堪忍袋の緒が切れて、ちょっと投げ飛ばしただけなのに ~異世界恋愛短編集~

貴様二太郎

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臆病な私と鈍感なあなたの、失ってから始める物語

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 薄れゆく意識の中、脳裏をよぎったのはあの日の少年の笑顔だった。
 12歳のとき、地獄のような場所から助けてくれた人。そのまま私を連れて、遠くの町まで逃がしてくれた人。そこで冒険者として独り立ちできるよう、鍛え支えてくれた人。
 強くて、かっこよくて、やさしい。私のヒーロー。

「本当に……好きだったんだよ」

 何度好きだと伝えても、「俺も好きだぞ。カリーナは妹みたいなもんだからな」なんて言葉しかくれなかったけど。

「どうか、幸せに……」

 嘘。幸せになんてならないで。少しの間でいいから、私のことを想って。忘れないで。傷になって。

「ばいばい、ミラク」

 もし次があるなら……次は、好きにならないようにするから。だから、あと少しだけ。もう少しだけ、好きでいさせて……


 ※ ※ ※ ※


 10歳の誕生日、たったひとりの家族を失った。
 私の誕生日だからって張り切って町へ行ったお父さんはその日、夜になっても帰ってこなくて。翌日、町で強盗に遭って亡くなったという連絡が入った。
 お母さんは知らない。物心ついたころにはいなかった。男と村を出てったって村の人たちが話してるのを聞いたことはあるけど。お父さんには聞けなかった。

 保護者のいなくなった10歳の子ども。でも、小さい村には孤児院なんてものはない。だから私は、町に住んでいた叔父夫婦に引き取られることになった。
 そこで出会ったのがミラクだった。集合住宅の隣の部屋に住んでいたミラクは私より6歳年上で、すでに冒険者として自立していた。

 叔父夫婦にとって私は、穀潰しの厄介者でしかなかった。自分の食い扶持は自分で稼いで来い、引き取ってやったんだから家事くらいやれと言われこき使われる日々。
 10歳の子どもがなんの伝手つてもなく、どうやって稼ぐと言うのか。あの人たちはむちゃくちゃだ。でも、金を持って帰らないと殴られた。だから私は毎日地面を舐めるように見つめ、落ちている小銭を必死で探していた。

「おい、そこの子ども。おまえ、毎日毎日何してんだ?」

 町へ来て7日目。ふらふらと地面を見ながら歩いていたボロボロで小汚い子どもに声をかけてきた奇特な少年。それがミラクだった。

「……お金、探してる」
「なんで?」
「お金ないと、家に入れないから」

 私の答えに盛大に顔をしかめたミラク。その後は根掘り葉掘り私の事情を聞き出し、叔父夫婦に憤慨してくれた。けれどミラクもまだ自立したばかりの少年。当時の私を助けられるほどの力はなかった。
 だというのに、彼は私を見捨てなかった。せめてもの手助けだと言って、ミラクのお手伝いという仕事を与えてくれた。その収入のおかげで殴られることは少なくなった。

 そんな生活が2年続き、私はどうにか12歳になった。ただ、その少し前から叔父の様子がおかしくなっていて、私は言いようのない居心地の悪さを覚えていた。
 そしてあの日、叔母が用事で数日家を空けることになった日――私は叔父に襲われた。

「この変態クソ野郎‼」

 けど、たまたま家にいたミラクが異変を察知して、ドアを蹴破って助けに来てくれた。私を押さえつけてた叔父を引き剥がすと思い切り壁に叩きつけ、そのまま気を失った叔父を放置し、ミラクは私を連れて町を出た。

 あれから三年。私は15、ミラクは21になっていた。
 ミラクのおかげで私もなんとか冒険者として収入を得られるようになっていて、彼には本当に感謝してもし足りない。

「ミラク、大好き」
「俺も好きだぞ。カリーナは妹みたいなもんだからな」

 毎日毎日、あの日から私はミラクに大好きだと伝えてる。けど、ミラクには全然伝わってないみたいで、いつもいつも流されてる。

「カリーナの『大好き』はもう、『おはよう』くらいの軽さになってんの」
「そんな! こんなに毎日愛を込めて伝えてるのに‼」

 冒険者ギルドの中にある酒場のテーブルで向かい合ってるのは、この町に来て初めてできた冒険者仲間兼女友達のタラゼド。彼女は私より3つ上の18歳。エールのジョッキをぐいっとあおると、「もはや挨拶にしか聞こえないもん」と冷めた声で言い切った。

「だって、気持ちは黙ってても伝わらないって聞いたんだもん。だから毎日伝えてるのに」
「カリーナの大好きは軽過ぎんの。そもそもさ、本当にちゃんと伝える気あんの? 本気で言ってフラれるのが怖くて、冗談に聞こえるように言ってるようにアタシには聞こえるんだけど」

 タラゼドの言葉に思わず言葉を詰まらせてしまった。

「ちょっとの間さ、距離置いてみたら? アンタたち、近過ぎるんだよ」
「距離置くっていっても、ミラクと私の家、隣だし」
「物理的な距離じゃなくて。とぼけんな。ホントはわかってんでしょ」

 タラゼドってば本当にいつも鋭い。はぐらかそうとしても逃げられないんだよなぁ。

「あと、本気だったらさ、ちゃんと伝えなよ。それをはぐらかすようだったら、アタシがミラクの野郎シメてやるから」
「……うん」

 本当は伝わらないことにほっとしてた。今のミラクとの関係を壊すのが怖かったから。だって、もしフラれちゃったら、私はこの先どうしたらいいかわからない。
 ――なんて。臆病風に吹かれてうずくまってる間に、恐れていたことが現実となってしまった。

「聞いてくれよ、カリーナ! とうとうあの高嶺の花、ギルド受付のベネトナシュさんをデートに誘うことに成功したんだ」
「わ……わぁ、すごいね! おめでとー」
「まあ、まだ初めてデートに誘えただけだけどな」

 どうやって帰ってきたんだろう。気がついたら、いつの間にか真っ暗な部屋の中に立ってた。下町にある集合住宅の一室。半年前に独り立ちして手に入れた自分の城。ミラクの隣の部屋。

「バカだなぁ、私」

 友達が忠告してくれてたのに。怖がって、動かないで、チャンスを失った。
 
 
 ※ ※ ※ ※


 あれからミラクは何度かベネトナシュさんとデートしたらしい。「次のデートで告白するんだ!」って、昨日、嬉しそうに報告してきた。

「ねえ、カリーナ。最近アンタ、ちょっと仕事詰め込みすぎじゃない?」

 ギルド受付に依頼完了報告に来たところで、心配顔のタラゼドに捕まった。

「うーん、でも危険度の低い採取とか調査ばっかだから大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃない。そういう油断、命取りになるよ」

 真剣な顔で心配してくれるタラゼドに、ちょっとだけ心がふわって温かくなる。

「心配してくれてありがと。でも今はちょっと、何も考えたくないっていうか」
「そういう逃げ方すんな。それでもしものことが起きたら、アンタは少なくともふたりの心を傷つけるんだよ」

 思わず「ふたり?」と聞き返すと、タラゼドはうなずいた。

「アタシとミラク。カリーナにもしものことがあったら、アタシたちは傷つく」
「……傷、つく」

 タラゼドの言葉に、それもいいなって思いが浮かんできて。

「このバカ!」
「いたっ⁉」

 脳天に勢いよくチョップを落とされた。

「悲劇のヒロインに酔うな。ちゃんと前を向け。そんな顔するくらいなら告白して玉砕してこい」
「タラゼドってば容赦ないー!」
「はい、今日は仕事おしまい。明日も休み。ほら、失恋おめでとうやけ食いパーティーに付き合ってやるから」
「せめて玉砕してからにしてよー! ……ごめんね、ありがと」

 12歳から続いた初恋は間もなく砕けそうだけど、なんか少しだけ心が軽くなった気がした。ミラクだけじゃない。私に手を差し伸べてくれる人は他にもいるんだって、わかったから。

 失恋(仮)おめでとうやけ食いパーティーから3日。だいぶスッキリした私は、仕事再開のためにギルドに来ていた。

「お、カリーナ。なんか久しぶり?」
「おはよう、ミラク。4日ぶりだね」

 前までは私がミラクを追いかけてたから毎日顔をあわせてた。けどこの4日間、私はミラクを追いかけるのをやめてたから。それで思い知った。私が合わせないと、ミラクとはこんなにあっさり会えなくなるんだなって。告白するまでもなく、私の一方通行だったんだなって。

「どの依頼受けんの?」
「このちょっと珍しい薬草の採取にしよっかなって」
「場所は……低層か」
「うん。危険度も低いし、ひとりで行くにはちょうどいいかなって」

 大丈夫。ちゃんと普通に話せてる。まだちょっと心臓がぎゅってなるけど、大丈夫。

「俺も護衛で一緒に行こうか?」
「大丈夫だって。低層の採取依頼に、魔術剣術両刀の凄腕魔剣士の護衛なんていらないよ。それにもう、何もできなかった子どもじゃないんだから」
「……まあ、それはそうなんだけど。なんていうか、ここんとこカリーナと会えなかっただろ。いつもの『大好き』も聞けねーしさ、なーんか調子狂うっていうか、心配っていうか」

 やめて。やめてよ。そういうこと言わないで。私バカだから、また期待しちゃうじゃん。

「あのね、ミラクはもう、ベネトナシュさんとお付き合い始めたんでしょ? そんな恋人のいる人に『大好き』なんて軽々しく言っちゃダメなんです」
「そういうもんか? でもカリーナは妹みたいなもんだし、お前の『大好き』はもはや挨拶みたいな?」
「私は妹じゃないし、そういうもんなんです! ミラクってばいつまでもお子様なんだから」

 大丈夫。冗談っぽく誤魔化すのは慣れてる。だって、そうやってずっと逃げてたんだもん。大丈夫。いつか本当に笑えるようになるから。だから、もう少しだけ、今だけ強がらせて。

「でも、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だってば。もー、ミラクってば心配性」

 笑って、いつも通り手のかかる妹分としての仮面を被って。最後までなんとか笑顔を保って。

「あ、そうだった! カリーナ、今日誕生日だろ」

 そう言うとミラクは、きれいにラッピングされた長細い箱を差し出してきた。

「覚えててくれたんだ……しかもプレゼントまで、ありがとう」
「当然だろ。かわいい妹分のめでたい日だぞ。これ渡したかったから探してたんだよ。朝カリーナの家行ったらもういなくて焦ったし。ほら、早く開けてみろって」

 これのためにわざわざ私を探してくれたんだ。そっか、だから今日は会えたんだ。
 それにしても今のミラクってば、なんか褒められるのを待ってる犬みたい。

「わぁ、きれい……!」

 箱から現れたのは、ミラクの目みたいな、透き通った空色の石のペンダントだった。

「つけてやるよ」
「え!? いやいや、自分でつけるから」

 なんか……ちょっとありえなくない? いくら恋愛対象として見てないからって、乙女に対して色々ひどい。あと、そういうのは恋人に対しても不誠実だと思う。
 前々から思ってたけど、ミラクってばこういうことに対しての言動がかなり雑なんだよね。

「やっぱりな! カリーナにはこの色が似合うと思ってたんだよ。改めて、16歳おめでとう」

 でも、ミラクはいつも褒めるときは嘘偽りなく心から褒めてくれる。だからミラクに褒められると素直に嬉しい。
 ただ、ミラクって男女の機微ってやつがあまりわかってないみたいで、ちょっと……だいぶ距離感おかしかったり、配慮が足りなかったり、思うところは色々、本当に色々あるんだけど……。でも、そういうところ差し引いても、私はミラクのことが好きで。むしろダメなところも、仕方ないなぁってかわいく見えちゃう。我ながらバカだなって思うけど、これはもう惚れた弱みってやつでどうにもならない。

 そんなミラクと別れた直後、ねぎらいの言葉と共にタラゼドが現れた。

「あの無神経思わせぶり鈍感野郎……カリーナ、お疲れ」
「ありがと」

 辛いときさりげなく寄り添ってくれるって、これ、タラゼドが男の子だったら新しい恋に発展してたんじゃない? ……なんて一瞬思ったけど、タラゼドはやっぱり女の子がいいや。恋人じゃなくて、友達としてずっと一緒にいたい。いられたらいいな。


 ※ ※ ※ ※


 この世界にはダンジョンと呼ばれる、不思議な迷宮がいくつか存在する。
 誰が生み出したのかとか、どういう目的でそこにあるのかとか、謎しかない不可思議な迷宮。中に入ると、地下に潜ったはずなのになぜか空があったり、空の代わりに水面があったり、私たちの世界の常識では理解できないような構造をしてる。
 だからこそ、そんなダンジョンには地上では手に入らない貴重なお宝や植物、モンスターから採れる素材なんかがあって、すでにそれらは私たちの生活になくてはならないものになっていた。

 現在までに最深部へ到達した人はまだ存在していない。そもそも、どのくらいの深さなのかもわかってない。
 ひとまず地下5階までの低層は攻略済みで、地図も作られてる。6階からの中層は凄腕の攻略組が日夜探索してるけど、いまだ終わりが見えないらしい。
 ちなみに低層は、私みたいなへなちょこ冒険者でも油断しなければ十分攻略できる。

 今回受けた依頼は、この低層での薬の原料採取。ひとりでも余裕だったんだけど、「報酬はいらないから同行させて」ってタラゼドがついてきた。
 なんかすごい心配させちゃってるみたいで、ちょっと申し訳ない。あと報酬いらないって、それは私の良心が痛む。なので今夜、私の誕生日祝いを今日の依頼料でやろうってことで落ち着いた。

「3階まではモンスターいないから楽勝~」
「こーら、油断大敵。で、依頼品、全部採取できた?」
「あとひとつで終わり。あ、あったあった! 取ってくるー」

 ちょっと先の岩場に目的の苔を見つけた。あれ採ったら今日のお仕事は終了。夕飯はせっかくの誕生日だし、タラゼドと一緒だし、いつもよりちょっとだけ奮発しちゃおっかな。

「え⁉」

 なんて、夕飯へ思いを馳せてたのがいけなかったのか。
 目的の岩場、その一歩手前。なんてことない、ただの雑草が茂った地面。

「カリーナ‼」
「タラゼ――」

 地図に罠の注意事項とか、そんなのなんにもなかったのに!
 いきなり現れた転送の魔法陣によって、私は一瞬でどこかわからない場所に飛ばされた。


 ※ ※ ※ ※


 どうしよう。知らない、こんな場所、見たことない。ただ空気っていうか、雰囲気が低層と明らかに違う。
 見上げるとそこには空の代わりに、凪いだ鏡みたいな水面が広がってた。ときおり水紋が現れるのは、そこに何かがいるってことで……

「低層の地図には、空が水になってる階なんてない」

 口に出した途端、背筋を悪寒が走り抜けた。
 いや、だって無理無理! 私、低層の5階がやっとのぺっぽこだし。基本、いつも潜ってるのはモンスターが出ない3階までだもん。

「探さなきゃ、上に行く転送陣」

 でも怖くて、最初の一歩が踏み出せなかった。だって、さっきみたいな罠とか、モンスターに遭遇したらとか……
 
「どうしよう。どうすればいい?」

 動かなきゃ死ぬ。でも、動いても死ぬかも。どっちも嫌だけど、ただ、動かなきゃ確実に死ぬ。だって私がじっとしてたとこで、モンスターは動いてるんだもん。だったら少しでも可能性のある方を選ばなきゃ。
 そう思った瞬間、胸元がほわって温かくなった気がして。見下ろすと、今朝ミラクがくれたペンダントの空色の石がほのかに光ってた。

「ミラク……私に、あなたの勇敢さを少しだけ分けて」

 空色の石を握りしめ、ようやく一歩を踏み出した。警戒しながら、慎重に慎重に進んでく。緊張で喉は渇くし、葉擦れにさえビクビク反応しちゃって、さっきから心臓のドキドキが止まらない。

「大丈夫。上に行く転送陣なら、きっと攻略組が目印立ててくれてるはず……攻略組が来てくれてる階なら」

 うっかり余計なこと考えちゃった。だめだめ、諦めるなカリーナ。きっとタラゼドがギルドに知らせに行ってくれてるはず。救けは来る。だからそれまで、死なないことを第一にがんばらなきゃ。
 慎重に、慎重すぎるほど慎重に、生き残ることだけ考えて進んだ。

「あった!」

 不幸中の幸いで、ここはすでに攻略組が来ていた階だった。上への転送陣の目印を遠目に見つけ、助かったって思った。でも――

「これは……ちょっと無理じゃないかなぁ」

 残念ながら、私の幸いはそこまでだった。あと一歩のところ、転送陣が見えるってとこまで来たのに。いてしまったのがダメだった。現在絶賛不幸中逆戻りで、モンスターに捕まってる。

「どいてくれたら嬉しいんだけど」

 低層階のモンスターとは違い、目の前のモンスターはいかにもな感じのヤバそうなヤツで。低層階のモンスターが狐なら、コイツは熊。それくらい差がありそう。
 はっきり言って私じゃ敵わない。武器はナイフだけ。こんなのと戦う近接戦闘スキルとか、ほぼ採取専門の私が持ってるわけないし。まあ、遠距離でも無理ですけど。

「ちょっと! デカいのに素早いとかなしでしょー」

 白くてデカくてぶよぶよで、豚の頭にねじれた山羊の角を持つ、体が芋虫のモンスター。そいつは短い無数の足をどんな風に動かしてるのかわかんないけど、やたらめったら俊敏な動きを逃げようとした私に見せてくれた。

「これは……本当の本当にまずいかも」

 豚芋虫はぼとぼととよだれを垂らしながら私を見てる。これ、完全にロックオンされてるでしょ。そういえば豚って、動物性たんぱく質が好きって聞いたことある。動物性たんぱく質……人間も……

 無理無理無理! そんな死に方、絶対無理‼

 死ぬならせめて、なるべく苦しくない死に方したい。でもできるなら、私は生きたい。生きて、大切な人たちのところへ帰りたい。
 魔法陣はもう目と鼻の先。一瞬だけアイツを振り切れれば生き残れる……はず。ここが何階かわかんないけど、上に行けば行くほど生存率は上がる。どうかここが6階でありますように。

 けど、現実はそんなに甘くなかった。全力で走ったけど、結局のところ無謀で無策な試みだったわけで。豚芋虫の体当たりでぶっ飛ばされた私は、もう動くことができなかった。
 全身がバラバラになりそうなくらい痛い。たぶんこれ、あちこち骨折れてる。

「……たす……け、て」

 薄れゆく意識の中、脳裏をよぎったのはあの日の少年の笑顔だった。
 12歳のとき、地獄のような場所から助けてくれた人。そのまま私を連れて、遠くの町まで逃がしてくれた人。そこで冒険者として独り立ちできるよう、鍛え支えてくれた人。
 強くてかっこよくてやさしい、私のヒーロー。

「本当に……好きだったんだよ」

 何度好きだと伝えても、「俺も好きだぞ。カリーナは妹みたいなもんだからな」なんて言葉しかくれなかったけど。

「どうか、幸せに……」

 嘘。幸せになんてならないで。少しの間でいいから、私のことを想って。忘れないで。傷になって。

「ばいばい、ミラク」

 もし次があるなら……次は、好きにならないようにするから。だから、あと少しだけ。もう少しだけ、好きでいさせて……

「カリーナ!」

 意識が落ちる寸前、大好きだった人の声が聞こえた気がした。


 ※ ※ ※ ※


 消毒液のにおいがする。すぐそばには誰かの気配がした。その誰かは私の右手を握ってる。誰? 知ってる気がする。でも、わからない。

「カリーナ‼」

 目を開けたら、知らない男の人が涙目で私を見ながら叫んでた。

「よかった……目が覚めて。あのとき、動かないカリーナ見つけたとき、心臓止まるかと思った」

 カリーナってもしかして私の名前? どうしよう、何も思い出せない。

「カリーナ?」
「……えと、ごめんなさい。あなたは、誰ですか? 私と、どんな関係なんでしょう?」
「カリーナ、もしかして、記憶が……」

 男の人は目を見開いて顔をこわばらせた後、今度はとても悲しそうな顔になった。
 なんだろう。わかんないけど、なんか罪悪感が押し寄せてくる。

「はい。ごめんなさい。何も、自分の名前さえ思い出せないんです」

 なんであなたがそんなに泣きそうな顔をするの? 記憶を失くしたのは私なのに。

「俺はミラク。カリーナの……保護者、だった」
「保護者? じゃあ、あなたは私のお兄ちゃん?」
「いや、違う。俺とカリーナに血の繋がりはない」

 血の繋がらない兄妹なのかな? うーん、なんにもわかんないや。それにしても私、なんで病院にいるんだろ。もしかして事故とかに遭って、それで記憶失った?

「あの、私、なんにも憶えてないんです。自分の名前も、どうしてここにいるのかも、ミラクさんのことも、なんにも」
「さんはいらない。ミラクって呼んで欲しい。頼む」
「あ、はい。じゃあ、ミラクって呼びますね」
「うん。ありがとう」

 ミラクいわく、私は12歳のときに天涯孤独となり、当時18歳だった彼に引き取られてこの町に来たらしい。で、15歳で独り立ちした私は、ミラクと同じ冒険者として生計を立ててたらしい。ただしミラクみたいに戦う力はなかったから、主に採取系の依頼を受けてたみたい。
 で、1週間前、ダンジョンで罠にひっかかってモンスターに襲われて怪我を負った。それを助けてくれたのがミラクらしい。
 憶えてないから全然実感ないんだけど、実際右腕と左足を骨折してるからそうなんだろうね。

「カリーナの怪我が治るまでは、俺が責任もって世話するから」
「え、いやいや責任って。大丈夫ですって」
「でも、利き腕怪我してるだろ。色々不便だろうし、召使いとでも思って使ってくれ」
「できませんって。それにお世話をお願いするなら女の人がいいです」

 私が拒否すると、ミラクはまた悲しそうな顔をした。
 いや、そんな顔したってダメですからね。なにが悲しくて知らない男の人にお世話してもらわなきゃいけないんですか。お風呂とか諸々、男の人には頼めないことだらけだし。

「カリーナ!」

 ミラクのお世話を拒否すると、彼はタラゼドという女性を紹介してくれた。タラゼドは私の友達で、私が怪我した日ダンジョンに一緒に潜ってて、罠にかかった私を助けるためにギルドに駆け込んでくれたんだって。タラゼドの迅速な行動と的確な情報のおかげで私はギリギリのところで助かったらしい。

「カリーナ、俺にできることがあったら何でも言ってくれ。俺はおまえの保護者なんだからな」
「ありがとうございます。タラゼドを雇って、その代金を立て替えてくれてるだけでもう十分ですから」
「いや、立て替えじゃなくて俺が払うから。でも、そんなんじゃまだ全然足りないよな……他にも何か……」
「うざ。自重しろ、ミラク。カリーナに嫌われるよ」

 タラゼドの言葉に、ミラクは「じゃあ、どうすれば⁉」って世界が終わりそうな顔で叫んだ。
 どうすれば⁉ はこっちのセリフなんですけど。なんでそんなに私に色々しようとするんだろ。

 目覚めて3日、私は退院して家に戻ってきた。まったく憶えてなかったけど、私の家はミラクのお隣だった。私、本当に独り立ちしてたの? これって実家の隣に住んでるみたいな感じだと思うんだけど。

「じゃあ、また明日の朝来るね。もし夜の間に何かあっても、壁ドンすればミラクが飛んで来るから」
「しないから」

 タラゼドは朝食から夕食までの時間、毎日通いで来てくれた。お風呂の介助とか、外出の付き添いとか、ご飯の支度とか、とても助かってる。最初は住み込みって話だったけど、夜は寝るだけだし、トイレなんかは松葉杖があれば行けるから断った。

「私の記憶って、戻るのかな」

 夜、ひとりベッドに横になると、つい色々考えちゃう。
 私、これからどうすればいいんだろう。怪我が治っても記憶が戻らなかったら、どうしたらいいんだろう。先のことを考えると不安しかない。
 こんなこと、ミラクの前じゃ絶対言えない。言ったら最後、「一生面倒見る!」とか言いかねないし。なんなんだろ、あの使命感みたいなの。
 それと、たまに見せる悲しそうな顔。ミラクにとって、私ってどういう存在なんだろう。保護者って言ってたけど、なんかちょっと違う気がする。

「罪悪感?」

 うん、これが近い気がする。あの悲しげな顔、あれって罪悪感からなんじゃないかって気がする。私とミラクの間に何があったんだろう。思い出せば解決できるのかな?

「思い出せる保証なんてないし、直接聞くしかないかなぁ。教えてくれるかはわかんないけど」

 悶々として眠れないまま夜が明けちゃったから、ベッドを出てカーディガンを羽織り、玄関ドアをそっと開けて廊下に出た。早朝の空気はひんやりしてて、頭の中の靄を少しだけ晴らしてくれる気がした。

「カリーナ、こんな時間にどうしたんだ⁉」

 私の気配を察したらしいミラクが慌てて自分の部屋から飛び出てきた。

「あ、うん。目が覚めちゃったから、早朝の空気でも味わおうかなって」
「そっか。いや、何もないならいいんだ」

 あ、これってチャンスじゃん。せっかくふたりきりだし、今聞いちゃお。

「ねえ、ミラクってさ……私に対してなんか罪悪感? みたいなの感じてたりするのかなって」

 途端、ミラクの顔が悲しそうに歪んだ。

「罪悪感……とは違う、と思う」

 違うんだ。じゃあなんだろう。

「俺、バカだからさ。当たり前にあったもんが目の前から消えそうになって、ようやく気づいたんだ」

 ミラクの視線が突き刺さる。いつもみたいな心配げな眼差しじゃなくて、すごく強い、今まで向けられたことないような眼差し。
 どうしよう、ものすごく落ち着かない。私の中の何かが逃げたいってソワソワしてる。

「俺、ベネトナシュさんと別れた。ていうか、正確にはフラれたんだけど」
「え、うん。なんかわかんないけど、ご愁傷様です?」

 私、なんでいきなりミラクの恋愛事情聞かされてるんだろ。それ、関係ある?

「あの日、ギルドにタラゼドが飛び込んできて、カリーナが行方不明になったって聞いて……頭が、真っ白になった」

 もしかして私の件、罪悪感じゃなくてトラウマになっちゃったのかも。だとしたら本当に申し訳ない。でも、私だって好きでそうなったわけじゃなかったと思うんだよね。思い出せないけど。

「とにかく俺がすぐ助けにいかなきゃって。ギルドの指示なんて待ってらんなくて、すぐ飛び出したんだ」
「そんな行き当たりばったりで、よく私のこと見つけられたね」
「あの日の朝、誕生日プレゼント渡しただろ。あれのおかげでカリーナのとこに最短で行けたんだ」

 んん? どういうこと?

「あの石にはさ、ちょっとした怪我なら防げる守護の魔術と、位置情報を知らせる魔術をかけておいたんだ」

 ……待って。守護はともかく、位置情報って何? 私、迷子になるような小さい子どもじゃないんだけど。

「あの日の朝、あれ渡せておいてよかったよ。危うくカリーナを完全に失うとこだった。本当に……本当によかった」

 助けてくれたことはすごく感謝してるけど、どうしよう……ちょっと怖い。

「で、カリーナを助けたあと、ギルドに顛末を報告したんだ。そしたら翌日、ゴミを見るような目のベネトナシュさんにフラれた」
「ア、ハイ。オキノドクサマデス」
「でも、それで気づいたんだ。俺、フラれたけど全然辛くなかった。そんなことより、カリーナがいなくなる方がずっと辛いって」

 どうしよう。なんか色々想定外のこと言われ過ぎて頭痛い。

「俺、カリーナのことが好きだ」
「私も好きだよ。ミラクは命の恩人だもん」

 ヤバい。頭痛、どんどんひどくなってきてる。しかも動悸までしてきた。死ぬの? 私、死ぬの⁉

「ごめんな。俺の好きは、恋人になって欲しいっていう好きだから」

 関係性を変えるのが怖くて私は逃げたのに。なのに、ミラクはいつでもまっすぐで――
 ぶわあって、忘れてた記憶があふれ出てきた。忘れてた、ミラクを好きだって気持ちも。

「カリーナ、好きだよ」
「……遅い。私は、もうずっと前から好きだったよ」
「カリーナ? もしかして、記憶……!」

 せっかく忘れてたのに。次があったら、次は好きにならないようにするって頑張ってたのに。

「うん。今、思い出した。全部」
「ごめん、気づくのが遅くって」
「私も、ごめん。怖くて、逃げてばっかで、ちゃんと伝えなかった」

 全部忘れて、楽になってた。弱虫で、ずるくて、欲張りな私。でもミラクは、こんな私の手をいつでも引っ張って、新しい世界に連れ出してくれた。
 ちょっと……じゃなくて、だいぶ色々と難があるみたいだけど。でも、

「ミラク、大好き!」

 鈍感で、かっこ悪くて、自分に正直すぎる。大好きな、私のヒーロー。
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