婚約破棄? ああ、そうですか。では実家に帰るので構わないでください。

ちゅんりー

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「許さない……絶対に許さないわ、フェリクス!」

『ベーカリー・シナモン』の厨房で、私の怒号が響いた。

手には、あの不愉快な脅迫状が握りしめられている。

「私の店を兵糧攻めにするですって? 小麦粉を止める? パン屋に対して、それは宣戦布告と同義よ! 人道に対する罪だわ!」

私は怒りのあまり、捏(こ)ねていたパン生地をバンバンと台に叩きつけた。

その激しい音に、セバス(執事)が紅茶を吹き出しそうになっている。

「お、落ち着いてくださいシナモン様。生地が痛みますぞ」

「落ち着いていられますか! 小麦がなければパンは焼けない。パンが焼けなければ、私は死ぬのよ!」

「……シナモン」

それまで黙って俯(うつむ)いていたクラウスが、重い口を開いた。

彼は私の手から脅迫状を取り上げると、沈痛な面持ちで私を見た。

「すまない。全ては、俺の不徳の致すところだ」

「クラウスさん?」

「弟のフェリクスは本気だ。あいつは、一度言い出したら聞かない。……俺が帰らない限り、本当にこの領地への小麦供給を止めるだろう」

クラウスは拳を握りしめた。

その表情には、深い苦悩と、申し訳なさが滲んでいる。

「俺がいるせいで、君の店を危険に晒してしまった。……もう、隠しておくわけにはいかないな」

彼は一つ大きく息を吐くと、眼鏡を外し、私を真っ直ぐに見つめた。

その瞳は、いつもの優しい店員のものではなく、冷徹で高貴な輝きを帯びていた。

「シナモン・クラスツ嬢。改めて名乗らせてくれ」

店内の空気がピーンと張り詰める。

セバスがスッと姿勢を正し、主人の後ろに控える。

「俺の名は、クラウス・フォン・ライ麦。隣国リ・ブレの公爵であり、この国の王家とも血縁を持つ者だ」

「……」

「黙っていてすまなかった。君を巻き込みたくなくて、身分を偽っていた」

クラウスは頭を下げた。

公爵が、平民(元貴族だが今はパン屋)に頭を下げる。

それは本来あり得ないことだ。

私は瞬きをして、それからエプロンで粉まみれの手を拭いた。

「……知ってました」

「え?」

クラウスが顔を上げた。

「い、いつからだ?」

「最初からです。だって、その名前。『ライ麦』公爵家って、有名なパン好き一族じゃないですか」

「……そこか」

「それに、あなたのその手。剣ダコはありますが、水仕事をした荒れがなかった。高級なクリームで手入れされていた証拠です。あと、パンを食べる時の所作が優雅すぎます。クロワッサンの粉を一つもこぼさないなんて、王族レベルの教育を受けていないと無理です」

私は指折り数えて指摘した。

クラウスはポカンとしていたが、やがて力が抜けたように笑った。

「はは……完敗だ。君の観察眼には敵わないな」

「パン職人は、生地の状態を見る目が命ですから」

「そうだな。……だが、俺が公爵だと知っても、君の態度は変わらなかったな」

「ええ。公爵だろうと浮浪者だろうと、パンを美味しく食べてくれる人は『神客様』ですから」

私が断言すると、クラウスは眩しいものを見るように目を細めた。

そして、一歩私に近づいた。

「シナモン。俺は……王宮での生活に疲れていたんだ」

彼の声が、少し熱を帯びる。

「味のしない食事。腹の探り合いばかりの茶会。誰も俺自身を見てはくれない、冷たい世界。……俺はそこで、氷のように心を閉ざして生きてきた」

彼は私の手を取り、その甲に触れた。

「だが、ここで君に出会った。君の焼くパンを食べた時、俺の世界に色が戻ったんだ」

「クラウスさん……」

「ただ美味しいだけじゃない。君のパンには、熱がある。食べる人を幸せにしたいという、純粋で強烈な情熱がある。……それに触れて、俺は初めて『生きたい』と思った」

彼の顔が近づく。

整った顔立ちが、今は切なげに歪んでいる。

「弟が来れば、俺は連れ戻されるかもしれない。だが、俺はもう戻りたくない。……君のいない世界には」

「!!」

私の心臓が、ドキンと大きく跳ねた。

これは。

もしかして。

世に言う『愛の告白』というやつだろうか?

「シナモン。俺は君のパンなしでは、もう生きていけない体になってしまった」

「……はい」

「毎朝、君の焼くパンの香りで目覚めたい。昼は君の新作を一番に試食したい。夜は……君とその日のパンの出来について語り明かしたい」

彼は私の手を強く握りしめた。

「俺の一生を、君に捧げたい。……受け入れてくれるか?」

甘い、甘い声。

まるで、たっぷり蜂蜜をかけたフレンチトーストのような、蕩(とろ)けるような響き。

普通のアニメや小説なら、ここでヒロインは涙を流して「はい、喜んで!」と抱きつく場面だろう。

私の脳内でも、カタルシスが弾けた。

(一生!?)

(毎朝、私のパンを食べたい!?)

(つまり、それって……!!)

私は興奮に震えながら、彼の手を両手で包み込んだ。

そして、満面の笑みで叫んだ。

「もちろんです! 喜んでお受けしますわ!」

「シナモン……!」

クラウスの顔が輝いた。

「本当か!?」

「ええ、本当です! つまり、『超・長期定期購入契約(プレミアム・サブスクリプション)』の申し込みですね!!」

「……は?」

クラウスの笑顔が凍りついた。

「えっ、違うんですか? 一生私のパンを食べたいということは、死ぬまで解約なしの永久契約ということですよね? しかも『一番に試食したい』ということは、オプションの『プレミアム・テイスティング権』もセットで!」

私は早口でまくし立てた。

「ありがとうございます! まさか個人のお客様で、終身契約を結んでくださるなんて! これは安定した経営基盤になりますわ! さっそく契約書を作成しますね! 印鑑はありますか? 実印でお願いします!」

私はカウンターの下から羊皮紙と羽ペンを取り出し、サラサラと書き始めた。

『契約書:甲(シナモン)は乙(クラウス)に対し、生涯にわたりパンを供給する義務を負う。乙は対価として、労働力および感想(レビュー)を提供するものとする……』

「……」

クラウスは口を開けたまま、石像のように固まっていた。

後ろで見ていたセバスが、額を押さえて天を仰いでいる。

「……クラウス様。これがいわゆる、玉砕(ぎょくさい)というやつですか?」

「……いや、違う」

クラウスは長い沈黙の後、ガックリと肩を落とし、そして虚ろな目で笑った。

「断られてはいない。……契約は成立した。ただ、ジャンルが『結婚』ではなく『業務提携』だっただけだ」

「ポジティブすぎますぞ、坊ちゃん」

「いいんだ。これなら、少なくとも一生そばにいる権利は得た。……パンのおまけとしてな」

クラウスは震える手で羽ペンを受け取り、契約書にサインをした。

その背中には『パンに負けた公爵』という哀愁が漂っていたが、私は気づかなかった。

「やったー! 契約成立です! これであなたは死ぬまで私のパン(と私)のものですわ!」

「……ああ。本望だ」

クラウスは私を優しく見つめた。

その目には、諦めと、それでも消えない愛おしさが混ざっていた。

「ではパートナーとして、最初の共同作業といこうか」

「はい! 新作のカンパーニュですか?」

「いや、違う」

クラウスの表情が、キリッと引き締まった戦士のものに変わる。

彼は窓の外、街道の向こうを睨みつけた。

「フェリクスの迎撃だ」

***

その言葉通りだった。

店の外から、地響きのような音が聞こえてきた。

馬の蹄の音ではない。

もっと重く、規則正しい足音。

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

「……来たか」

私たちが外に出ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

街道を埋め尽くす、黒い軍団。

武装した兵士たちではない。

全員が黒いスーツにサングラス、そして胸に『ライ麦公爵家・特殊食品管理部隊』という腕章をつけた、異様な集団だ。

その数、およそ五十人。

彼らは無言のまま、『ベーカリー・シナモン』を取り囲むように展開した。

そして、その中央から、一人の青年が歩み出てきた。

銀色の髪をきっちりと七三に分け、銀縁眼鏡をかけた、神経質そうな美青年。

顔立ちはクラウスにそっくりだが、雰囲気は対照的だ。

クラウスが『野生の狼』なら、彼は『管理されたドーベルマン』。

彼こそが、クラウスの弟――フェリクス・フォン・ライ麦だ。

「……兄上」

フェリクスは店の前に立つクラウスを見て、眼鏡をクイッと押し上げた。

「探しましたよ。まさか、このような辺鄙(へんぴ)な場所で、小麦粉まみれになって遊んでいるとは」

声は冷たく、事務的だ。

「フェリクス。久しぶりだな」

クラウスが前に出る。

「遊びではない。俺はここで、人生の真理を見つけた」

「真理? ……ああ、あの傾いたパンの塔のことですか? あんな炭水化物の塊に、何の真理があるというのです」

フェリクスは蔑(さげす)むように鼻を鳴らした。

「炭水化物の塊ですって……?」

私のこめかみがピクンと跳ねた。

私の芸術作品を、ただの栄養素としてしか見ないその発言。

許せない。

私は麺棒を握りしめて前に出ようとしたが、クラウスが手で制した。

「手出し無用だ、シナモン。これは兄弟喧嘩だ」

「ですが……!」

「兄上。無駄話は結構です」

フェリクスが懐から懐中時計を取り出した。

「公務が溜まっております。直ちに帰還し、書類の山を片付けてください。さもなくば、予告通り……」

彼はパチンと指を鳴らした。

黒服の部隊が一斉に動き、店の裏にある小麦粉の倉庫と、井戸を封鎖し始めた。

「この店のライフラインを断ちます」

「なっ……!?」

私は絶句した。

「卑怯よ! パン屋から粉と水を奪うなんて、呼吸をするなと言うのと同じよ!」

「黙りなさい、パン屋の娘」

フェリクスは冷たい目で私を一瞥した。

「貴女が兄上をたぶらかした元凶ですね? 『美味しいパン』などという餌で公爵を釣るとは、悪質な誘拐犯と変わりません」

「餌じゃないわ! 作品よ!」

「どちらでもいい。……兄上、選択してください。この店を守りたくば、大人しく戻るのです」

突きつけられた最後通牒。

クラウスは私と、フェリクスを交互に見た。

そして、静かに笑った。

「フェリクス。お前は一つ、大きな勘違いをしている」

「勘違い?」

「この店は、俺が守るまでもない。……お前が敵に回したのは、ただのパン屋じゃないぞ」

クラウスが一歩下がった、その時。

私は大きく息を吸い込み、叫んだ。

「よくも言ったわね、七三分けメガネ! 私の酵母ちゃんたちを侮辱した罪、万死に値するわ!」

私はエプロンのポケットから、とある『瓶』を取り出した。

「食らいなさい! 『特製・発酵ガス爆弾(ルヴァン・グレネード)』!!」

私が投げつけた瓶は、フェリクスの足元で砕け散った。

その瞬間。

プシューーーッ!!!

強烈な酸味と、芳醇すぎる発酵臭が白煙となって爆発した。

「な、なんだこれは!? く、臭い! いや、いい香りだが……目が沁みる!」

フェリクスと部隊が咳き込んで怯む。

「今よ! クラウスさん!」

「ああ!」

パン屋と公爵の、反撃が始まった。
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