婚約破棄? ああ、そうですか。では実家に帰るので構わないでください。

ちゅんりー

文字の大きさ
14 / 27

14

しおりを挟む
「はぁ……はぁ……水……水をくれ……」

店内の床で、この国の第一王子エドワード殿下が虫の息になっていた。

私の投げた『真実の口(激辛パン)』のダメージは甚大だったようだ。

しかし、その目はどこか晴れやかで、一種の解脱(げだつ)をしたような賢者の光を宿している。

「……辛かった。だが、その後に来る小麦の甘みが、まるで慈母の愛のようだった……」

「殿下、ポエムは結構ですからそこをどいてください。リリィ様のための席を作りますので」

私は殿下を足で(あ、いけない。お客様でした)優しく押しのけ、リリィ様を椅子に座らせた。

彼女はまだ泣いている。

「ううっ……騙されないわよ……パンなんて……もう見たくもない……」

「まあまあ、そう言わずに。これは私の最高傑作の一つ『お米の国からの使者(ゴパン)』です」

私は白い、丸っとしたパンを皿に乗せた。

見た目は普通の白パンだが、香りが違う。

焼き立てのパン特有の香ばしさの中に、ふわりと漂う、日本人なら誰もがDNAレベルで反応するあの香り。

「……炊きたての、匂い?」

リリィ様がピクリと反応した。

「そうです。このパンは、小麦粉を2割、残り8割をクラスツ領産の『上質なお米』を粉にして使用しています」

「お米が……パンに?」

「どうぞ。怖がらずに一口」

リリィ様は恐る恐る、パンを手に取った。

その瞬間、彼女の指が沈み込む。

「! 柔らかい……?」

普通のパンの弾力とは違う。

吸い付くような、湿り気を帯びた柔らかさ。

彼女は小さくちぎって、口に運んだ。

もぐ。

「…………」

リリィ様の動きが止まる。

店内中が固唾を飲んで見守る中、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。

「んんっ……!!」

「どうですか?」

「もちもちしてるぅぅぅ!!」

リリィ様が叫んだ。

「なにこれ!? パンなのに、噛めば噛むほどお米の甘みが出てくる! 喉に詰まらない! パサパサしない! まるで、お母さんが握ってくれたおにぎりのような安心感!」

彼女はパンを両手で持ち、むしゃむしゃと頬張り始めた。

「美味しい! これなら食べられる! ううん、毎日食べたい! お味噌汁にも合いそう!」

「でしょう? 隠し味に少しだけ塩麹(しおこうじ)を入れてありますから」

「シナモン様、貴女は天才よ! パンの魔女じゃなくて、お米の聖女様だったのね!」

「いえ、パン屋です」

そこは譲れないが、リリィ様の笑顔が戻って良かった。

これで「パンハラによる被害者」はいなくなったわけだ。

「……信じられん」

床から起き上がったエドワード殿下が、その光景を見て呟いた。

「あの偏食のリリィが、パンを食べて笑っているだと……?」

「殿下。食の好みは人それぞれです。無理強いはいけません」

私は殿下に冷たいお水(有料)を差し出した。

「貴方がやるべきだったのは、自分の好みを押し付けることではなく、彼女が何を求めているかを知ることだったんですよ」

「……ぐうっ」

殿下は言葉に詰まった。

「私は……ただ、私が美味しいと思ったものを、愛する者と共有したかっただけなのだ……」

「その気持ちは分かります。私も隙あらば全人類にパンを布教したいと思っていますから」

「同じじゃないか!」

「ですが、私は相手の好みに合わせてパンの種類を変えます。そこが愛の深さ(と商魂)の違いです」

殿下はガックリと項垂(うなだ)れた。

どうやら、自分の行いを深く反省したらしい。

「……負けたよ、シナモン。パン作りにおいても、愛においても、私はお前に勝てなかったようだ」

「勝負していたつもりはありませんが、敗北を認めるなら慰謝料としてパンを買ってください」

「ああ、買おう。店ごと買い占めてもいい」

「それは困ります。他のお客様の分がなくなりますから」

殿下は力なく笑い、そしてふと、厨房にいるクラウスに目を向けた。

「……おい、そこの店員」

「なんだ」

クラウスが腕組みをして出てくる。

「お前……やはり、ライ麦公爵家のクラウスだな?」

「……いかにも」

クラウスは変装用の眼鏡を外した。

その瞬間、店内から黄色い悲鳴が上がる。

「きゃー! やっぱり公爵様だったのー!?」

「隠しきれない気品がダダ漏れだったものね!」

殿下はため息をついた。

「行方不明になったと聞いていたが、まさかこんなところでパンを焼いていたとは。……国一番の魔導騎士が、フライヤーの前で油温調整をしている姿など、誰が想像できる?」

「ここが俺の居場所だ。文句があるか?」

「ないさ。……お前がここにいるなら、シナモンの安全は保証されたようなものだ」

殿下は少し寂しげに、しかし憑き物が落ちたような顔をした。

「シナモン。お前を王都へ連れ戻すのは諦める。……お前はここで、自由に生きるのが似合っているようだ」

「あら、物分かりが良くなりましたね。激辛パンのショック療法が効いたのかしら」

「うるさい。……その代わり、条件がある」

殿下はビシッと指を立てた。

「王宮への定期便だ! 私の朝食には、必ずお前のパンを出せ! 特にあのクリームパンと、リリィが食べているモチモチのやつ! あとカレーパンもだ!」

「承知いたしました。ただし、王族特別価格(通常の三倍)となりますが」

「構わん! 金ならある!」

「まいどあり!」

私は満面の笑みで計算機を叩いた。

こうして、私たちの店は「公爵家御用達」に続き、「王家御用達」の看板まで手に入れてしまったのである。

***

騒動が去った後の夕暮れ時。

店には、心地よい疲労感と、パンの残り香が漂っていた。

「……ふう。やっと静かになったな」

クラウスが椅子の背もたれに体を預けて言った。

「本当に。王族の相手はカロリーを使いますわ」

私は売れ残った(というか、殿下が置いていった大量の金貨の分として確保しておいた)バゲットをスライスしながら言った。

「でも、これで公に認められたことになります。もう誰にも遠慮せず、好きなだけパンが焼けますよ」

「ああ。……そして俺も、堂々とここで働ける」

クラウスは私を見て、柔らかく微笑んだ。

「シナモン。改めて礼を言う。俺の居場所を守ってくれて、ありがとう」

「お礼を言うのは私の方です。あなたがガードしてくれなかったら、店ごと没収されていましたから」

私はバゲットに、たっぷりのレバーペーストを塗って彼に渡した。

「さあ、お疲れ様の乾杯(パン)をしましょう」

「ああ」

二人はパンを齧り合った。

カリッ、という音が重なる。

「……美味い」

「でしょう?」

私たちは顔を見合わせて笑った。

窓の外では、一番星が輝き始めている。

「ところでシナモン」

「はい?」

「殿下への請求書だが、本当に三倍の価格で送るのか?」

「もちろんです。輸送料と、私の精神的苦痛への慰謝料、それに『公爵様を接客係として使ったチャージ料』が含まれていますから」

「俺のチャージ料か。……安売りはするなよ?」

「ええ、あなたの笑顔一つにつき金貨一枚乗せておきます」

「……悪徳商人め」

平和だ。

本当に、平和な夜だった。

だが、物語はここで終わらない。

『起・承・転・結』で言えば、まだ『転』の入り口に過ぎないのだ。

数日後。

店に一通の手紙が届いた。

差出人は、隣国リ・ブレの王太后――つまり、クラウスのお母様である『大公妃』からだった。

『拝啓、愛する息子クラウスへ。

 お前が辺境のパン屋に入れあげているという噂を聞きました。

 しかも、相手は「パンの魔女」と呼ばれる女だとか。

 ライ麦公爵家の嫁として相応しいか、私が直接「味見」に行きます。

 洗って待っていなさい。

 母より』

「……」

手紙を読んだクラウスが、青ざめて震えだした。

「く、来る……」

「誰がです?」

「『氷の女帝』……いや、俺の母上が……!」

「あら、お姑(しゅうとめ)さんですか? ちょうどいいわ、新作の『激甘・マダム殺しブリオッシュ』の実験台になってもらいましょう」

「やめろシナモン! 母上は甘いものが嫌いだ! 超辛党で、主食は唐辛子だ!」

「ええっ!?」

新たな強敵(ラスボス候補)の出現に、私のパン職人魂に火がついた。

「辛党……? 面白い。パンでその舌を唸らせてみせるわ!」

「逃げてくれシナモン! あの人は……あの人は、パンを『軟弱な食べ物』と呼ぶ唯一の人間なんだ!」

次回、『最強の姑襲来! 激辛パン対決で嫁の座(?)を守り抜け!』

私の戦いは、まだまだ終わらない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。 「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」 身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。 冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。 「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」 得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。 これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。

辺境伯へ嫁ぎます。

アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。 隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。 私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。 辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。 本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。 辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。 辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。 それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか? そんな望みを抱いてしまいます。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 設定はゆるいです。  (言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)  ❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。  (出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

【完結】二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました

三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。 優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。 優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。 そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。 絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。 そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。

森に捨てられた令嬢、本当の幸せを見つけました。

玖保ひかる
恋愛
[完結] 北の大国ナバランドの貴族、ヴァンダーウォール伯爵家の令嬢アリステルは、継母に冷遇され一人別棟で生活していた。 ある日、継母から仲直りをしたいとお茶会に誘われ、勧められたお茶を口にしたところ意識を失ってしまう。 アリステルが目を覚ましたのは、魔の森と人々が恐れる深い森の中。 森に捨てられてしまったのだ。 南の隣国を目指して歩き出したアリステル。腕利きの冒険者レオンと出会い、新天地での新しい人生を始めるのだが…。 苦難を乗り越えて、愛する人と本当の幸せを見つける物語。 ※小説家になろうで公開した作品を改編した物です。 ※完結しました。

夫に用無しと捨てられたので薬師になって幸せになります。

光子
恋愛
この世界には、魔力病という、まだ治療法の見つかっていない未知の病が存在する。私の両親も、義理の母親も、その病によって亡くなった。 最後まで私の幸せを祈って死んで行った家族のために、私は絶対、幸せになってみせる。 たとえ、離婚した元夫であるクレオパス子爵が、市民に落ち、幸せに暮らしている私を連れ戻そうとしていても、私は、あんな地獄になんか戻らない。 地獄に連れ戻されそうになった私を救ってくれた、同じ薬師であるフォルク様と一緒に、私はいつか必ず、魔力病を治す薬を作ってみせる。 天国から見守っているお義母様達に、いつか立派な薬師になった姿を見てもらうの。そうしたら、きっと、私のことを褒めてくれるよね。自慢の娘だって、思ってくれるよね―――― 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました

ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」 政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。 妻カレンの反応は—— 「それ、契約不履行ですよね?」 「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」 泣き落としは通じない。 そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。 逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。 これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...