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熱魔病
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朝、畑に出ると、土が少し湿っていた。
昨夜のうちに雨が降ったらしい。
俺は鍬を肩に担いで、様子を確認しに行く。
先月撒いた薬草の芽が、細く白くよく育っている。
エーデル草、ヒール根、ブルーミント。
どれも初級ポーションの原料だ。
うん、順調だ。
「ガイウスさん!」
遠くからリナの声がした。
珍しく朝早い。
振り返ると、宿屋の方向から走ってくる。赤毛が揺れている。
「どうしました、こんな朝早くに」
「村長が呼んでる。急ぎだって」
「何かありましたか」
「……グラントさんの息子が、昨日から高熱で」
俺は鍬を畑に立てかけて、上着を掴んだ。
グラントの家は酒場の裏手にあった。
石造りの、小さいが手入れの行き届いた家だ。
玄関に出てきたグラントは、いつもの無口な大男だったが、顔色が悪かった。
目の下に隈がある。
「……息子を見てやってくれ」と、低い声で言った。
通された部屋に、子どもが一人寝ていた。
七歳か八歳か。
栗色の髪をした男の子で、父親に似て体ががっしりしている。
ただ、今は顔が赤く、息が浅くて速かった。
俺は膝をついて、額に触れた。
熱い。かなり高い。
「これはいつからですか?」
「昨日の昼頃から。最初は少し元気がないだけだったが、夜中に急に上がって」
「ゴホッ……」
少年が咳をした。深い、嫌な音だ。
「薬は」
「常備の解熱薬は飲ませた。一晩経ったが下がらん」
俺は少年の首のリンパを触り、目を軽く開けて確認した。
舌の色。爪の色。呼吸のリズム。
(……普通の風邪ではない)
「名前は」
「マルク。俺の息子です」とグラントが言った。
俺はグラントの顔を見た。
いつも無口で、表情の変わらない男が、こんな顔をするのを初めて見た。
「少し時間をください」
「何か、わかるか」
「調べてみます」
俺は作業場に戻って、手持ちのポーションを全部確認した。
解熱、回復、消炎——どれも中級以下だ。
通常の高熱なら中級品で十分対応できる。
ただ、マルクの状態は少しおかしかった。
熱が高いにしては、体の強張り方が尋常でない。
筋肉が微かに痙攣して目の充血のパターンも普通の発熱と違う。
俺は魔術書を引っ張り出して、記憶を辿った。
王城にいた頃、医術系の魔術師と何度か話したことがある。
その中で一度だけ聞いた病名が、頭の端に引っかかっていた。
《熱魔病》
魔力の薄い地域で、ごくまれに子どもに発症する。
体内の魔力バランスが崩れ、それが高熱の形で現れる。
並の医者では診断すらつかず、発症から三日で脳が焼き切れる。
俺は本を閉じた。
治療には、通常の解熱薬ではなく、魔力を安定させる成分が必要だ。
具体的には、《月見草の精油》と《星砂》を基材にした特別な上級ポーション。
月見草は手元にあるが、問題は星砂だ。
星砂は、特定の鍾乳洞内にしか生成されない鉱物系の素材で、辺境の小村に置いてあるわけがない。
俺は窓の外を見た。
エーデル村の青い空が、今日はほんの少しだけ遠い気がした。
リナに状況を簡単に説明すると、顔色が変わった。
「星砂って……どこで手に入るの」
「近場だと、この村から東に山を越えたところに鍾乳洞がある。地図で確認した」
「どのくらいかかる」
「急いで行って帰れば、半日」
リナが少し黙った。
「……マルク大丈夫なの?」
「三日あります。ただ、早いほうがいい」
俺は荷物をまとめて立ち上がった。
小さな革袋に採取用の道具を入れる。
「俺が行ってきます。留守の間、グラントさんのところに顔を出してやってください」
「私も行く」
リナが言った。
「いりません。危ないですし」
「一人より二人のほうが速いでしょ。採取、私にも教えてくれてたじゃん」
「山越えですよ」
「走れるし」
俺はリナを見た、真剣な目をしている。
マルクとは幼馴染みだと、以前聞いた気がした。
(ここで突っぱねても無理にでもついてくるか‥仕方ない)
「……足を引っ張らないでください」
「引っ張らないわよ」
俺たちは朝のうちに出発した。
山道は思ったより険しかった。
ただリナは文句も言わずについてきた。
息は少し上がっているが、足取りは安定している。
「ガイウスさん」と歩きながらリナが言った。
「なんですか」
「《熱魔病》って、珍しい病気なの?」
「かなり。魔力の薄い土地で出やすい。エーデル村は森が近いわりに、地脈の流れが細い。そういう場所は注意が必要です」
「知らなかった……」
「俺も来るまでは知らなかった。来てから地形を調べたとき、少し気になっていたんです。ポーションを多めに作っていたのはそのせいでもあります」
「じゃあ……前から備えてたってこと?」
「一応」
リナが黙った。
しばらく歩いてから、「ありがとう」と小さく言った。
俺は何も言わなかった。
鍾乳洞は、山の中腹にぽっかりと口を開けていた。
見た目は地味だ。
ただ中に入ると、岩肌にかすかに光る粒子が見えた。
「きれい……」とリナが息を飲んだ。
「星砂です。岩の結晶の間に付着しているやつを丁寧に削り取ります。力を入れすぎると成分が変質するので注意してください」
「わかった」
二人で手分けして採取した。
リナの手つきは、最初は遠慮がちだったが、コツを掴んでからは素早くなった。
飲み込みが早い。
ポーション作りでもそう思った。
一時間ほどで、必要量の倍近くを集めることができた。
「多く取れましたね」
「念のため、って言うでしょ」とリナが言った。
俺は少し笑った。
気づいていなかったが、自然に笑っていた。
帰り道は来た道より速かった。
体が温まっていたせいもあるし、リナが先ほどより山道に慣れた事もある。
村に戻ったのは昼を少し過ぎた頃だった。
作業場に直行して、すぐポーションの調合を始めた。
月見草の精油を、指先からの微細な発火魔法で「42.5度」に保ちながら抽出する。
そこへ星砂を投入し、魔力で攪拌(かくはん)。
急いではいけない。
こういうものは急ぐと失敗する。
リナが隣で道具を洗いながら、静かにしていた。
急かさないでいてくれた。
一時間後、澄んだ青紫色のポーションが完成した。
グラントの家に持って行くと、マルクはさっきより少し顔色が更に悪かった。熱が上がっているらしい。
「飲ませます」
俺はマルクの上半身を少し起こして、ポーションをゆっくり口に含ませた。
苦いはずだが、意識が朦朧としているせいか、ほとんど抵抗しなかった。全部飲ませて、寝かせる。
「あとは待つだけです。三時間ほどで効いてきます」
「……そうか」とグラントが言った。
それだけだったが、声が少し震えていた。
俺は部屋を出た。
廊下でリナが壁にもたれて待っていた。
「飲ませた」
「うん。聞こえてた」
「三時間後にまた来ます。それまで何かあればすぐ呼んでください」
「ガイウスさん」
「なんですか」
「……なんで来てくれたの。こんな村に」
俺は少し考えた。
「静かそうだったので」
「へ?それだけ?」
「それだけです」
リナがふっと笑った。
泣きそうな顔で笑っていた。
「ホント変な人‥うん。でも……よかった。来てくれて」
俺は何も言わなかった。
言葉が、特に浮かばなかった。
三時間後、マルクの熱は下がり始めていた。
翌朝には、平熱近くまで戻った。
「腹減った」
と目を開けたマルクが最初に言った言葉がそれで、グラントは無言で台所に消えた。
背中が少し、震えていた気がした。
回復を確認してから、俺は帰った。
作業場に寄って、残った星砂を棚にしまった。
リナが言っていた通り、多めに取っておいてよかった。
残量があれば、次に備えられる。
畑に出ると、朝に置いてきた鍬がそのまま立っていた。
土がまた少し乾いている。水をやらなければ。
空は今日も青かった。
風が薬草の匂いを運んでくる。
マルクが元気になったと聞いてほっとしている自分が少しだけいた。
それはそれでよかったと思った。
スローライフは、今日も順調だ。
‥たぶん。
昨夜のうちに雨が降ったらしい。
俺は鍬を肩に担いで、様子を確認しに行く。
先月撒いた薬草の芽が、細く白くよく育っている。
エーデル草、ヒール根、ブルーミント。
どれも初級ポーションの原料だ。
うん、順調だ。
「ガイウスさん!」
遠くからリナの声がした。
珍しく朝早い。
振り返ると、宿屋の方向から走ってくる。赤毛が揺れている。
「どうしました、こんな朝早くに」
「村長が呼んでる。急ぎだって」
「何かありましたか」
「……グラントさんの息子が、昨日から高熱で」
俺は鍬を畑に立てかけて、上着を掴んだ。
グラントの家は酒場の裏手にあった。
石造りの、小さいが手入れの行き届いた家だ。
玄関に出てきたグラントは、いつもの無口な大男だったが、顔色が悪かった。
目の下に隈がある。
「……息子を見てやってくれ」と、低い声で言った。
通された部屋に、子どもが一人寝ていた。
七歳か八歳か。
栗色の髪をした男の子で、父親に似て体ががっしりしている。
ただ、今は顔が赤く、息が浅くて速かった。
俺は膝をついて、額に触れた。
熱い。かなり高い。
「これはいつからですか?」
「昨日の昼頃から。最初は少し元気がないだけだったが、夜中に急に上がって」
「ゴホッ……」
少年が咳をした。深い、嫌な音だ。
「薬は」
「常備の解熱薬は飲ませた。一晩経ったが下がらん」
俺は少年の首のリンパを触り、目を軽く開けて確認した。
舌の色。爪の色。呼吸のリズム。
(……普通の風邪ではない)
「名前は」
「マルク。俺の息子です」とグラントが言った。
俺はグラントの顔を見た。
いつも無口で、表情の変わらない男が、こんな顔をするのを初めて見た。
「少し時間をください」
「何か、わかるか」
「調べてみます」
俺は作業場に戻って、手持ちのポーションを全部確認した。
解熱、回復、消炎——どれも中級以下だ。
通常の高熱なら中級品で十分対応できる。
ただ、マルクの状態は少しおかしかった。
熱が高いにしては、体の強張り方が尋常でない。
筋肉が微かに痙攣して目の充血のパターンも普通の発熱と違う。
俺は魔術書を引っ張り出して、記憶を辿った。
王城にいた頃、医術系の魔術師と何度か話したことがある。
その中で一度だけ聞いた病名が、頭の端に引っかかっていた。
《熱魔病》
魔力の薄い地域で、ごくまれに子どもに発症する。
体内の魔力バランスが崩れ、それが高熱の形で現れる。
並の医者では診断すらつかず、発症から三日で脳が焼き切れる。
俺は本を閉じた。
治療には、通常の解熱薬ではなく、魔力を安定させる成分が必要だ。
具体的には、《月見草の精油》と《星砂》を基材にした特別な上級ポーション。
月見草は手元にあるが、問題は星砂だ。
星砂は、特定の鍾乳洞内にしか生成されない鉱物系の素材で、辺境の小村に置いてあるわけがない。
俺は窓の外を見た。
エーデル村の青い空が、今日はほんの少しだけ遠い気がした。
リナに状況を簡単に説明すると、顔色が変わった。
「星砂って……どこで手に入るの」
「近場だと、この村から東に山を越えたところに鍾乳洞がある。地図で確認した」
「どのくらいかかる」
「急いで行って帰れば、半日」
リナが少し黙った。
「……マルク大丈夫なの?」
「三日あります。ただ、早いほうがいい」
俺は荷物をまとめて立ち上がった。
小さな革袋に採取用の道具を入れる。
「俺が行ってきます。留守の間、グラントさんのところに顔を出してやってください」
「私も行く」
リナが言った。
「いりません。危ないですし」
「一人より二人のほうが速いでしょ。採取、私にも教えてくれてたじゃん」
「山越えですよ」
「走れるし」
俺はリナを見た、真剣な目をしている。
マルクとは幼馴染みだと、以前聞いた気がした。
(ここで突っぱねても無理にでもついてくるか‥仕方ない)
「……足を引っ張らないでください」
「引っ張らないわよ」
俺たちは朝のうちに出発した。
山道は思ったより険しかった。
ただリナは文句も言わずについてきた。
息は少し上がっているが、足取りは安定している。
「ガイウスさん」と歩きながらリナが言った。
「なんですか」
「《熱魔病》って、珍しい病気なの?」
「かなり。魔力の薄い土地で出やすい。エーデル村は森が近いわりに、地脈の流れが細い。そういう場所は注意が必要です」
「知らなかった……」
「俺も来るまでは知らなかった。来てから地形を調べたとき、少し気になっていたんです。ポーションを多めに作っていたのはそのせいでもあります」
「じゃあ……前から備えてたってこと?」
「一応」
リナが黙った。
しばらく歩いてから、「ありがとう」と小さく言った。
俺は何も言わなかった。
鍾乳洞は、山の中腹にぽっかりと口を開けていた。
見た目は地味だ。
ただ中に入ると、岩肌にかすかに光る粒子が見えた。
「きれい……」とリナが息を飲んだ。
「星砂です。岩の結晶の間に付着しているやつを丁寧に削り取ります。力を入れすぎると成分が変質するので注意してください」
「わかった」
二人で手分けして採取した。
リナの手つきは、最初は遠慮がちだったが、コツを掴んでからは素早くなった。
飲み込みが早い。
ポーション作りでもそう思った。
一時間ほどで、必要量の倍近くを集めることができた。
「多く取れましたね」
「念のため、って言うでしょ」とリナが言った。
俺は少し笑った。
気づいていなかったが、自然に笑っていた。
帰り道は来た道より速かった。
体が温まっていたせいもあるし、リナが先ほどより山道に慣れた事もある。
村に戻ったのは昼を少し過ぎた頃だった。
作業場に直行して、すぐポーションの調合を始めた。
月見草の精油を、指先からの微細な発火魔法で「42.5度」に保ちながら抽出する。
そこへ星砂を投入し、魔力で攪拌(かくはん)。
急いではいけない。
こういうものは急ぐと失敗する。
リナが隣で道具を洗いながら、静かにしていた。
急かさないでいてくれた。
一時間後、澄んだ青紫色のポーションが完成した。
グラントの家に持って行くと、マルクはさっきより少し顔色が更に悪かった。熱が上がっているらしい。
「飲ませます」
俺はマルクの上半身を少し起こして、ポーションをゆっくり口に含ませた。
苦いはずだが、意識が朦朧としているせいか、ほとんど抵抗しなかった。全部飲ませて、寝かせる。
「あとは待つだけです。三時間ほどで効いてきます」
「……そうか」とグラントが言った。
それだけだったが、声が少し震えていた。
俺は部屋を出た。
廊下でリナが壁にもたれて待っていた。
「飲ませた」
「うん。聞こえてた」
「三時間後にまた来ます。それまで何かあればすぐ呼んでください」
「ガイウスさん」
「なんですか」
「……なんで来てくれたの。こんな村に」
俺は少し考えた。
「静かそうだったので」
「へ?それだけ?」
「それだけです」
リナがふっと笑った。
泣きそうな顔で笑っていた。
「ホント変な人‥うん。でも……よかった。来てくれて」
俺は何も言わなかった。
言葉が、特に浮かばなかった。
三時間後、マルクの熱は下がり始めていた。
翌朝には、平熱近くまで戻った。
「腹減った」
と目を開けたマルクが最初に言った言葉がそれで、グラントは無言で台所に消えた。
背中が少し、震えていた気がした。
回復を確認してから、俺は帰った。
作業場に寄って、残った星砂を棚にしまった。
リナが言っていた通り、多めに取っておいてよかった。
残量があれば、次に備えられる。
畑に出ると、朝に置いてきた鍬がそのまま立っていた。
土がまた少し乾いている。水をやらなければ。
空は今日も青かった。
風が薬草の匂いを運んでくる。
マルクが元気になったと聞いてほっとしている自分が少しだけいた。
それはそれでよかったと思った。
スローライフは、今日も順調だ。
‥たぶん。
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