婚約破棄? ああ、そうですか。では実家に帰るので構わないでください。

ちゅんりー

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「音楽スタート! 種目はワルツよ!」

ミント嬢が高らかに宣言すると、王宮の楽団が優雅な調べを奏で始めた。

シャンデリアが輝く大広間。

観衆がドーナツ状に広がり、その中央に私とミント嬢が対峙している。

「ふふん、見てなさい! 私の華麗なステップで、お兄様の心を射止めてみせるわ!」

ミント嬢はドレスの裾を摘まみ、軽やかに回り始めた。

その動きは洗練されている。

まるで蝶が舞うように、床の上を滑っていく。

「おお……可愛らしい」
「妖精のようだ」

貴族たちから感嘆の声が漏れる。

ミント嬢は勝ち誇った顔で私を見た。

「どう? 貴女にこれができて? 小麦粉まみれの貴女に、社交界の華(フラワー)になれるかしら?」

「フラワー(小麦粉)なら得意ですよ」

私は即答し、背負っていた『巨大フランスパン型バッグ』から、愛用のポータブル作業台(折りたたみ式)と、仕込んでおいたパン生地を取り出した。

「な、何をする気!?」

「ダンス対決ですよね? 私は私のスタイルで踊らせていただきます」

私は深呼吸をした。

ワルツのリズム。

ズン、チャッ、チャッ。
ズン、チャッ、チャッ。

(……悪くない。BPM(テンポ)は60。生地を叩きつけるのに最適なリズムだわ)

私は生地を台に置いた。

そして、音楽に合わせて動き出した。

「ワン、ツー、スリー!」

バンッ!!

「ひいっ!?」

ミント嬢が飛び上がった。

私が生地を作業台に叩きつけた音だ。

「ズン(叩く)、チャッ(伸ばす)、チャッ(折りたたむ)!」

私はリズムに合わせて、激しく、かつリズミカルに生地をこね始めた。

バンッ、グイーッ、パタン。
バンッ、グイーッ、パタン。

その動きには無駄がない。

全身のバネを使い、遠心力を利用してグルテンを形成していく。

ドレスの裾が翻(ひるがえ)り、桜色の旋風を巻き起こす。

「な、なんなのあれ……」

「ダンス……なのか?」

「いや、見ろ! あのステップ! 生地をこねながらも、足元は完璧なボックス・ステップを踏んでいるぞ!」

「なんと! 上半身でパンを作り、下半身で踊っているというのか!?」

会場がざわめく。

私はトランス状態に入っていた。

(気持ちいい……! 王宮の床材の反発係数が最高だわ! 足への負担が少ないから、いくらでもこねられる!)

「ハッ! ソイヤ! 美味しくなーれ!」

私の気迫に押され、楽団の指揮者も熱くなったらしい。

音楽が次第にテンポアップしていく。

「ちょっと! 速いわよ! 私のステップが追いつかないじゃない!」

ミント嬢が息を切らして叫ぶ。

しかし私は止まらない。

「加速します! 高速ミキシング・モード!」

バババババッ!!

私の手は残像と化した。

生地は見る見るうちに滑らかになり、艶(つや)やかな膜を張り始める。

「できた……! これが『踊るパン生地(ダンシング・ドウ)』!」

ジャーン!

曲の終了と同時に、私は完璧に丸めた生地を高く掲げてポーズを決めた。

シーン……。

静寂の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

「ブラボー!!」
「素晴らしいパッションだ!」
「あんなに情熱的なこね方を見たのは初めてだ!」

私は息一つ切らさず、優雅にカーテシーをした。

「ありがとうございます。皆様の熱気のおかげで、発酵が5分ほど短縮できそうです」

「負け……た……」

ミント嬢がその場に崩れ落ちた。

彼女はゼェゼェと肩で息をしている。

「なんで……なんでパンをこねてるだけなのに、そんなに輝いて見えるのよ……悔しい……」

彼女の目から涙がこぼれた。

私は作業台を片付け、ポケットからあるものを取り出した。

「ミント様。勝負の後はノーサイドです」

「……え?」

「これをどうぞ。貴女の健闘を称えて」

私が差し出したのは、可愛らしいリボンでラッピングされたパンだった。

「これは……?」

「新作の『チョコミント・ベーグル』です。貴女の名前を聞いた時から、作りたくてうずうずしていたんです」

「チョコミント……? パンに歯磨き粉みたいな味を入れたの?」

「まさか。フレッシュなミントの葉を煮出して作ったシロップと、濃厚なビターチョコを練り込んであります。清涼感と甘さのバランスは、まるで貴女のよう」

「わ、私……?」

「ええ。ツンとした爽やかさと、隠しきれない甘えん坊な甘さ。……ぴったりでしょう?」

「~~~っ!」

ミント嬢は顔を真っ赤にした。

彼女はおずおずとベーグルを受け取り、一口かじった。

「……ん!」

彼女の目が大きく見開かれる。

「……おいしい」

「でしょう?」

「スーッとするのに、甘い……。チョコがとろけて……生地がモチモチで……」

彼女は夢中で食べ進めた。

そして完食すると、潤んだ瞳で私を見上げた。

「……お兄様が、貴女を選んだ理由がわかった気がするわ」

「そうですか? パンの好みがあったからだと思いますけど」

「違うわよ、鈍感ね。……貴女と一緒にいると、世界が美味しくなるのよ」

ミント嬢は立ち上がり、ふん、と顔を背けた。

「勘違いしないでよね! お兄様を諦めたわけじゃないんだから! ……でも、とりあえずこのパンの定期購入は申し込んであげるわ!」

「ありがとうございます! 毎月10個コースでよろしいですか?」

「20個にしなさいよ!」

こうして、新たな太客(リピーター)をゲットした。

***

「お見事だ、シナモン」

騒ぎが収まると、クラウスが呆れ顔で近づいてきた。

「まさか舞踏会でパンをこねるとは思わなかったが……結果的に、ミントも手懐けたようだな」

「手懐けてませんよ。胃袋を掴んだだけです」

「それが一番確実な方法だからな、我が家では」

クラウスは苦笑し、そしてスッと手を差し出した。

「さて。……邪魔者もいなくなったことだし。今度こそ、俺と踊ってくれるか?」

「えっ」

私はキョトンとした。

「踊るって……パンはもうこね終わりましたよ?」

「パンじゃない。俺とだ」

クラウスは私の手を取り、強引に引き寄せた。

「キャッ!」

私の体が彼の胸にぶつかる。

タキシード越しに、彼の心音がトクトクと伝わってくる。

「……パン生地のように扱うつもりはないが、多少強引なのは許してくれ」

彼の顔が近づく。

甘いマスクと、アイスブルーの瞳。

周囲の貴族たちが「おお……」「絵になるわねえ」と囁き合っている。

「ス、ステップ分かりませんけど……」

「俺に合わせればいい。……パンのリズムでいいから」

「じゃあ……ワン、ツー、発酵?」

「それでいい」

音楽が再び流れ出す。

ゆったりとしたバラード。

クラウスのリードは完璧だった。

私が足をもつれさせそうになると、絶妙なタイミングで支えてくれる。

まるで、柔らかいパン生地を優しく成形するかのような手つき。

(……温かい)

彼の手のぬくもりが心地よい。

いつもは窯の前で汗を流している同志だけど、こうして見ると、やっぱり彼は素敵な男性なのだと再認識させられる。

「シナモン」

彼が耳元で囁く。

「今日は楽しかったか?」

「はい。売上も上々ですし、新規顧客リストも埋まりました」

「……色気のない感想だな」

彼はフッと笑った。

「俺は、君のドレス姿を見られただけで満足だ。……誰よりも綺麗だよ」

「……っ」

私の顔が、オーブンの最大火力並みに熱くなった。

「そ、そういうのは反則です……! あ、足踏みますよ!」

「構わん。君になら踏まれても本望だ」

「ドMですか!」

私たちがそんな甘い(?)会話をしながら踊っていると、バルコニーの方から大きな声が聞こえてきた。

「皆様ー! ご注目くださーい!」

見ると、アルフレッド国王がワイングラスを片手に叫んでいた。

「今宵のMVPは、文句なしでシナモン嬢だ! そこで、余興として……王家の宝物庫に眠る『伝説の小麦』を賭けて、彼女に試練を与えようと思う!」

「伝説の……小麦!?」

私の目がカッと見開かれた。

クラウスとのロマンチックな空気は一瞬で吹き飛んだ。

「何ですかそれは! 詳しく!」

私はクラウスの手を離し、国王の元へダッシュした。

「おいシナモン! 曲の途中だぞ!」

クラウスが虚空を掴む。

「ごめんなさいクラウスさん! 愛より小麦です!」

「……知ってた」

国王はニヤリと笑った。

「その小麦は『太陽の穂』と呼ばれ、千年に一度しか実らない幻の品種だ。これを使い、明日の朝までに『奇跡のパン』を焼いてみせよ! できなければ……クラウスを王宮に戻す!」

「なんですって!?」

またしても無理難題。

しかし、パン職人として「伝説の小麦」を目の前にして逃げる選択肢はない。

「受けます! その小麦、私が最高に美味しく焼き上げてみせますわ!」

「いい返事だ! では、厨房を開放しよう!」

こうして、舞踏会はいつの間にか『伝説のパン・チャレンジ』へと移行した。

置き去りにされたクラウスは、深いため息をつきながら、セバスに言った。

「……エプロンを持ってきてくれ。また徹夜になりそうだ」

「承知いたしました。……シナモン様と一緒なら、徹夜も楽しそうですな」

私のパン屋ライフは、国境を越えても相変わらずドタバタ続きだった。
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