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冷徹な仮面の裏側
しおりを挟む日々の生活の中で、エリーナとアレクシスの距離は少しずつ近づいているように感じられた。しかし、それはエリーナが一方的に感じているだけかもしれないという不安も同時に募っていた。彼の態度は相変わらず冷たいままだが、ほんのわずかな表情の変化や仕草に、彼の心の揺らぎを感じ取る瞬間があった。
ある朝、エリーナは庭園で花を摘んでいた。その日もアレクシスと顔を合わせることはないだろうと思っていたが、不意に背後から彼の声が聞こえた。
「朝から忙しいな。」
驚いて振り返ると、アレクシスがいつの間にかそこに立っていた。彼の瞳には少しの疲労感と、どこか優しさが漂っていた。
「公爵様こそ、もうお仕事ですか?」
「休む暇はない。それが責務だからな。」
エリーナはその言葉に少し胸が痛んだ。彼がどれほど多くの重責を背負っているのか、少しずつわかり始めていたからだ。
「たまには休息も必要です。そうしないと、身体を壊してしまいますよ。」
エリーナの言葉に、アレクシスはふっと笑みを漏らした。それは皮肉ではなく、ほんのわずかな本音が覗いたような微笑みだった。
「君は思った以上に口出しをするんだな。」
「ごめんなさい。でも、私は公爵夫人としてあなたの健康を心配する権利くらいはあると思っています。」
その言葉にアレクシスは驚いたような表情を見せたが、すぐにまた無表情に戻った。そして、「そうか」とだけ言い残し、足早にその場を去った。
それから数日後、エリーナはセバスチャンからアレクシスが急ぎの仕事で隣国へ向かったことを聞かされた。予定外の出張だったらしく、屋敷内は少し慌ただしい雰囲気に包まれていた。エリーナは彼の無事を祈りながら、いつものように屋敷での生活を送っていた。
しかし、そんな平穏な日々の中、屋敷にある噂が流れ始めた。それは、公爵が隣国で開催される舞踏会に出席するというもので、その場でアレクシスが過去に婚約を破棄した女性と再会する可能性があるという内容だった。
「昔の婚約者……?」
エリーナはその言葉に胸がざわついた。これまで彼の過去について深く知ることはなかったが、彼にも当然ながら恋愛や人間関係の歴史があったのだろう。しかし、それを知ることで、自分の立場が一層形式的なものに過ぎないという現実を突きつけられる気がして、心が苦しくなった。
数日後、アレクシスが屋敷に戻ってきた。長旅の疲れが見えるものの、彼はいつもの冷静な態度を崩さなかった。エリーナは彼に声をかけたいと思ったが、どう切り出していいかわからず、ただ廊下ですれ違うだけだった。
その夜、エリーナは意を決してアレクシスの執務室を訪れた。ドアをノックすると、低い声が返ってきた。
「入れ。」
彼はデスクに向かい、書類を整理していた。その姿には隙がなく、話しかけることにためらいを覚えるほどだったが、エリーナは思い切って口を開いた。
「お疲れのところすみません。お帰りなさいませ。」
アレクシスは軽くうなずき、「ただいま」と短く答えた。
「旅の間、大変だったのではないですか?」
「特に問題はなかった。」
それだけで話が終わりそうな雰囲気だったが、エリーナは続けて尋ねた。
「……隣国での舞踏会、いかがでしたか?」
その言葉に、アレクシスの手が一瞬止まった。彼は書類から顔を上げ、じっとエリーナを見つめた。
「なぜそれを知っている?」
「使用人たちの間で少し噂になっていました。気にしているわけではありませんが……もし何かあったのなら、教えていただけたらと思いまして。」
アレクシスは深い息をつき、視線を窓の外に向けた。
「何も特別なことはなかった。ただ、過去の人間と顔を合わせただけだ。」
その声には、どこか疲れと割り切れない感情が混じっていた。
「その方とは……大切な方だったのですか?」
エリーナの問いに、アレクシスは一瞬だけ目を閉じた。そして、静かに答えた。
「そうだったかもしれない。だが、今はもう過去の話だ。」
その言葉に、エリーナは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。彼にとって、過去の婚約者は「大切だった」存在なのだ。そして自分は、ただの契約上の妻――その差がどれほど大きいかを痛感した。
「……そうですか。」
それだけ言って部屋を後にしようとするエリーナに、アレクシスがふと声をかけた。
「君には関係のないことだが、これだけは言っておく。今の私は、過去に囚われていない。」
その言葉の真意が何を意味するのか、エリーナには理解できなかった。しかし、その声の響きには、どこか彼自身も迷っているような不安定さが感じられた。
こうして二人の心の距離は、近づきそうで遠いままに揺れ動いていた。しかし、確実に何かが変わり始めている――その予感だけはエリーナの胸に残った。
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