しい玩具を見つけた』が的中したのか。
ドールは居ても立ってもいられず、馬車を飛び出した。
「お嬢様!?」
「待ってて! すぐ戻る!」
ドールは人混みをかき分けて進んだ。
無表情だが、その足取りは焦っている。
(確認せな。……もし浮気現場なら、証拠写真を撮って慰謝料上乗せや!)
自分にそう言い聞かせないと、足が震えて止まってしまいそうだった。
広場の中心。
アークの周りには、少し距離を開けて近衛兵が立っている。
そして、彼の前には……誰もいない。
(……まだ来てないんか?)
ドールが柱の影に隠れて様子を伺っていると、アークがおもむろに懐から何かを取り出した。
小さな、ベルベットの小箱。
(!!)
(あれは……指輪のケース!)
ドールは息を呑んだ。
間違いない。プロポーズの準備だ。
誰に?
私に? いや、私を避けているのに?
じゃあ、誰に?
ドールの脳内で、最悪のシミュレーションが駆け巡る。
その時。
アークが独り言を呟いたのが聞こえた。
「……くそっ、緊張する」
『氷の公爵』が、顔を赤くして震えている。
「あんな完璧な彼女に、これ(・ ・)が気に入ってもらえるだろうか……」
「金額じゃない、気持ちだ……とは言うが、彼女は『現物資産』としての価値を重視しそうだし……」
「いや、ダイヤのカラット数は妥協しなかった。……これなら文句は言われないはずだ」
アークは小箱を開けたり閉めたりして、挙動不審になっている。
ドールは、瞬きをした。
(……ん?)
(『完璧な彼女』? 『現物資産としての価値』?)
(それって……もしかして、私のこと?)
ドールの思考回路が、ゆっくりと再構築されていく。
アークは浮気をしていたわけではない。
私を避けていたのも、嫌いになったからではない。
ただ単に、プロポーズの指輪を渡すために、緊張して挙動不審になっていただけ……?
(……なーんや)
ドールの体から、スゥッと力が抜けた。
同時に、胸のモヤモヤが一気に晴れていく。
(心配させやがって……この不器用公爵!)
ドールは柱の影から飛び出した。
「……閣下」
「うわぁっ!?」
アークが飛び上がった。
小箱を取り落としそうになり、慌てて空中でキャッチする。
「ド、ドール君!? な、なぜここに!?」
「通りかかりました。……不審者がいると思って」
「ふ、不審者……」
「はい。広場の真ん中で、一人で指輪の箱を開け閉めしている怪しい男がいましたので」
ドールはアークの目の前に立った。
アークは顔を真っ赤にして、視線を泳がせている。
「こ、これは……その、違うんだ! いや違わないけど!」
「何が違うんですか?」
「これは……君への……その……」
アークは覚悟を決めたように、深呼吸をした。
そして、ドールの前で片膝をついた。
周囲の市民たちが「おおっ!?」とざわめく。
「ドール・ヴァレンタイン嬢」
アークは真剣な眼差しで、ドールを見上げた。
「君を愛している。……私の妻になってくれないか?」
差し出された箱の中には、ドールの瞳よりも深い輝きを放つ、大粒のダイヤモンドリングが収まっていた。
「……正式なプロポーズです、か?」
「ああ。……先日のは勢いだったから。ちゃんと形にしたかったんだ」
アークは照れくさそうに笑った。
「君を避けていたのは……準備で忙しかったのと、君の顔を見ると、緊張して言えなくなりそうだったからだ」
(……やっぱり)
ドールは小さくため息をついた。
そして、手を差し出した。
「……鑑定させていただきます」
「えっ」
ドールは指輪をケースから取り出し、街灯の光にかざした。
「……クラリティはVVS1以上。カラーは無色透明のDカラー。カットはエクセレント。……推定価格、金貨五〇〇〇枚」
ドールは淡々と鑑定結果を述べた。
アークはポカンとしている。
「……素晴らしい品質です。資産価値として申し分ありません」
ドールは指輪を自分の左手の薬指にはめた。
サイズはぴったりだ。
「……で、返事は?」
アークが不安そうに尋ねる。
ドールは、指輪を見つめたまま言った。
「……この指輪、返品不可(クーリングオフなし)ですよね?」
「もちろん。一生返品させない」
「でしたら、契約成立です」
ドールはアークの手を取り、立たせた。
「……お受けします、閣下。いえ、アーク様」
ドールは、アークの目を見て、ほんの少しだけ……本当に微かだが、口角を上げた。
「……長期的投資として、あなたを選びました」
それは、ドールなりの「愛しています」という言葉だった。
アークは感極まったようにドールを抱きしめた。
「ありがとう……! 絶対に後悔させない!」
「後悔したら慰謝料請求しますので」
「ああ、望むところだ!」
広場からは、盛大な拍手と冷やかしの声が上がった。
こうして、ドールの「勘違い」は解消され、二人は正式に婚約者となった。
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