40 / 61
異変
しおりを挟む
夜は、まだ終わっていなかった。
路地に倒れ伏した男は、ぴくりとも動かない。
男子生徒は、しばらくその場から動けずにいた。
胸の奥が、満たされている。
なのに、どこか空虚だ。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
「すげぇな……ほんとに……」
足元が、少しふらつく。
だがそれは疲労ではない。
体が、もっと“次”を求めている。
背後で、女の気配が濃くなる。
「怖い?」
静かな声。
「……少し」
正直に答えると、女は否定しなかった。
「それでいいのよ」
彼女は倒れた男を一瞥し、淡々と言った。
「罪悪感も、恐怖も、まだ“人間”だから出てくる」
ゆっくりと、彼の正面に立つ。
「でもね。そんなもの、力の前ではすぐ薄れる」
男子生徒は唇を噛んだ。
「……俺、どうなるんだ」
女は少し首を傾げ、まるで不思議な質問だと言いたげに微笑む。
「どうもならないわ」
「ただ――」
一歩、距離を詰める。
「欲しいものを、欲しいままに手に入れるだけ」
彼女の指先が、彼の胸元に触れた瞬間。
心臓が、どくんと強く脈打つ。
「今はね、何も考えなくていい」
「正義も、善悪も、学園も、友達も」
囁きが、頭の奥に染み込んでいく。
「自分の欲望だけを見なさい」
男子生徒の脳裏に、浮かぶ光景。
――主人公の背中
――楽しそうに笑うクラスメイト
――置いていかれる自分
拳が、震える。
「……ムカつく」
気づけば、そう呟いていた。
女は満足そうに目を細める。
「そう。それよ」
「羨ましい、憎い、認められたい、支配したい」
「全部、立派な“原動力”」
彼女は、革袋を差し出した。
中には、昨日よりも濃い色をした小瓶がいくつも入っている。
「今夜は、好きに使いなさい」
「止めないわ」
「……いいのか?」
問いかけに、女は即答した。
「ええ。むしろ――」
微笑みが、僅かに歪む。
「縛る方が、成長を妨げるもの」
男子生徒は、瓶を一つ掴んだ。
手のひらが、異様に熱い。
「……俺が、壊れたら?」
一瞬だけ、女の瞳が細くなる。
「壊れる?」
その言葉を、笑い飛ばすように。
「違うわ。“削ぎ落とされる”だけ」
「余計な考えがね」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
だが同時に、妙な安堵もあった。
――考えなくていい。
――迷わなくていい。
それは、あまりに甘い。
「……分かった」
男子生徒は、小瓶を懐にしまった。
「じゃあ、まずは……」
視線が、街の灯りへ向く。
「目についた奴から、だな」
女は背後に下がり、影に溶けるように姿を薄くする。
「ええ」
最後に、楽しげな声だけが残った。
「思う存分、やりなさい」
⸻
その夜。
男子生徒は、もう何人の“気配”に触れたのか覚えていない。
逃げる声、恐怖の視線、命乞い。
最初は、耳障りだった。
だが、次第に――どうでもよくなった。
「……静かにしろよ」
言葉に、感情が乗らない。
ただ、力を使う。
ただ、奪う。
それだけ。
気づけば、胸の奥にあった“迷い”は、ほとんど感じられなくなっていた。
(……楽だ)
考えなくていい。
選ばなくていい。
ただ、欲望のままに。
彼の瞳の奥で、確かに“何か”が薄れていく。
――それに、本人だけが気づいていなかった。
最初は、欠席が一日増えただけだった。
「……あいつ、今日も来てないな」
教室の隅、いつも無言で座っていた席が空いている。
誰かがそう呟いたが、深く気にする者はいなかった。
もともと目立たない。
友達も多くない。
一日や二日、来なくなっても不思議じゃない。
――はずだった。
それから数日。
彼は、来たり来なかったりを繰り返すようになる。
登校してきた日も、様子がおかしかった。
目が合えば睨む。
些細な音に舌打ちする。
肩がぶつかれば、即座に怒鳴り返す。
「……なんだよ、あいつ」
空気が、明らかに荒れていた。
本人は自覚していない。
ただ、周囲が“鬱陶しく感じる”だけだ。
(うるせぇ……)
(なんで俺の周りをうろつくんだ)
(どいつもこいつも……)
胸の奥に、熱が溜まっていく。
薬を飲んだ夜ほどではないが、確実に“足りない”。
――もっと欲しい。
そんな時だった。
「おい」
背後から、聞き慣れた声。
彼が最も嫌っていた存在。
いつも、笑いながら見下してくる男。
「最近サボりすぎじゃね?」
「どうせまたビビって逃げてたんだろ?」
周囲から、くすくすと笑い声が漏れる。
以前なら、何も言い返せなかった。
俯いて、やり過ごすだけだった。
だが。
「……あ?」
声が低くなる。
男は一瞬、言葉に詰まった。
「な、なんだよその目」
「調子乗ってんじゃねぇぞ」
次の瞬間だった。
彼の手が、男の胸倉を掴む。
教室が、一気に静まり返る。
「……うるせぇ」
力を入れた覚えは、ない。
ただ――
“少し、どかした”だけだ。
だが男の体は、机をなぎ倒しながら吹き飛んだ。
鈍い音。
悲鳴。
床に転がった男は、動かない。
「……は?」
彼自身が、一番驚いていた。
手を見下ろす。
震えていない。
むしろ、妙に軽い。
(……弱すぎだろ)
そんな感想が、自然に浮かんだ。
教師が駆け込んできた時、
彼はすでに興味を失っていた。
その日のうちに、男は救急車で運ばれた。
病院送り。
「骨折と内臓損傷です」
「命に別状はありませんが……」
後で聞いた話だ。
だが彼の耳には、ほとんど残らなかった。
(あいつが弱いだけだ)
(俺は……何も悪くない)
そう思う一方で、胸の奥がざわつく。
――何かが、決定的に戻れなくなった感覚。
その日から。
彼は、ほとんど登校しなくなった。
来たとしても、教室の空気を裂くような視線を放ち、
誰とも関わらず、誰にも止められない。
学園の片隅で、確かに一つの“歪み”が育っていた。
そして。
それを、主人公だけが――
はっきりと「おかしい」と感じ始めていた。
路地に倒れ伏した男は、ぴくりとも動かない。
男子生徒は、しばらくその場から動けずにいた。
胸の奥が、満たされている。
なのに、どこか空虚だ。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
「すげぇな……ほんとに……」
足元が、少しふらつく。
だがそれは疲労ではない。
体が、もっと“次”を求めている。
背後で、女の気配が濃くなる。
「怖い?」
静かな声。
「……少し」
正直に答えると、女は否定しなかった。
「それでいいのよ」
彼女は倒れた男を一瞥し、淡々と言った。
「罪悪感も、恐怖も、まだ“人間”だから出てくる」
ゆっくりと、彼の正面に立つ。
「でもね。そんなもの、力の前ではすぐ薄れる」
男子生徒は唇を噛んだ。
「……俺、どうなるんだ」
女は少し首を傾げ、まるで不思議な質問だと言いたげに微笑む。
「どうもならないわ」
「ただ――」
一歩、距離を詰める。
「欲しいものを、欲しいままに手に入れるだけ」
彼女の指先が、彼の胸元に触れた瞬間。
心臓が、どくんと強く脈打つ。
「今はね、何も考えなくていい」
「正義も、善悪も、学園も、友達も」
囁きが、頭の奥に染み込んでいく。
「自分の欲望だけを見なさい」
男子生徒の脳裏に、浮かぶ光景。
――主人公の背中
――楽しそうに笑うクラスメイト
――置いていかれる自分
拳が、震える。
「……ムカつく」
気づけば、そう呟いていた。
女は満足そうに目を細める。
「そう。それよ」
「羨ましい、憎い、認められたい、支配したい」
「全部、立派な“原動力”」
彼女は、革袋を差し出した。
中には、昨日よりも濃い色をした小瓶がいくつも入っている。
「今夜は、好きに使いなさい」
「止めないわ」
「……いいのか?」
問いかけに、女は即答した。
「ええ。むしろ――」
微笑みが、僅かに歪む。
「縛る方が、成長を妨げるもの」
男子生徒は、瓶を一つ掴んだ。
手のひらが、異様に熱い。
「……俺が、壊れたら?」
一瞬だけ、女の瞳が細くなる。
「壊れる?」
その言葉を、笑い飛ばすように。
「違うわ。“削ぎ落とされる”だけ」
「余計な考えがね」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
だが同時に、妙な安堵もあった。
――考えなくていい。
――迷わなくていい。
それは、あまりに甘い。
「……分かった」
男子生徒は、小瓶を懐にしまった。
「じゃあ、まずは……」
視線が、街の灯りへ向く。
「目についた奴から、だな」
女は背後に下がり、影に溶けるように姿を薄くする。
「ええ」
最後に、楽しげな声だけが残った。
「思う存分、やりなさい」
⸻
その夜。
男子生徒は、もう何人の“気配”に触れたのか覚えていない。
逃げる声、恐怖の視線、命乞い。
最初は、耳障りだった。
だが、次第に――どうでもよくなった。
「……静かにしろよ」
言葉に、感情が乗らない。
ただ、力を使う。
ただ、奪う。
それだけ。
気づけば、胸の奥にあった“迷い”は、ほとんど感じられなくなっていた。
(……楽だ)
考えなくていい。
選ばなくていい。
ただ、欲望のままに。
彼の瞳の奥で、確かに“何か”が薄れていく。
――それに、本人だけが気づいていなかった。
最初は、欠席が一日増えただけだった。
「……あいつ、今日も来てないな」
教室の隅、いつも無言で座っていた席が空いている。
誰かがそう呟いたが、深く気にする者はいなかった。
もともと目立たない。
友達も多くない。
一日や二日、来なくなっても不思議じゃない。
――はずだった。
それから数日。
彼は、来たり来なかったりを繰り返すようになる。
登校してきた日も、様子がおかしかった。
目が合えば睨む。
些細な音に舌打ちする。
肩がぶつかれば、即座に怒鳴り返す。
「……なんだよ、あいつ」
空気が、明らかに荒れていた。
本人は自覚していない。
ただ、周囲が“鬱陶しく感じる”だけだ。
(うるせぇ……)
(なんで俺の周りをうろつくんだ)
(どいつもこいつも……)
胸の奥に、熱が溜まっていく。
薬を飲んだ夜ほどではないが、確実に“足りない”。
――もっと欲しい。
そんな時だった。
「おい」
背後から、聞き慣れた声。
彼が最も嫌っていた存在。
いつも、笑いながら見下してくる男。
「最近サボりすぎじゃね?」
「どうせまたビビって逃げてたんだろ?」
周囲から、くすくすと笑い声が漏れる。
以前なら、何も言い返せなかった。
俯いて、やり過ごすだけだった。
だが。
「……あ?」
声が低くなる。
男は一瞬、言葉に詰まった。
「な、なんだよその目」
「調子乗ってんじゃねぇぞ」
次の瞬間だった。
彼の手が、男の胸倉を掴む。
教室が、一気に静まり返る。
「……うるせぇ」
力を入れた覚えは、ない。
ただ――
“少し、どかした”だけだ。
だが男の体は、机をなぎ倒しながら吹き飛んだ。
鈍い音。
悲鳴。
床に転がった男は、動かない。
「……は?」
彼自身が、一番驚いていた。
手を見下ろす。
震えていない。
むしろ、妙に軽い。
(……弱すぎだろ)
そんな感想が、自然に浮かんだ。
教師が駆け込んできた時、
彼はすでに興味を失っていた。
その日のうちに、男は救急車で運ばれた。
病院送り。
「骨折と内臓損傷です」
「命に別状はありませんが……」
後で聞いた話だ。
だが彼の耳には、ほとんど残らなかった。
(あいつが弱いだけだ)
(俺は……何も悪くない)
そう思う一方で、胸の奥がざわつく。
――何かが、決定的に戻れなくなった感覚。
その日から。
彼は、ほとんど登校しなくなった。
来たとしても、教室の空気を裂くような視線を放ち、
誰とも関わらず、誰にも止められない。
学園の片隅で、確かに一つの“歪み”が育っていた。
そして。
それを、主人公だけが――
はっきりと「おかしい」と感じ始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
倒した魔物が消えるのは、僕だけのスキルらしいです
桐山じゃろ
ファンタジー
日常のなんでもないタイミングで右眼の色だけ変わってしまうという特異体質のディールは、魔物に止めを刺すだけで魔物の死骸を消してしまえる能力を持っていた。世間では魔物を消せるのは聖女の魔滅魔法のみ。聖女に疎まれてパーティを追い出され、今度は魔滅魔法の使えない聖女とパーティを組むことに。瞳の力は魔物を消すだけではないことを知る頃には、ディールは世界の命運に巻き込まれていた。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
俺だけ永久リジェネな件 〜パーティーを追放されたポーション生成師の俺、ポーションがぶ飲みで得た無限回復スキルを何故かみんなに狙われてます!〜
早見羽流@3/19書籍発売!
ファンタジー
ポーション生成師のリックは、回復魔法使いのアリシアがパーティーに加入したことで、役たたずだと追放されてしまう。
食い物に困って余ったポーションを飲みまくっていたら、気づくとHPが自動で回復する「リジェネレーション」というユニークスキルを発現した!
しかし、そんな便利なスキルが放っておかれるわけもなく、はぐれ者の魔女、孤高の天才幼女、マッドサイエンティスト、魔女狩り集団、最強の仮面騎士、深窓の令嬢、王族、謎の巨乳魔術師、エルフetc、ヤバい奴らに狙われることに……。挙句の果てには人助けのために、危険な組織と対決することになって……?
「俺はただ平和に暮らしたいだけなんだぁぁぁぁぁ!!!」
そんなリックの叫びも虚しく、王国中を巻き込んだ動乱に巻き込まれていく。
無双あり、ざまぁあり、ハーレムあり、戦闘あり、友情も恋愛もありのドタバタファンタジー!
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
勇者パーティーを追放されました。国から莫大な契約違反金を請求されると思いますが、払えますよね?
猿喰 森繁
ファンタジー
「パーティーを抜けてほしい」
「え?なんて?」
私がパーティーメンバーにいることが国の条件のはず。
彼らは、そんなことも忘れてしまったようだ。
私が聖女であることが、どれほど重要なことか。
聖女という存在が、どれほど多くの国にとって貴重なものか。
―まぁ、賠償金を支払う羽目になっても、私には関係ないんだけど…。
前の話はテンポが悪かったので、全文書き直しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる