俺も恋愛対象者‼

私欲

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プロローグ

プロローグ

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「佐藤君に、聞きたいことがあるの」
 学園の中庭が見える渡り廊下の煤けたベンチで俺達は並んで座り、紙パックジュースを飲んでいた。木や花がオレンジ色に染まって風に揺れている。広瀬の栗色の髪も、夕日の光に照らされてキラキラと光りながら揺れる。
 広瀬は不安げな顔でこちらを見た。
 俺の口は、俺の意思と反して勝手に動く。
「……何が訊きたい?」
 この世界は、俺にとって理不尽でしかない。
 好きな子の恋愛相談なんて、冗談じゃない。
 それでも俺の口は、広瀬と俺以外の恋愛を後押しするような言葉を発するのだ。
 俺が最初に違和感を得たのは、広瀬に一緒に帰ろうと声をかけた時だった。一世一代の決心だった。
 突然、目の前の広瀬が広瀬でなくなる感覚。
 もしかしたら広瀬じゃなく、俺の世界が変わったのかもしれない。

「翔子、またね」
「うん、またね!」
 一学年上がり、高校二年生として二日目の放課後。
 俺の隣の席に座っている広瀬翔子に声をかけたクラスメイトが教室のドアから出ていく。今日みたいな天気の良い日は、広瀬の栗色のショートヘアと色白の肌が、教室の窓から差し込んでくる光によって、いつもより輝いて見える。150センチ後半の程よい身長に、色素の薄い髪色と目の色、肌白に加えて細身な身体が、庇護欲を掻き立てさせる。少しぽてっとした鼻が小動物のような可愛さでたまらない。袖から見える手首が細すぎて勝手に不安になる。
 広瀬は、その細い指で、先ほど配布されたプリントを手に取り確認しながら、クリアファイルに挟んでいく。そんな広瀬に、俺はどのタイミングで声を掛けるべきか悩んでいた。
 心臓が破裂するのではないかと思えるぐらい大きな鼓動の音が、自身の耳に伝わる。
 広瀬がスクールバックを肩に掛けて、席を立つ。
 今、言うしかない。
 また隣の席になれた。
 今、言わないでどうする。
「ひっ広瀬」
 少し声が上ずったかもしれない。
 己のこの大きすぎる気持ちを伝えるのは、広瀬以外の女子との会話は業務連絡のみの俺にとって、時期尚早だ。非常に難易度が高い。まずは一緒に帰ろうと誘うところから始めるべきだと昨日の夜、俺の脳内会議で決まった。ちなみに脳内会議は、深夜の二時まで続いたので、採用できる案がこれしか無かった。深夜のテンションは怖いものがある。
「なに?」
 肌と同じ透明感のある返事と共に広瀬が振り向く。
ごくりと生唾を飲み込んで口を開いた瞬間、広瀬の透き通ったヘーゼル色の瞳の色が消えた。
 遠くから聞こえていた吹奏楽のチューニング音や、運動部のかけ声、教室内の周りの会話の声が消えた。
 目の前が、白黒の静止した世界になる。
「え?」
 脳に激しい痛みが走った。
 それは、極めて短い間だけだったのかもしれない。
 再び色と音と時間が戻った。
 ホッとする前に眩暈が起きて、脳を誰かにこねられていると錯覚するほどの気持ち悪さに目を瞑り、頭を手で抑える。
「翔子、またね」
「うん、またね!」
 先ほど聞いたばかりの会話が繰り返される。
 思わず顔を上げると、広瀬が帰り支度をしていた。細い指でプリントをクリアファイルに挟んでいる。
「え?」
 頭の整理が追い付かない。まるで時間が巻き戻っているようだった。脳の痛みや気持ち悪さは無くなっていた。思考が停止して、帰り支度を終えて立ち上がった広瀬を惚けたまま見上げていると、広瀬がこちらを向いた。
「……ねえ、佐藤君。今ちょっといいかな」
「えっ、うん」
 本来俺から話しかけていた場面で、広瀬から声を掛けてきた。予想外の出来事に、一気に体温が上昇し、耳が赤くなっていくのを感じる。
 さきほどの時間が巻き戻ったような現象は、広瀬を帰りに誘おうと緊張しすぎて見た白昼夢だったのだろうか。
「えっと……」
 広瀬は俺の机の前に移動して、右肩に掛けたスクールカバンの持ち手を手でギュッと握り、目線を左右に泳がしている。
 え、これは、もしかしてもしかするのでは?
 俺は都合の良い妄想をする。
「佐藤君って、生徒会長のこと詳しい?」
 妄想と現実は別物である。俺は少し落胆しつつ、広瀬の質問に答えた。
「二ノ宮会長? とくには……」
 知らないよ。と言いたかったはずなのに。
 事実、知らないはずなのに。
「……いや、知ってるよ。気になるの?」
 俺はなにか口走っていた。誰かに操られているような俺の口が俺の口でなくなったようだ。
「……うん、そう、なのかな」
 少し照れて前髪を触る広瀬。
 何故、二ノ宮会長が気になるかというところを論点に質問をしたいのに、口が勝手に別の言葉を紡いでいく。
「生徒会長、二ノ宮宗吾先輩は、二ノ宮グループの一人息子で、成績優秀なだけでなく、弓道も全国大会常連者。そしてあの端正な外見で、うちの高校で一番の有名人だろうな。あと、意外に駄菓子が好きとか」
 言い終えた瞬間、本来の俺の意識が戻ったようで、思わず口を押える。広瀬は、俺と同じように目を丸くして驚いていた。
 多重人格を自覚した人は、今のような衝撃を得るのではないだろうか。
「佐藤君……詳しいんだね。ありがとう…!」
 広瀬に感謝されたことは嬉しいが、当の俺はどうしてこんな饒舌に二ノ宮先輩のことを語り出したのか理解できずに放心状態だ。広瀬は教室の時計を確認すると焦り出す。
「あっバイト行かなきゃ。佐藤君、ありがとう。じゃあまた明日っ」
 広瀬は控えめに手を振り、小走りで教室から出ていった。困惑した俺を残して。
 
 広瀬と俺は、同じ中学に通っていただけで、幼馴染でもないし、両親が親友同士でもないし、部活や委員会が一緒でもなんでもなかった。ただ、一度だけ隣の席になったことがあった。その時期に、古い洋楽のある曲が広瀬も俺も好きだということが分かった。その共通点をきっかけに、休み時間に好きな曲や本について、紹介しあった。広瀬は俺と違って、相手に興味を持たせる紹介が上手く、俺は広瀬から紹介されたものは全て聴いたり読んだりした。どれも面白かった。
 ある日、俺は図書室で広瀬を見かけた。俺が紹介した本を静かに読んでいる広瀬の姿を見た時に、心臓がぎゅーと締め付けられた。ただそれだけだった。あの感覚は今でも忘れられない。俺にとって隣の席が広瀬であった数か月間の毎日が、広瀬との変哲もない会話が、楽しくて仕方がなかった。
 その後、同じ高校に進学して、同じクラスになっても、大きな進展は無く、時々図書室前の廊下でお互い一人の際に、おすすめの曲や本を話す程度だった。
 高校二年生の新学期、また隣の席になった。これはチャンスだと思った。想っているだけでなく、伝えたいと思った。それ以上のことはまだ分からない。でも、この気持ちを、彼女に、広瀬に伝えようと決心した。そして、その前段階として帰りを誘うというミッションは見事失敗した。


 翌日の放課後、いつものように隣の広瀬を盗み見すると、帰り支度を終えたのであろうスクールバックを机の上に置き、スマホでなにかを見ていた。教室内の人はまばらで、各々の会話に夢中になっており、俺の緊張具合など全く気にしていない。
 昨日、奇妙なことがあったとしても俺の大事な青春時間、つまり広瀬の隣の席である時間は有限だ。今日こそ一緒に帰ろうと誘うのだ。
 俺が広瀬の「ひ」の口をした瞬間に、広瀬の顔がスマホからこちらに向けられる。
「あ、佐藤君」
 広瀬と突然目が合ってしまい、緊張してしまう。
「えっあ、え、なに?」
「えっと、実は、佐藤君に相談があって」
 今日は嫌な予感がした。
 というか、昨日から広瀬が変だ。何が変なのかと訊かれると、うまく言い表せられないのだが、違和感がある。
「なに? もしかして会長のこと?」
 また勝手に口が動く現象が起きた。昨日、今日と続けて起こる怪奇現象に嫌気が差したが、口は止まってくれない。
「実は、そう、なの。それと他にも二人。ちょっと、気になることがあって」
 広瀬は照れ臭そうに話す。
 俺以外の男の話をしている事実は置いといて、照れている広瀬の可愛さを噛み締める。
 そこで、はたと広瀬の違和感に気付く。そうだ、広瀬の発言が変なのだ。俺と広瀬の会話の九割が、お互い好きな趣味のことで、残りの一割が、学園生活のことなど、業務的会話なのだ。異性や恋愛の香りがする話など今まで一切したことが無い。それなのに、広瀬は戸惑いもなく俺にその手の話をしてくる。……昨日からの奇妙なことと関係するのだろうか。
 そんな俺の戸惑い関係なしに、もう一人の俺の人格らしきものが、広瀬と恋バナを続ける。
「もしかして、夏目と風見のこと?」
「……ほ、ほんとに何でもお見通しなんだね」
 実際の俺は、見通せていないから困惑しかしていない。
 夏目のことはなんとなく知っているが、風見は誰だ。
「……っ」
 困惑している俺の頭に突然一気に情報の波が押し寄せる。
 ひどい頭痛にこめかみを両手で抑える。
 なんだこれ?
 頭痛の原因は膨大な情報。中身は、生徒会長様である二ノ宮宗吾、運動神経抜群の新入生である風見レオ、広瀬と幼馴染の夏目葵の三人の情報だった。
「……は?」
 思わず声に出ていた。混乱に混乱を重ねて畳みかけないでほしい。
「え?」
 広瀬は突然頭を抱えだした俺を心配して、声を掛けようとしていたのだろう。俺の素っ頓狂な声に戸惑っている。
「いや、なんでもない。ははは……そ、それでなんだっけ?」
「えっと……生徒会長の部活、弓道部について、詳しいかなって」
「……んーと、弓道部は月水金が活動日。部員数は今のところ一年生三人、二年生四人、三年生四人の計十一人ってところかな」
 先ほどの情報を元に、もう一人の俺の人格が話し始める。いつのまにか教室には俺と広瀬だけが残っていた。
「…さすが! ありがとう。それじゃあ、また明日」
 広瀬は、ふにゃっとしたかわいい笑顔で俺に礼を言う。俺が入ってもいない部活の部員数を事細かに知っているのに疑問を広瀬に感じてほしかったが、かわいいから許してしまう。
 広瀬は、昨日と同じようにスクールカバンを肩に掛けて、教室から出ていこうとする。俺は、無意識に引き留める。
「ま、待って、広瀬」
 奇妙で不可解な出来事の連続だが、俺は広瀬に早く帰りを誘わないと、取り返しのつかないことになるのではないか、という強迫観念で声を掛けていた。
「ん?」
「一緒にか」
「広瀬ちゃ――ん! おーい、あれ、いないのかな、広瀬ちゃーん!?」
 帰らないか? と言い終える前に、校庭の方から広瀬を呼ぶ女子の声がした。
 広瀬は反射的に窓の方を向いたが、俺だけはまっすぐ前を見ていた。
 何故なら、俺の目の前には『役割違反』と書かれた持ち看板を持った、全身真っ黒の黒衣と呼ばれるような人物が数人、目の前に突然現れたからだ。俺は突然の黒衣の出現で後ろにのけ反る。その反動で、椅子を巻き込みながらバランスを崩し、教室の床に尻を打つ形で倒れた。
「――っ」
 声にならない驚きと共に、俺は教室の床に尻もちをついたまま動かない。黒衣集団はひっくり返った俺を、持ち看板を持ちながら上から覗き込む。訳の分からない恐怖に、俺は少し涙目になっていた。
「佐藤君!? だ、大丈夫!?」
 広瀬は目の前にいる黒衣軍団など見えていない様子で、俺に手を伸ばした。広瀬の手が、黒衣集団の一人の肩付近をすり抜ける。



「!? すっ、す、透け」
「すすけ?」
 広瀬には見えていないのか!? この不審者たち! その不審者たちの胸元に「デバック隊」と書かれているのが見える。訳が分からない。誰か助けてくれ。
「あたま、打ってない……?」
 広瀬は、俺の挙動不審さに頭を打ったのかとしゃがみこんで、心配そうに尋ねてくる。
「お―――い、広瀬ちゃーん、いない――?! あれ、さっきいた気がしたんだけど」
「もういいって、ほら、帰ろう?」
 校庭の方から、何人かの女子が、大きな声で広瀬の名前を呼んでいるのが聞こえる。その女子達に静止する男子の声もあった。男子の声には聞き覚えがあった。今しがた俺の脳内に情報が入り込んできた一人、広瀬の幼馴染、夏目の声のようだ。
「あ、お、俺は大丈夫……」
「ほんとう……? 良ければ保健室一緒に」
「広瀬ちゃ――ん!」
 広瀬の声をかき消すように、窓の外からの女子の声が聞こえた。
「……ごっごめん、ちょっと離れるね」
 広瀬は俺を心配しつつも、教室の校庭側の窓に近づいていく。俺は目の前の黒衣集団から目を離せない。
「は――い! なーに?」
「あっやっぱりいた! ね! 葵いたでしょ?」
「……ああ、そうだな」
「ごめんね、広瀬ちゃん。葵の席のペットボトル取ってくれない?」
 黒衣集団が目の前からスッと消えた。固い動きで広瀬のいる窓へ首を動かす。
「え? どれ……これ? これ――?!」
 広瀬は夏目の机の上にあったペットボトルを持って、声のする方に見せる。
「それそれー!」
「投げるよー」
 広瀬はペットボトルを窓から校庭に投げた。
「ありがとー!」
 窓から数名の女子と夏目の声が聞こえる。
「ごめん、翔子。ありがとう」
 明るい声の女子達とは違って、夏目のバツの悪い、申し訳なさそうな声が聞こえた。
「……ごめんね、大丈夫?」
 広瀬は窓からこちらに戻ってきて、俺の隣にしゃがみこむ。
 黒衣集団は消えていたが、腰の抜けた俺はすぐに立つことが出来なかった。
「ほ、ほんとに俺は大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
 笑って誤魔化す。広瀬は俺が何に驚いたのか見えていないので、理解出来ず戸惑いの表情を見せている。
「……うーん、でも一応保健室行こ? 歩ける?」
「えっ」
 突然、広瀬に肩を回された。
 予想外の広瀬との密着に全ての脳内処理が止まる。
 今までの奇妙な現象に困惑していた時よりも、俺の心臓の鼓動は激しくなる。広瀬に鼓動音が聞こえるのではないかと、広瀬の方を向くと、ドアップの広瀬の横顔に、即座に顔を背ける。より一層鼓動が早まった。
 肌きれい、てか、いいにおいする……。
 立ち上がった時に、普通に歩けるように思えたが、この密着チャンスを逃したくなかったので、気付かないふりをした。男子である。
 保健室に移動し、広瀬は俺を保健室の先生に託すと、また誰かに呼ばれたようで「ここまでで、ごめんね。それじゃ、お大事に」と俺に言い残して、保健室から出ていった。
 うまく転んだようで、脚を椅子にぶつけた際に出来た青痣だけだった。保健室の先生には湿布を貼ってもらい学園を出た。

 帰宅中、広瀬の良い匂いのことばかり頭の中を占めていたが、徐々に気味の悪い黒衣集団について考え始めていた。
 役割違反? デバック隊……?
 訳の分からない言葉が頭の中でぐるぐる回っているだけで、納得できる答えは見つからない。帰り道の途中、本屋の入り口に貼られているチラシを、何気なく見て通り過ぎる。最近流行っているゲーム攻略本のチラシだった。
 ……攻略本。
 ふと足を止めて、本屋の前に戻り、今度はチラシをしっかりと見る。
 役割とかデバックってゲーム単語?
 ……いやいや。
 乾いた笑いが口から零れる。
 本の読み過ぎ、ゲームのやり過ぎだな。
 好きな作家が、ゲームのシナリオを担当すると聞いて、手を出したゲームと、今の非日常的な出来事が似ている…ゲームの世界のようだと考えたが、すぐに否定する。
 最近寝不足だったし、脳が疲れているんだ。
 俺は先ほどまでの奇妙な現象を、その場限りの妄想だと自分自身に納得させ、家路に着いた。
 しかし、それ以降も黒衣集団は現れた。
 広瀬と俺の部活が無い日を狙って、帰りを誘おうとするとアイツらは現れる。
 黒衣集団出現の二回目は、初回同様、俺は驚いて後ろに倒れこみ、周りからは怪訝な顔をされた。三回目には、心の準備をして広瀬に声を掛けたので、驚きはしたが冷静を装うことが出来た。しかし、それでも、広瀬に話しかけているはずなのに、俺の目の前は、黒衣しか見えず、心が折れて「ごめん、なんでもない…」と言うしかなかった。
 俺が広瀬を帰りに誘おうとすると黒衣集団が現れる。そして、広瀬側は、誰かに話しかけられるなど、俺と広瀬の会話が必ずと言っていいほどに、継続出来なくなる。誰かに操作されているかのように。
 三回の痛手で分かったことは、黒衣集団は、俺が広瀬を帰りに誘おうとすると「役割違反」という看板を見せつけてくるだけで、危害は与えてこないようだった。
「意味が分からない……」
「何が?」
 授業と授業の間の10分休み、俺の席の前でしゃがみこんで、先ほどの授業の内容を俺のノートから書き写している杉谷が訊いてきた。
 ひょろっと細長い手足に、アヒル口と黒縁眼鏡が特徴的な杉谷は、出席番号が近いのもあり入学式に話したのがきっかけで、なんとなく共に過ごすことが多い。加えて、本好きという共通点から共に文芸部に所属している。
「……理不尽な目にあっている」
「なにそれ」
 ノートを写し終えた杉谷が、杉谷の癖である眼鏡のブリッジを人差し指の第二関節で上げ、笑う。眼鏡の奥の一重瞼の目が少しだけ興味を持っているのが分かった。
「最近のお前の奇妙な行動張りに面白そうじゃん」
「……うっせー」
 やはりあの黒衣集団は俺以外には見えないらしく、一人で驚いている俺の姿は、かなり滑稽だろう。
「そんなことばっかしてると、広瀬に嫌われるぞ」
 杉谷が小声で耳打ちをする。
「ハ!?」
 ひっくり返った声を出した俺に、杉谷は苦笑いをする。
「うるせ、いや、気付かない方がおかしいって」
「な」
 なんで分かったんだと聞く前に、杉谷は同情した表情で俺に言う。
「広瀬の前でだけあんな奇妙な行動してたら、誰だって察するだろ? これ以上続けたら、自爆するぞ」
 そりゃそうだ。
 広瀬を帰りに誘おうとした時だけ、あの黒衣集団は現れるのだから、俺の滑稽な行動は、傍から見たら、広瀬が好きすぎて緊張しているヤツにしか見えていないのだろう。
 その現実に眩暈がしたと同時にチャイムが鳴った。
「じゃ、気をつけろよ」
 杉谷は俺に忠告して、俺の一番後ろの席から、一番前の席に戻っていった。古典の授業が始まった。

 放課後、俺は、文芸部の部室で、校庭が見える窓側の席に座っていた。
文芸部は、学園祭や同人誌即売会に向けて執筆はするが、部員全員の執筆は強制的ではない。そのためか、基本的に活動日である火・金は、ただ、本好きが集まって駄弁っているだけだ。部室は、俺にとって非常に居心地の良い場所だった。
 杉谷を含めた部員は、ババ抜きをしており、俺は頬杖をつきながら、ぼけーっとそれを眺め、最近の奇妙な現象について考えていた。
 黒衣集団以外の奇妙なことと言えば、三つある。突然時が止まったことと、俺の中にもう一人の人格があるのではないかということと、ある男子生徒、三名について一気に詳しくなったことだ。
 人格の件と、男子三名の情報が詳しくなった件は、広瀬が恋バナに近い話題を振ってくる違和感に関係しているのではないか。広瀬から訊かれた三名が、俺も詳しくなった三名であるからだ。
 それらに対して、俺はなんとなく、本当になんとなくだが、ある既視感を覚えていた。
「っしゃあ! 俺の勝ち!」
「うわあ……また僕がビリですかあ……」
 杉谷がガッツポーズと共に、愉快そうな声を上げ笑っている。その杉谷の対角線に座っていた文芸部で一番背の低い後輩の東野が机に突っ伏している。
「はいはい、ビリは自販機自販機、俺コーラ」
 杉谷の声を筆頭に、ババ抜きをしていたメンバーが、ビリになった東野に次々と飲み物を頼んでいる。
 東野がジュースを買いに部室を出ると、部室内はあるゲームの話題で盛り上がる。
「そういや井田、この前貸したゲームやった?」
「やったやった、俺は静香推し」
「まじかーお前と推し一緒かよ」
 部長と副部長がケラケラ笑っている中に、杉谷も話の輪に入る。
「なんのゲームっすか?」
「青恋」
「あ~俺、それ系、手出したことないんすよね」
「お前、馬鹿にしてんだろ、意外に泣けるぞ」
「佐藤は?」
「青恋は、したことありますね……」
 杉谷に話を振られ、少し躊躇いながら答える。俺の好きな作家が、シナリオを書いたゲームが青恋だった。
 青春と恋、略して青恋は、一年間の学園生活を通して、主人公が五人の女性キャラクターと恋をする恋愛シュミレーションゲーム。
 俺の返答に「やっぱ青恋は普通に話がいいんだって」と副部長が杉谷に勧めていた。俺は三人の会話を遠くに聞きながら苦笑した。
 そう、俺の奇妙な現象の既視感は、恋愛シュミレーションゲームの類に似ているのだ。
 考えすぎ、空想しすぎと思いながらも、この奇妙な現象を「広瀬が主人公の恋愛シュミレーションの世界」と仮説を立てると色々と納得できる。そんなことを考える俺を俺自身が馬鹿にするが、この仮設が正しいと思える材料があまりにも揃い過ぎていた。
 突然広瀬が、男子三名を気になりだしたこと、役割違反、デバック隊……。
 例の三名の中に入っていない俺が、広瀬の物語に介入、つまり広瀬に好意を持って、接近しようとすると「役割違反」の持ち看板を持った黒衣集団が現れる。
 ん? あれ。つまり、広瀬が恋愛シュミレーションゲームの主人公だとしたら、俺は、もしかして――……
「俺、友達の直を落とせないのが悔しいんだよな~」
 部長の発言に、俺はガタンと音を立てて立ち上がる。
「ど、どうしたんだよ?」
 その場にいた部員全員から視線が集まり、杉谷からは戸惑いの声を掛けられる。
 黒衣集団の持ち看板に書いてあった「契約違反」という文字が脳内にこびりついて離れない。
 この現象が本当に広瀬を主人公とした恋愛シュミレーションゲームの世界だとしたら?
 広瀬は、あの三人と恋をする。
 じゃあ、俺は?
 俺が広瀬に好意を持って帰りを誘おうとしたときに「契約違反」の持ち看板を掲げられる理由は?
 ――俺は広瀬にとって恋愛対象外。恋愛相談役兼友人役? 
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