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第33話 愛しのトオくんへ

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 騎士団に保護された兄は、ルビス王国の近隣にある、戦災孤児が集められた施設に収容された。

 そこには何百という子供たちがいた。
 兄と同じ体験をした者。
 もっと酷い経験をしてきた者。
 年齢も下は乳飲み子から、上は十五歳までと幅広い。

 施設での生活は快適とは言い難かった。
 食事は質素で、着替えも満足にはない。
 いつも誰かの泣き声や恨み節が聞こえてきた。

 そんな環境だったからこそ、兄は何も考えずにいられた。
 ただ毎日を生きることだけに集中できた。
 

 
 夏の終わりごろ、内戦が終わった。

 そして、その年の秋。
 兄はサクラノ家に引き取られた。

 ヒヅキ家とサクラノ家は内戦以前より家族ぐるみでの付き合いがあった。
 だからヒヅキ家の悲劇を耳にしたサクラノ家のおじさんが、わざわざ施設まで引き取りに来てくれたのだ。

 ようやく戻ってきた平和。
 だけど、穏やかな生活に兄は馴染めなかった。

 静寂が。
 夜の闇が。
 恐怖の記憶と共に囁きかけてくる。

 ――ドウシテ……オマエダケガ、イキテイル。

 やがて悪夢に追いつめられた兄は思うようになった。

『なんでぼくは何もできなかったんだ! ユメでさえ守ろうとしていたのに……っ。なんでぼくは動けなかったんだ! これじゃあ、ぼくがみんなを殺したみたいじゃないかっ!』

 考えれば考えるほど情けなくなる。
 こんな情けない兄よりも勇敢な妹こそが生きているべきだった。
 そう思えてならない。

『でも、ユメはいないんだ。もう、どこにも……っ!』

 いくら後悔しても。
 どんなに謝りたくても。
 妹はいない。



 ある日。
 兄の前に死んだはずの妹が現れた。

 幻だと思った。
 けれど妹の姿は幼馴染にも見えていた。
 触れることもできた。
 あたたかい。
 体温が、しっかりあった。

『おにいちゃん、ユメはここにいるよ』

 その言葉を兄は、
『うそだ! ユメは死んだんだ! ぼくの前で死んだんだ! お前はユメじゃない! お前はユメの偽物だ!』
 全身で、心で、拒絶した。

 それからの兄は日を追うごとに衰弱していった。
 食事も口にしない。
 寝ない。
 誰の声にも反応しない。
 ただ部屋の隅で膝を抱えながら生気の抜けた瞳で虚空を見つめ続けた。

 まるで生命活動が止まるのを待っているかのような日々。

 そんな生活を終わらせたのが幼馴染の少女だった。

『トオくん。だいじょーぶだよ。こわがんないで。あたしがいやなことはぜーんぶ、なくしたげるから』

 と、幼馴染の少女が兄に優しい口づけをする。
 彼女の茶色だったはずの髪が、いつの間にか淡い桃色に変化していた。

 そして、そのキスの瞬間から兄のなかで失われたモノがある。

 内戦で家族を亡くした過去。
 自身が目覚めた力。
 幼馴染の変化。

 それらを忘れた。


○●○●○●


 妹がいない事実をトオルは、もう知っている。
 家族が殺された過去を今のトオルは、ようやく理解した。

 妹が死んでいたという現実を突きつけられたのは、カレンが命の灯火を消そうとしていたあの瞬間だ。

 あのときは突然で理解が追いつかなかったけれど、トオルはその日のうちに理解するしかなかった。
 家のどこにもユメの姿がなかったからだ。
 頭のなかにある七年間の記憶。
 その記憶内のユメに関する事柄が全て偽りだったと、脳みそが告げてくるからだった。

 理解はした。
 しかし、過去を受け入れることは中々できずにいた。

 王立サンドラ学園に入学してからの四年間は何だったのか。
 ユメに治療を受けさせるために騎士を目指してきたのに、それが無駄で、意味がなかったなんて。
 どうやって心に折り合いをつければいい?

 この家で《彼女》と過ごした想い出が蘇る。
 偽りの、想い出だ。

 よくよく思い返してみれば不自然なことだらけだった。

『今日もごはん食べてないんだな』

 それが、学園から帰ったトオルの口癖だった。
 用意した食事は、いつも手つかずで残っていた。
 毎日毎日、何かと理由をつけていたけれど、そもそも彼女が食事を摂ったことがあっただろうか。
 何かを食べている姿を一度でも目にしただろうか。

 そしてマリーのパン工房のおばちゃんも、
『そ、そうだったね……うん。ユメちゃんのためにも早く騎士になれるといいね』

 教官のクリスタも、
『そうよね、ヒヅキくんはそうだったのよね。ごめんなさい、つい忘れてしまっていたわ』

 病床のユメに同情していたわけではなかったのだろう。
 あれは、妹の死を受け入れられずにいる兄を憐れんでいただけだ。

 トオルはベニツバキを腰から外し、ベッドに座った。

「知らなかったのは俺だけ、か……」

 どうして妹の死という一大事を忘れてしまっていたのか。
 どうして日常の不自然さに気づけなかったのか。
 今ならわかる。
 思いだした。

 カレンは自身の彩能について言っていた。

『それをできるのは一度に一人だけどね』

『そもそも今その力が使えないんだよねー』

 カレンの彩能は記憶を改変する能力だ。
 あの時は、どうして彩能が使えないのかと疑問だった。

(俺に使ってたから、カレンは彩能を他の人間に使えなかったんだな)

 カレンは、どんな気持ちだったのだろう。
 彩能を使ってから死ぬまで何を思っていたのか。
 本人に訊くことは、もうできない。
 だけど想像どおりなら、答え合わせは可能なはずだ。

 たぶん、解答は今この手のなかにある。

 トオルは封筒の端を破り、中身を取り出した。
 中に入っていたのは折り畳まれた紙。
 紙面は、丸みのある、可愛らしい文字がびっしりと連なっている。

「愛しのトオくんへ――」

 それは、カレンからの手紙だった。
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