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第一章
二ノ宮宗吾
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「二ノ宮家とは関係なく生きてみたら、どんな人生だったんだろうと考えたことはあります。……もう、何もかも、面倒くさい」
二ノ宮は疲れた笑顔で、的場の霞的を見つめていた。弓道場には、二ノ宮と広瀬以外誰もおらず、夕日が二人の影を作っていた。矢道側の射場に立つ二ノ宮に対して、入り口付近の射場にて、正座をしながら二ノ宮の言葉を聞いていた広瀬が口を開く。
「……先輩が、決めて、いいと思います」
「え?」
振り返った二ノ宮は、決意が込められたような真っ直ぐな広瀬の瞳を見て、たじろぐ。
「私、無責任な、こと、言います」
広瀬の両膝の上で固く握られている両手は少し震えていた。
それでも広瀬は、二ノ宮の瞳をまっすぐ見つめながら言った。
「なにもかもが面倒くさいって話す先輩も、私は好きです」
二ノ宮も真っすぐに己を見る広瀬から目を背けない。
「先輩のご両親、先生、周りの……大人たちの言うことが正しくないなんて、私も、思いません。でも、先輩が自分自身で考えて、選んだものを否定する大人って、本当に、私たちのためを思って、いるんでしょうか?……それぞれ、自分自身が歩んできた道しか経験が無いのに、どうして、こうするべきだ、なんて言い切れるんだろうなって…。勝手に期待しといて、期待通りじゃないから幻滅してくるなんて、そんなの、面倒くさくて当然です。窮屈だと思うの当たり前です! 先輩はっ…………」
広瀬はヒートアップした自分自身に気付き、「言い過ぎた」と顔をこわばらせ、手を口に当てて勢いよく立ち上がる。
「す、すみません、失礼しますっ」
「待って!」
広瀬が焦りながら弓道場の戸に扉に向かおうとした瞬間、二ノ宮の切羽詰まった声が弓道場内に響く。そしてすぐに静寂が訪れる。風の音も鳥の鳴き声も聞こえない。
広瀬は二ノ宮の言葉通り身体を縮こませ立ち止まる。
二ノ宮が一歩踏み出したせいでぎしっと的場の板が鳴る。
「……そっか、僕、もういいんですね」
ゆっくり振り向いた広瀬の目の前にいる二ノ宮は、いつもの完璧で堂々とした「二ノ宮先輩」ではなく、今にも泣き出しそうなただの18歳の男子高校生、二ノ宮宗吾だった。
二ノ宮はゆっくりと広瀬に近づいて、戸惑いがちに広瀬へ手を伸ばす。そのまま二ノ宮は広瀬を抱きしめる。
広瀬は、二ノ宮の胸の激しい鼓動音を聞きながら、二ノ宮の背中に手を回した。
けたたましい目覚まし時計の音に、ゆっくりと目を開く。
「……ひどい、夢だ」
これほど目覚めの悪い朝を迎えたことが無かった。うるさい目覚まし時計を、緩慢な動きで止める。
やけにリアルな夢は、最近広瀬から尋ねられた三人のうちの一人である二ノ宮先輩と、広瀬の二人にとって大事なシーンのようなものだった。
寝る前には無かった知識――広瀬と二ノ宮先輩がどのように親密になって、恋人同士になるのかの過程が、しっかりと脳に刻まれていた。言うなれば、広瀬と二ノ宮先輩の二人の恋愛映画を観終わった後のようだった。
最悪だ。
何が悲しくて好きな女の子と、俺とは似ても似つかない、雄としての優秀さを感じる男との恋愛模様を知らなければいけないのか。
……今、自然と俺は「知る」と表現したが、この恋愛物語は実際に起きる出来事なのか?
サーっと血の気が引いた気がする。
昨日は、恋愛シュミレーションのような世界だと突飛な事を考えた自分自身を「そんなことあるわけない」と馬鹿にした。
しかし、それでも俺は、心のどこかで否定しきれない自分がいることも気付いていた。
「席付け~始めるぞ」
数学の教師が、教室に入りながら発した言葉に反応するように、日直の号令がかかる。作業的に挨拶をして、授業が始まる。
俺の机の上にある教科書は、教師が示したページではないところを開いている。
元々あった二ノ宮の情報が、今朝の夢のせいかアップデートされている。その情報だと、広瀬と二ノ宮の出会いイベントは既に始まっているようだった。
俺が広瀬を帰りに誘おうとしたあの日の朝、早起きした広瀬が乗った電車に二ノ宮先輩…いや、二ノ宮も乗っていて、その二ノ宮がハンカチなんてベタなものを落とし、優しい広瀬がそれを拾った。そして広瀬は二ノ宮のハンカチを返しに行こうとしている。
この前、広瀬が、二ノ宮と二ノ宮が所属している弓道部について訊いてきた理由が分かった。ハンカチを届けに行くためだ。
仮に、仮にだが、広瀬が主人公の恋愛シュミレーションの世界だと仮定してみよう。
広瀬は、二ノ宮との出会いのフラグを回収しており、いわば、起承転結の「起」が始まっている。このまま「承」やら「転」に進んでしまえば、今朝の悪夢の再現がその内起きてしまうのだろうと俺の直感が告げる。
………妨害しなければならない。
やっと広瀬に想いを告げるという覚悟を決めたというのに、何も行動せずに広瀬とただの良い友人のまま終わりたくない。というか、足掻くこともさせてくれない、俺にとっての理不尽な世界に腹が立ち始めていた。もし、俺の仮定や直感が正しければ、俺はこの理不尽世界で、広瀬が認知してくれる登場人物には変わりないが、広瀬と恋愛する役割は貰えない、恋愛の手助けをする友人役である。
ふざけるな。
手探り状態ではあるが、俺は、広瀬と二ノ宮の恋愛の過程を知っている。
つまり、先回りして、妨害することも難しくない?
二人が結ばれる世界をぶち壊すことが出来るのではないか?
この情報は友人兼恋愛相談役の俺だから知る情報だと思うが、それを逆手に取って、それ通りに進ませなければいい。
そう考えると、少し希望が見えてきて、荒れていた心が落ち着いてくる。
そうと決まれば、今日から妨害をしていこうと考えるが、ふと、懸念点が頭によぎる。
俺が広瀬を誘おうとすると、必ず黒衣集団が現れるというシステム。あのシステムの法則性をもっと知らなければならない。
「はい、次。佐藤。一二番。……おい佐藤?」
「えっ、はい!」
「十二番」
数学の教師によって、俺の意識は一気に現実世界に引き戻される。ちょっとしたピンチに身体の熱が上昇する。指定された問題の場所が見つからず、嫌な沈黙が流れる。
「おいおい佐藤、真剣な顔して全然、授業聞いてねーのか」
「す、すいません」
「じゃあ隣の広瀬、一二番」
「はい。…ⅹ=四です」
「はい、おっけー。佐藤、次十三、十四続けて当てるから、今度こそ解いとけよ。123ページ。10分後に当てるからな」
数学教師が、問題を解く時間を設けた。ちらっと広瀬の方を見ると、気付いた広瀬と目が合う。口パクで「ごめん」と伝えると、笑って、「ちょっと焦った」と小声で言われた。
広瀬への好きな気持ちが限界突破した。
放課後、広瀬と二ノ宮の「転」のきっかけイベントに目星を付けていた俺は、弓道場に向かって歩いていた。
「転」のきっかけは、弓道部の期間限定のマネージャ―を、広瀬が承諾するところだ。そこから、二人は過ごす時間に比例して、親密になっていく。時期は夏の大会前、場所は弓道部。
そこを妨害すれば、二ノ宮との関係の発展を食い止めることが出来るかもしれない。
今日は四月一七日、金曜日。幸いなことにまだ広瀬は二ノ宮にハンカチを届けに行っていない。つまり、正確に言うと、まだ「起」は終わっていない。とは言っても、広瀬が二ノ宮のハンカチを持っている以上、油断は禁物。勝負は、ここからだ。
俺の頭にある広瀬と二ノ宮の物語では、ハンカチを返してから期間限定マネージャーになるまでに、三度、弓道場でイベントがある。一度目はハンカチを渡しに行った広瀬が弓道部を見学する。二度目は二ノ宮からマネージャーがいなくて困っている話を広瀬が聞く。三度目に広瀬は期間限定マネージャーを二ノ宮から頼まれる。
…つまり、夏の大会前まで、広瀬を弓道場に近づかせないようにすれば、広瀬と二ノ宮の「転」のイベントは発生しないだろうと、仮定した。
念のため、弓道場に向かう前に、なにかしら理由をつけて広瀬に弓道場に向かわないようにと声を掛けようとしたが、案の定、黒衣集団が現れた。引き留めは失敗。
帰りを誘う以外にも黒衣集団が出てきたことで、恋愛に関わることだと全て妨害されるのだろうと定義づける。しかしそうなると、俺は圧倒的に不利になる。くじけそうになるが、ふと思いついた俺の憶測に希望を込め、それを糧に、弓道場に向かった。
——どんな憶測か?
俺から直接、広瀬に接触するのが難しいだけで、何かを介して接触するのであれば、黒衣集団は現れないのでは?というふわふわした憶測だ。
どうにかして弓道部の部員と仲良くなれないだろうか。まだ明確な対策は見つからないが、弓道部員を使って、二人の仲を縮めさせなければいい。
弓道場は校舎から少し離れており、学園内の西に位置し、木々に囲まれた場所にある。弓道場へと続く歩道の横には、園芸部の花壇が連なっており、花壇を挟んで向こう側に、陸上部やサッカー部が使用するグラウンドになっている。まだ誰も弓道場にいないものだと思っていたが、弓道場から矢が的に刺さる音が聞こえる。
木の陰から弓道場を覗くと、丁度弓道着を着た二ノ宮が弓構えをしている場面だった。
二ノ宮宗吾、鉄道事業が主要事業である二ノ宮グループの一人息子でありながら、驕らず優しげな物腰で、男女ともに慕っている人が多い。俺たちの一個上、三年生で生徒会長、成績は常にトップ、加えて181センチの長身に、目鼻立ちがはっきりした小顔で、これほどまでに才色兼備な人物を俺は見たことが無い。広瀬のことが無ければ、すごい人だなとありきたりな感想しか抱いていなかったが、今はただ腹が立つだけだ。
射場に立って、弓構え――右手を弦にかけ、的を見ている弓道着姿の二ノ宮は、悔しいが絵になっていた。弓道着を着ていても分かる程よい筋肉が、圧倒的な魅力強者の風格を醸し出していた。女子顔負けのぱっちり二重に、整えられた眉、鼻筋が通った横顔に女子は見惚れるのだろう。やはり、腹立つ。
どのようにして二ノ宮が広瀬に惹かれていったのか? 俺の脳内にある情報だと、常に周りから完璧を求められている環境の中で、広瀬だけ自分自身の理想を押し付けてこないと気付き、意識し始めるようだった。
広瀬らしいと、俺は誇らしく思う。
二ノ宮の放つ矢が、霞的――白地に大中小三つの黒い円が描かれた的の中心を射った音と同時に声を掛けられる。
「あれ? 佐藤君?」
振り返ると広瀬が立っていた。二ノ宮に気を取られていたせいで、背後から広瀬が近付いていることに気付かなかった。
「お、おー広瀬、どうした?」
「佐藤君こそ。私は二ノ宮先輩に用事で」
「俺は、ちょっと学園内を散歩……?みたいな?」
「ふふ、木に隠れて?」
「ま、まあ……」
「さっきは、ごめんね。先生に突然呼ばれちゃって」
広瀬は俺が木に隠れていることには深く追求せず、さきほど俺が話しかけた件について、申し訳なさそうに謝る。俺は黒衣に邪魔をされ、広瀬は先生に呼ばれたことで会話が続かなかった。
「いや、大丈夫。気にしないで」
俺の返答にホッとした広瀬が、胸辺りで手を組み、少し上目遣いで躊躇いながら訊いてきた。
「……あの、佐藤君にちょっとお願いしたいことがあるんだけど……いい?」
「え、なに?」
「これ、実は、二ノ宮先輩が落としていったハンカチで……。あ、電車で拾ったの! それで、返そうと弓道場に来たんだけど、入りづらくて……。一緒に着いてきてくれないかな? 私、先輩と特に知り合いでも無くて……。出来れば、で、いいんだけど」
広瀬は二ノ宮のものであろうネイビー色のハンカチを見せながら、不安気に訊いてきた。広瀬からのお願いであれば、断るなんて選択肢は無かった。
「も、もちろん、いいよ」
「ほんと? ありがとう!」
二人の「起」イベントを進めてしまうことにはなるが、二人きりではなく、俺も一緒に行くという、俺が知っている「起」イベントとは少し変わった流れにほっとした。
やはり俺起点でなければ、妨害出来る余地はある。
広瀬に直接行動するのではなく、遠回し、今回であれば、弓道部に先回りして、広瀬に見つかるようにすれば、物語に介入、妨害することが可能、ということだ。
か細い希望だったのが明確な希望に変わって、俺の心は晴れやかだ。
しかし、ここからどう動くのが正解なのか?
臨機応変に動くなんて、俺には難しい。
二ノ宮と俺は全く接点がないからこそ、何の心配もなく妨害が出来ると思っていたが、知り合いになってしまったら、妨害する上で面倒なことになるのではないかと危惧する。
そんな不安な俺の状態など全く知らない広瀬は、俺の心の準備が整う前に、弓道部の戸をノックした。
「失礼します」
広瀬が戸を開け、お辞儀をして弓道場に入ると、目の前には先ほど俺が悔しくもかっこいいと思った弓道着姿の二ノ宮が弓を引いていた。射った矢はまたも中心に刺さった。矢が放たれた後もしばらくそのままの姿勢のままだったが、足を閉じ、呼吸を整えてからこちらを見る。
「……なんの御用でしょうか?」
二ノ宮の凛とした声が弓道場に響く。
「えっと、あの、先日、こちらを落としませんでしたか?」
広瀬は恐る恐るハンカチを差し出す。そのハンカチを二ノ宮は一瞥すると、矢道側に近い射場から入口の方まで歩いてきた。間近で見るとより一層、雄の優劣さを感じた。
「ありがとうございます。無くしたと思っていました。……どちらでこれを?」
「駅で先輩が落としたのを見かけたのですが、人込みで見失ってしまって……。それで、佐藤君に弓道部の活動日を教えてもらって、今日になっちゃったんですけど」
突然俺の名前を出されて背筋が伸びる。
「そうだったんですか……えっと」
二ノ宮が広瀬と俺の顔を交互に見る。
「広瀬です」
広瀬が名乗ったので、俺も流れで名乗る。
「佐藤です……」
「広瀬さん、佐藤さんありがとうございます」
二ノ宮がお辞儀をするとミントのような爽やかな香りがした。
匂いまで完璧なんてやめてくれ。
「いえ、それでは失礼いたします」
広瀬と俺はお辞儀をして弓道場を出た。
……あれ、ここのイベントってこんなんだっけ? 確か、弓道の話になって、二ノ宮の方から「少し、見ていきますか?」と広瀬に話を振るイベントだった気がするが……。もしかして知らぬ間に妨害成功していた? 俺、ただ二ノ宮のいい匂いにビビっていただけなんだけど。
予想外の好展開に小さくガッツポーズをした瞬間、弓道場の戸が開いた。広瀬と俺が振り返ると、少し焦ったような二ノ宮の顔があった。
「すみません、お二方。お聞きしたいことがあるのですが……。お二人は藤堂さんをご存じですか?」
二ノ宮の言葉に俺は固まる。藤堂という名は、広瀬が二度目に弓道場を訪れた日、二ノ宮から聞く名のはずだ。
……俺が干渉したせいで、強制的にイベントが進んだ?
目の前にいない黒衣集団と、理不尽なこの世界を恨めしく思った。ただ、黒衣集団が目の前にいたとしても、気味の悪さに手も足も出ない自分を簡単に想像が出来て情けなかった。
「藤堂さん……。私は、違うクラスでほとんど話したことが無いです。佐藤君は?」
「俺もあまり話したこと無いですね……」
藤堂は、弓道部のマネージャーで、突然弓道部に顔を出さなくなるキャラだ。この藤堂のせいで、広瀬が期間限定でマネージャーをすることになる。
「そう、ですか。呼び止めてすみません。ありがとうございます」
二ノ宮先輩は元気無さそうに笑って、戸を閉めた。
「どうしたんだろう、二ノ宮先輩」
「……そうだな」
俺はここで重要なことに気付いた。
広瀬と二人きり。時は放課後。帰りを誘うベストタイミングだということに。
「ひろ」
俺が広瀬に話しかけると同時に、広瀬のスマホが鳴り、お決まりのように黒衣集団が俺の目の前に現れる。そして、俺の両端に一人ずつ黒衣が立ち、それぞれ俺の腕を掴み、広瀬に背を向けて、距離を取る。
「ウワァ!!」
「?!」
電話に出ていた広瀬は、突然叫び出して走り出す俺を見て、呆気に取られていた。広瀬や周りの生徒たちには黒衣集団が見えておらず、変な姿勢で走っている俺の姿しか見えていない。
俺だったら、こんな奇行をする男、近づきたくない。
黒衣集団に学園の最寄り駅まで連れていかれてから解放された。やはり俺は目の前の黒衣集団に悪態の一つも言えなかった。
情けない自分に嫌気がさしたが、感傷に浸っている時間はない。帰宅してからすぐに、打倒・二ノ宮計画を練った。
パターンA
藤堂を弓道部に引き戻す。
そもそもの弓道部の期間限定マネージャーが発生する原因を解消する。
藤堂は二組。広瀬と俺は一組で違うクラスのため、俺は授業が終わる度に廊下に出て、廊下の窓側の壁に寄りかかりながら、二組から藤堂が出てくるかを確認する。常に高めのポニーテールをして小柄な藤堂は目立って、見つけやすかった。
くそ、藤堂のやつ、いつも誰かと一緒にいるな。
「そーんな熱い視線で誰を見てんの?」
杉谷が俺の隣に立ち、俺と同じように壁に寄りかかりながら訊いてきた。
「ちょっと藤堂に用があるんだけど……」
「え? 藤堂? そこにいるから、声掛けに行けばいいじゃん」
杉谷があまり目立たないように腕を組んだ下側の腕の手で、藤堂の方を指さしながら言う。
「……俺が突然女子に話しかけに行ったら勘違いすんだろ」
「は? なんの?」
「なんのって俺の好きなやつが藤堂じゃないのかって勘繰るやつとか……」
俺はだんだん小声になりつつ、ごにょごにょと言うと、杉谷が苦笑いで俺に教えた。
「馬鹿かお前は。既にさっきから藤堂のことガン見してるから、勘違いなんてっとくにされてるぞ」
「は?」
バッと辺りを見渡せば、俺を見ながらヒソヒソ話をしている噂大好きなオーラを放っている女子たちと目が合う。その女子たちは俺にニコッと笑って「応援するね」と言ってきた。
「毎時限終わるたびに藤堂を見ていたら、そりゃ目立つだろ」
「ごっ誤解だ!」
俺の言葉は廊下に響くが、周りの生徒は、俺を生暖かい目で見るだけだった。
「私に何か用?」
背後から声を掛けられた。振り向くと藤堂が立っており、藤堂の印象的な猫目が俺の顔を訝しげに見る。杉谷は関係ない振りをし出して、教室側の壁にある自身のロッカーの方へ逃げていった。廊下には遠巻きに野次馬が出来る。
「俺には好きな人がほかにいる! 勘違いしないでくれ!」
「……は?」
焦った俺は野次馬と藤堂に謎の言い訳をする。野次馬たちからの「なにいってんだよ」「素直になれよ」といった圧に負けそうになる。藤堂はというと、突然、接点がほぼ無い同級生に毎時限ジロジロみられた挙句、勘違いするなと言われたものだから、腹を立てたようで、腕組をしながら、俺を睨みつける。
「貴方の好きな人の有無など、どーでもいいのですけど、毎時限、私を見てくるのはなんですか? 非常に迷惑です」
「き、訊きたいことがあって……」
「訊きたいこと?」
「弓道部のことで! 二ノ宮先輩が藤堂のこと知ってるかって訊かれたから、なにかあったのか知りたくて!」
俺が同じ立場であれば、それほど接点の無い同級生にこんなこと訊かれても、「お前に関係ないだろ」と一蹴してしまうが、二ノ宮の名を出すだけで、「二ノ宮先輩絡みなら気になってしょうがない」といった空気感を出すことに成功してしまう。加えて、色恋沙汰だと思っていた野次馬たちは解散し、今度は「二ノ宮先輩」というワードで興味を持った二ノ宮ファンの野次馬が集まる。
「……もしかして弓道部辞めるの?」
白々しく聞いてみる。
「貴方には関係ないじゃない」
やっぱりそうなるよなと思いつつ、もう一押しすれば事情を聞けるのではないかと頭をフル回転させる。
「な、何か理由があったのかなって……二ノ宮先輩、心配しているようだったし」
俺は出来るだけ、不安そうな声色で訊いてみる。「二ノ宮が心配している」というワードが良かったらしい。藤堂が俯いていた顔をバッと上げ俺を凝視する。その頬は少し赤らめている。
流石、学園一の人気者・二ノ宮。二ノ宮が心配してるっていうだけで女子はヒロインになるようだ。罪な男。広瀬以外と恋に落ちてくれ。
「……るの…」
ボソッと藤堂は呟いた。
「え?」
「私……転校するの」
フリーズ。忘れていた。広瀬と二ノ宮の物語は、二人がメインの物語なのだ。そのため、わき役である藤堂の辞める理由などフォーカスされないし、二人の縮まる流れはなるべく整合性のあるものでなければならない。つまり、ただ部活を辞めさせなければいいなんて愚直な考えでは上手くいくはずがない。やはり深夜に考え事は良くない。転校をひっくり返すのは、一学生の俺には難しすぎる。パターンBに移行した方が良いと判断した俺は、転校する理由などをつらつらと話している藤堂の言葉が右から左へと流れるだけだった。
パターンB
最初の計画通り、夏の大会前まで広瀬を弓道場に近づけさせないようにする。
それだけだ。計画もくそもない
マネージャ―を必要としているのが、藤堂が辞めてから夏の大会までだ。弓道部はマネージャーがいなくてもまだ成り立つ部活だが、藤堂は部員が弓道のみに打ち込めるようにと、部員という立場から準備や手配など雑務を行うマネージャーとして所属するようになったらしい。そのため突然藤堂が抜けると、部員たちにとって夏の大会前に慣れない作業などを行うストレスが発生する。
そこで期間限定のマネージャー。部員たちが、藤堂が行っていた準備などをうまく分担できるようになるまで、期間限定のマネージャーを見つけたいと二ノ宮は考えている。つまり、藤堂が辞めてすぐに期間限定のマネージャーが必要なわけで、時間が経ってしまえば、期間限定のマネージャーの必要性がなくなる。そして、期間限定のマネージャーを広瀬がしなければ、広瀬は二ノ宮との接点が無くなり、恋愛関係に発展などしない。
他の二人も気になるところだが、詳しい情報がある二ノ宮から潰していくのが賢明だと考えた。大体今日から5月末まで広瀬が二ノ宮と接触しなければ、期間限定のマネージャーというイベントを潰すことが出来ると仮定して生まれたのが、パターンB。
六限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、そのままHRに移る。今週、広瀬は教室の掃除当番グループに属している。
俺は先回りして、以前同様、弓道場で待ち伏せをすることにする。昼間は広瀬が二ノ宮と学園内で接触しないように見張るが、学年が違うため接触の確率は低い。そのため、弓道部に近づく確率が高い下校時間が、一番危険だ。何かしらの展開が起こるとしたら、やはり「弓道場」だ。
二ノ宮と広瀬の物語の流れは知っていても、それを妨害するための答えはない。しかも身の回りに起きている奇妙な現象のマニュアルブックなどもない。そうなると、あとは行動あるのみ。
弓道場へと向かう途中、歩道から逸れてレンガが積まれた園芸部の花壇で隠れるように、グラウンド側に背中を向けてしゃがみこむ。丁度、俺がしゃがみこんだ場所は、剪定――樹木の枝を切り、形を整えたりしてある木が等間隔に植わっており、身を隠しやすい。弓道場へと続く道は、校門へと続く道か、校舎や部室が併設されている体育館へ続く道のどちらかで、俺は左右をキョロキョロ見渡す。
早めに来たせいか人の気配が見当たらない。頬杖をついて、花壇を彩っているピンクと白の花をぼんやりと眺める。
俺が直接、広瀬自身に「弓道場に行かないで欲しい」と声を掛けようとしても、黒衣集団に阻止をされる。俺のなにかしらの行動で広瀬自身が弓道場に行かないようするには……。
「えっと、佐藤さんでしたっけ?」
脳内会議をしていると、頭上から声を掛けられる。顔を上げるとそこには弓道着姿の二ノ宮が立っていた。
「ウワッ!!」
「ああ、すみません。突然話しかけてしまって」
驚いた拍子に尻もちをついた俺に、手を差し伸べる二ノ宮。俺は、その手をしばし見てから、おずおずと手を取り立ち上がる。
「あ、ありがとうございます……えっと……?」
俺に話しかけてきた意図を聞こうとすると、二ノ宮は、白い歯を覗かせて微笑むと同時に、艶のある黒髪がふわっと風に踊る。
二ノ宮の一挙一動には、さわやかな風が吹く演出が組み込まれているのだろうか。俺にとって理不尽なこの世界は、二ノ宮にとっては味方なのだ。
「ふと、花壇の方を見たら、頭が見えて。近づいてみれば佐藤さんだったので、つい、声かけちゃいました。真剣な顔でしたけど、なにか考え事でもしてました? 邪魔してすみません」
「ハハハ……逆に驚かせてすみません」
少しだけバツの悪そうな表情をする二ノ宮と乾いた笑いをする俺。
お前と広瀬をどうやって遠ざけるかを考えてたんだよ!
「……どうしてここでしゃがみ込んでいたんですか?」
ギクッと肩を揺らす俺。加えて、広瀬がもし弓道場に来るならばそろそろだ、と焦り出した表情に気付いたのか、二ノ宮が突拍子もないことを口にする。
「それじゃあ、僕も一緒に隠れようかな」
「……は?」
俺の戸惑いなどお構いなしに、狭い等間隔に剪定された間に二ノ宮はしゃがみこむ。俺もしゃがむことを促されたので、戸惑いながらも従う。男二人が花壇を前にして、狭い場所で並んでしゃがみこんでいる。
……なんなんだ、この展開。
「……あの……、二ノ宮先輩、いいんですか……? 部活……」
「良くはないんですけど、実は佐藤君にお願いがありまして」
二ノ宮はにっこり微笑みながら、顔を俺に向ける。
「この前、藤堂さんのこと聞いたじゃないですか? その藤堂さん、実は弓道部のマネージャーで」
「……はあ」
知ってる。
「最近、藤堂さんずっと部活を休みがちで、聞いてもはぐらかされていたので、その理由が知りたくて、お二人に聞いたんです」
「……はい」
俺は、俺の顔から花壇の花に視線を移して話す二ノ宮が、何を考えているのか全く分からず、ただただ相槌を打つことしかできなかった。
「先週の金曜日に、藤堂さん部活に久しぶりに顔を出してくれてですね。それで分かったんですけど、藤堂さん、お家の都合で、弓道部を辞めなきゃいけなくなったんです」
先週の金曜日とは、俺がパターンAを試した日だ。
二ノ宮は目の前のレンガの花壇に手を掛けて、顔をこちらに向ける。
「それで、期間限定のマネージャーを佐藤君にお願いしたくて」
なるほど。
……?
………!?!?
声に出ない驚きで、二ノ宮の顔を見つめる。
「あれ、そこまで驚くことですか?」
二ノ宮は意外そうな顔で、左手で自身のこめかみを掻いている。指も長い。
「いや、だって……」
それは広瀬に言うセリフじゃないですか?!
「あれ……先週、藤堂さんが、佐藤さんから弓道部辞めるのかどうか訊かれた、と話していたので、佐藤さんは弓道部に興味があったのかなーと思いまして……。ただ、入部届で一度も君の名前を見たこと無かったので、マネージャーなら興味あるのかと思って、声かけてみました」
二ノ宮は俺の狼狽え具合に苦笑している。
「……ふふっ、すみません。僕の勘違いだったら、驚きますよね。藤堂さんの話が突然で……。藤堂さんの早退と欠席の理由も、その時教えてもらったんですが、両親を説得するためだったらしいんです。結果は、やっぱり駄目だったんですけど……。残念ですけど、藤堂さん正式に退部することになったんです。それで、僕たち結構、藤堂さんにマネージャーとして頼りきりだったところもあったので、部員全員が、藤堂さんがされていた仕事に慣れるまで……そうですね、夏の大会まででもいいので、マネージャーになってくれる方を探してるんです」
ゆっくりと、高すぎず低すぎずの丁度良い音の高さの声である二ノ宮の『期間限定マネージャー』の説明。
俺のパターンAが無駄でないことに感動していた。
パターンAのおかげで広瀬より先に声を掛けてきたってことか?役に立ったってことか?
二ノ宮がすっと立ち上がって、眉根を寄せて言った。
「突然すみませんでした。聞かなかったことにしてください。僕は部活に戻ります。それじゃあ」
俺は立ち上がった二ノ宮を見上げた際、目の端に広瀬の姿を捉えた。
このままじゃ、広瀬が、マネージャーになるかもしれない。
広瀬と二ノ宮が抱き合っている場面を思い出す。
俺は考えるよりも先に口にしていた。
「あの」
「はい?」
俺は立ち上がって、弓道場に戻る二ノ宮を引き留めていた。
「期間限定マネージャー、俺で良ければ」
ここで、俺が、マネージャーを引き受ければ、広瀬はマネージャーを引き受けずに済む。
これは悪手じゃない。
「え、ほんとですか?」
「……はい」
少し遠いところで広瀬が俺と二ノ宮が話している光景に首をかしげている。
二ノ宮は突然の俺の申し出に、目を丸くしていたが、少し間を開けてから、にっこりと微笑んだ。
「助かります、ありがとう。それじゃあ、今日からでもお願いできますか? 藤堂さんもまだいるので、その間に藤堂さんから色々と教わってもらえればと思います」
安堵した表情の二ノ宮が、弓道場の戸を開けながら俺に話す。弓道場に足を踏み入れながら、先ほど目の端で捉えた広瀬がいた場所に顔を向けると、きょとんとしている広瀬と目が合った。俺は苦笑しながら手を振ると、広瀬もおずおずと手を振り返してきた。それを確認して、俺は弓道場に入って、戸を閉めた。
「佐藤君、弓道部に入るの?」
翌朝、広瀬と朝の挨拶を交わした後に、質問をされた。広瀬は自身の席に座って、身体をこちら側に向けながら、俺の答えを待っている。
「いや、期間限定のマネージャーなんだけど……」
「期間限定の? マネージャー?」
「まあ、成り行きで……」
不思議そうに広瀬は俺の言葉を繰り返していたが、小さく笑い出した。
「前にもこんなことあったよね」
広瀬の歯並びの良い歯が見える。
広瀬が口にした「こんなこと」が思い当たらず、考え込む俺に広瀬がヒントをくれる。
「野球部」
それでも俺は思いつかない。
広瀬の顔を直視できない俺は、広瀬の二の腕付近に視線をうろうろさせながら、少ない広瀬との思い出の棚を引き出すが、「野球部」と結びつかない。しかし、中学の頃の俺の忘れたい思い出に「野球部」の単語が結びつくものがあった。でもそれは、広瀬が知っているはずがない。そう思って、ちらっと広瀬のうるおいのある瞳に目線を合わせる。そうすると広瀬は、反射的に微笑むので、俺はすぐさま目線を外してしまう。
違ったら恥ずかしいが、それしか思いつかなくなってしまったので、恐る恐る口に出す。
「もしかして、代打の……?」
「そう!」
広瀬は嬉しそうに両手を合わせて喜ぶ。
まさか正解するとは思わなかった。
恥ずかしい思い出を、広瀬も共有している事実に耳から全体的に熱くなり、右手で顔を覆う。
「私、佐藤君のこと、その印象が強くって」
広瀬は懐かしいそうにニコニコしている。広瀬の可愛い笑顔が見られた喜びと、俺の恥ずかしい記憶を思い出した羞恥心が交じり合って、少し頭が痛くなった。
俺の恥ずかしい思い出は、広瀬と隣の席になる前の頃の話だ。中学の頃、なにかと一緒に居ることが多い林という同級生がいた。その林は野球部に所属しており、試合が行えるギリギリの部員数九人のうちの一人だった。毎日楽しそうに練習をしていたので、時々、教室の窓から眺めるのが少し好きだった。
「で、監督同士で盛り上がってさ、南中との試合が来月にあるんだよ」
困ったことになったと前置きしたくせに、林の顔は朗らかで、牛乳パックを片手に話している。
「良かったな」
俺は、弁当のメインであるからあげを頬張りながら、適当に相槌を打つ。母さんのからあげは通常のからあげ二つ分ぐらいでかい。
「おい、佐藤、話聞いてたか? 南中って言ったら俺らの中学と違って、野球専用グランド保有してたりするガチ校なんだぞ?」
林が、指を差しながら俺に力説するので、その指を払いながら答える。
「聞いてたって。監督の腐れ縁が南中の監督で、酒の席の約束事が本当になったんだろ?」
「そー! 俺ら九人しかいない弱小チームだっていうのに」
林はニコニコしながら購買部で買ったメロンパンを食い始める。持参した弁当も俺のより一回り大きいくせに、足りないらしい。林の一口は大きいため、開けたばっかりのメロンパンも俺が目を離せば、すぐに無くなる勢いだった。
「……良かったな」
「だから、話聞いてるか~~?」
林は俺にずいっと顔を近づけて、同じツッコミをするので、一緒に笑った。
林が所属している北第一中学校、通称北中の野球部は、去年まで部員数が七人だったために、今年から公式試合が出来るというだけで、野球部は全員浮足立っていた。ただ、皆口をそろえて「監督同士が盛り上がったからしょうがなく」と言う。今まで公式試合をしていない俺たちが勝てるわけない、歴然とした差があることは承知の上、という誰に向けてか分からないアピールなのだろう。しかし、どの部員も初めての公式試合に近しい練習試合を楽しみにしていたのは確かだった。密かに野球部の練習を見学していた俺もなんだか嬉しかった。
だから、あの時、俺は思わず後先考えずに口に出してしまったのだった。
「え?」
南中との練習試合二週間前の昼休み、部活のミーティングから帰ってきた林がひどく落ち込んでいたので、おそるおそるなにかあったのかを訊くと、林の口から「公式試合出来なくなるかもしれない」と小さな声でポツリと言われ、俺自身も茫然としてしまった。
「……どうして?」
俺よりも落ち込んでいる当の本人に理由を話させるのは忍びないと頭を過ったが、どうして無くなったのかという事実を知りたい欲が勝ってしまった。
「……赤松が体育の授業で足ケガしたんだ」
野球部の一年生である赤松が、体育のハードルの授業で足を怪我したという、誰のせいでもないが、やり切れない想いが俺自身にも渦巻いて、ただ「そうか」としか言えなかった。
どの程度のケガなのかは分からず、早退して病院に行った赤松からの連絡待ちだという。
俺はぼーっとしながら教室のいつもの席で、野球部の練習を窓枠に腕を乗せて、眺めていた。やはり野球部全体敵にも覇気が無いように見えた。
「はよ~」
翌日の登校中、林から肩を叩かれながら挨拶をされた。後ろを振り向くと、笑った林が立っていた。
「おー」
笑顔ではあったが、漠然といつもと違う違和感があり、林からの次の言葉を待つ。
「……赤石さ、膝の骨にヒビが入ってるらしい」
「そっか」
俺らは並んで、周囲の明るい話し声にギリギリかき消されないほどの声の大きさで、会話をしながら、他の生徒と同じように学園へ向かう。
「でもさ、野球部全員沈んでたら、赤石責任感じると思ってさ~!」
林はパッと顔を上に向けて、明るい声色で話す。
「そうだな……」
「うん」
「……林のくせにいいヤツだなあ」
やはりしんみりしてしまうので、俺は林の方を向いてにやりと笑って茶化す。
「まあな~」
それに乗っかるように林も笑いながら、俺を横から小突きながら言う。
「はは、俺よく野球部の練習見てるから、助っ人で入ってやろうか?」
「いらねー……よ……いや?」
一緒に歩いていたはずの林の姿が隣から居なくなっているのに気づき、後ろを振り向く。林が足を止めていた。
「おい? ……ッうわ」
勢いよく林が俺の両肩をがっしり掴んで、目をキラキラさせていた。
「……え?」
「それだよ! 佐藤!」
「それって、え、なにが?」
「佐藤! 助っ人に入ってくれ!」
俺の冗談で、林が元気になったのは嬉しかったが、その軽率な発言を後々恨むことになる。
「……な、なんで広瀬がそのこと知ってるの?」
「佐藤君、野球部の練習よく教室から見てたから……。あと、多分、その試合から帰った電車で野球部のこと見かけてたの」
「レンシュウ、ヨクミテタ…?」
広瀬がそこまで俺のことを知っているとは思わず、カタコトで反復してしまった。
「あ、なんかストーカーみたい、私」
照れ戸惑う広瀬に必死に「そんなことはない」と否定して、広瀬の話す一言一句を漏らさないように神経を研ぎ澄まして聞く。
「その、助っ人と、期間限定のマネージャーって、また困った誰かを助けてるのかなって思って」
広瀬は柔らかそうな栗色の髪の毛を耳に掛けながら話す。
心臓の鼓動が激しくなる。
二ノ宮のルートを潰したことで、俺へのルートが開かれたのか?
体温もどんどん上がっているような気がする。伏せられていた広瀬の瞳がこちらを向いたのを皮切りに俺は自然に口を開いた。
「広瀬、今日一緒に」
「遅れてすまん、HR始めるぞ」
俺の熱のこもった誘い文句は、教室に入ってきた担任の声にかき消され、やはり俺の目の前にはデバック隊が「役割違反」が書かれた手持ち看板を掲げていた。俺の視界には黒衣――デバック隊以外、何も見えなかった。
日直の「起立」の声にデバック隊は消え去る。
俺の熱も冷めていた。
二ノ宮は疲れた笑顔で、的場の霞的を見つめていた。弓道場には、二ノ宮と広瀬以外誰もおらず、夕日が二人の影を作っていた。矢道側の射場に立つ二ノ宮に対して、入り口付近の射場にて、正座をしながら二ノ宮の言葉を聞いていた広瀬が口を開く。
「……先輩が、決めて、いいと思います」
「え?」
振り返った二ノ宮は、決意が込められたような真っ直ぐな広瀬の瞳を見て、たじろぐ。
「私、無責任な、こと、言います」
広瀬の両膝の上で固く握られている両手は少し震えていた。
それでも広瀬は、二ノ宮の瞳をまっすぐ見つめながら言った。
「なにもかもが面倒くさいって話す先輩も、私は好きです」
二ノ宮も真っすぐに己を見る広瀬から目を背けない。
「先輩のご両親、先生、周りの……大人たちの言うことが正しくないなんて、私も、思いません。でも、先輩が自分自身で考えて、選んだものを否定する大人って、本当に、私たちのためを思って、いるんでしょうか?……それぞれ、自分自身が歩んできた道しか経験が無いのに、どうして、こうするべきだ、なんて言い切れるんだろうなって…。勝手に期待しといて、期待通りじゃないから幻滅してくるなんて、そんなの、面倒くさくて当然です。窮屈だと思うの当たり前です! 先輩はっ…………」
広瀬はヒートアップした自分自身に気付き、「言い過ぎた」と顔をこわばらせ、手を口に当てて勢いよく立ち上がる。
「す、すみません、失礼しますっ」
「待って!」
広瀬が焦りながら弓道場の戸に扉に向かおうとした瞬間、二ノ宮の切羽詰まった声が弓道場内に響く。そしてすぐに静寂が訪れる。風の音も鳥の鳴き声も聞こえない。
広瀬は二ノ宮の言葉通り身体を縮こませ立ち止まる。
二ノ宮が一歩踏み出したせいでぎしっと的場の板が鳴る。
「……そっか、僕、もういいんですね」
ゆっくり振り向いた広瀬の目の前にいる二ノ宮は、いつもの完璧で堂々とした「二ノ宮先輩」ではなく、今にも泣き出しそうなただの18歳の男子高校生、二ノ宮宗吾だった。
二ノ宮はゆっくりと広瀬に近づいて、戸惑いがちに広瀬へ手を伸ばす。そのまま二ノ宮は広瀬を抱きしめる。
広瀬は、二ノ宮の胸の激しい鼓動音を聞きながら、二ノ宮の背中に手を回した。
けたたましい目覚まし時計の音に、ゆっくりと目を開く。
「……ひどい、夢だ」
これほど目覚めの悪い朝を迎えたことが無かった。うるさい目覚まし時計を、緩慢な動きで止める。
やけにリアルな夢は、最近広瀬から尋ねられた三人のうちの一人である二ノ宮先輩と、広瀬の二人にとって大事なシーンのようなものだった。
寝る前には無かった知識――広瀬と二ノ宮先輩がどのように親密になって、恋人同士になるのかの過程が、しっかりと脳に刻まれていた。言うなれば、広瀬と二ノ宮先輩の二人の恋愛映画を観終わった後のようだった。
最悪だ。
何が悲しくて好きな女の子と、俺とは似ても似つかない、雄としての優秀さを感じる男との恋愛模様を知らなければいけないのか。
……今、自然と俺は「知る」と表現したが、この恋愛物語は実際に起きる出来事なのか?
サーっと血の気が引いた気がする。
昨日は、恋愛シュミレーションのような世界だと突飛な事を考えた自分自身を「そんなことあるわけない」と馬鹿にした。
しかし、それでも俺は、心のどこかで否定しきれない自分がいることも気付いていた。
「席付け~始めるぞ」
数学の教師が、教室に入りながら発した言葉に反応するように、日直の号令がかかる。作業的に挨拶をして、授業が始まる。
俺の机の上にある教科書は、教師が示したページではないところを開いている。
元々あった二ノ宮の情報が、今朝の夢のせいかアップデートされている。その情報だと、広瀬と二ノ宮の出会いイベントは既に始まっているようだった。
俺が広瀬を帰りに誘おうとしたあの日の朝、早起きした広瀬が乗った電車に二ノ宮先輩…いや、二ノ宮も乗っていて、その二ノ宮がハンカチなんてベタなものを落とし、優しい広瀬がそれを拾った。そして広瀬は二ノ宮のハンカチを返しに行こうとしている。
この前、広瀬が、二ノ宮と二ノ宮が所属している弓道部について訊いてきた理由が分かった。ハンカチを届けに行くためだ。
仮に、仮にだが、広瀬が主人公の恋愛シュミレーションの世界だと仮定してみよう。
広瀬は、二ノ宮との出会いのフラグを回収しており、いわば、起承転結の「起」が始まっている。このまま「承」やら「転」に進んでしまえば、今朝の悪夢の再現がその内起きてしまうのだろうと俺の直感が告げる。
………妨害しなければならない。
やっと広瀬に想いを告げるという覚悟を決めたというのに、何も行動せずに広瀬とただの良い友人のまま終わりたくない。というか、足掻くこともさせてくれない、俺にとっての理不尽な世界に腹が立ち始めていた。もし、俺の仮定や直感が正しければ、俺はこの理不尽世界で、広瀬が認知してくれる登場人物には変わりないが、広瀬と恋愛する役割は貰えない、恋愛の手助けをする友人役である。
ふざけるな。
手探り状態ではあるが、俺は、広瀬と二ノ宮の恋愛の過程を知っている。
つまり、先回りして、妨害することも難しくない?
二人が結ばれる世界をぶち壊すことが出来るのではないか?
この情報は友人兼恋愛相談役の俺だから知る情報だと思うが、それを逆手に取って、それ通りに進ませなければいい。
そう考えると、少し希望が見えてきて、荒れていた心が落ち着いてくる。
そうと決まれば、今日から妨害をしていこうと考えるが、ふと、懸念点が頭によぎる。
俺が広瀬を誘おうとすると、必ず黒衣集団が現れるというシステム。あのシステムの法則性をもっと知らなければならない。
「はい、次。佐藤。一二番。……おい佐藤?」
「えっ、はい!」
「十二番」
数学の教師によって、俺の意識は一気に現実世界に引き戻される。ちょっとしたピンチに身体の熱が上昇する。指定された問題の場所が見つからず、嫌な沈黙が流れる。
「おいおい佐藤、真剣な顔して全然、授業聞いてねーのか」
「す、すいません」
「じゃあ隣の広瀬、一二番」
「はい。…ⅹ=四です」
「はい、おっけー。佐藤、次十三、十四続けて当てるから、今度こそ解いとけよ。123ページ。10分後に当てるからな」
数学教師が、問題を解く時間を設けた。ちらっと広瀬の方を見ると、気付いた広瀬と目が合う。口パクで「ごめん」と伝えると、笑って、「ちょっと焦った」と小声で言われた。
広瀬への好きな気持ちが限界突破した。
放課後、広瀬と二ノ宮の「転」のきっかけイベントに目星を付けていた俺は、弓道場に向かって歩いていた。
「転」のきっかけは、弓道部の期間限定のマネージャ―を、広瀬が承諾するところだ。そこから、二人は過ごす時間に比例して、親密になっていく。時期は夏の大会前、場所は弓道部。
そこを妨害すれば、二ノ宮との関係の発展を食い止めることが出来るかもしれない。
今日は四月一七日、金曜日。幸いなことにまだ広瀬は二ノ宮にハンカチを届けに行っていない。つまり、正確に言うと、まだ「起」は終わっていない。とは言っても、広瀬が二ノ宮のハンカチを持っている以上、油断は禁物。勝負は、ここからだ。
俺の頭にある広瀬と二ノ宮の物語では、ハンカチを返してから期間限定マネージャーになるまでに、三度、弓道場でイベントがある。一度目はハンカチを渡しに行った広瀬が弓道部を見学する。二度目は二ノ宮からマネージャーがいなくて困っている話を広瀬が聞く。三度目に広瀬は期間限定マネージャーを二ノ宮から頼まれる。
…つまり、夏の大会前まで、広瀬を弓道場に近づかせないようにすれば、広瀬と二ノ宮の「転」のイベントは発生しないだろうと、仮定した。
念のため、弓道場に向かう前に、なにかしら理由をつけて広瀬に弓道場に向かわないようにと声を掛けようとしたが、案の定、黒衣集団が現れた。引き留めは失敗。
帰りを誘う以外にも黒衣集団が出てきたことで、恋愛に関わることだと全て妨害されるのだろうと定義づける。しかしそうなると、俺は圧倒的に不利になる。くじけそうになるが、ふと思いついた俺の憶測に希望を込め、それを糧に、弓道場に向かった。
——どんな憶測か?
俺から直接、広瀬に接触するのが難しいだけで、何かを介して接触するのであれば、黒衣集団は現れないのでは?というふわふわした憶測だ。
どうにかして弓道部の部員と仲良くなれないだろうか。まだ明確な対策は見つからないが、弓道部員を使って、二人の仲を縮めさせなければいい。
弓道場は校舎から少し離れており、学園内の西に位置し、木々に囲まれた場所にある。弓道場へと続く歩道の横には、園芸部の花壇が連なっており、花壇を挟んで向こう側に、陸上部やサッカー部が使用するグラウンドになっている。まだ誰も弓道場にいないものだと思っていたが、弓道場から矢が的に刺さる音が聞こえる。
木の陰から弓道場を覗くと、丁度弓道着を着た二ノ宮が弓構えをしている場面だった。
二ノ宮宗吾、鉄道事業が主要事業である二ノ宮グループの一人息子でありながら、驕らず優しげな物腰で、男女ともに慕っている人が多い。俺たちの一個上、三年生で生徒会長、成績は常にトップ、加えて181センチの長身に、目鼻立ちがはっきりした小顔で、これほどまでに才色兼備な人物を俺は見たことが無い。広瀬のことが無ければ、すごい人だなとありきたりな感想しか抱いていなかったが、今はただ腹が立つだけだ。
射場に立って、弓構え――右手を弦にかけ、的を見ている弓道着姿の二ノ宮は、悔しいが絵になっていた。弓道着を着ていても分かる程よい筋肉が、圧倒的な魅力強者の風格を醸し出していた。女子顔負けのぱっちり二重に、整えられた眉、鼻筋が通った横顔に女子は見惚れるのだろう。やはり、腹立つ。
どのようにして二ノ宮が広瀬に惹かれていったのか? 俺の脳内にある情報だと、常に周りから完璧を求められている環境の中で、広瀬だけ自分自身の理想を押し付けてこないと気付き、意識し始めるようだった。
広瀬らしいと、俺は誇らしく思う。
二ノ宮の放つ矢が、霞的――白地に大中小三つの黒い円が描かれた的の中心を射った音と同時に声を掛けられる。
「あれ? 佐藤君?」
振り返ると広瀬が立っていた。二ノ宮に気を取られていたせいで、背後から広瀬が近付いていることに気付かなかった。
「お、おー広瀬、どうした?」
「佐藤君こそ。私は二ノ宮先輩に用事で」
「俺は、ちょっと学園内を散歩……?みたいな?」
「ふふ、木に隠れて?」
「ま、まあ……」
「さっきは、ごめんね。先生に突然呼ばれちゃって」
広瀬は俺が木に隠れていることには深く追求せず、さきほど俺が話しかけた件について、申し訳なさそうに謝る。俺は黒衣に邪魔をされ、広瀬は先生に呼ばれたことで会話が続かなかった。
「いや、大丈夫。気にしないで」
俺の返答にホッとした広瀬が、胸辺りで手を組み、少し上目遣いで躊躇いながら訊いてきた。
「……あの、佐藤君にちょっとお願いしたいことがあるんだけど……いい?」
「え、なに?」
「これ、実は、二ノ宮先輩が落としていったハンカチで……。あ、電車で拾ったの! それで、返そうと弓道場に来たんだけど、入りづらくて……。一緒に着いてきてくれないかな? 私、先輩と特に知り合いでも無くて……。出来れば、で、いいんだけど」
広瀬は二ノ宮のものであろうネイビー色のハンカチを見せながら、不安気に訊いてきた。広瀬からのお願いであれば、断るなんて選択肢は無かった。
「も、もちろん、いいよ」
「ほんと? ありがとう!」
二人の「起」イベントを進めてしまうことにはなるが、二人きりではなく、俺も一緒に行くという、俺が知っている「起」イベントとは少し変わった流れにほっとした。
やはり俺起点でなければ、妨害出来る余地はある。
広瀬に直接行動するのではなく、遠回し、今回であれば、弓道部に先回りして、広瀬に見つかるようにすれば、物語に介入、妨害することが可能、ということだ。
か細い希望だったのが明確な希望に変わって、俺の心は晴れやかだ。
しかし、ここからどう動くのが正解なのか?
臨機応変に動くなんて、俺には難しい。
二ノ宮と俺は全く接点がないからこそ、何の心配もなく妨害が出来ると思っていたが、知り合いになってしまったら、妨害する上で面倒なことになるのではないかと危惧する。
そんな不安な俺の状態など全く知らない広瀬は、俺の心の準備が整う前に、弓道部の戸をノックした。
「失礼します」
広瀬が戸を開け、お辞儀をして弓道場に入ると、目の前には先ほど俺が悔しくもかっこいいと思った弓道着姿の二ノ宮が弓を引いていた。射った矢はまたも中心に刺さった。矢が放たれた後もしばらくそのままの姿勢のままだったが、足を閉じ、呼吸を整えてからこちらを見る。
「……なんの御用でしょうか?」
二ノ宮の凛とした声が弓道場に響く。
「えっと、あの、先日、こちらを落としませんでしたか?」
広瀬は恐る恐るハンカチを差し出す。そのハンカチを二ノ宮は一瞥すると、矢道側に近い射場から入口の方まで歩いてきた。間近で見るとより一層、雄の優劣さを感じた。
「ありがとうございます。無くしたと思っていました。……どちらでこれを?」
「駅で先輩が落としたのを見かけたのですが、人込みで見失ってしまって……。それで、佐藤君に弓道部の活動日を教えてもらって、今日になっちゃったんですけど」
突然俺の名前を出されて背筋が伸びる。
「そうだったんですか……えっと」
二ノ宮が広瀬と俺の顔を交互に見る。
「広瀬です」
広瀬が名乗ったので、俺も流れで名乗る。
「佐藤です……」
「広瀬さん、佐藤さんありがとうございます」
二ノ宮がお辞儀をするとミントのような爽やかな香りがした。
匂いまで完璧なんてやめてくれ。
「いえ、それでは失礼いたします」
広瀬と俺はお辞儀をして弓道場を出た。
……あれ、ここのイベントってこんなんだっけ? 確か、弓道の話になって、二ノ宮の方から「少し、見ていきますか?」と広瀬に話を振るイベントだった気がするが……。もしかして知らぬ間に妨害成功していた? 俺、ただ二ノ宮のいい匂いにビビっていただけなんだけど。
予想外の好展開に小さくガッツポーズをした瞬間、弓道場の戸が開いた。広瀬と俺が振り返ると、少し焦ったような二ノ宮の顔があった。
「すみません、お二方。お聞きしたいことがあるのですが……。お二人は藤堂さんをご存じですか?」
二ノ宮の言葉に俺は固まる。藤堂という名は、広瀬が二度目に弓道場を訪れた日、二ノ宮から聞く名のはずだ。
……俺が干渉したせいで、強制的にイベントが進んだ?
目の前にいない黒衣集団と、理不尽なこの世界を恨めしく思った。ただ、黒衣集団が目の前にいたとしても、気味の悪さに手も足も出ない自分を簡単に想像が出来て情けなかった。
「藤堂さん……。私は、違うクラスでほとんど話したことが無いです。佐藤君は?」
「俺もあまり話したこと無いですね……」
藤堂は、弓道部のマネージャーで、突然弓道部に顔を出さなくなるキャラだ。この藤堂のせいで、広瀬が期間限定でマネージャーをすることになる。
「そう、ですか。呼び止めてすみません。ありがとうございます」
二ノ宮先輩は元気無さそうに笑って、戸を閉めた。
「どうしたんだろう、二ノ宮先輩」
「……そうだな」
俺はここで重要なことに気付いた。
広瀬と二人きり。時は放課後。帰りを誘うベストタイミングだということに。
「ひろ」
俺が広瀬に話しかけると同時に、広瀬のスマホが鳴り、お決まりのように黒衣集団が俺の目の前に現れる。そして、俺の両端に一人ずつ黒衣が立ち、それぞれ俺の腕を掴み、広瀬に背を向けて、距離を取る。
「ウワァ!!」
「?!」
電話に出ていた広瀬は、突然叫び出して走り出す俺を見て、呆気に取られていた。広瀬や周りの生徒たちには黒衣集団が見えておらず、変な姿勢で走っている俺の姿しか見えていない。
俺だったら、こんな奇行をする男、近づきたくない。
黒衣集団に学園の最寄り駅まで連れていかれてから解放された。やはり俺は目の前の黒衣集団に悪態の一つも言えなかった。
情けない自分に嫌気がさしたが、感傷に浸っている時間はない。帰宅してからすぐに、打倒・二ノ宮計画を練った。
パターンA
藤堂を弓道部に引き戻す。
そもそもの弓道部の期間限定マネージャーが発生する原因を解消する。
藤堂は二組。広瀬と俺は一組で違うクラスのため、俺は授業が終わる度に廊下に出て、廊下の窓側の壁に寄りかかりながら、二組から藤堂が出てくるかを確認する。常に高めのポニーテールをして小柄な藤堂は目立って、見つけやすかった。
くそ、藤堂のやつ、いつも誰かと一緒にいるな。
「そーんな熱い視線で誰を見てんの?」
杉谷が俺の隣に立ち、俺と同じように壁に寄りかかりながら訊いてきた。
「ちょっと藤堂に用があるんだけど……」
「え? 藤堂? そこにいるから、声掛けに行けばいいじゃん」
杉谷があまり目立たないように腕を組んだ下側の腕の手で、藤堂の方を指さしながら言う。
「……俺が突然女子に話しかけに行ったら勘違いすんだろ」
「は? なんの?」
「なんのって俺の好きなやつが藤堂じゃないのかって勘繰るやつとか……」
俺はだんだん小声になりつつ、ごにょごにょと言うと、杉谷が苦笑いで俺に教えた。
「馬鹿かお前は。既にさっきから藤堂のことガン見してるから、勘違いなんてっとくにされてるぞ」
「は?」
バッと辺りを見渡せば、俺を見ながらヒソヒソ話をしている噂大好きなオーラを放っている女子たちと目が合う。その女子たちは俺にニコッと笑って「応援するね」と言ってきた。
「毎時限終わるたびに藤堂を見ていたら、そりゃ目立つだろ」
「ごっ誤解だ!」
俺の言葉は廊下に響くが、周りの生徒は、俺を生暖かい目で見るだけだった。
「私に何か用?」
背後から声を掛けられた。振り向くと藤堂が立っており、藤堂の印象的な猫目が俺の顔を訝しげに見る。杉谷は関係ない振りをし出して、教室側の壁にある自身のロッカーの方へ逃げていった。廊下には遠巻きに野次馬が出来る。
「俺には好きな人がほかにいる! 勘違いしないでくれ!」
「……は?」
焦った俺は野次馬と藤堂に謎の言い訳をする。野次馬たちからの「なにいってんだよ」「素直になれよ」といった圧に負けそうになる。藤堂はというと、突然、接点がほぼ無い同級生に毎時限ジロジロみられた挙句、勘違いするなと言われたものだから、腹を立てたようで、腕組をしながら、俺を睨みつける。
「貴方の好きな人の有無など、どーでもいいのですけど、毎時限、私を見てくるのはなんですか? 非常に迷惑です」
「き、訊きたいことがあって……」
「訊きたいこと?」
「弓道部のことで! 二ノ宮先輩が藤堂のこと知ってるかって訊かれたから、なにかあったのか知りたくて!」
俺が同じ立場であれば、それほど接点の無い同級生にこんなこと訊かれても、「お前に関係ないだろ」と一蹴してしまうが、二ノ宮の名を出すだけで、「二ノ宮先輩絡みなら気になってしょうがない」といった空気感を出すことに成功してしまう。加えて、色恋沙汰だと思っていた野次馬たちは解散し、今度は「二ノ宮先輩」というワードで興味を持った二ノ宮ファンの野次馬が集まる。
「……もしかして弓道部辞めるの?」
白々しく聞いてみる。
「貴方には関係ないじゃない」
やっぱりそうなるよなと思いつつ、もう一押しすれば事情を聞けるのではないかと頭をフル回転させる。
「な、何か理由があったのかなって……二ノ宮先輩、心配しているようだったし」
俺は出来るだけ、不安そうな声色で訊いてみる。「二ノ宮が心配している」というワードが良かったらしい。藤堂が俯いていた顔をバッと上げ俺を凝視する。その頬は少し赤らめている。
流石、学園一の人気者・二ノ宮。二ノ宮が心配してるっていうだけで女子はヒロインになるようだ。罪な男。広瀬以外と恋に落ちてくれ。
「……るの…」
ボソッと藤堂は呟いた。
「え?」
「私……転校するの」
フリーズ。忘れていた。広瀬と二ノ宮の物語は、二人がメインの物語なのだ。そのため、わき役である藤堂の辞める理由などフォーカスされないし、二人の縮まる流れはなるべく整合性のあるものでなければならない。つまり、ただ部活を辞めさせなければいいなんて愚直な考えでは上手くいくはずがない。やはり深夜に考え事は良くない。転校をひっくり返すのは、一学生の俺には難しすぎる。パターンBに移行した方が良いと判断した俺は、転校する理由などをつらつらと話している藤堂の言葉が右から左へと流れるだけだった。
パターンB
最初の計画通り、夏の大会前まで広瀬を弓道場に近づけさせないようにする。
それだけだ。計画もくそもない
マネージャ―を必要としているのが、藤堂が辞めてから夏の大会までだ。弓道部はマネージャーがいなくてもまだ成り立つ部活だが、藤堂は部員が弓道のみに打ち込めるようにと、部員という立場から準備や手配など雑務を行うマネージャーとして所属するようになったらしい。そのため突然藤堂が抜けると、部員たちにとって夏の大会前に慣れない作業などを行うストレスが発生する。
そこで期間限定のマネージャー。部員たちが、藤堂が行っていた準備などをうまく分担できるようになるまで、期間限定のマネージャーを見つけたいと二ノ宮は考えている。つまり、藤堂が辞めてすぐに期間限定のマネージャーが必要なわけで、時間が経ってしまえば、期間限定のマネージャーの必要性がなくなる。そして、期間限定のマネージャーを広瀬がしなければ、広瀬は二ノ宮との接点が無くなり、恋愛関係に発展などしない。
他の二人も気になるところだが、詳しい情報がある二ノ宮から潰していくのが賢明だと考えた。大体今日から5月末まで広瀬が二ノ宮と接触しなければ、期間限定のマネージャーというイベントを潰すことが出来ると仮定して生まれたのが、パターンB。
六限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、そのままHRに移る。今週、広瀬は教室の掃除当番グループに属している。
俺は先回りして、以前同様、弓道場で待ち伏せをすることにする。昼間は広瀬が二ノ宮と学園内で接触しないように見張るが、学年が違うため接触の確率は低い。そのため、弓道部に近づく確率が高い下校時間が、一番危険だ。何かしらの展開が起こるとしたら、やはり「弓道場」だ。
二ノ宮と広瀬の物語の流れは知っていても、それを妨害するための答えはない。しかも身の回りに起きている奇妙な現象のマニュアルブックなどもない。そうなると、あとは行動あるのみ。
弓道場へと向かう途中、歩道から逸れてレンガが積まれた園芸部の花壇で隠れるように、グラウンド側に背中を向けてしゃがみこむ。丁度、俺がしゃがみこんだ場所は、剪定――樹木の枝を切り、形を整えたりしてある木が等間隔に植わっており、身を隠しやすい。弓道場へと続く道は、校門へと続く道か、校舎や部室が併設されている体育館へ続く道のどちらかで、俺は左右をキョロキョロ見渡す。
早めに来たせいか人の気配が見当たらない。頬杖をついて、花壇を彩っているピンクと白の花をぼんやりと眺める。
俺が直接、広瀬自身に「弓道場に行かないで欲しい」と声を掛けようとしても、黒衣集団に阻止をされる。俺のなにかしらの行動で広瀬自身が弓道場に行かないようするには……。
「えっと、佐藤さんでしたっけ?」
脳内会議をしていると、頭上から声を掛けられる。顔を上げるとそこには弓道着姿の二ノ宮が立っていた。
「ウワッ!!」
「ああ、すみません。突然話しかけてしまって」
驚いた拍子に尻もちをついた俺に、手を差し伸べる二ノ宮。俺は、その手をしばし見てから、おずおずと手を取り立ち上がる。
「あ、ありがとうございます……えっと……?」
俺に話しかけてきた意図を聞こうとすると、二ノ宮は、白い歯を覗かせて微笑むと同時に、艶のある黒髪がふわっと風に踊る。
二ノ宮の一挙一動には、さわやかな風が吹く演出が組み込まれているのだろうか。俺にとって理不尽なこの世界は、二ノ宮にとっては味方なのだ。
「ふと、花壇の方を見たら、頭が見えて。近づいてみれば佐藤さんだったので、つい、声かけちゃいました。真剣な顔でしたけど、なにか考え事でもしてました? 邪魔してすみません」
「ハハハ……逆に驚かせてすみません」
少しだけバツの悪そうな表情をする二ノ宮と乾いた笑いをする俺。
お前と広瀬をどうやって遠ざけるかを考えてたんだよ!
「……どうしてここでしゃがみ込んでいたんですか?」
ギクッと肩を揺らす俺。加えて、広瀬がもし弓道場に来るならばそろそろだ、と焦り出した表情に気付いたのか、二ノ宮が突拍子もないことを口にする。
「それじゃあ、僕も一緒に隠れようかな」
「……は?」
俺の戸惑いなどお構いなしに、狭い等間隔に剪定された間に二ノ宮はしゃがみこむ。俺もしゃがむことを促されたので、戸惑いながらも従う。男二人が花壇を前にして、狭い場所で並んでしゃがみこんでいる。
……なんなんだ、この展開。
「……あの……、二ノ宮先輩、いいんですか……? 部活……」
「良くはないんですけど、実は佐藤君にお願いがありまして」
二ノ宮はにっこり微笑みながら、顔を俺に向ける。
「この前、藤堂さんのこと聞いたじゃないですか? その藤堂さん、実は弓道部のマネージャーで」
「……はあ」
知ってる。
「最近、藤堂さんずっと部活を休みがちで、聞いてもはぐらかされていたので、その理由が知りたくて、お二人に聞いたんです」
「……はい」
俺は、俺の顔から花壇の花に視線を移して話す二ノ宮が、何を考えているのか全く分からず、ただただ相槌を打つことしかできなかった。
「先週の金曜日に、藤堂さん部活に久しぶりに顔を出してくれてですね。それで分かったんですけど、藤堂さん、お家の都合で、弓道部を辞めなきゃいけなくなったんです」
先週の金曜日とは、俺がパターンAを試した日だ。
二ノ宮は目の前のレンガの花壇に手を掛けて、顔をこちらに向ける。
「それで、期間限定のマネージャーを佐藤君にお願いしたくて」
なるほど。
……?
………!?!?
声に出ない驚きで、二ノ宮の顔を見つめる。
「あれ、そこまで驚くことですか?」
二ノ宮は意外そうな顔で、左手で自身のこめかみを掻いている。指も長い。
「いや、だって……」
それは広瀬に言うセリフじゃないですか?!
「あれ……先週、藤堂さんが、佐藤さんから弓道部辞めるのかどうか訊かれた、と話していたので、佐藤さんは弓道部に興味があったのかなーと思いまして……。ただ、入部届で一度も君の名前を見たこと無かったので、マネージャーなら興味あるのかと思って、声かけてみました」
二ノ宮は俺の狼狽え具合に苦笑している。
「……ふふっ、すみません。僕の勘違いだったら、驚きますよね。藤堂さんの話が突然で……。藤堂さんの早退と欠席の理由も、その時教えてもらったんですが、両親を説得するためだったらしいんです。結果は、やっぱり駄目だったんですけど……。残念ですけど、藤堂さん正式に退部することになったんです。それで、僕たち結構、藤堂さんにマネージャーとして頼りきりだったところもあったので、部員全員が、藤堂さんがされていた仕事に慣れるまで……そうですね、夏の大会まででもいいので、マネージャーになってくれる方を探してるんです」
ゆっくりと、高すぎず低すぎずの丁度良い音の高さの声である二ノ宮の『期間限定マネージャー』の説明。
俺のパターンAが無駄でないことに感動していた。
パターンAのおかげで広瀬より先に声を掛けてきたってことか?役に立ったってことか?
二ノ宮がすっと立ち上がって、眉根を寄せて言った。
「突然すみませんでした。聞かなかったことにしてください。僕は部活に戻ります。それじゃあ」
俺は立ち上がった二ノ宮を見上げた際、目の端に広瀬の姿を捉えた。
このままじゃ、広瀬が、マネージャーになるかもしれない。
広瀬と二ノ宮が抱き合っている場面を思い出す。
俺は考えるよりも先に口にしていた。
「あの」
「はい?」
俺は立ち上がって、弓道場に戻る二ノ宮を引き留めていた。
「期間限定マネージャー、俺で良ければ」
ここで、俺が、マネージャーを引き受ければ、広瀬はマネージャーを引き受けずに済む。
これは悪手じゃない。
「え、ほんとですか?」
「……はい」
少し遠いところで広瀬が俺と二ノ宮が話している光景に首をかしげている。
二ノ宮は突然の俺の申し出に、目を丸くしていたが、少し間を開けてから、にっこりと微笑んだ。
「助かります、ありがとう。それじゃあ、今日からでもお願いできますか? 藤堂さんもまだいるので、その間に藤堂さんから色々と教わってもらえればと思います」
安堵した表情の二ノ宮が、弓道場の戸を開けながら俺に話す。弓道場に足を踏み入れながら、先ほど目の端で捉えた広瀬がいた場所に顔を向けると、きょとんとしている広瀬と目が合った。俺は苦笑しながら手を振ると、広瀬もおずおずと手を振り返してきた。それを確認して、俺は弓道場に入って、戸を閉めた。
「佐藤君、弓道部に入るの?」
翌朝、広瀬と朝の挨拶を交わした後に、質問をされた。広瀬は自身の席に座って、身体をこちら側に向けながら、俺の答えを待っている。
「いや、期間限定のマネージャーなんだけど……」
「期間限定の? マネージャー?」
「まあ、成り行きで……」
不思議そうに広瀬は俺の言葉を繰り返していたが、小さく笑い出した。
「前にもこんなことあったよね」
広瀬の歯並びの良い歯が見える。
広瀬が口にした「こんなこと」が思い当たらず、考え込む俺に広瀬がヒントをくれる。
「野球部」
それでも俺は思いつかない。
広瀬の顔を直視できない俺は、広瀬の二の腕付近に視線をうろうろさせながら、少ない広瀬との思い出の棚を引き出すが、「野球部」と結びつかない。しかし、中学の頃の俺の忘れたい思い出に「野球部」の単語が結びつくものがあった。でもそれは、広瀬が知っているはずがない。そう思って、ちらっと広瀬のうるおいのある瞳に目線を合わせる。そうすると広瀬は、反射的に微笑むので、俺はすぐさま目線を外してしまう。
違ったら恥ずかしいが、それしか思いつかなくなってしまったので、恐る恐る口に出す。
「もしかして、代打の……?」
「そう!」
広瀬は嬉しそうに両手を合わせて喜ぶ。
まさか正解するとは思わなかった。
恥ずかしい思い出を、広瀬も共有している事実に耳から全体的に熱くなり、右手で顔を覆う。
「私、佐藤君のこと、その印象が強くって」
広瀬は懐かしいそうにニコニコしている。広瀬の可愛い笑顔が見られた喜びと、俺の恥ずかしい記憶を思い出した羞恥心が交じり合って、少し頭が痛くなった。
俺の恥ずかしい思い出は、広瀬と隣の席になる前の頃の話だ。中学の頃、なにかと一緒に居ることが多い林という同級生がいた。その林は野球部に所属しており、試合が行えるギリギリの部員数九人のうちの一人だった。毎日楽しそうに練習をしていたので、時々、教室の窓から眺めるのが少し好きだった。
「で、監督同士で盛り上がってさ、南中との試合が来月にあるんだよ」
困ったことになったと前置きしたくせに、林の顔は朗らかで、牛乳パックを片手に話している。
「良かったな」
俺は、弁当のメインであるからあげを頬張りながら、適当に相槌を打つ。母さんのからあげは通常のからあげ二つ分ぐらいでかい。
「おい、佐藤、話聞いてたか? 南中って言ったら俺らの中学と違って、野球専用グランド保有してたりするガチ校なんだぞ?」
林が、指を差しながら俺に力説するので、その指を払いながら答える。
「聞いてたって。監督の腐れ縁が南中の監督で、酒の席の約束事が本当になったんだろ?」
「そー! 俺ら九人しかいない弱小チームだっていうのに」
林はニコニコしながら購買部で買ったメロンパンを食い始める。持参した弁当も俺のより一回り大きいくせに、足りないらしい。林の一口は大きいため、開けたばっかりのメロンパンも俺が目を離せば、すぐに無くなる勢いだった。
「……良かったな」
「だから、話聞いてるか~~?」
林は俺にずいっと顔を近づけて、同じツッコミをするので、一緒に笑った。
林が所属している北第一中学校、通称北中の野球部は、去年まで部員数が七人だったために、今年から公式試合が出来るというだけで、野球部は全員浮足立っていた。ただ、皆口をそろえて「監督同士が盛り上がったからしょうがなく」と言う。今まで公式試合をしていない俺たちが勝てるわけない、歴然とした差があることは承知の上、という誰に向けてか分からないアピールなのだろう。しかし、どの部員も初めての公式試合に近しい練習試合を楽しみにしていたのは確かだった。密かに野球部の練習を見学していた俺もなんだか嬉しかった。
だから、あの時、俺は思わず後先考えずに口に出してしまったのだった。
「え?」
南中との練習試合二週間前の昼休み、部活のミーティングから帰ってきた林がひどく落ち込んでいたので、おそるおそるなにかあったのかを訊くと、林の口から「公式試合出来なくなるかもしれない」と小さな声でポツリと言われ、俺自身も茫然としてしまった。
「……どうして?」
俺よりも落ち込んでいる当の本人に理由を話させるのは忍びないと頭を過ったが、どうして無くなったのかという事実を知りたい欲が勝ってしまった。
「……赤松が体育の授業で足ケガしたんだ」
野球部の一年生である赤松が、体育のハードルの授業で足を怪我したという、誰のせいでもないが、やり切れない想いが俺自身にも渦巻いて、ただ「そうか」としか言えなかった。
どの程度のケガなのかは分からず、早退して病院に行った赤松からの連絡待ちだという。
俺はぼーっとしながら教室のいつもの席で、野球部の練習を窓枠に腕を乗せて、眺めていた。やはり野球部全体敵にも覇気が無いように見えた。
「はよ~」
翌日の登校中、林から肩を叩かれながら挨拶をされた。後ろを振り向くと、笑った林が立っていた。
「おー」
笑顔ではあったが、漠然といつもと違う違和感があり、林からの次の言葉を待つ。
「……赤石さ、膝の骨にヒビが入ってるらしい」
「そっか」
俺らは並んで、周囲の明るい話し声にギリギリかき消されないほどの声の大きさで、会話をしながら、他の生徒と同じように学園へ向かう。
「でもさ、野球部全員沈んでたら、赤石責任感じると思ってさ~!」
林はパッと顔を上に向けて、明るい声色で話す。
「そうだな……」
「うん」
「……林のくせにいいヤツだなあ」
やはりしんみりしてしまうので、俺は林の方を向いてにやりと笑って茶化す。
「まあな~」
それに乗っかるように林も笑いながら、俺を横から小突きながら言う。
「はは、俺よく野球部の練習見てるから、助っ人で入ってやろうか?」
「いらねー……よ……いや?」
一緒に歩いていたはずの林の姿が隣から居なくなっているのに気づき、後ろを振り向く。林が足を止めていた。
「おい? ……ッうわ」
勢いよく林が俺の両肩をがっしり掴んで、目をキラキラさせていた。
「……え?」
「それだよ! 佐藤!」
「それって、え、なにが?」
「佐藤! 助っ人に入ってくれ!」
俺の冗談で、林が元気になったのは嬉しかったが、その軽率な発言を後々恨むことになる。
「……な、なんで広瀬がそのこと知ってるの?」
「佐藤君、野球部の練習よく教室から見てたから……。あと、多分、その試合から帰った電車で野球部のこと見かけてたの」
「レンシュウ、ヨクミテタ…?」
広瀬がそこまで俺のことを知っているとは思わず、カタコトで反復してしまった。
「あ、なんかストーカーみたい、私」
照れ戸惑う広瀬に必死に「そんなことはない」と否定して、広瀬の話す一言一句を漏らさないように神経を研ぎ澄まして聞く。
「その、助っ人と、期間限定のマネージャーって、また困った誰かを助けてるのかなって思って」
広瀬は柔らかそうな栗色の髪の毛を耳に掛けながら話す。
心臓の鼓動が激しくなる。
二ノ宮のルートを潰したことで、俺へのルートが開かれたのか?
体温もどんどん上がっているような気がする。伏せられていた広瀬の瞳がこちらを向いたのを皮切りに俺は自然に口を開いた。
「広瀬、今日一緒に」
「遅れてすまん、HR始めるぞ」
俺の熱のこもった誘い文句は、教室に入ってきた担任の声にかき消され、やはり俺の目の前にはデバック隊が「役割違反」が書かれた手持ち看板を掲げていた。俺の視界には黒衣――デバック隊以外、何も見えなかった。
日直の「起立」の声にデバック隊は消え去る。
俺の熱も冷めていた。
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