I SAVE ME (アイ セイブ ミー)

夏風涼

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CASE 中島加世子

第三十話 恋人 kayoko's last episode

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「流……。最後にあたし、あなたが好きになって良かったです……」
 
  だが、僕はその表情に身体が凍り付いてしまって、すぐに動けなかった。
 それでも、僕は腕を掴もうと手を伸ばした。
 しかし、何も掴んではくれなかった。
 彼女は落ちていった。ビルの下に落ちていく。
 
 ――絶対に加世子を死なせないッッ!!
 
 失意と失望に染まりそうな僕の頭と本能に必死に呼びかけたとき、僕の頭に閃くものがあった。
 そうだ! 卓の、ルビーの宝石の力!!

『キミ、先に行っとくね、ルビーの宝石は翼、キミが胸にルビーの宝石を当て、翼を生やしたいって念じたら、翼がキミの背中に生えるよ……。つばさ……卓は、ずっと囚われてきた、ずっと自由に生きられなかった。そんな彼が自由に空を飛びたてる翼になるなんて、皮肉だね……』
 
 卓! 力を貸して! 僕は救いたいんだ! キミの他にも大事な人ができたんだッッ!
 だからっ!!
 僕はルビーを胸に当てた。
 生えろ! 飛べ!
 一瞬だった。僕の願いが実現した瞬間だった。
 
 赤く大きな翼が僕の背中に生えたと思ったら、翼が一回羽ばたく。
 すごい風圧で、吹雪いていた空気を全て吹き飛ばす。
 いける。これなら……。
 僕は落下する。
 落下するスピードよりも、早く落ちなければならないため、空気を大きな翼で強く打ち付けるようにして真下に羽ばたく。
 加世子は目を瞑って落ちていた。かなりの距離を落下しているので凄いスピードだ。
 だが、このビルが高すぎるために、彼女はまだ生きている。生きてくれている。
 
 追いついた。
 僕は落下しながら、加世子を強く抱きしめる。
 彼女は驚いた顔をしていた。だが、加世子は冷え切っていて、雪細工の人間を抱いているみたいに、身体は凍っている。
 だけど、瞳も息も、心臓も、彼女の構成している全ては死んではいない。
 僕は抱き抱えながら、一度、宙の中で停止し、そのまま翼を使って羽ばたきながら、上へ上へ上昇していく。
 
 ――良かった、良かった、本当に良かった……。
 
 彼女は笑っていた。
 冷たい笑顔ではなかった。まるで、真夏にひまわり畑で、はしゃぐ女の子のような、とても暖かくと優しい笑み。
 僕は安心していた。安心しきっていた。
 そして、彼女のことがもっともっと、好きになる。
 きっと分かり合える。僕たちはお互いのことを知り、幸せな結婚ができるようになる。
 
 カチコチに固まった氷岩は溶解していくだろう。きっと彼女の周りは暖かく、明るい人達が照らす日常になるんだ。きっと僕がそれをしてあげられる……。
 僕たちは再び、ビルの屋上に降り立った。
 彼女は、とびきりの笑顔を見せた。

「ありがとう……」
 
 何が何だか、分からない様子ではなく、運命を受け入れている。ただそう思えた。
 だから説明しなかった。

「流……。ごめんなさい、もう一度、あたしを抱いて……抱きしめて」
 
 僕は翼を折りたたんで、加世子の身体を抱きしめる。
 もう二度と離すことがないように。もう、二度と、失わないように。
 決して、死なさない。何があっても僕が彼女を守る。
 
 冷たい肌と冷たい体温。
 だが、僕には暖かく感じた。彼女が僕の気持ちに応えているからだ。
 僕が背中に手を回し、強く強く抱きしめれば抱きしめるほど、彼女は僕を受け入れ、抱きしめ返してくれる。
 彼女は顔を上げ、もう一度、目を瞑る。
 僕は唇を彼女の唇に合わせる。
 時間が止まって欲しかった。いつまでも、加世子とこうしていたい。
 しかし、そのときに感じた。
 足が動かない。
 僕はハッとして、足下を確認した。
 
 ――氷……。
 
 床に発生した氷が僕の足を覆い、動けなくする。そして、どんどん、氷は体積を増やして、せり上がってくる。

「流……」
 
 気がつけば、加世子は僕から離れて、またフェンスに上がる。

「流……。ごめん。大好きだよ」
 
 美しい笑顔。星の輝きに照らされて、大きな瞳と大粒の涙に光が宿っている。
 煌めくような、美しくて、可愛くて、そして、悲しい笑顔だった。

「加世子ぉおおおおお!!!!」
 
 加世子は再び、翼がない身体で空を飛んだ。
 一瞬で、落下していく彼女の身体。瞬く間もなく、彼女は闇の中に消えた。
 
 動け! 動け! 動け!
 
 もう動けない。どうやっても動かない。
 僕がどうやっても、身体を覆う氷は僕の翼をもぎ、僕の自由を束縛する。
 
 飛べない……助けられない……。
 
 どうしてだ?! どうしてだ?! どうして僕は加世子を救えないんだぁあああ!!!
 過呼吸になる。頭も身体も、熱に浮かされる。
 でも、その過剰な生命のエネルギーは、時間とともに、僕に大きな喪失と大きな悲しみ、辛さに変化する。
 
 加世子! 加世子! 加世子!
 
 どうやっても、どうやっても、どうして、キミを救えないんだあああ!!
 目から、考えられないほど熱く沸騰した涙が、流れ出る。

 やがて、氷は氷解する。
 僕はそのまま、床に膝を折って、泣き崩れることしかできなかった。
 ただ、今、僕が感じるのは、彼女が僕を抱いてくれた、身体の柔らかさ、温もりが亡霊のように僕を包み、僕は逃げるようにそれにすがりつく。だが、同時に心臓を壊すよう痛みに襲われ、その後、起ったのは生きることの意志の喪失だった。

 
 いつしか、日が昇り、魔にとりつかれた東京の夜は終わりを迎え、朝がやってくる。
 太陽の日は、今の僕の冷え切った身体には、強烈すぎて、この光を浴び続けると、僕は氷のようになくなってしまう……。

「じゃまするよ」
「……」
 
 倒れ伏すようにしていた僕の横に、黒いパンプスが見えた。
 僕はおもむろに、彼女を見上げる。
 パートナーだった。リクルート姿のパートナーが僕の横を立っている。

「これ……」
 
 大粒の涙のようなサファイア。
 その青い輝きは、冷たくも暖かくも、優しくも、強くも、全て彼女を表わしていた。
 何よりも、どんな物よりも、美しい。
 日の光を乱反射し、一層輝きを増す姿を見て、彼女にそうなって欲しかったと思った。
 パートナーは床に置いた。

「分かってると思うけど、中島加世子の宝石……。ビルの下に落ちてた」
 
 何も言いたくないし、何も言い返したくなかった。

「辛いのは分かるよ。一人でやらせて申し訳なかったとも思う。でもね、キミにしか達成できなかったんだ。ごめんね」
 
 僕は無反応だった。
 反応する気力もない。もう、どっかに行って欲しい。

「今夜、新しい任務があるから、しっかりしなよ」
「……」
「じゃあ、私、報酬置いて、帰る。キミが、まだやる気なら、この世界に初めて来た時の公園においで、時間は夜七時。じゃあね」
 
 サファイアの下に、たった一万円だけ置いて、彼女は屋上のドアを開け行ってしまった。
 もう僕はどこにも行きたくなかった。
 ここにいて。ここで朽ちよう。そう思った。
 無慈悲にも暖かい太陽の光が僕に降り注ぐ、僕の意志に関係なく、冷え切った身体は熱を求め、再び細胞は活動し出す。
 
 だが、僕にはこれから、生きることの意味は分からなかった。
 ただ、何故か僕は息をしている、息をする。
 生に執着する気はない。加世子の元に行きたい。
 でも。できなかった。
 生きることがどんなに辛くても、僕は生きることしかできない、それがとても悔しい……。
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