婚約破棄? ああ、そうですか。では実家に帰るので構わないでください。

ちゅんりー

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「暑い……湿度が……100パーセント近い……」

「喜んでください、クラウスさん! ここは天然のホイロ(発酵器)ですよ!」

異大陸に到着した私たちは、現地のガイドとはぐれ、鬱蒼(うっそう)としたジャングルの真ん中にいた。

頭上を極彩色の鳥が飛び交い、足元には見たこともない巨大なシダ植物が生い茂っている。

私のドレス(冒険用カスタム・ポケット多数)は泥だらけだが、気分は最高だった。

「見てください、この気温! 38度! パン生地の発酵に最適な温度帯です!」

「……俺はカビが生えそうだ」

クラウスはシャツのボタンを外し、バゲット型の大剣(マチェット代わり)で蔦(つた)を切り払っていた。

「シナモン。ここは『魔の樹海』だぞ。新婚旅行の行き先として、リゾート地ではなくここを選んだ君の神経を疑う」

「だって、ギルドの依頼書に『伝説の種』があるって書いてあったんですもの」

私は背中のリュックから、現地で採取した謎の穀物を粉にしたものを取り出した。

「それに、見てくださいこの穀物! 『古代麦』の亜種かもしれません。粘り気が強くて、独特の香ばしさがあります」

「……それで、昼飯はどうするんだ? 保存食の乾パンは、湿気て岩のようになっているぞ」

「ふふふ。任せてください」

私は周囲を見渡し、大きなバナナのような葉っぱを見つけた。

「オーブンがないなら、蒸せばいいのです! この高温多湿と、あそこから湧き出ている温泉の蒸気を利用して、『ジャングル蒸しパン』を作ります!」

「……逞(たくま)しいな、俺の嫁は」

***

私たちは川沿いの開けた場所に陣取った。

私は採取した謎の穀物の粉に、ヤシの実の果汁(ココナッツミルク)と、持参したドライイースト、そして現地で拾った甘い木の実を砕いて混ぜ合わせた。

「水は使わず、ココナッツミルクだけで練ります。これで濃厚なコクが出ますわ」

生地をこねて、バナナの葉っぱで包む。

それを、温泉が湧き出ている岩場の噴気孔(ふんきこう)の上に並べた。

シューーーッ!

天然のスチームが、葉っぱ包みを直撃する。

「すごい火力! これなら15分で蒸し上がりますよ!」

「……君といると、遭難している気がしないな」

クラウスが岩に腰掛けて笑った。

「むしろ、王宮にいた頃より豊かな食事をしている気がする」

「パンさえあれば、どこでも都(みやこ)ですから」

15分後。

甘い香りが漂ってきた。

葉っぱの青い香りと、ココナッツの甘い香り。

「オープン!」

葉っぱを開くと、そこには黄色く輝く、ふっくらとした蒸しパンが現れた。

「美味しそう……!」

「いただきまーす!」

熱々の蒸しパンにかぶりつく。

ハフッ、ハフッ。

「ん~っ! モチモチです! 穀物の野性味あふれる味を、ココナッツの甘さが優しく包み込んで……!」

「……うまい。素朴だが、滋味深い味だ。疲れが取れる」

二人で感動していると。

ガサガサガサッ!!

周囲の茂みが一斉に揺れた。

「……囲まれたか」

クラウスが瞬時にパンを飲み込み、剣を構えた。

現れたのは、猿の群れだった。

しかし、ただの猿ではない。身長2メートルはある、筋肉ムキムキのゴリラのような猿たちだ。

彼らは手に棍棒を持ち、私たちを威嚇している。

『ウホッ! ウホウホッ!』

「縄張りを荒らしたと怒っているようだな」

クラウスの目が鋭くなる。

「シナモン、下がっていろ。……新婚旅行の余興にしては少しハードだが、俺が蹴散らす」

「待ってください」

私はクラウスの前に出た。

「シナモン!?」

「彼らの目を見てください。……怒っているんじゃないわ」

私は猿たちの視線を追った。

彼らが見ているのは、私たちではなく……私の手にある『食べかけの蒸しパン』だ。

「お腹が空いているのね?」

私は一歩近づいた。

『ウホッ!?』

猿たちが警戒して後ずさる。

「大丈夫よ。怖くないわ。……ほら」

私は残っていた蒸しパンを一つ、彼らの足元に投げた。

一番体の小さい小猿が、恐る恐る近づき、匂いを嗅ぐ。

そして、パクッと口に入れた。

『……!!』

小猿の目が輝いた。

『ウホーーッ!!』

小猿は喜びのダンスを踊り出した。

それを見た他の猿たちも、次々と群がってくる。

「すごい……! 入れ食い状態だ!」

「まだありますよ! どんどん蒸しますからね!」

私は追加の生地を高速でこね、次々と蒸し器(温泉)に投入した。

「さあ、並んで! 喧嘩しない!」

『ウホッ!』『ウホッ!』

いつの間にか、凶暴な猿軍団は、配給を待つ子供のようになっていた。

その時。

ズシーン……ズシーン……。

地響きと共に、ひときわ巨大な影が現れた。

身長3メートル。

背中の毛が銀色に輝く、群れのボス――『キング・コング(仮)』だ。

「で、でかい……! あれは魔獣クラスだぞ!」

クラウスが再び剣に手をかける。

ボス猿は、私の前に立ち塞がり、鼻を鳴らした。

『フンッ……』

彼は私の蒸しパンを見下し、棍棒で地面を叩いた。

「あら、お気に召しませんか?」

『ウホ(あんな軟弱なもの、俺様が食えるか)!』

と言いたげな顔だ。

どうやら彼は、硬派なハード系がお好みのようだ。

「分かりました。ボスには特別製を差し上げましょう」

私はリュックの奥底から、非常食として持っていた『三度焼きラスク(硬度:ダイヤモンド級)』を取り出した。

「これを噛み砕けますか?」

ボス猿は鼻で笑い、ラスクをひったくると、バリボリと豪快に噛み砕いた。

ガリッ! ボリッ!

『!!』

ボス猿の動きが止まる。

噛めば噛むほど染み出る、バターと砂糖の悪魔的な旨味。

そして、顎(あご)を刺激する圧倒的な硬さ。

『ウ……ウホォォォォォッ!!(これだ! 俺が求めていた歯ごたえはこれだぁぁぁ!)』

ボス猿は天に向かってドラミング(胸を叩く動作)をした。

そして、私の前に跪(ひざまず)き、頭を垂れた。

どうやら、服従のポーズらしい。

「よしよし。いい子ですね」

私はボスの頭を撫でた。

「シナモン……君は一体、何者なんだ?」

クラウスが呆然と呟く。

「猛獣使いの才能まであったとは」

「パンは言葉の壁も、種族の壁も越えるのです」

***

こうして、私たちは猿の群れと仲良くなった。

彼らは私たちを『美味しいものをくれる神』として崇め、ジャングルの奥地へと案内してくれた。

「あそこだ……!」

数時間後。

ボスの案内で辿り着いたのは、巨大な遺跡だった。

古代の石造りの神殿。

その中央に、祭壇のような場所があり、そこに一粒の種が安置されていた。

虹色に輝く、握り拳ほどの大きさの種。

「あれが……ギルドの探していた『始まりの種』?」

私が近づこうとすると、遺跡の守護者(ガーディアン)らしき石像が動き出した。

ゴゴゴゴ……。

「侵入者排除……パンヲ……ササゲヨ……」

「またパン要求!?」

クラウスが叫んだ。

「この世界の古代文明は、どんだけパン中心なんだよ!」

「望むところです! 世界一のパン職人が、最高の供物(パン)を焼いてあげましょう!」

私は腕まくりをした。

しかし、ここで問題が発生した。

「……あれ? 小麦粉が……もうない」

猿たちに振る舞いすぎて、手持ちの粉が底をついていたのだ。

「えっ」

石像が迫ってくる。

「ヤバイぞシナモン! 粉がなければパンは焼けない!」

「い、いえ! 諦めません!」

私は周囲を見回した。

そこにあるのは、『始まりの種』と、遺跡に生えている苔(コケ)くらいだ。

「……あの種を、製粉するしかありません」

「はあ!? 依頼品だぞ!?」

「世界を飢餓から救う種なんでしょう? だったら、今ここで私たち(空腹の石像)を救ってこそ本物です!」

私は祭壇に駆け寄り、伝説の種を掴み取った。

「ごめんなさい、ギルドの人! 後で始末書書きます!」
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