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囁きの夜、秘密の誓い
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王都に春の風が吹き始めたころ――
舞踏会の夜から数日が経ち、リリアーヌの立場は、ますます周囲の関心を集めていた。
「ユリウス殿下が、あれほど彼女を気にかけているなんて」
「最初は“仮”の婚約者だと聞いたけれど……もしかして、本気なのかしら?」
そんな声が囁かれるなか、リリアーヌは相変わらず淡々と、しかし柔らかに宮廷での役目を果たしていた。
ただ、彼女自身の心のなかでは、確実に変化が起きていた。
――あの夜、ユリウスが「話したいことがある」と言ったこと。
――そして、舞踏のあとに見せた、誰にも見せたことのないような優しい笑み。
胸の奥に、小さな炎が灯っていた。
それは、まだ“恋”と呼ぶには臆病で、でも確かに温かいものだった。
***
その日の午後、リリアーヌはユリウスの書斎に呼ばれていた。
「遅れてすまない。……少し、手間取っていた」
「構いませんわ。お呼びいただけて嬉しいです」
ユリウスは珍しく、上着を脱いだまま窓際に立っていた。
いつもの威圧感がなく、どこか考え事をしているように見えた。
「……俺には弟がいる」
「はい、伺っています。第二王子の……ラファエル様、でしたか」
「そうだ。……あいつは聡明で、穏やかで、人から好かれる性格をしている。昔から、俺とは違っていた」
ユリウスは少し微笑んだ。
「父王は、あいつを次の国王に据えるつもりでいる。……それは、俺自身も納得している」
「……ユリウス……」
「俺は“王”には向かない。冷酷で、誰にも心を開けず、必要とあればどんな犠牲も選ぶ……そんな性格だ」
静かに語られる言葉は、決して卑下ではなく、自分自身への客観的な理解だった。
「……けれど」
「けれど……?」
「唯一、“王子”として、いや、“一人の男”として――誰にも渡したくないものがある」
その言葉に、リリアーヌの鼓動が跳ねる。
ユリウスは、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「……それが、お前だ。リリアーヌ」
***
しんとした静寂が流れる書斎。
リリアーヌは、まるで時間が止まったかのように、ユリウスの言葉を反芻していた。
「わ、私は……本当に、それだけの価値のある人間では……」
「ある」
「……でも、私は、“誰かに拾われた”だけの、役割を与えられた女です」
「違う。俺は、お前を“拾った”んじゃない。“見つけた”んだ」
ユリウスの声は静かで、けれど力強かった。
「お前は、誇りを失わずに生きている。罵られ、誤解され、居場所を失ってもなお、気品を保っていた」
「……」
「そんな女を、俺は手放せない」
リリアーヌは、手元をぎゅっと握った。
心の奥に閉じ込めていた不安が、言葉になってこぼれた。
「……でも、私があなたの隣にいても、いつかまた、“悪役令嬢”だと囁かれる日が来るかもしれません」
「そのときは、俺が全て黙らせる」
ユリウスは一歩、彼女に近づく。
「誰かが口を開く前に、“これは王子の意思だ”と宣言する。……誰にも、口出しはさせない」
リリアーヌの目に、涙が滲んだ。
「……そんなふうに言っていただけるなんて。私は……私は、もう、十分すぎるほど幸せですわ」
「足りない。……まだ、お前に伝えたいことがある」
ユリウスは、そっとリリアーヌの手を取った。
「リリアーヌ。……俺の正式な婚約者になってくれ」
***
返事をするには、ほんの少しの勇気が必要だった。
けれど、心はもう決まっていた。
「……はい」
リリアーヌは静かに頷いた。
「私でよければ、何度でも、あなたの隣に立ちます」
ユリウスは安堵したように、微かに息を吐いた。
「この先、何があっても、お前の手は俺が離さない」
「……私も、あなた以外の誰の手も取るつもりはありませんわ」
ふたりは、言葉以上のものを、視線で確かめ合っていた。
やがてユリウスは、そっと彼女の額にキスを落とした。
それは、まだ“恋人”と呼ぶには慎ましくて、けれど“未来”を約束するような、真剣な口づけだった。
***
正式な婚約発表は、まだ先だった。
けれど、城内の空気は既に変わり始めていた。
ユリウスがリリアーヌを公の場でも“伴侶”のように扱うようになり、誰もが彼女を一目置くようになった。
「彼女の目は澄んでいる。あれは、自信のある人間の目よ」
「どんなに噂されても、誇りを保ってきたからこそ、殿下に選ばれたのね」
――リリアーヌにとって、それらの声はすでに恐れるものではなかった。
自分がどんな過去を背負っていても、いま隣にいるユリウスが信じてくれる。
その事実が、何よりも強い支えだった。
***
その夜。
リリアーヌは、自室のバルコニーに立っていた。
春の風が、彼女の金髪を柔らかく揺らす。
背後から、気配なく近づく足音――
振り向かずとも、誰なのかはすぐにわかった。
「ユリウス」
「もう“殿下”とは呼ばないのか?」
「ええ、もう必要ありませんもの。“私の婚約者”に、他人行儀な呼び方は似合いませんわ」
その言葉に、ユリウスは微かに笑った。
「……馴染んでるな。お前が俺の隣にいるのが、もう“当然”みたいだ」
「そうですわ。私たちはもう、“仮”ではなく、“本物”なのですもの」
ユリウスは黙って、リリアーヌの肩をそっと抱いた。
「……このまま、俺の“王妃”になってくれ」
「……はい。喜んで」
その囁きは、夜風に溶けていった。
そして、ふたりは肩を寄せ合ったまま、夜の静けさに包まれていた。
――誰に奪われることもない、確かな誓いとともに。
舞踏会の夜から数日が経ち、リリアーヌの立場は、ますます周囲の関心を集めていた。
「ユリウス殿下が、あれほど彼女を気にかけているなんて」
「最初は“仮”の婚約者だと聞いたけれど……もしかして、本気なのかしら?」
そんな声が囁かれるなか、リリアーヌは相変わらず淡々と、しかし柔らかに宮廷での役目を果たしていた。
ただ、彼女自身の心のなかでは、確実に変化が起きていた。
――あの夜、ユリウスが「話したいことがある」と言ったこと。
――そして、舞踏のあとに見せた、誰にも見せたことのないような優しい笑み。
胸の奥に、小さな炎が灯っていた。
それは、まだ“恋”と呼ぶには臆病で、でも確かに温かいものだった。
***
その日の午後、リリアーヌはユリウスの書斎に呼ばれていた。
「遅れてすまない。……少し、手間取っていた」
「構いませんわ。お呼びいただけて嬉しいです」
ユリウスは珍しく、上着を脱いだまま窓際に立っていた。
いつもの威圧感がなく、どこか考え事をしているように見えた。
「……俺には弟がいる」
「はい、伺っています。第二王子の……ラファエル様、でしたか」
「そうだ。……あいつは聡明で、穏やかで、人から好かれる性格をしている。昔から、俺とは違っていた」
ユリウスは少し微笑んだ。
「父王は、あいつを次の国王に据えるつもりでいる。……それは、俺自身も納得している」
「……ユリウス……」
「俺は“王”には向かない。冷酷で、誰にも心を開けず、必要とあればどんな犠牲も選ぶ……そんな性格だ」
静かに語られる言葉は、決して卑下ではなく、自分自身への客観的な理解だった。
「……けれど」
「けれど……?」
「唯一、“王子”として、いや、“一人の男”として――誰にも渡したくないものがある」
その言葉に、リリアーヌの鼓動が跳ねる。
ユリウスは、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「……それが、お前だ。リリアーヌ」
***
しんとした静寂が流れる書斎。
リリアーヌは、まるで時間が止まったかのように、ユリウスの言葉を反芻していた。
「わ、私は……本当に、それだけの価値のある人間では……」
「ある」
「……でも、私は、“誰かに拾われた”だけの、役割を与えられた女です」
「違う。俺は、お前を“拾った”んじゃない。“見つけた”んだ」
ユリウスの声は静かで、けれど力強かった。
「お前は、誇りを失わずに生きている。罵られ、誤解され、居場所を失ってもなお、気品を保っていた」
「……」
「そんな女を、俺は手放せない」
リリアーヌは、手元をぎゅっと握った。
心の奥に閉じ込めていた不安が、言葉になってこぼれた。
「……でも、私があなたの隣にいても、いつかまた、“悪役令嬢”だと囁かれる日が来るかもしれません」
「そのときは、俺が全て黙らせる」
ユリウスは一歩、彼女に近づく。
「誰かが口を開く前に、“これは王子の意思だ”と宣言する。……誰にも、口出しはさせない」
リリアーヌの目に、涙が滲んだ。
「……そんなふうに言っていただけるなんて。私は……私は、もう、十分すぎるほど幸せですわ」
「足りない。……まだ、お前に伝えたいことがある」
ユリウスは、そっとリリアーヌの手を取った。
「リリアーヌ。……俺の正式な婚約者になってくれ」
***
返事をするには、ほんの少しの勇気が必要だった。
けれど、心はもう決まっていた。
「……はい」
リリアーヌは静かに頷いた。
「私でよければ、何度でも、あなたの隣に立ちます」
ユリウスは安堵したように、微かに息を吐いた。
「この先、何があっても、お前の手は俺が離さない」
「……私も、あなた以外の誰の手も取るつもりはありませんわ」
ふたりは、言葉以上のものを、視線で確かめ合っていた。
やがてユリウスは、そっと彼女の額にキスを落とした。
それは、まだ“恋人”と呼ぶには慎ましくて、けれど“未来”を約束するような、真剣な口づけだった。
***
正式な婚約発表は、まだ先だった。
けれど、城内の空気は既に変わり始めていた。
ユリウスがリリアーヌを公の場でも“伴侶”のように扱うようになり、誰もが彼女を一目置くようになった。
「彼女の目は澄んでいる。あれは、自信のある人間の目よ」
「どんなに噂されても、誇りを保ってきたからこそ、殿下に選ばれたのね」
――リリアーヌにとって、それらの声はすでに恐れるものではなかった。
自分がどんな過去を背負っていても、いま隣にいるユリウスが信じてくれる。
その事実が、何よりも強い支えだった。
***
その夜。
リリアーヌは、自室のバルコニーに立っていた。
春の風が、彼女の金髪を柔らかく揺らす。
背後から、気配なく近づく足音――
振り向かずとも、誰なのかはすぐにわかった。
「ユリウス」
「もう“殿下”とは呼ばないのか?」
「ええ、もう必要ありませんもの。“私の婚約者”に、他人行儀な呼び方は似合いませんわ」
その言葉に、ユリウスは微かに笑った。
「……馴染んでるな。お前が俺の隣にいるのが、もう“当然”みたいだ」
「そうですわ。私たちはもう、“仮”ではなく、“本物”なのですもの」
ユリウスは黙って、リリアーヌの肩をそっと抱いた。
「……このまま、俺の“王妃”になってくれ」
「……はい。喜んで」
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