6 / 8
5.作られた世界
しおりを挟む
『創作』、あるいは『創作活動』。
これについては、人や所によって様々な定義がありますが。今回においては、インターネットを介して、何かしらの作品を公開すること、とします。
・・・いつから、このような言葉が定着したのか。
これについては、はっきりと断言できませんが。大々的に広まったのは、2007年か、2008年か。その辺りだと思われます。
ここからは内容の都合もあって、具体的な名前を出しますが。
イラスト、あるいは漫画の投稿先として名高い『pixiv』が誕生したのは2007年頃。これが登場するまでは、イラストやweb漫画は個人サイトかお絵かき掲示板で投稿するのが基本だった、と言ったら信じます?
同じく2007年には、動画でおなじみの『YouTube』が日本語に対応し、それに追随する形で『ニコニコ動画』も流行。この2つによって動画サイトが、しかも個人による動画投稿が一般的になりました。
他にも2008年頃には、未だにこう呼ばれる事も多い、SNSの代表格である『Twitter』が日本に上陸。ブログならもっと以前からありましたが、気軽に文章を投稿できるのはやっぱり便利ですからね。
それにメッセージの発信だけでなく、pixivや動画サイトでの活動をアシストする広告としても機能しますから。Twitterに限らず、何かしらのSNSから別のSNSに流れたり、自作漫画を動画形式にして、そこに読み上げ音声を交えて新たなる作品に仕上げたり等と。
こうして、それぞれがお互いを支え合う、持ちつ持たれつの相乗効果によって。これらは瞬く間に、日本中のクリエイター達に浸透していきました。
だけど、この時代において何よりも重要なのは。
これらのインターネット文化が、世間一般に広まったのは。やはり携帯電話もとい、通信技術の進化によるものだと、わたしは考えます。
今現在流通しているスマートフォンには遥かに劣りはしますが。2007年頃には、2000年前後の携帯電話のネット回線よりも、30倍以上もネット速度が速くなりました。データを保存できるSDカードや、携帯電話自体のデータ容量も大幅に増えたのも要因としては大きいでしょう。
この時代を分かりやすく例えるのなら、3Gと4Gの中間地点、とでも表現しましょうか。特に画期的だったのは・・・今では大したことでも無い話でしょうが、この頃は携帯電話でワンセグ――テレビ番組が見れるようになったのです。お財布ケータイ、今でいうスマホ決済の先駆けとなるものが生まれたのもこの頃ですね。
もちろん2007年より以前からも、自作ゲームやアニメ動画、あるいはインディーズ音楽を公開してらっしゃる人々は大勢いましたが。これらはあくまでも、パソコンで視聴するのが前提。ついでに言えば、ご自宅での視聴が前提。
当時のパソコンの家庭普及率は65%ほどはあったそうですが、これにはお仕事や学業で使うものも含まれていますし、各ご家庭の家族全員、親から子供までが全員1台ずつ持っているわけでもありませんから。
義務教育でパソコンの授業を受けた世代ならともかく、日常的に趣味の一環でパソコンに触れ合う人は、そこまで多くは居なかったでしょう。
一方で、携帯電話は老若男女を問わず、広く普及していたので。同じく携帯電話を介したインターネットも、広く普及していったのです。やはりパソコンと違って、片手で持ち運べるサイズというのは、何よりも大きな利点なのですね。
一応ながら、2007年以前でも携帯電話でインターネットも可能ではありましたが、それこそ今と比べるとやれることが限られています。
まず、普通のインターネットサイトが利用できません。人によっては、パソコン用と携帯用の2種類のホームページを作る人もいるほどでした。
・・・さらに言えば。2000年初頭のインターネットは、黎明期ほどマイナーではありませんでしたが。極端な情報がテレビ番組を介して広まった影響もあって、どちらかと言えば悪者扱い、もしくは異端視される傾向が強かったのです。
なので、この頃にネット世界へ深く出入りしていたものはオタクと揶揄され、テレビ番組によってはそれはもう酷い扱いを・・・という話はやめておきましょう。今さら語るのも野暮ですハイ。
もともと携帯電話――これ以降はケータイと表記させていただきます。別にガラケと表記してもいいのですが、わたしにはこの方が馴染みがあるのです。
ケータイが日本に生まれたのは1985年。携帯電話といっても、最初期のものはめちゃくちゃデカいです。ポケットに入れるどころか、肩に担いでカバンの様に運ぶ形状をしていました。重さは3キロ。もはやアレは盾です。
その後は小型化も進みましたが、電話ボックスなり、ポケベルなりと、電話をするだけなら他にも色々な連絡手段がありましたので。
以前わたしは、インターネット黎明期でケータイを持っている家庭は半分いるかどうか、と申し上げましたが。それよりもっと前の1995年だと、10人に1人持っているかどうか、という環境でした。
しかしそこから2~3年もすれば、ケータイの普及率は一気に上昇します。これにはケータイよりも安価で扱いやすいPHS、通称ピッチの登場も要因の一つではありますが。PHSの開発も含め、ケータイおよび通信技術に対しての、極めて重要な課題が生まれたことが大きく影響しているのです。
1995年1月17日。阪神・淡路大震災。
当時としては、日本における自然災害としては前代未聞。現在でも、後述する東日本大震災に次いで2番目に大きな被害をもたらした忌まわしき災害です。
この時はちょうど、インターネット黎明期の始まり。個人のご家庭への普及はまだまだですが、ビジネス用途での普及は着々と広まっていた時期でもありました。
そんな折に発生した災害の、一刻を争う状況の変化を、インターネットを介して、一瞬で大勢の人に伝える。今では当たり前となっている、ネットを用いた安否情報の一般投稿や、各企業と公的機関との連携は、地震発生から1日足らずで各企業・団体がその場の急ごしらえで作ったものだそうです。
・・・それでも。それらによる功績は、とても大きかった。
前代未聞の災害に立ち向かうための、人と人を繋ぐパイプ役として、インターネットは大きな役割を果たしました。奇しくもこの震災が、インターネットの重要性を世間一般に大きく認知させた要因になっているのです。
一方で、ケータイの方はあまり役には立てず、と言うよりは。そもそもの普及率が低すぎたので、これを機にケータイをより発展させよう、いざという時の連絡手段として機能するようにしよう、という考えが生まれました。
災害と通信技術の進化は、想像以上に深いものがあるのです。通信アプリの『LINE』もとい、メッセージの既読機能が生まれたのは、2011年の東日本大震災がきっかけである、という話をご存知でしょうか?これについては開発者の方が熱い思いを語っていますので、各自で調べて頂ければ幸いです。
こうした経緯もあって、先ほど申し上げた2007年頃には。PHSも含めれば、ケータイの国民普及率が90%を超えていました。
もうこの頃になると、メールでのやり取りや写真機能なんて当たり前。他にも音楽プレイヤー代わりにしたり、インターネットやゲームで遊ぶこともできる、便利な万能アイテムとして認知されていました。
しかも携帯の名の通り、持ち運びも容易です。なのでわたしは、ケータイと称しているのです。だってこれはもはや、電話ではありませんよ。
実際、この頃にもなると遊びや娯楽目的でケータイを愛用する人も増えていましたからね。今でも子供がスマホに依存して云々と騒ぎになる事がしばしばありますが、そういう子供はこの頃から大勢いました。
そのため一時期は、あまりにも遊び目的で使う子供が増えすぎて、特に小中学校への持ち込みが厳しく制限される事も多かったようですが。
今では一定の条件――授業中は使うな、ゲームはするな等という制限を設けることで、持ち込みを許可するところが増えているそうです。
なにせ、緊急時の連絡手段としては、これ以上のものはありませんからね。今の日本は災害だけでなく、何かと物騒な世の中なのですから。いざという時に備えてケータイ・・・もとい、スマホを。そういうものを子供に持たせておきたいと思うのは、親としては当然でしょう。
今ではスマホのアプリも恐ろしいまでの進化を遂げてますので。連絡手段なり位置情報なり緊急時アプリ等と、スマホそのものが物理的に壊れない限りは、ありとあらゆる連絡手段が取れます。いざという時も、スマホがあれば安心です。
こうしてインターネットと、パソコン・ケータイ・スマホといった通信媒体は、これからも発展を続けていくのでしょう。1990年代のテレビアニメでは、テレビ電話は未来のものとして扱われる事も多かったのですが、今ではそれすらも当たり前になるとは。
これぞまさに、IT革命・・・これも今となっては死語ですね。革命ってレベルじゃないですコレ。語るにも恐ろしい進化っぷりですよ。
話が長くなりましたが。
この内容だけは、どうしても伝えたかった。
わたしは、くすぐり奴隷。わたしは、インターネットの世界で生まれた概念であり、インターネットを介して広まった存在です。
この概念自体は、とある人によって生み出されたものですが。ここまでのインターネットの進化が無ければ、わたしの存在は成り立ちませんでした。
わたしだけではない。インターネットの世界で生まれた多くの存在は、ネット環境の発展と、それに伴う通信媒体の進化によって、多くの方々にその存在を認知され、拡散されていきました。
これもすべて、今では当たり前とされている技術を生み出した方々のおかげです。わたしはくすぐり奴隷なので、くすぐりプレイを日本に広めた人々や、その経緯を語ることはできます。
そしてあなた様も、ご自身の得意分野であれば、多くの事を語ることができるでしょう。インターネットを通して、見知らぬ、誰かへ。
だけど、インターネットをこの世に生み出したのは誰ですか?日本に普及させたのは誰ですか?眼も背けたくなるような災害が起こる度に、通信技術をより強固にしたのは誰ですか?そもそもパソコンやスマホを開発したのは誰ですか?
あなた様が今手にしているそれは、誰が作りましたか?あなた様が普段利用しているサイトやアプリは誰が作りましたか?ネット環境を整えるためのインフラ設備は誰が考案し、誰が施工作業を行ったのですか?
そして誰が、この世の中を。ネットが気軽にできて、自作の創作物を世の中に公開できて当たり前という世界を、作り上げたのでしょうか?
――あなた様は、この問いの全てに。今この場で、即答できますか?
恥ずかしながら、わたしにはできません。だからこそ、僭越ながらこのような話をさせていただきました。顔も知らない大勢の方々が、ここまでネット環境を整えてくれたからこそ。創作の世界もまた、ここまで広まったのです。
・・・インターネット黎明期の時代から、今に至るまで。この道を繋げてくださった、大勢の方々へ。この場をお借りして、深い感謝と敬意を捧げます。
さて。ここからは、くすぐりプレイの話に戻します。
これもまた、顔も知らない大勢の方々が、繋いでくれた道の一つなのです。
くすぐり物の創作作品から、実際にくすぐりプレイを行っている方まで。フィクションと現実の、その両方が合わさり、インターネットを介することで。くすぐりプレイはここまで発展したのだと、わたしは考えております。
ゆえにこの作品は『くすぐり奴隷への道』という名称を・・・すみません嘘です、そういうタイトルを勝手に流用しただけです。一応ながら許可は貰ってはいますがマジで勝手なことをして申し訳ありませんでしたハイ。あとコレ原作は18禁作品なのでR-18に満たない方はマジで調べないでくださいハイ。
だって、仕方が無いのです。そもそも日本におけるくすぐりプレイの始まりはエッチなビデオの・・・いや、違うか。こっちが元祖にして諸悪の根源でした。
ううう、こんなモノが生み出されたせいでわたしは・・・ハァ。ヤりたくないなぁ、コレ。コレを生み出した人は末代まで祟ってやりますよチクショウ。
・・・だけどヤるしかありませんね。だってわたし、くすぐり奴隷ですから。
――くすぐりロボット、起動。これより、機械責めモードを開始します。
これについては、人や所によって様々な定義がありますが。今回においては、インターネットを介して、何かしらの作品を公開すること、とします。
・・・いつから、このような言葉が定着したのか。
これについては、はっきりと断言できませんが。大々的に広まったのは、2007年か、2008年か。その辺りだと思われます。
ここからは内容の都合もあって、具体的な名前を出しますが。
イラスト、あるいは漫画の投稿先として名高い『pixiv』が誕生したのは2007年頃。これが登場するまでは、イラストやweb漫画は個人サイトかお絵かき掲示板で投稿するのが基本だった、と言ったら信じます?
同じく2007年には、動画でおなじみの『YouTube』が日本語に対応し、それに追随する形で『ニコニコ動画』も流行。この2つによって動画サイトが、しかも個人による動画投稿が一般的になりました。
他にも2008年頃には、未だにこう呼ばれる事も多い、SNSの代表格である『Twitter』が日本に上陸。ブログならもっと以前からありましたが、気軽に文章を投稿できるのはやっぱり便利ですからね。
それにメッセージの発信だけでなく、pixivや動画サイトでの活動をアシストする広告としても機能しますから。Twitterに限らず、何かしらのSNSから別のSNSに流れたり、自作漫画を動画形式にして、そこに読み上げ音声を交えて新たなる作品に仕上げたり等と。
こうして、それぞれがお互いを支え合う、持ちつ持たれつの相乗効果によって。これらは瞬く間に、日本中のクリエイター達に浸透していきました。
だけど、この時代において何よりも重要なのは。
これらのインターネット文化が、世間一般に広まったのは。やはり携帯電話もとい、通信技術の進化によるものだと、わたしは考えます。
今現在流通しているスマートフォンには遥かに劣りはしますが。2007年頃には、2000年前後の携帯電話のネット回線よりも、30倍以上もネット速度が速くなりました。データを保存できるSDカードや、携帯電話自体のデータ容量も大幅に増えたのも要因としては大きいでしょう。
この時代を分かりやすく例えるのなら、3Gと4Gの中間地点、とでも表現しましょうか。特に画期的だったのは・・・今では大したことでも無い話でしょうが、この頃は携帯電話でワンセグ――テレビ番組が見れるようになったのです。お財布ケータイ、今でいうスマホ決済の先駆けとなるものが生まれたのもこの頃ですね。
もちろん2007年より以前からも、自作ゲームやアニメ動画、あるいはインディーズ音楽を公開してらっしゃる人々は大勢いましたが。これらはあくまでも、パソコンで視聴するのが前提。ついでに言えば、ご自宅での視聴が前提。
当時のパソコンの家庭普及率は65%ほどはあったそうですが、これにはお仕事や学業で使うものも含まれていますし、各ご家庭の家族全員、親から子供までが全員1台ずつ持っているわけでもありませんから。
義務教育でパソコンの授業を受けた世代ならともかく、日常的に趣味の一環でパソコンに触れ合う人は、そこまで多くは居なかったでしょう。
一方で、携帯電話は老若男女を問わず、広く普及していたので。同じく携帯電話を介したインターネットも、広く普及していったのです。やはりパソコンと違って、片手で持ち運べるサイズというのは、何よりも大きな利点なのですね。
一応ながら、2007年以前でも携帯電話でインターネットも可能ではありましたが、それこそ今と比べるとやれることが限られています。
まず、普通のインターネットサイトが利用できません。人によっては、パソコン用と携帯用の2種類のホームページを作る人もいるほどでした。
・・・さらに言えば。2000年初頭のインターネットは、黎明期ほどマイナーではありませんでしたが。極端な情報がテレビ番組を介して広まった影響もあって、どちらかと言えば悪者扱い、もしくは異端視される傾向が強かったのです。
なので、この頃にネット世界へ深く出入りしていたものはオタクと揶揄され、テレビ番組によってはそれはもう酷い扱いを・・・という話はやめておきましょう。今さら語るのも野暮ですハイ。
もともと携帯電話――これ以降はケータイと表記させていただきます。別にガラケと表記してもいいのですが、わたしにはこの方が馴染みがあるのです。
ケータイが日本に生まれたのは1985年。携帯電話といっても、最初期のものはめちゃくちゃデカいです。ポケットに入れるどころか、肩に担いでカバンの様に運ぶ形状をしていました。重さは3キロ。もはやアレは盾です。
その後は小型化も進みましたが、電話ボックスなり、ポケベルなりと、電話をするだけなら他にも色々な連絡手段がありましたので。
以前わたしは、インターネット黎明期でケータイを持っている家庭は半分いるかどうか、と申し上げましたが。それよりもっと前の1995年だと、10人に1人持っているかどうか、という環境でした。
しかしそこから2~3年もすれば、ケータイの普及率は一気に上昇します。これにはケータイよりも安価で扱いやすいPHS、通称ピッチの登場も要因の一つではありますが。PHSの開発も含め、ケータイおよび通信技術に対しての、極めて重要な課題が生まれたことが大きく影響しているのです。
1995年1月17日。阪神・淡路大震災。
当時としては、日本における自然災害としては前代未聞。現在でも、後述する東日本大震災に次いで2番目に大きな被害をもたらした忌まわしき災害です。
この時はちょうど、インターネット黎明期の始まり。個人のご家庭への普及はまだまだですが、ビジネス用途での普及は着々と広まっていた時期でもありました。
そんな折に発生した災害の、一刻を争う状況の変化を、インターネットを介して、一瞬で大勢の人に伝える。今では当たり前となっている、ネットを用いた安否情報の一般投稿や、各企業と公的機関との連携は、地震発生から1日足らずで各企業・団体がその場の急ごしらえで作ったものだそうです。
・・・それでも。それらによる功績は、とても大きかった。
前代未聞の災害に立ち向かうための、人と人を繋ぐパイプ役として、インターネットは大きな役割を果たしました。奇しくもこの震災が、インターネットの重要性を世間一般に大きく認知させた要因になっているのです。
一方で、ケータイの方はあまり役には立てず、と言うよりは。そもそもの普及率が低すぎたので、これを機にケータイをより発展させよう、いざという時の連絡手段として機能するようにしよう、という考えが生まれました。
災害と通信技術の進化は、想像以上に深いものがあるのです。通信アプリの『LINE』もとい、メッセージの既読機能が生まれたのは、2011年の東日本大震災がきっかけである、という話をご存知でしょうか?これについては開発者の方が熱い思いを語っていますので、各自で調べて頂ければ幸いです。
こうした経緯もあって、先ほど申し上げた2007年頃には。PHSも含めれば、ケータイの国民普及率が90%を超えていました。
もうこの頃になると、メールでのやり取りや写真機能なんて当たり前。他にも音楽プレイヤー代わりにしたり、インターネットやゲームで遊ぶこともできる、便利な万能アイテムとして認知されていました。
しかも携帯の名の通り、持ち運びも容易です。なのでわたしは、ケータイと称しているのです。だってこれはもはや、電話ではありませんよ。
実際、この頃にもなると遊びや娯楽目的でケータイを愛用する人も増えていましたからね。今でも子供がスマホに依存して云々と騒ぎになる事がしばしばありますが、そういう子供はこの頃から大勢いました。
そのため一時期は、あまりにも遊び目的で使う子供が増えすぎて、特に小中学校への持ち込みが厳しく制限される事も多かったようですが。
今では一定の条件――授業中は使うな、ゲームはするな等という制限を設けることで、持ち込みを許可するところが増えているそうです。
なにせ、緊急時の連絡手段としては、これ以上のものはありませんからね。今の日本は災害だけでなく、何かと物騒な世の中なのですから。いざという時に備えてケータイ・・・もとい、スマホを。そういうものを子供に持たせておきたいと思うのは、親としては当然でしょう。
今ではスマホのアプリも恐ろしいまでの進化を遂げてますので。連絡手段なり位置情報なり緊急時アプリ等と、スマホそのものが物理的に壊れない限りは、ありとあらゆる連絡手段が取れます。いざという時も、スマホがあれば安心です。
こうしてインターネットと、パソコン・ケータイ・スマホといった通信媒体は、これからも発展を続けていくのでしょう。1990年代のテレビアニメでは、テレビ電話は未来のものとして扱われる事も多かったのですが、今ではそれすらも当たり前になるとは。
これぞまさに、IT革命・・・これも今となっては死語ですね。革命ってレベルじゃないですコレ。語るにも恐ろしい進化っぷりですよ。
話が長くなりましたが。
この内容だけは、どうしても伝えたかった。
わたしは、くすぐり奴隷。わたしは、インターネットの世界で生まれた概念であり、インターネットを介して広まった存在です。
この概念自体は、とある人によって生み出されたものですが。ここまでのインターネットの進化が無ければ、わたしの存在は成り立ちませんでした。
わたしだけではない。インターネットの世界で生まれた多くの存在は、ネット環境の発展と、それに伴う通信媒体の進化によって、多くの方々にその存在を認知され、拡散されていきました。
これもすべて、今では当たり前とされている技術を生み出した方々のおかげです。わたしはくすぐり奴隷なので、くすぐりプレイを日本に広めた人々や、その経緯を語ることはできます。
そしてあなた様も、ご自身の得意分野であれば、多くの事を語ることができるでしょう。インターネットを通して、見知らぬ、誰かへ。
だけど、インターネットをこの世に生み出したのは誰ですか?日本に普及させたのは誰ですか?眼も背けたくなるような災害が起こる度に、通信技術をより強固にしたのは誰ですか?そもそもパソコンやスマホを開発したのは誰ですか?
あなた様が今手にしているそれは、誰が作りましたか?あなた様が普段利用しているサイトやアプリは誰が作りましたか?ネット環境を整えるためのインフラ設備は誰が考案し、誰が施工作業を行ったのですか?
そして誰が、この世の中を。ネットが気軽にできて、自作の創作物を世の中に公開できて当たり前という世界を、作り上げたのでしょうか?
――あなた様は、この問いの全てに。今この場で、即答できますか?
恥ずかしながら、わたしにはできません。だからこそ、僭越ながらこのような話をさせていただきました。顔も知らない大勢の方々が、ここまでネット環境を整えてくれたからこそ。創作の世界もまた、ここまで広まったのです。
・・・インターネット黎明期の時代から、今に至るまで。この道を繋げてくださった、大勢の方々へ。この場をお借りして、深い感謝と敬意を捧げます。
さて。ここからは、くすぐりプレイの話に戻します。
これもまた、顔も知らない大勢の方々が、繋いでくれた道の一つなのです。
くすぐり物の創作作品から、実際にくすぐりプレイを行っている方まで。フィクションと現実の、その両方が合わさり、インターネットを介することで。くすぐりプレイはここまで発展したのだと、わたしは考えております。
ゆえにこの作品は『くすぐり奴隷への道』という名称を・・・すみません嘘です、そういうタイトルを勝手に流用しただけです。一応ながら許可は貰ってはいますがマジで勝手なことをして申し訳ありませんでしたハイ。あとコレ原作は18禁作品なのでR-18に満たない方はマジで調べないでくださいハイ。
だって、仕方が無いのです。そもそも日本におけるくすぐりプレイの始まりはエッチなビデオの・・・いや、違うか。こっちが元祖にして諸悪の根源でした。
ううう、こんなモノが生み出されたせいでわたしは・・・ハァ。ヤりたくないなぁ、コレ。コレを生み出した人は末代まで祟ってやりますよチクショウ。
・・・だけどヤるしかありませんね。だってわたし、くすぐり奴隷ですから。
――くすぐりロボット、起動。これより、機械責めモードを開始します。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる